• 検索結果がありません。

米価問題に対する認識の差

ドキュメント内 近代日本における農業政策形成過程 (ページ 49-61)

第一章 米穀法成立以前の米価調節論――1910 年代の議論を中心として

第二節 米価調節調査会における議論

1 米価問題に対する認識の差

(1)河合良成の「米価調節私論」

農商務省書記官の河合良成50は1914年に、「米価調節私論」を発表した。それは「米価政 策史上に特筆すべき米価調節の法律化を喚起せる所の重要なる論文であり、恐らく米価統 制の具体的濫觴を為せるもの」51と評価されている。ここでは、河合の私案に焦点を当てて、

河合、ひいては農商務省側の米価調節に対する認識を確認しておきたい。

まず、河合は米価騰貴と低落の消費者(労働者及下層農民など)及農家に対する影響を 分析した上で、次のように米価調節の必要性についての認識を示している52

其(米価激動:引用者)ノ国民経済上ニ及ホス損害範囲及数量ヲ比較スルトキハ低落ノ場合却 テ甚大ナルモノアルヘシ、其ノ他一般経済上ヨリ之ヲ観察スル時ハ騰貴著シキトキハ工業衰退 ノ原因ヲ来シ低落著シキトキハ農民購買力減退シ何レモ不景況ノ現象ヲ誘致スヘク、又一般 社会風紀ノ上ヨリ見ルトキハ農家ノ思惑ヲ増長セシメ農村ノ美風ヲ壊ルコト顆シク、或ハ其ノ自己 ニ利ナル際ニ当リテハ其ノ困窮ノ際ニ対スル貯蔵心鮮キヲ以テ労働者又ハ農民ノ奢侈濫費ノ 風ヲ熾ニスヘシ、又之ヲ国家財政ノ上ヨリ見ルトキハ税源常ニ動揺シ特ニ地租ノ如キハ豊凶、

米価ニ関係ナク同一率ニ之ヲ徴収スルヲ以テ年ニヨリ又地方ニ依リ負担ノ不公平ヲ免ル能ハ サルヘシ、米価激動ノ影響右ノ如キ百害アリテ一利ナシ、コレヲ救済スルノ方策ハ一日モ忽ニ

50 河合良成は富山県生まれ、1911年東京帝国大学法学部政治科卒業後、農商務省に入り、1914年農商書 記官、1918年臨時外米管理部業務課長、1920年東京株式取引所常務理事などの経験を経て、戦後、農林 次官(194510月)、厚生大臣(19465月)に就任した。(ダイヤモンド社編、1964、167頁)

51 鈴木、1938、河合良成氏述「米価調節私論」1頁。

52 鈴木、1938、河合良成氏述「米価調節私論」7-8頁。

44 スヘカラサル所ナリヘシ

つまり、米価の騰貴は、低米価・低賃金によって発展を遂げる工業にとっては不利であ る一方、米価の低落は農家の収入に影響し、農家購買力を低下させ、商業の不景気を引き 起こす恐れがある。また、米価低落は社会安定や国家財源の確保にも影響をもたらすため、

騰貴より低落のほうは影響が大きい。米価変動の農村社会への影響を念頭においていると はいえるが、しかし、米価低落の影響は農業に対するものというより、河合が危惧してい るのはその商業や国家財源に対する影響である。米価低落による農民購買力の減退がもた らす「不景況」や、社会の不安定及び、財源への影響こそ、「国民経済」上大きな影響をも たらすと河合は考えているのである。

続いて、河合は米価調節策に関しては、次のような見解を示している53

完全ナル米価調節ノ目的ヲ達セシメルトスルニハ必スヤ国家ノ権力ノ参加ヲ待タサルヲ得サル 所ニシテ其ノ極端ナル方法ハ米ノ専売ノ如キ是ナリト雖モ此ノ事現在ノ状態ニ於テハ実行至難 ニ属スト云フヘシ、吾人ノ提出セムトスル私案ハ(中略)理想相場ノ範囲ヲ保持セムトスル方法 是ナリ、即チ一面ニ於テハ努メテ自由競争ノ原則ヲ是認シ他面ニ於テハ米ノ国民経済上ニ於 ケル地位ニ鑑ミ国権ノ挿入ヲ企図セムトスルモノニ外ナラス。

河合は米価調節においては国家介入を必要とし、極端な方法として米の専売も考えられ るものとした。ただし、現実状況を鑑みると、それは実行困難と認めざるを得ず、自由競 争と国権の関与の間にバランスを取ろうとしていた。具体的には河合案は下記の案を提示 ししている54

第一 政府ハ米券倉庫ノ経営ヲ為スコト(略)

第二 政府ハ一定ノ相場以下ヲ以テ米ヲ提供スル者アルトキ之ヲ買入ルル義務ヲ有スルコト 第三 政府ハ一定ノ相場以上ヲ以テ米ヲ買受ケムトスル者アルトキハ之ヲ売渡スノ義務ヲ有ス

ルコト(略)

第四 政府ハ米穀取引所ノ経営ヲ為スコト

政府が一つの市場主体となり、直接に米穀倉庫、及び米穀取引所の経営を行い、さらに、

53 鈴木、1938、河合良成述「米価調節私論」36頁。

54 鈴木、1938、河合良成述「米価調節私論」40-41頁。

45

米穀の売買を通じ、自由競争の市場ルールの下で、価格操作を行うという主張である。要 するに、完全な自由競争の下では米穀問題を解決することは不可能であるという認識の下 で、米穀問題と自由競争経済の間を国家の介入により調整しようとする試みであった。こ の案は、米穀統制法以降の米価政策を想起させる。しかし、日本資本主義初期の1910年代 には、自由競争が原則であるという見方がまだ強かったため、国家権力による米価調節は 提起されたものの、あくまでも自由競争のルールの下で行うとされた。

河合の私案からうかがえるように、1914年に農商務省の中で、米価調節の必要性が提起 された。ただし、これはあくまでも一つの私案に過ぎない。次に、米穀調節調査会の議論 を用いて、農商務省が全体は米穀調節に関してはどういう見解であったかを検討する。

(2)米価調節調査会調節調査会における農商務省の意見

1915年10月21日、第一回本会議が開かれ、農商務大臣河野広中が次のように米価調節 の趣旨を説明している55

我カ日本米ハ其需要供給ノ範囲ガ殆ド国内ニ限局セラレテ居ル為ニ其価格ハ国内ニ於ケル 豊凶ノ支配ヲ受ケナケレバナラヌヤウナ情況デアリマシタ、是ガ暴落ノ程度ハ偏ニ豊凶ノ程度ニ 比シテ一層甚シク屡々価格ノ大変動ヲ来シマスル次第デアリマス、然ルニ米ハ我国民ノ主要食 料デアリマシテ、且農業者ノ収入ノ要部ヲ占メテ居ルノデアリマス、常ニ価格ノ激変ヲ見ルコトハ 消費者タル多数国民及生産者タル多数農民双方ノ敬愛ヲ不安定ナラシメテ、為ニ産業ノ発達 ニ沮ミ、一般経済界ヲ損フモノデゴザイマスルガ故ニ国民経済上又社会政策上誠ニ憂慮ニ堪 ヘザル所デゴザイマス、是レ本会ヲ設置シテ米価調節ノ途ヲ講セムトスル所以デゴザイマス

この発言からうかがえるように、米価問題に対し農商務大臣は次の認識を示した。①日 本米の需給弾力性が小さいので、米価が国内生産の豊凶状況に左右されやすい、②米が食 料として、農産換金物であるため、米価変動が消費者と生産者の衝突をもたらす、言い換 えれば米価変動は社会安定に影響する、③そのため、米価変動は「産業の発達に沮み一般 経済界を損ふ」ものとなり、米価調節策を講じなければいけない。要するに、米価調節の 重点は、産業の発達と一般経済界のためだと読み取れる。

米価調節策については、河野は次のような見解を示した56

55 米価調節調査会、1916a、73頁。

56 米価調節調査会、1916a、10頁。

46

本官ハ米価ノ常ニ相当程度ニ在リテ生産者消費者共ニ安ンシテ、職ニ従ヒ業ニ進ムヲ得ルニ 至ルヲ必要ナリト信ス、是レ農商工各般ノ産業ヲシテ堅実ナル発達ヲ遂ゲシムルノ関鍵ナラン

(中略)物価ヲ自然ノ趨勢ニ一任スルハ経済政策ノ原則ニシテ、米価ニ付テハ(中略)畢竟此ノ 経済理法ニ反シテ人為的方法ヲ定メントスルハ其ノ根本ニ於テ己ニ至大ノ難フ胚胎スレハナリ、

然ルニ此ノ困難アリト雖之ヲ排除シテ適当ノ方策ヲ樹ツルノ必要ナリ

河野は米価調節の必要性があると認めるとともに、人為的な方法による米価操作は「経 済理法」に反するものと認識し、実行困難という見解を示しつつ、米価調節は実行せざる を得ないものとした。農商務大臣のこのような認識の下で、米価調節調査会では、農商務 省が常平倉案、米倉証券案、低利資金案、米価補給案を参考案として提出した。それらの 参考案の趣旨及び米価調節の基本方針について、河野は量の調節を強調し、供給量の調節、

外国米専売及び米の強制譲渡の方法を掲げた上で、参考案の目的はあくまでも米の収量の 調節にあると主張している57。ここから、米価調節においては、需給バランスをメインとし、

安定供給に調節策の重点を置くという河野の考えがうかがえる。

次に当時の農商務次官上山満之進の議論も踏まえて、農商務省側の意見を考察する。上 山は米価調節に関して、下記の見解を示していた。「全体ノ需要供給ノ関係ガ平衡ヲ得テ米 価ガ上ツテ行ク、又ハ下ツテ行ク、斯ウ云フ所ニ根本ノ見地ヲ置カナケレバナラヌト思フ ノデアリマス」58と述べており、需給バランスと米価の安定が米価調節の主眼であるという ように読み取れる。さらに、上山は米価問題につついて、次のような認識を示している59

生産者ナリト雖濫リニ高イコトハ不利益、消費者ナリト雖濫リニ安イコトハ不利益デアル、何故ト申 スニ米ノ性質トシテ、(中略)日本ニシカ出来ヌ、我々ハ又ドウシテモ之ヲ食ハナケレバナラヌ、

斯ウ云フ品物デアル以上ハ余リ米ノ値段ガ安クテ生産者ガ閉口シテ作ラナカツタラ忽チ困ル

(中略)要スルニ米ハ余リ高イコトハイケナイ、余リ安イト云フコトモ結局国民全体デ困ル、ダカラ シテ米ヲ作ルダケノ費用ハ是ハドウシテモ生産者ニ渡サナケレバナラヌ少クトモ……ソウシテソ レヲ基礎ニシテ……何円ニ致シマスカ相当ノ値幅マデニ(中略)相当ナ範囲ニ米ノ値段ヲ止メ テ置クト云フコトハ、消費者、生産者共ニ国民全体ノ利益デアルト信ズルノデアリマス

このように、上山は「国民全体の利益」を念頭に、「相当な範囲に米の値段を止めて置く」

57 米価調節調査会、1916a、82-83頁。

58 米価調節調査会、1916a、115-116頁。

59 米価調節調査会、1916a、163-164頁。

ドキュメント内 近代日本における農業政策形成過程 (ページ 49-61)