第三章 米穀統制法から食糧管理法までの米価調節論
第二節 農業団体及びそのリーダーたちの議論
2 産業組合の議論
この項では、米穀問題をめぐる産業組合の議論を中心に検討していきたい。周知のよう に昭和恐慌後、産業組合は経済更生運動の担い手として注目され、政府の絶大なバックア ップで迅速に発展を遂げた。ここでは、産業組合組織のうち、米穀問題と深く関わった全 国米穀販売購買組合聯合会を中心に、この時期に、産業組合側はどのような関心に基づき、
どのような意図をもって米穀問題に取り組んだのかを考察する。分析対象として、産業組 合中央会の機関紙「産業組合」の記事を取り上げる。
(1)全国米穀販売購買連合会について
ここでは、米穀を主要商品として取扱う中央機関・全国米穀販売購買連合会(以下:全 販聯)の設立、および設立初期の役割について簡潔に考察し、それを通じて、産業組合と いう団体が米穀問題について、どういう方針の下で対応しているのかを明らかにしたい。
産業組合は、1900年産業組合法の下で組織されたが、明治大正期に一定程度に発達した ものの、「農村経済に重きをなすまでの力量はなく、社会的認知度もあまり高くなかった」
80。組織化が飛躍的発展を遂げたのは、昭和恐慌期以降だった。特に、1932 年から始まっ た農山漁村経済更生運動の中で、大きな役割を行政側に期待されたのである。
全販聯は米穀問題を中心的に取り扱う全国機関として、1931年5月25 日に設立が認可 された。すでに指摘されているように、「それ以前の全国的産業組合団体に比して、自主的 に組織されたものである(中略)一面において政府の米価政策との関連において生まれた」
81のであった。単なる上(政府、産業組合中央会)からのプッシュだけではなく、下(地域 を基盤とする産業組合支会)の働きかけも重要な役割を果たしたのである。全販聯の成立 過程については、表3.2.5にまとめた。表3.2.5が示すように、全販聯の設立は産業組合中 央会だけではなく、地方の支会の要望が強かったことがうかがえる。
80 大田原、2014、12頁。
81 産業組合史編纂会、1965、201頁。
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表3.2.5 全販聯の成立過程
年代 出来事 具体的な内容 1929 年 4
月 26 日〜
28日
25回全国産業組 合大会
中央会提出の「わが国産業組合の現状にかんがみ、購買事業、販売事業の 進展を期するため実行を要する要項」という協議に対して、決議の項目に 米穀問題に関して、具体的に「組合員の販売する米および繭は、すべて産 業組合および農業倉庫において取り扱うこととなし、すすんで連合農業倉 庫を設立し、その活動の促進につとむること」が言及された。
一方、地方の提案は下記の通りである。
千葉支会:速に全国を区域とする販売組合聯合会の設立を実現するよう 中央会に配慮方要望の件
埼玉支会:米穀を主とする全国販売組合連合会設立の件
宮崎支会:販売事業の統一をはかるため、枢要地に販売斡旋機関を設置 せらるる様中央会に講究を要望するの件
以上の提案は中央会に一任することが決議された 1929 年 5
月 17 日〜
21日
道府県産組およ び農業倉庫主任 官協議会第 3 委 員会(農林省)
決議「全国的または地方的中枢機関として、全国または数府県を区域とす る連合会を穀物、生糸、一般物品等部門に分かち、別個にこれを設立する こと」。
1929 年 5 月 22、23 日
第2回全国農業 倉庫協議会(産 組中央会)
中央会の決議案に「全国的農業倉庫の設立を期すること。なおその設立に いたるまでは、情報および販売仲介あっせん機関を中央会に設置すること」
が提案された。
1929 年 8 月30日
西部日本連合農 業倉庫協会設立
(10.1から事業 開始)
愛知、新潟以西の北陸、近畿、中国、四国、九州地域の30府県の農業倉 庫によって構成された。
設立目的は政府買上米の円滑な取扱い、生産者自体による米の共販体制確 立である。
1929 年 9 月 28、29 日
全国道府県区域 販売購買連合組 合連合会協議会
(産組中央会)
意見:米穀の販売を主とする全国販売連合組合連合会の設立は、米穀販売 の統制上きわめて急要なることなりといえども、現在においては各府県に おける販売組合連合会の組織せられたるものいまだ少なく、ことに全国販 売連合組合連合会の事業経営上については相当至難なる点多かるべきをも って、このさいまず全国農業倉庫協会を設立して、全国販売組合連合会設 立に関し必要なる諸般の攻究をなし、これが準備を完成する。
1929 年10 月
東部日本連合農 業倉庫協会結成 1930 年 3
月10日
第 1 回の東西連 合農業倉庫協議 会(産業組合中 央会)
出席者:中央会主事千石興太郎、浜田道之助、他各地方産業組合代表 全国を区域とする米穀販売組合連合会の設立を急ぐことに意見一致
1930 年 4 月30日〜5 月2日
26回全国産業組 合大会
1930 年 6 月23日
第 1 回全国米穀 販売購買組合連 合会設立準備会 1930 年11
月7日
第 3 回全国農業 倉庫協議会
恐慌に加え、1930年産米が記録的な豊作であったため、米価低落。出席し た政府当局者に米穀政策の要望が述べられ、その対策の一つとして、全販 聯設立を急ぐことが強調された。
1931 年 1 月 16、17 日
全国区域米穀販 売購買組合連合 会協議会(産組 中央会)
全販聯設立決定
1931 年 4 月27日
全販聯設立総会 1931 年 5
月22日
農林省から設立 許可された
178 1931 年 9
月1日
東京、大阪の両 事務所事業開始 1931 年10
月1日
門司事務所事業 開始
注:全国販売農業協同組合連合会編、1970、1-29頁より作成。
この時期に、地方支会が米穀を扱う全国的販売連合会の設立を強く要望したのは、当時 の米価変動状況、農家の経営状況と深くかかわっていたのは言うまでもないだろう。表3.2.6 は当時農林省が調査した農家の経営状況である。
表3.2.6 1925〜35年農家1戸当りの経済状況(単位:円)
年度 農家所得 農業所得 農外所得 租税公課諸負担 家計費 農家経済余剰
1925 1563 1218 345 119 1255 308
1926 1374 1023 351 125 1185 189
1927 1219 916 303 125 1117 102
1928 1197 881 316 105 1090 107
1929 1150 834 317 108 1074 76
1930 723 497 226 91 800 —78
1931 542 394 148 42 549 —7
1932 624 477 147 39 559 65
1933 726 565 161 41 606 120
1934 732 565 167 43 638 95
1935 838 657 181 43 705 133
注1:日本統計協会編、1988、94-95頁より作成。
注2:以上の数字は調査した全農家の平均である。
表3.2.6に明らかなように、経済恐慌の打撃もあって、1929年から30年にかけて、所得
が一気に減って、収支に赤字が生じている。特に農業所得は半分近くに減っている。農家 経営は、ほとんどが赤字経営の状態に陥っており、破綻状態にあると言っても過言ではな い。さらに、その収入の半分近くは稲作収入である82。このような状況の下で、産業組合地 方支会も米穀問題を取り上げざるを得ない状態であった。要するに、米穀問題の背後には、
農家経営の存続問題があったのである。そこで、米価低落による農家経営の破たんを食い 止めるために、生産者による米の共同販売が打ち出された(表 3.2.5 を参照)。前述の農会 側の意図と合わせて考えると、全販聯の設立は、協同組合組織の拡充による農業の不利益 を解消する一つの経済手段と位置づけられるだろう。言い換えれば、全販聯はセーフティ ネット的な存在であった。
しかし、設立初期、全販聯が期待された役割を果たせたとは言いがたい。図3.2.1は1930
~33 年の米の総販売高と産業組合(単位組合、連合会を含む)の販売高である。この販売
82 農業収入に稲作収入が占める割合(自小作別平均)は、1929年40%、30年43%、31年55%、32年
50%である(農林統計研究会、1974、5頁のデータにより計算)。
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数量の割合から見れば、この時期、米穀販売における産業組合の地位は未だかなり低いと いえよう。
図3.2.1 米の総販売高と産業組合取扱米の販売高(年:米穀年度、単位:石)
注1:産業組合中央会『米における産業組合の地位』、1-4頁より作成。
注2:全国総販売数量、1930-32年の連合会取扱販売高は推定数。
注3:1930、31年全販聯取扱販売高のデータなし。
ただし全販聯の設立は、農業団体の関係者および農業関係の学識経験者から見て重要な 意味を持った。次では、全販聯の設立と深く関わった論者による全販聯設立の意味、及び、
米の共同販売と全販聯の地位についての議論を考察し、産業組合関係者側及び農業関係の 研究者が米価調節において、どのような議論を展開していたかを明らかにしたい。
(2)米穀政策における産業組合の役割をめぐる議論
(1)で述べたように、全販聯の設立は、地方産業組合支会からの要請が重要な推進力 となっていた。一方、中央会においては、当時中央会の主事・千石興太郎が全販聯の設立 に関する調査などに携わり、設立に重要な役割を果たし、設立後も常務相談役を務めてい る。ここでは、千石の議論から産業組合側の全販聯設立の意図を考察したい。
まず、千石のスタンスについて触れておきたい。千石は産業組合主義を主張し、「新経済 組織の完成することに依って、自覚したる民衆は、現在の営利を目的とする資本主義経済 組織に向って、敢て嫉視敵視するの必要は更になく、静かに其の範囲から脱出して新たな る事業に向かって努力すればよい」83というスタンスを持っている。さらに産業組合主義に 基づき、米穀問題に関しては、次のように述べている。
産業組合主義経済組織の第二の事例と致しまして、米の販売と云うことに付て説明をしたいの であります。(中略)我が農業者にとりて、米を有利に販売したい、之が公正なる価格で有利に
83 千石、1929、73頁。
0 10000000 20000000 30000000 40000000
1930年 1931年 1932年 1933年
全国総販売数量 単位組合取扱販売 高 聯合会取扱販売高
全販聯取扱販売高