第2章 落語の興行分析
2. 登場回数集計
この区分に則って、1980~2005 年の登場回数の全世代合計の一門別・時系列登場 回数集計を行ったところ、結果は図 2-11 のとおりとなり、実は、定席に登場する落 語家のほとんどが「小さん一門」か「志ん生一門」という、寡占状態にあることが 分かった。
図 2-11 一門別・登場回数の変遷
さらに、2の 2 で確認されたとおり登場回数と関連の深い、「トリ担当回数」を 一門別に集計してみた。定席興行はトリが最大の看板であり、かつその決定に関し ては席亭の裁量に任される部分が大きいため、こちらは主催者側の意図がより強く 反映された数値と考えられるが、構図としては図 2-11 と大きくは変わらない。
この集計結果を見て、先に述べた「落語協会分裂騒動」の火種は、この「寄席の 顔付け分布構図」にもあったのではないか、という思いを強く持った。現在に至っ てなお、当事者が多くを語ることのない事件だが、通常は「小さんの大量真打昇進 政策に、芸至上主義の圓生が業を煮やした」というような理由付けをされることが 多い。しかし、このグラフを見ると、談志がまだ落語協会におり、小さんが 60 代だ
93
った 1970 年代までの小さん一門の出演枠獲得状況がこの状態に劣るとは考えづら く、圓生一門のカケブレ登場頻度は、これら小さん一門、そして、10 代馬生・志ん 朝という人気者やベテランの圓菊・志ん馬を擁する志ん生一門に、常に押され気味 だったのではないか。テレビを初めとする各種の新興娯楽に押され、落語界全体が かなりの苦境に立たされていた、というこの時期だったからこそ、圓生には、弟子 も含め寄席により多く出たい、なのに、別の一門の「いつもの顔ぶれ」が居座って いるせいでなかなか順番が回ってこない、という忸怩たる思いがあったに違いない。
図 2-12 一門別・トリ担当回数の変遷
吉川潮「戦後落語史」によると、寄席のプログラムのマンネリ化を防ぐという観 点から、かねてより談志は「協会三分割論」を唱えていたようで、分裂騒動の際に は、彼は圓生の脱会をまたとない機会ととらえてこれに参加したらしい。三交替に なれば、客に配るプログラムという「外見」を新しくできることは無論だが、内実 として、これを導入すると、寄席の出演枠の個々人への配分量が変わる、というこ とも重要視されてよい。これだけ明白な集計結果が出てくると、今までこういった 切り口からこの騒動が語られることがなかったのが不思議でさえある。
94
ちなみに、落語協会分裂騒動時の両協会の興行分担状況と、圓生ら独立派の要望 を図にまとめると、以下のとおりである(新協会の交替の順番は芸協興行の次と仮 定した)。詳細を詰める前に計画自体が頓挫してしまったので、当時落語協会専用だ った池袋演芸場をどう割り振ろうとしていたのかは定かではないが、確かにこの体 制になれば、相対的に興行数が多く人数の少ない新協会・落語三遊協会の面々は、
寄席への登場機会を十分に確保できることになる。
図 2-13 寄席興行変革の概念図
圓生が、固定的な寄席出演枠の分布に不満を持っていたであろうことは、寄席以 外の落語会の出演状況からも推察できる。歴史が長く、一定の格式を持つとされる
分裂騒動勃発当時の落語協会・芸協の興行分担
奇数月 偶数月 奇数月 偶数月
上野鈴本 上 新宿末廣 上
中 中
下 下
浅草演芸ホール奇数月 偶数月 池袋 奇数月 偶数月
上 上
中 中
下 下
落語協会興行 芸協興行
新協会側の希望
奇数月 偶数月 奇数月 偶数月
上野鈴本 上 新宿末廣 上
中 中
下 下
浅草演芸ホール奇数月 偶数月 池袋 奇数月 偶数月
上 上
中 中 (どこまで企図していたかは不明)
下 下
落語協会興行 芸協興行
落語三遊協会興行
95
TBS主催の「落語研究会」33の出演者について、寄席定席同様に一門別の出演回 数を集計してみたところ、圓生一門の落語家は、1980 年当時も、小さん一門にこそ 及ばないものの、志ん生一門に比肩する回数の出演をこなしている。
表 2-6 年代別・「落語研究会」への出演回数
80 年 85 年 90 年 95 年 00 年 05 年 小さん 22 18 19 20 20 27 志ん生 14 12 12 13 13 12
圓生 14 9 10 8 2 0
彦六 9 5 5 6 5 4
金馬 1 2 1 3 0 0
三平 0 0 0 0 3 6
圓歌 0 0 0 0 0 3
他 3 9 6 3 6 4
上方 4 5 4 5 4 1
立川流 0 0 3 0 5 3
しかし、図 2-13 から明らかなように、この三交替制が実践されると、行きがかり 上、落語協会以上の苦境にあった芸協の興行数も減ってしまう。「死活問題です」と 言って新協会設立に強硬に反対した、当時の芸協会長・桂米丸の心情は理解しやす い。結局、圓生からの提案を受けて開催された席亭会議で、新協会(落語三遊協会)
の寄席出演は認めないことが決議され、「協会三分割」の野望は瓦解してゆく。