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個々の芸能の当てはまり状況

ドキュメント内 -戦後歌舞伎・落語興行の計量分析から- (ページ 157-161)

第4章 伝統芸能の特性とは

2. 個々の芸能の当てはまり状況

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う活動形態をもっと知ってもらいたい」というようなコメントがされたことがあっ たであろうか?

筆者は、この「歌舞伎は難しいと思われがち」という巷に流布しているフレーズ が、逆に、歌舞伎を知らない一般大衆に「歌舞伎は難しいもの」という先入観を植 え付けていると考えている。そもそも、能・歌舞伎・人形浄瑠璃については、少な くともその名称は「日本史の教科書への記載」という形で広く浸透しているはずで あり、自らの関係する芸能分野の認知度が低いというのは、関係者の妄念に過ぎな いのではないか。

また、この分野では、「入門講座」等と銘打った、実演者が講師を務める解説付 きの公演が開催されることも多いが、実際にその公演に集まるのは「その分野の興 行を一度も見たことがない本当の初心者」ではなく、「講師が喋る姿を見るのが目 的の熱狂的なファン」である場合が多く、実質的に裾野を広げる効果をもたらさな い、という問題も指摘されている。

(5)で重視したいのは、舞台から感じられる、ある種の「既視感」の存在であ る。これについては、各芸能に「それならしめる何か」があり、それを担う演者が 年月を経て次々に交代している、と見なすことも可能だろう。ここで継承されるも のの一部は、「型」と表現することも可能であるが、それがすべてではなく、演者 としての心構えや「最低限の実力」も含まれる。

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門」より上位の構成グループとなる「劇団」(吉右衛門劇団、菊五郎劇団など)の 趨勢が大きな意味を持つと考えられる。

落語

(2)に関しては、落語での「一門」の存在意義は非常に大きい。これが顔付け の基本となるからである(まずトリが決まり、次にそのトリの一門が前方に組み込 まれる)。また、これが基準の構成であるために、「一門外の公演に顔付けされる のは、実力の証」という認識がある(席亭らに「この人なら興行の流れを壊さない」

「集客の要になってくれる」と実力を信用されたことになる)。

(3)については特によく当てはまる。(5)に関しては、いろいろなやり方が あるネタを師匠と同じやり方でやる、口調が師匠とそっくりになる、など、「継承」

らしきものの存在を感じさせる側面も一部にはあるものの、落語は生身の「落語家」

あっての芸能であり、先人の高座をそっくりに真似る落語家はむしろ疎まれる傾向 があるため、先代の芸をまるごと「継承」する、という世代変遷が起こっていると は考えづらい。

文楽

(1)、(4)は当てはまる。(2)に関しては、正確には一門は存在すると考 えられるが、文楽興行は通常、技芸員全員態勢で上演されるため、興行面では、個 別の一門の枠組みに大きな意味はない。

宝塚

(1)、(2)に関しては当てはまらない。入団後一定の年限まで、劇団員を阪 急の社員として雇用しており、劇団員間に公的な師弟関係はない。

(5)に関して興味深いのは、実年齢ではとても「世代交代」など発現しない宝 塚48でも、これが実感できることである。宝塚の新人公演で大役に抜擢された新人 が参考にするのは、その時の本役、つまり主役であればトップスターとなることが 多いようだが、この影響なのか、その劇団員の演じ方に後々までその先輩の「面影」

が残ることがある。この現象は、伝統芸能に実に近い49。さらに、宝塚は、実年齢 が高齢に達してようやく世代交代が起こる歌舞伎と異なり、数年でトップ~四番手

48 宝塚は「トップ交代」という明確な交代劇があるが、プロとしてのキャリアが2~3年短いという程度の 差の後輩に交代するケースも多く、異世代間移行とは考えられない。

49 実際に、「宝塚と歌舞伎が好き」という愛好者が多数見受けられる。筆者は、近年の歌舞伎公演で執 拗にカーテンコールが起きる一因は、宝塚の文化が持ち込まれた影響ではないかと考えている。

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くらいがすべて入れ替わるので、世代交代を楽しむサイクルが早い、という特徴も 持つ。

(6)が当てはまることは、本公演開催中の劇場に行けば一目瞭然である。

相撲

(3)については、興行開催中の飲食が完全に自由である。ただし、(5)に関 しては、ここでは技芸の継承が世代を超えて連綿と続いていく、という事実が重視 されるため、該当しないと判断される(「○○部屋は代々左四つになると強い」「○

○の投げ技を××が受け継いだ」等の現象が見られない)。

まとめ

データ集計から得られた知見に、データには明確に表れない事項も加えて、現状 から「伝統芸能が備えている要件」を遡及的に考察してみた。しかし、要件の充足 状況は個々の芸能によって異なり、「大半の要件は満たすがある要件は満たさない」

という結果になる芸能分野が多かった。そのような中で歌舞伎は相対的に適合度が 高く、最も「伝統芸能」らしい存在であると考えられるが、ほとんど伝統芸能と見 なされる機会のない宝塚や相撲は、やはり当てはまらない要件が多いという結果と なった。だが、筆者は、当てはまる要件が少ないから伝統芸能ではない、とは考え ない。相撲も宝塚も、伝統芸能各分野が持つのと共通の要素を実際にいくつも備え ており、これらは「準・伝統芸能」と呼ぶのがふさわしいのではないか。

また、序章に述べたとおり、本論では演者と観客が独立的に存在する、「純粋な 鑑賞者」の多い芸能のみを中心に考察してきた。その成果をここまでまとめられた ことから、将来的には同様の分析を能楽等の分野に拡張し、その集計結果の比較を 通じてより的確な「伝統芸能」の構成要素を見出すことが可能になると期待してい る。

さらに、本論では比較対象用に、相撲・宝塚にまでは対象の拡張を試みたのだが、

例えば「信頼できる興行データの有無」を問わないなど、現時点で「データ分析対 象」たりえるか否かについては除外して考えれば、より広義に「伝統芸能」の枠組 みを考えることも可能である。まず、かつては梅沢富美男、近年は早乙女太一が有

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名な、いわゆる「大衆演劇」が考えられる。また、本論では分析対象から外してい るが、「邦楽」が含まれるのなら、英哲風雲の会や鼓童などの和太鼓演奏や、上妻 宏光などの津軽三味線演奏も枠組みの中に入れられるであろう。特に、大衆演劇や 鼓童においては「技芸の継承」や「世代交代」が起きていることが確認でき、さら に鼓童に至っては、歌舞伎・文楽・相撲・宝塚と並んで、文化交流を目的とした海 外公演が行われた実績がある。これらは、このまま継続されていけば、数十年後に は確固たる「伝統芸能」になっているかも知れない。今後は、これらのいわば「未・

伝統芸能」の動向にも着目しながら、データ収集を続けていきたい。

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