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歌舞伎興行が抱える問題点

ドキュメント内 -戦後歌舞伎・落語興行の計量分析から- (ページ 162-165)

第5章 現代における「伝統芸能」

2. 歌舞伎興行が抱える問題点

(1)「若い観客の開拓の必要性」の真偽

2013 年 4 月 2 日に、歌舞伎座新開場に合わせて放送されたNHK「クローズアッ プ現代」の「歌舞伎新時代 “日本文化”の行方」中では、「新たな顧客を開拓で きなければ、伝統芸能を維持し続けていくことはできない」と強調され、特に若い 観客へのアプローチが急務とされていた。その傍証として、「先週行われた歌舞伎 座の開場を祝うパレードに詰めかけたのは、ほとんどが年配の人たちだった」こと が挙げられていたのだが、筆者はこの指摘に大いに違和感を覚えた。そもそも、こ のパレードが開催されたのは、年度末も押し迫った 3 月 27 日の真昼間であり、当日 これを見に行くことができた「若年層」は非常に限定されるのではないだろうか。

また、ここで「年配の客ばかり」と言っている関係者たちは、どの程度の確信を持 って観客の年齢層を推計しているのだろうか。筆者は以前、電車で出会った人と話 をしていて「私、何歳に見える?」と聞かれ、かなり齢を重ねた方に見えたので、か なり遠慮しながら「70 代でしょうか」と答えたら実際には 60 代だった、という経 験をして以来、見た目から簡単に実年齢は判断できないと思っている。そもそも、

平均寿命が 80 歳代となっている現在、仮に 60 から歌舞伎を見始めたとしても、今 後 10~20 年は立派なお得意様である。この年齢層は現在、人数的にも相当のボリュ ームがあるので、この層へ最大限のアピールをすることこそが急務なのではないか。

また、歌舞伎はもともと、面白さが理解できるようになるまでには、かなりの個 人学習を必要とする芸能である。義太夫が床で何を言っているかが把握できるまで には初見から3年程度はかかるであろうし、巧い下手が分かるようになるにはさら にかかる。また、俳優の屋号や親子・師弟関係、見取りでしか上演されない作品の 省略部分のストーリーの把握などはすべて観客が自ら学ぶしかないが(筋書き等は 歌舞伎愛好者も購入するため、そこまでの内容を収録できない。愛好者は、不要な

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情報に対価を払いたがらない)、それらをすべてマスターする頃には恐らくもう、

松竹の想定する「若年層」からは外れかかっているだろう。それを、事前知識のな い若い人に無理に見せようとして「分かりやすい演目」を繰り返し上演したり、ぱ っと見て分かりやすい「美形の若手」を前面に出した興行を続けたりするために、

随所に歪みが出てきている、というのが現状なのではないだろうか。

もう1つ疑問なのは、初心者、特に若年層を招き入れたいなら、チケット代を安 くするという方法もある(「歌舞伎のチケットが高い」ことは広く知られている)

のに、この手法は採用されないことである。チケット代に関しては、ある種のアナ ーキーさを売りにしていた感のある平成中村座公演でも違和感があった。本来、勘 三郎自身が目指していたのは、期間限定の仮小屋で、ルールや格式だらけの既成の 秩序とは無関係に、その時その場にいる者全員で創出される一体感だったのではな いか。しかし、平成中村座は、そういう実験的空間です、と言い切るにはチケット 代が高すぎた。あれだけの金額を出してあの空間で「気軽に遊べる」観客はさほど 多くなかったと思われる50。チケット代は役者の関知する部分ではないだろうが、

頑なに下げないのは、松竹が民間会社であるゆえの宿命なのだろうか。

(2)歌舞伎興行に求められるもの

第5期歌舞伎座が開業したばかりの現時点では、歌舞伎座の興行はほぼ毎月活況 を呈していると言える。しかし、歌舞伎の今後は、決して安泰ではない。本論では データ整備が及ばず具体的な数値を挙げられないが、幹部クラスの俳優の人数は減 少を続けており、いずれ現在のような興行数は保てなくなるであろう。また、これ だけ松竹が顧客開拓に尽力している現状から察するに、観客数も減少傾向にあると 思われる。

これまでの分析で「最も伝統芸能的」と考えられた歌舞伎が、退潮傾向にあるの は何故か。その理由は、「初心者には難しいから」ではなく(過去すべての時代に初 心者は存在したはずである)、「芸能の世界全体の中で、どんどん端に追いやられて いるから」ではないだろうか。

昔は「歌舞伎のパロディ」があらゆるジャンルで通じた。東映のドラマ「大奥」

50 指定席はすべて1万円以上の売価が設定されているにもかかわらず、座席は大半がベンチ上に並べ られた小座布団1枚分のみなのに加え、場内にほとんど段差がないため、観劇に際しても死角が非常に 多かった。

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には「大奥版忠臣蔵」「大奥版先代萩」「大奥版重の井子別れ」の回があり、「8時だ ヨ!全員集合」のドリフのコントには「歌舞伎調の芝居しかできない俳優カトちゃ ん」のネタがあった(思い起こせば、筆者の「歌舞伎」の原体験はこれであった)。

現在はこういうプロットで面白い作品を書ける作家がいないのか、プロデューサー が「受けるはずがない」といって書かせないのかは分からないが、歌舞伎を全く知 らない人にとっての、このような形の入口はなくなってしまっている(「歌舞伎ザイ ル」くらいだろうか)。また、「仮面ライダー」の変身ポーズや「秘密戦隊ゴレンジ ャー」の名乗りは、演出を任された殺陣師が歌舞伎の演出を見て考案したものであ り51、歌舞伎は、かつてはそういう玄人がわざわざ学びに来る場でもあったのであ る。

現在の歌舞伎がそのような存在から陥落してしまったのは、インターネットの普 及の影響等も含めた世の大きな流れであり、この流れを変えるために歌舞伎が単独 でできることは何もないと筆者は考えている。ここは逆に、初心者にはハードルが 高いが歌舞伎通には喜ばれそうなマニアックな演目52を並べるなど原点回帰し、「歌 舞伎はこんなに面白い」「次も見たい」と思わせるような存在になることだと思う。

それは決して、「勧進帳」や「忠臣蔵」の上演を繰り返すことではない。

恐らく1970年代~80年代前半頃までは、芸能各分野には明確な線引きがあり、各々 が各々の分野の技芸向上に励んでいて、それがためにどの分野も活気に満ちていた のではないだろうか。実際にこの時期には「俳優としての今後」を憂慮して自殺に 及んだ俳優も何名かおり、芸に厳しい風潮が感じられる。だが現在は、あらゆる芸 能の境界が曖昧で、歌舞伎俳優も当然のように映画やテレビドラマに出演するよう になっており、それが相対的な「歌舞伎」の存在感の低下を招いたという側面もあ ると思われる。

かつては「俳優」とは芸を競う「職人」であったが、現在は「ステイタス」の一 つになってしまったのではないだろうか(「歌舞伎俳優」というステイタスは、殊に 使用価値が高そうである)。18代勘三郎の他界に際しては「伝統の壁を打ち破った俳 優」という表現が度々使われたが、「伝統」は時代に逆行する側面を持つものが多く、

51平山亨「東映ヒーロー名人列伝」(風塵社)p.178より。

52 筆者は歌舞伎を見始めた頃から歌舞伎俳優が主人公の「残菊物語」に興味があるのだが、全く上演 されない。また、舟橋聖一作の「江島生島」も上演されない(舞踊版は20年ぶりに2013年の巡業演目に 選定された)。このような形で長年歌舞伎マニアの中にくすぶり続けている不満は小さくないと思われる。

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守り続ける方が難しい。型を「崩す」のは簡単だが、崩された型には、何しろ崩れ るレベルのものなのだからもう威厳はない。6代歌右衛門が俳優協会会長として権勢 を誇っていた頃は、ある歌舞伎俳優がCMに出演しただけで不興を買ったらしいと 噂され、それを聞いた当時は、歌右衛門は頑固すぎると思ったものだが、これだけ 俳優のマルチプレイヤー化が進み舞台が混沌としてくると、歌右衛門の姿勢はさす がに本質を突いたものだった、と感服する。

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