[3] HTPP
III. 発症にかかわる要因
望ましくない方法で処理することを学んだ何らかの状況を有する人であり、自 己概念の形成を失敗した人であるとも言える。
臨床に場においては、精神分析理論も重視すべきであろうが、このゲシュタ ルト療法の理論に基づく種々の「自己への気づき」を促進するための技法が有 効である。したがって、ゲシュタルト療法の技法は、時と場合を選択して採用
された。
みでも十分に説明可能であると考えられる。
クライエントの排尿困難症状が出現したのは、少年後期、または青年前期の 中学生段階である。それ以前には、小学生時代に交通事故で死亡した同級生の デスマスクを見せられて、精神的衝撃を受けたことがわかっている。
発症にはそれなりの要因が存在するはずであるが、それはクライエントの乳 幼時期にさかのぼって分析する必要がある。同時に、双生児である弟も、ほぼ 同時に発症しており、双方の相互関係が如何なる影響を及ぼし合っているのか 興味深いところである。
【2】社会的要因
クライエントが生まれたのは、第二次ベビーブーム初期にあたる。社会的動 向としては、戦後の経済復興をなし終えた日本が、高度経済成長を目指して走
り始めた時期でもある。教育が経済の成長をもたらす強力な要因である 15⊃と した文部省見解でも明らかなように、1960年頃を境に、産業界にとって都合よ く歪めれた「能力主義」のもとに、教育政策も「能力主義」を軸に展開されて きた。いわゆる能力(学力)競争時代の始まりである。
この頃から、学習塾が増加するなど、ますます高学歴志向の時代になり、ベ ビーブームによる同年齢の子ども間の競争激化に対する親の不安とともに、受 験のための教育熱が激しくなっていった。このような社会的状況は、親の養育 態度を支える重要な要因として無視できない。
【3】家庭環境要因
[1]母親・父親・兄
クライエントの母親は、中学校を出てすぐに働いたので、学歴に対する劣等 感は特別に強く、子どもたちの進路を一流校から一流企業へと進ませることが
自からの使命であると思いこんでいた。なお、この母親の場合、神経症的な性 格から察して、子どもたちに対しては自らが敷いたレールに添わせようと強迫 的に働きかけたと考えられる。
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また、母親は神経症的な性格上、他人との接触もうまく行かなかった。転居 先の四国でも、近所の人々から絶交状態に置かれていたし、大阪市内へ移って からも、精神的に不安定であった。そして、公園のブランコで遊んでいるクラ イエントに「今からいっしょに死のうか」と語りかけたり、パニック状態に なって、刃物を持って「死んでやる!」と言って家を飛び出したりすることが たびたびあった。
仕事一本の父親は、帰宅しても仕事のストレスから子どもを慈しむどころか 当たり散らして、時には暴力を振るうなどした。子どもたちは「父」としての 愛情を感じることなく、むしろr恐ろしい人』としか写らなかったようであ
る。
遺伝的要因か獲得形質かわからないが、クライエントは特に敏感な性質の持 ち主である。敏感でなくても、このような家庭環境のもとで、このような母親 に育てられれば、どんな人間でも心に混乱を来すことは容易に予想できる。
それでも、兄は何とか両親の敷いたレールに乗って、一般にはエリートコー スと称される道を辿っているが、兄は父親の性格を受け継いでいるのか、二人 の弟には厳しく、弟からは怖い存在であり、慕われてはいない。したがって、
この兄の存在も、二人の弟にとっては脅威的存在である。このような家庭環境 はクライエントの発症にありあまる影響を及ぼしているものと考えられる。
以上のような家庭環境は、子どもたちにとって、両親に対して子どもらしく 甘えたり、感情を素直に表明したりできる環境ではなかった。精神分析的に考 察すると、r言いたいことが言えない。出したいが出せない。出ない。』との 欲求不満は、防衛機制の失敗としてr排尿困難』という無意識レベルでの生理 的身体症状である不適応反応で表明することに至ったと考えられる。
中学生段階で発病した症状は、根本的な問題解決に至らなかった。矛盾が新 たな矛盾を呼び、過度の逃避とこだわりによって、かえって心的エネルギーを 過度に消費する結果となり、自ら疲弊してしまう〔30】という不安神経症の構造 的特徴を抱えたまま、来談まで八年間もの慢性的な日々を送ることになったと 考えられる。
また高校生段階での気味の悪いホラー映画は、恐慌性発作を誘発した。その 結果、排尿困難だけでなく、新たな異なった不安症状を慢性的に持ち合わせる
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ことになったと考えられる。大学においては、性格改善を図るための解決方法 として選択したクラブの部長の役割が、予想に反して大きなストレスとなって 不安症状を強化し、精神内科を受診する程までになった。しかし、精神内科に おいては、医師に誤解されて受診の継続ができなかった。
[2]弟との関係
双生児の場合、通常の年齢を異にした兄弟と違い、出生以後の生育過程で、
次第に自他の境界を明確にして、互いに独立した個別の人間どうしであること を認知する作業が課せられる。さらに、クライエントと弟は同じ症状で悩んで いる故、クライエントの治療に関して弟の症状を無視することはできない。
双生児の神経症・精神病の一致率に関する先行研究は存在するので、それら と本事例とを照合して考察すべきである。ただし、本研究は、クライエントを 単独に治療することに終始した事例研究であり、二卵性か一卵性かの判断も、
クライエントによる報告に頼っているので明確には確認できていない。また、
弟の症状についても、カウンセリング関係を阻害しない程度にしか聞かれてい ない。したがって、ここでは先行研究と照合しての考察は避け、専ら弟との症 状の関連について考察を試みる。
双生児である弟は、クライエントにとっては最も近い存在であるbクライエ ントは、弟とは距離を置いて接するように心がけているとか、弟とは交渉がな いとか述べているが、両者の心理的距離レベルを、通常の兄弟関係のレベルで 測るべきではなかろう。クライエントは、弟から小遣いを借金したり、弟ヵ塚 族の前で倒れたとき(1993,3.)(第二次面接(1993,10)で判明・恐慌性発作 か?)には、母親より率先して介護している。つまり、共に同じ条件で、しか も同時に育ってきた両者の関係は、双生児ならではの接近した深い相互関係が あるはずである。
双方共に中学生時代から排尿困難症状に陥った。その後、クライエントは高 校生時代に、一度だけ恐慌性発作と考えられる症状に見舞われ、大学二回生の 春になって、平常の生活に支障を来すようになった(第2章II.参照)。一方 弟は、大学;回生の春(1992,3)の恐慌性発作(?)のあとの排尿困難症状および 幻聴・幻覚症状、一年後の理解困難な言動と幻覚症状(1993,5,〜9,)に陥った
(第2章III.参照)。
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双生児である兄弟が、中学生時代(思春期)のほぼ同時に発症し、1992年春
.も、契機は異なるが時期的に同時である。また、本事例の第一次面接終結の一一 か月後、,両親が別居して兄弟二人だけで生活を始めてしばらくして、弟に病的 な言動が見られるようになった。クライエントは弟につき合いきれなくなっ て、また自分も苦しくなって、友人の下宿を泊まり歩き、それでいて弟が気に なるので毎日一度は家へ帰ってみることにしていた。その後も、弟の症状に変 化が認められなかったので、苦しくなって第二次面接を申し込んできたようで
ある。
第二次面接の来談動機は、r転ばぬ先の杖』との理由をつけて、『手の震え る感じ』を主訴に来談してきた。なお、弟のことを聞いても症状のことは言わ なかった。その時のクライエントの症状は、神経症症状であるr筋肉痛・肩 こ
り・だるさ』の日内変動による不快感が中心で、近いうちに予定されているク ラブの演奏会で、手が震えて楽器演奏に支障が出るのではないかとのr予期不 安』は、二の次の訴えであった。そして、第二次面接の後半(第3章IV.参 照)には、弟の症状が急激に治まると同時に、クライエントも元気になってい
る。
以上の時期的に相似した両者の症状の出現は、年齢の異なる兄弟関係におい ても起こり得ることではあろうが、双生児であるだけに、互いに影響し合う関 係(共揺れ)を十分に示唆していると推測できる。したがって、今後治療関係 が再継続することがあれば、最も留意すべきことであろう。