1.目 的
道具を操作して素材を変化させる造形・描画活動は,本来,言語と並んで自己表現を補 償する手段のひとつであるが,その発達の初期においては,自己表現というよりも,むし ろ探索活動に近い。即ち,手の感覚に応じて外界に働きかけ,それによって変化する対象 物に興味を示すようになることがその出発点であろう。そしてその後はしだいに,手の活 動の結果,偶然できた線や形に後から意味をつけるようになり,やがてイメージに基づい た表現活動に移行するのである。このような造形活動の発達について田中・田中(1984)
は,描画や造形活動において,2歳児後半が 2 歳児前半と違う点は,意図を持って描く,
あるいはつくるようになるところであるとして,2 歳半前後で,目的意識的活動段階に至 ることを指摘している。
造形・描画活動に携わる手操作の発達を調べた研究では,これまでに模倣描画(園原,
1980;松村,1982;加藤,1987)や,鋏による紙切り(吉川,1989a)課題等がみられる。
これらの研究における主な関心は,動かす手の方向や両手の協応動作といった運動技能の 側面に焦点が当てられており,子ども自身がその活動で指向する行為目標については,問 題にされていない。しかし前述のように,2,3歳の年少児においても,すでにイメージに 先行された造形活動を行っていることから,行為者である子どもが指向する目標を明確に した上で,それに関わる運動スキルを問うべきであると考えられる。
そこで第3章の実験Ⅲにおいては,年少児に加えて保育園の2歳児クラス(2歳5ヶ月
~3歳 5ヶ月,M=3 歳 0 ヶ月)もその対象として,課題理解を促すことによる鋏の操作 スキルの向上について調べた。その結果, 2歳児クラスでは正反応のモデルを示した教示
Ⅲの段階に至っても,22.2%という低い達成率であった。しかし残りの77.8%の誤反応に ついて,そのパターンを調べたところ,教示Ⅰの段階に比べて少なくとも正しい方向で切 り進み,紙面の途中で停止するという正反応に近い自己制御の反応が増加していることが 認められた。この結果から2歳児は基準線で切り止めるという正確な自己制御には至らな いまでも,途中で止めようとする意識的な自己調整はすでに可能であることが示された。
このような2歳後半からの幼児を被験者とした実験において,鋏操作における意識的自 己調整の可能性を示唆する結果は,前述の田中らの見解によっても,支持されると言えよ う。一方,課題として残されるのは,目標ラインとなる基準線で正確に鋏を停止できなか ったことについて,認知的な側面への働きかけのみが問題とされていたことである。実験
ⅡとⅢで3歳児が正確に止められたのは,モデルという視覚的に明らかな課題目標を示さ れることにより,言語による行動統制が不十分な場合でも,直観的に理解できたことによ るものであろう。しかしながら 3歳児と同一の手続きにおいて,正反応に至らなかった 2 歳児の場合は,教示の詳述化といった認知的側面への働きかけのみでは正確な自己制御を 導くのに十分とは言えない。岩田(1983)は,数の保存の実験で1対1対応に並んでいる 刺激布置を,玩具の熊が偶然に変形させるという場面設定においては,伝統的な保存テス トに比べて保存反応を示すものが2倍も増えるという例をあげて,発達研究による実験的
29
事実と,子どもの日常的現実での有能な適応行動との間のズレを指摘している。さらに佐 伯(1987)は,「子供の思考が徹底的に文脈依存的であり,…(その課題解決能力は)課 題状況の『課題性』が子供の日常的文脈や生活上の実感に照らしてもっともなこととして 納得できるか否かにかかっている」と述べている。Yoshikawa(1990)が保育園の年少児
(平均年齢 3 歳 10 ヶ月)に提示したシール貼り課題で,教示によって指定されたポイン トに貼るという目標に対応していない誤りの中で最も多かったのは,やはり日常的な文脈 に引きずられた反応であった。
それゆえ実験Ⅲにおける2歳児の低成績の結果についても,課題呈示をできるだけ幼児 の日常的文脈に即した条件に置き換えて,再度検討する必要があると考えられる。そこで 4 章は,基準線での正確な停止を目標とする鋏操作課題において,2 歳児のパフォーマン スに及ぼす課題についての文脈の効果を検討することを目的とする。そのため実験Ⅲで成 績の低かった2歳児クラスに対して,より日常的な文脈に即した課題呈示を行うことによ って,それら被験児の成績が高まるか否か,またその場合どのような呈示条件が最も有効 であるか,以上2点について検討する。
2.方 法 [ 被験者 ]
福岡市内のF保育園の2歳児クラス 26 名のうち,ベースラインテストにおいて,鋏の 連続切り操作ができなかった9名と,ベースラインで既に課題を達成していた4名を除い た13名を対象とする(2歳5ヶ月~3歳5ヶ月;平均年齢2歳11ヶ月)。
[ 課題目標 ]
始点(課題材料の下端)から切り始め,停止目標ラインで正確に止めること。
[ 課題の刺激図 ]
課題を子どもの日常の文脈に即した呈示条件にするための手続きとして,実験Ⅲの課題 材料(ベースライン課題)の他に,図1のような3種類の刺激図を用意した。
仮説…モデルにより正反応を直接示す条件よりも,子どもの日常的文脈に即した課題 提示条件において,鋏操作の自己制御が高められ,成績が向上する。
30
Ⅰ-4-図1 実験Ⅳの課題材料の刺激図
始点
停止 目標 ライ ン
黒 の 基 準 線 の 位 置 , た だ し 垂 直 線 課 題 で は , 基 準 線 の 上 端 が 目 標 停 止 ラ イ ン と な る )
始点 始点 始点
ベースライン 赤白色分け パンダの絵 垂直線
*赤白色分け(Red Colored, 以下RCと略す):文字やその他の記号をまだ獲得して いない低年齢児に,一般的によく用いられる色による表示方法。停止 目標ラインを境にして,切るべきところと切ってはいけないところを色で 区別する。
*パンダの絵(Animal Pictured, 以下AP と略す):幼児に親しみやすい動物の顔を 課題材料の一部に印刷して,目標ラインで切ることを止めるという課題に パンダの顔を切らないためという意味づけをする。
*垂直線(Vertical Line, 以下 VLと略す):実験Ⅲにおいては,停止目標ラインと されていた基準線の上をなぞるように水平に切るという誤反応が多数みら れた。そこでその反応と一致する課題を刺激図のひとつとして採用する。
31
Ⅰ-4-表 1 実験Ⅳの教示
[ 手続き ]
実験Ⅲの教示詳述化群の第3試行をベースラインとした。その試行では,実験者が先に 正しいモデルを示すことで,直接的に課題目標を説明する呈示条件であった。それ以降の 試行では,図 1 のように異なる刺激図の課題材料とそれに伴う教示(表 1)を与えることで,
課題の意味づけを操作した。ベースライン試行の後にRC,AP,VL刺激の順に3試行行った。
実験は保育園内の一室で個別に行われた。課題を行う机の前方に設置された8ミリビデオ により,全試行が記録された。
ベース ライン
「今から先生がこの紙を切ってみますよ。後で○○ちゃんも切ってもらい ますから,よく見ていて下さいね。」 (この後,実験者が被験児の目の 前で実際に切ってみせる。切り終わってから実験者が目標ラインより上を 切らなかったことを被験児に確認させる。)
「○○ちゃんも今,先生が切ったのと同じように,ちょうどこの黒い線(基 準線)のところまで切って下さい。黒い線より上は切らないのですよ。」
赤白色分け
「今度はこんな紙を切りますよ。白いところと赤いところがありますね。
さっきと同じ様にここ(材料の下端)から切り始めて,この黒い線のとこ ろまで切って下さい。でも赤いところは切らないように気をつけてね。白 いところだけ切るのですよ。」
パンダの絵
「今度の紙には,ほらパンダさんがついていますよ。この紙もやっぱり,
ここ(材料の下端)から黒い線のところまで切って下さい。でも,パンダ さんのお顔を切ってしまったら,パンダさんが痛くてかわいそうですね。
だからパンダさんのお顔を切らないように気をつけて,ちょうど黒い線の ところまで切って下さい」
垂直線
「今度の紙はこんなふうに線が引いてありますね。ここ(垂直線の下端)
から,ここ(垂直線の上端)まで線にそって切って下さい。ちょうどここ
(垂直線の上端)のところまで切るのですよ。」
(文 中の 「 こ の」,「 こ こ」 とい う指 示 代 名詞 につ い て は, すべ て 実 験者 がそ の 都 度, 指差 し を 加えて 説明している)