第四章 明治後半期日本における人参産業と中国市場
第二節 第Ⅰ期(1887~1894 年)における日本産人参の輸出動向
二 第Ⅰ期における中国参類市場の新動向
1880年代後半には、中国の人参市場には大きな二つの変化が起こった。すなわち中国国 内における人参栽培の解禁と、朝鮮産人参の対中輸出の増加の二点である。
第1章で論じたように、清朝は人参生根の栽培を厳禁していたが、東北地方ではしだいに 野生人参が枯竭し、1853(咸豊3)年からは、清朝政府による人参採取事業も停止を余儀 なくされた。こうした状況下で、清朝も従来の人参栽培禁止策を緩和せざるを得なくなっ ていく。この時期、山東や河北地方から東北地方に移住した大量の流民を定住させるため、
清朝は彼らに人参畑の所有を許可した。1881年には、清朝は人参畑の所有者に課税するた め、彼らの定住地ごとに戸数・人数を集計し、全員に鑑札を附与することを規定している9。 こうして清朝は東北地方において移住民が人参生根を栽培することを認め、東北三省にお ける人参栽培規模は徐々に拡大していった。特に元々人参採取地であった遼寧省の盛京(現 在の瀋陽)地方や、吉林省の通化地方などでは、大規模な人参栽培が行われた10。
8 前掲神原周平『日本貿易精覧』、38頁。
9 林仲凡「明清時代我国東北各地人参的開采与経営」(『中国農史』1988年第4期)。
10 宋抵、王秀華編『清代東北参務』(吉林文史出版社、1991年)48頁。
- 155 -
東北地方で栽培された人参は、遼寧省の牛荘港(現在の営口)で船積みされ、中国各地 へと出荷された。牛庄港は東北地方南部の大河である遼河が渤海に注ぐ河口部に位置し、
清末には東北地方最大の交易港であった11。1931(民国20)年以前には、東北地方産人参 の7割以上が、牛庄港から出荷されていた12。第Ⅰ期における、牛庄港から出荷された人参 輸出量を整理したのが、表4-3である。
表4-3 1887~1894年牛庄港における中国産人参輸出量13
年間 輸出量(斤) 年間 輸出量(斤)
1887(明治20)年 94,034 1891(明治24)年 131,730
1888(明治21)年 128,308 1892(明治25)年 115,627
1889(明治22)年 99,655 1893(明治26)年 139,778
1890(明治23)年 95,996 1894(明治27)年 152,882
これによれば、第Ⅰ期における牛庄港からの人参出荷量は、全体的に上昇傾向にあり、
特に1888年・1891年のように、北米産西洋参・日本産人参の輸入量が減少した年には、
牛庄港から出荷された中国産人参が増加したことが確認できる。また、1894年には牛庄港 から中国産人参の出荷量が第Ⅰ期の最高値である152,882斤に達している。
つづいて、第Ⅰ期における朝鮮産人参の対中輸出増加について検討しよう。朝鮮産人参 の対中輸出は、元々朝貢貿易を通じて行われていた。朝鮮王朝は清朝に定期的・臨時的に 朝貢使節を派遣していたが14、その旅費を補うために、使節に一定量の人参を交付し、咨文
11 王小侠「晩清営口港興衰的環境思考」(『蘭台世界』、2009年第23期)。
12 前掲今村鞆『人参史』第4冊、548頁。
13 1887~1890年の数値は張宗武の『清韓宗藩貿易』(台湾中中央研究院、1985年)の関
連統計を、1891~1894年の数値は前掲今村鞆『人参史』第6冊の583頁の関連数値を参 照して筆者が作成した。
14 定期使節は1年3使と定められ、朝鮮から明に送られた定期的な使行を指し、1年はす なわち年貢使、3使は冬至使、聖節使(皇帝の誕生日祝い)、正朝使(正月祝い)を指す。
- 156 -
内にその量を記載して、山海関で検査を受けたのち、北京の会同館においてその人参を用 いた交易が許可されていた15。張存武の研究によれば、道光時代(1821~1850年)から光 緒時代(1871~1908年)まで、朝鮮から中国に朝貢貿易を通じて輸出された紅参は、最大 時には12万斤であるが、基本的には年間2万斤前後で推移していた16。
一方、1882~1884年に中朝間に正式な通商関係が締結されると、朝貢貿易以外の経路に
よる朝鮮産人参の輸出も急増加していった。1882年の壬午軍乱によって、清朝は朝鮮王朝 に対する影響力を強め、1882年10月には「中朝商民水陸貿易章程」が結ばれ、陸路・海 路による貿易が開かれることになった。その後、両国間では「吉林朝鮮商民貿易地方章程」
(1883年)、「奉天与朝鮮辺民貿易章程」(1883年)、「仁川華商租界章程」(1884年)など 一連の通商協定が結ばれ、民間商人による人参貿易も解禁されることになった。これとと もに、朝鮮の対中貿易の輸出に占める人参の割合が顕著に増加していった17。ただし、朝鮮 政府に認められた紅参の輸出方法は、許可を与えられた朝鮮人商人によるものであり18、伝 統的交易ルートである義州経由の陸上行路が採用されていた。残念ながら、当時の中朝間 の陸上貿易に関しては、確実な統計史料が残されていないため、開港以降の朝鮮産人参の 対中輸出量の総額を確認することはできない。
朝鮮産紅参の対中輸出は、朝鮮人商人だけに許可されていたため、開港後は朝鮮人商人 が中国内陸部まで進出して人参を販売している。たとえば、1886~1887(光緒12~13)年
臨時使節は不定期に派遣され、一般的に宗主国である中国もしくは朝鮮の用件がある際 に送る。たとえば、謝恩使(皇帝への謝恩)、陳慰使(皇帝への弔慰)、進賀使(皇帝へ の祝賀)、陳奏使(皇帝への上奏)、告訃使(自国の国王の訃報を伝える)、奏請使(皇帝 に裁可を求める)などである。
15 当該期間の途中、朝鮮は対中の人参輸送が禁止された時期がある。(前掲張宗武『清韓 宗藩貿易』の68頁による)。
16 前掲張宗武『清韓宗藩貿易』、128~131頁。
17 前掲劉暢「仁川開埠後煙台与朝鮮的貿易」。
18 石川亮太『近代アジア市場と朝鮮』(名古屋大学出版社、2016)92頁。
- 157 -
の僅か1年間に、江西省だけで6人の朝鮮人商人が人参を販売していたという19。在朝の華 人商人は朝鮮人と結んで、大量の朝鮮産紅参を中国市場に供給した20。一方で、当時は朝鮮 産人参の中国への密輸も横行していた。ある在韓華人商人の書簡には、「私参が多く出回っ ており、「山東幇」や「京幇」21が在来船で煙台に運ぶとともに、日本人も長崎に盛んに輸 出している」とある22。また、在朝日本人が朝鮮産人参を長崎に密輸して再包装した後、中 国や香港に輸出することも多かった23。
それでは、次に第Ⅰ期に輸入された朝鮮産人参の、ほかの輸入参類である北米産・日本 産人参との価格上の関連性を見てみよう。
開港以前、朝貢貿易によって輸入された朝鮮産人参は、同時期の北米産や日本産人参に 比べて遥かに高価であった24。しかし、中・朝両国の民間貿易が開放されるに伴い、中国市 場に輸出された朝鮮産人参に占める低級品の割合が増加し、価格は全体として低下してい った。当時の税関統計によれば、1890(光緒16)年には、上海港に輸入された朝鮮産人参
のうち、1等品は66.54ピクル25であるが2等品と3等品は合計50.39ピクルとなり、全体
の43%を占めている。
第Ⅰ期に、海路により煙台・上海・広東(広州)に輸入された朝鮮産・北米産・日本産 人参の輸入単価を、税関記録により整理したのが、表4-1である26。
19 前掲高秉希(2006)論文。
20 前掲石川亮太『近代アジア市場と朝鮮』、92~114頁。
21 ここでの「山東幇」は中国の山東省出身の商人による商人団体であり、「京幇」は北京 とその周辺の河北地域出身の商人を指す。
22 前掲石川亮太『近代アジア市場と朝鮮』、196頁。
23 韓国人参耕作組合連合会『韓国人参史』(三和印刷株式会社、1980年)413頁。
24 前掲中国第二歴史档案館『中国旧海関史料』、17~22冊によれば、1882年以前の朝鮮 産人参の平均単価は、同時期の北米産西洋参の7倍、日本産人参の12倍であった。
25 ピクルpiculは当時の重量単位であり、1piculは120斤にあたる。
26 前掲中国第二歴史档案館『中国旧海関史料』第16、17冊の、各港における朝鮮産
(Ginseng Corea)、日本産(Ginseng Japan)及び北米産(Ginseng American)各項の 統計を集計し、輸入価格を算出した。
- 158 -
表4-1によれば、第Ⅰ期における朝鮮産人参の平均単価は、1等品は12.58~18.29両で
あり、2等品は12.24両に達する場合もあるが、おおむね4.17両に止まる年が多い。3等
品は1斤あたり0.67両で一定している。それに対し、北米産西洋参の精製品は2.3~2.91 両、粗制品は0.5~1.82両である。日本産人参の1等品は2.94~4.17両であり、2等品は
1.25~1.46両の間に集中し、等外品は0.25~0.7両であった。三者を対照すると、朝鮮産の
2等・3等人参の単価は0.67~12.24両の間で変動しているが、多くの年では、北米産や日 本産人参の価格変動の範囲である、0.25~4.17両の範囲内に収まっていることがわかる。
また、各港における人参価格を比較すると、北方の煙台港よりも南方の上海港・広州港 の単価が高い。中・朝の間には、「上海―仁川―煙台-上海」の海運航線が定期的に運営さ れていたが、当然ながら仁川に地理的に近接する煙台港の方が輸送コストが低く、それが 人参価格に反映されているのである。陸路で中国に輸入された朝鮮産人参の価格は、統計 がなく不明だが、当時は海運コストが陸上運送コストより高かったとされるので27、北方地 域では価格も安かった可能性がある。このことは朝鮮産人参が、特に中国北部の市場で優 位を占めた原因の一つであろう。
表4-1 1887~1894年の国市場での輸入参類の単価内訳
年間
(明治)
朝鮮産 北米産平均 日本産平均 煙台 上海 広東 平均
1887年
(明治20)
C/1st 10.76 C/1st 15 C/1st 14.01 1st 13.26 A/C 2.91 J/2nd 1.42 C/3rd 0.67 3rd 0.67 A/CR 0.5
1888年
(明治21)
C/1st7 C/1st 15 C/1st 16
C/2nd 10.90
C/1st 12.67 A/C 2.30
A/CR 1.79
J/ 1st 4.17
J/2nd 1.42 C/2nd 4.17 C/2nd 4.17
C/3rd 0.67 C/3rd 0.67 1889年
(明治22)
C/1st 10 C/1st 15 C/1st 15.29
C/2nd 10
C/1st 13.43 A/C 2.30
A/CR 1.77
J/ 1st 4.17
J/2nd 1.46 C/2nd4.17 C/2nd 7.08
C/3rd 0.67 C/3rd 0.67
27 前掲高秉希「晚清中朝定期航線的开設背景及其影響」。