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中国市場における日本産人参の新動向

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 180-200)

第四章 明治後半期日本における人参産業と中国市場

第四節 第Ⅲ期における日本産人参の輸出

二 中国市場における日本産人参の新動向

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専売局長による法令で、人参栽培が許可制となったためであった71。こうした諸要因が重な り、図4-5が示すように、朝鮮産人参の対中輸出量は、白参・紅参のいずれも下降傾向に あったのである。とくに朝鮮における人参生産に大きな被害を与えたのは病害の蔓延であ った。これに対し、朝鮮総督府は人参生根の栽培に関する病原や土壌の研究を行い、日本 人技師による人参栽培改良も進められたが、その効果が現れるにはなお一定の時間を要し た72

最後に、第Ⅲ期における北米産西洋参の輸出は上昇傾向にあるが、その増加率は緩やか なものであった。アメリカにおける西洋参の栽培は1893年に開始されたが、その後10年 刊は殆ど病害を被ることもなく、順調に発展を続けていた。しかし、この時期に利益を求 めて過剰な作付けと収穫が行われたため、1900年ごろから病害が頻発するようになり、そ の栽培も大規模な被害を受けることになった。またマサチューセッツ・ニューヨーク・ミ ネソタなどの諸州では人参栽培が加熱して人参苗の値段が高騰したため、栽培者は投資に 見合う利益を得ることができなかった73。このようなリスク要因もあったため、第Ⅲ期にお ける北米産西洋参の輸出は比較的緩やかな増加に止まったと考えられる。

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時期の日本産人参の対中輸出を考察するには、輸出量だけではなく品質面にも注目するこ とが必要である。

中国の海関史料から、第Ⅰ~Ⅲ期における中国産・日本産人参の輸入単価の変動を図示 したのが、図4-6である。

図4-6 第Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ期の中国産・日本産の人参の輸入単価対照74

これによれば、第Ⅰ期を通じて中国産人参の平均単価は日本産より高価である。両者は ほぼ同調して変動し、価格上の格差は殆ど変わっていない。前述のように、1880年代後半 には中国産人参の「道地」性が日本産人参より高く評価されており、その単価も日本産よ りも高かったのである。

しかし、第Ⅱ期になるとその状況は一変し、日本産と中国産との単価が逆転することにな

74 前掲中国第二歴史档案館『中国旧海関史料』22~40冊所収の、各港のTrade in Foreign Goods-Imports and Re-exportsから、Ginseng Native(中国産)とGinseng Japan(日 本産)の各級人参単価の平均値を図示した。

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る。すなわち、10年間のうち5年は日本産人参が中国産より高値を付けており、特に1900 年以降には、日本産人参の単価が中国産人参を下回ることはない。こうした逆転現象の背 景として、1900年以降の中国東北地方における人参生産への打撃と、日本国内における人 参生産の改善の双方を指摘できるだろう。1900~1905年の間に、中国東北地方では日露戦 争や黒竜江事件の影響により、人参の栽培・加工産業は大きな打撃をうけた。実際に、図4

-6によれば、第Ⅱ期における中国産人参の単価は第Ⅰ期よりも明らかな下降を示している。

一方、日本産人参は生産方式の産業化によるコスト削減が進み、中国市場での競争力を強 化し、第Ⅱ期を通じて平均37万斤以上の年間輸出量を達成したのである。さらに、この時 期の中国産と日本産の価格格差は第Ⅰ期よりもかなり小さくなっており、1900年以降は両 者が逆転するに至る。

1905年以降は、日本産人参の輸出量は20万斤前後で推移し、輸出量の面では中国産人 参に追い越されることになった。しかしその単価に着目すれば、日本産人参は中国産人参 に対し、特に1908(明治41)年以降ははるかに優位を保っている。このような輸出量低下 と単価上昇の同時現象が、第Ⅲ期における日本産人参の対中輸出の特徴と言える。これは 品質改良が進んだ日本産人参が、中国市場において、中国産人参以上の「道地」性を認め られるようになった結果であろう。

第Ⅲ期においてもう一つ注意すべき問題として、日本産・朝鮮産・北米産人参の栽培が 病害による深刻な被害を受け、各国による病害対策が、人参輸出量にも影響したことが挙 げられる。病害の蔓延に対し、日本は国内及び朝鮮、アメリカにおいて詳細な調査を実施 し、病害防止のための研究を進めた。日本産、及び日本の支配下にあった朝鮮産人参は、

中国市場において相当なシェアを占めており、人参の対中輸出の巨大な利益を確保するた めに、日本は本土や朝鮮における人参の病害対策に力を注いだのである。

さらに、同時期には成分分析に基づく人参に関する薬理学的研究も進められた。19世紀

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末から20世紀初頭は、人参の科学的研究の発展期にあたり、とりわけ日本における研究は 当該分野の世界的中心となっていた75。明治政府の政策を通じて、20世紀初頭までに日本 では西洋的な医薬制度が導入され、医薬学も普及ししつつあったが、その一方で従来の伝 統医学に対する文化的なニーズも一定程度保持されていた。このため、近代薬学の知識が 人参のような伝統薬種に対する成分研究にも活用されたのである。

日本では1902年の竹節人参に対する研究を発端とし、後には朝鮮種人参にも近代薬学技 術による分析を行い、その有効成分を確認している76。1889~1933年の間に、世界各地で 56篇の人参類薬種に関する薬用研究が執筆されたが、そのうちの39篇は日本人学者による 研究であり、その他は日本統治下の朝鮮が13篇、ロシアが5篇、アメリカが1篇、中国が 1篇となっている77。このような日本における人参に関する薬学研究の発展は、日本での人 参産業の発展の要因であり、またその結果でもあった。

まとめ

本章では明治後半期における日本産人参の輸出の変動状況、及び中国市場での日本産参 類商品の新たな動きに検討を加えた。まず、第Ⅰ期には日本産人参の輸出量が急速に回復 するとともに、中国市場での西洋参の輸入量が下降していった。中国産人参の出荷量と朝 鮮産白参の対中輸出量もともに増加しており、中国産と日本産人参の合計が、徐々に北米 産西洋参の輸出量に近づいていった。

75 イ・イ・ブレフマン著、深沢元文訳『薬用人参―その薬物学的諸問題について―』(長 野県農政部園芸特産課、1964年)5頁。あ

76 1902年には井上圓治は竹節人参により一種の糖原質を抽出して、それが「サポニン」

に属することを唱えた。また、1905年に藤谷功彦が松江産人参より一種の糖原質 C32H56O14を抽出し、Panaquilonと命名した。(前掲今村鞆『人参史』、第5巻501~503 頁)。

77 前掲今村鞆『人参史』第5巻の515~519頁「論文目録」と、前掲イ・イ・ブレフマン

『薬用人参』の5頁の関連内容を集計。

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つづく第Ⅱ期には、日本では産業組合の形式により、人参の栽培・製造・販売過程を連 携して行うようになり、生産・流通体制の整備が進み、廉価な人参を安定的に供給できる ようになり、再び対中輸出量の首位を占めるにいたった。一方、中国産人参は栽培禁令の 撤廃により急成長していたが、1900年からは東北地方での日露の対立影響により衰退傾向 にあった。また、北米産西洋産も長期間の過剰採取によって生産量が減少し、対中輸出量 が下降していた。このように中国産・北米産参類の生産が減少したことによって、日本産 人参が中国市場で最大のシェアを占めるに至ったのである。

第Ⅲ期には、日本産人参の輸出量は、第Ⅱ期に比べて低い水準で推移しており、市場で は中国産人参が再び最大のシェアを占めるようになった。その一方、日本では第Ⅱ期に人 参の品質改良を進めた結果、利潤が高い良質製品を生産・輸出するようになり、第Ⅲ期に は日本産・中国産人参の市場価格が逆転することになった。その要因として、明治後半期 においては、日本における人参産業は、産業組合による経営再編を進める一方、和漢医薬 学の伝統と西洋医薬学の知識を融合し、主要な輸出産業の一つとして成長していったので ある。その後、日本において人参に関する農学・薬学的研究が進展し、近代的農学・薬学 知識を応用した伝統的薬種の生産が進展していったことは、明治期以降の日本で産業の発 展のさまを如実に表したものとして理解できよう。

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結 論

人参は古来より汎用薬種として、中国を始めとする東アジアで広く用いられてきた諸々 の伝統薬種の中で特に珍重されたのは、金・元時代の李朱医学の理念から発源してきた「温 補」という医学思想の流行と深く関わっている。明清時代に「温補」医学思想が普及した ことによって、人参は治療薬として用いられるだけでなく、生活の中で常用される栄養剤 の役割をも担い、さらに高級な贈物としても使用されてきたのである。このような人参の 消費ブームは中国のみならず日本でも巻き起こったが、これは同じ東アジアの伝統医学を 主流とした国家であったことがその背景にある。

しかし、同じく莫大な人参の消費需要が生じた状況に対して、日中両国が異なる対応政 策を行ったために、両国の人参事業の発展過程は異なる軌跡を辿ることになった。中国で は人参の販売利益を独占するために、清政府が独占的な管理制度を行った。長期間にわた る過度な採集と栽培の禁止によって、清朝中後期以降は野生人参が激減して、絶滅の危機 に瀕した。しかしながら、伝統的医学思想では野生人参のみに最も強い薬効が認められて いたために、野生人参に対する需要は却って増大し、人参の供給不足が顕在化したのであ る。その結果、中国市場では人参の値段が高騰し、同時に偽装の類参商品も増加、また海 外から参類商品が大量に輸入されるようになった。

一方、人参の供給不足に対して、日本は中国とは異なり人参生根の栽培に力を注ぎ、吉

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