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日本語とエントロピー

ドキュメント内 日本語のリズム (ページ 168-186)

可逆作用をする生命と地球が「石油、天然ガス、石炭」などの高純度エネルギー資源を 造りあげた史実と、維持エネルギーを加え続けていないと『秩序だった大系は必ず無秩序、

荒廃、混沌へ向かう』不可逆真理を対照すると、近年「言語、音楽」活動などが、急激に 変容した原因をおぼろげながら推測できる。両者は情報、感情伝達の手段であり、ここに 一定法則があるはご承知のとおりである。

前者に基本文法と言葉の使用法の規範が定められ、後者は西洋音楽に「ドレミファソラ シド+半音=12音階、平均律」、和製音楽には平均律に直すと「ドレミソラド:民謡音階は ラドレミソラ、律音階はソラドレミソ」がある。和音階は民謡・演歌に常用され、琉球音 階の「ドミファソシド」は、音階だけで沖縄の雰囲気に浸れるのが素晴らしい。ここに登 場する「律」は規律をさし、音楽の三要素のうちの二つが旋律(メロディ)、律動(リズム)

と翻訳され、もう一つのハーモニーも和声とあてられたところは、吟味の必要があろう。

世界各地の言語、音楽がそれぞれ異なるのは、地域の風土に密着して生まれた様子を伝 えている。気候風土に育まれた文化と連動して、言語体系が造られたところが大切である。

たとえば、倭語の名詞は『樹木、草花、昆虫、鳥類、魚介類、そして自然現象、地形に つけた名(地名)』が、世界でも希有といわれるほど豊富にあり、二音節の基本動詞の表現 幅が大きいため、意味を特定する「擬音語、擬態語」が常用されることが際立った特徴に あげられている。反対に、鉱物資源と家畜に関する言葉が極端に貧弱な点も特色にあがる。

「 金こがね、 銀しろがね、 銅あかがね、 鉄くろがね」が区別される前には、たったひとつの「かね」しかなく、家畜 を表わす言葉も「馬、牛、豚、羊、鶏」のように、牡・牝の区別もない。アジア大陸から ヨーロッパ大陸に連綿とつづく、牧畜文化の影響が全く感じられない点が興味をさそう。

「神は人類のために、家畜を創り賜うた」と、手前勝手な論理を展開する牧畜文化圏で は「ロース、フィレ、ランプ」など、肉の部位に従って別けた名も、この国では「にく」

だけで片づけられていた。アラビア語の「ラクダ」に関する言葉は数百種類、イヌイット

(エスキモー)の言語には、「氷の状態」を表現する言葉が数十種あるという。

これが『言葉は文化を表わす』ゆえんであり、こうした状況証拠からも、倭語の成立は 金属器を使いはじめる弥生時代より前、とくに自然とふかい関わりをもっていた縄文時代、

またはそれ以前の先土器時代と推理できる。

自然の音をもとに構築された「倭語」は、弥生時代~奈良時代の渡来人の大量移入と、

その表記に漢字を採用したことから、漢語を交えた『日本語』に変容した。面白いことに、

文字を導入した際にも、動植物や自然現象の名と地形語は漢字では 賄まかないきれず、「鰯、鰹、

鱈、鰤、鯰、鱚きす、 鯑かずのこ、榊、樫、 椛もみじ、笹、凪、雫、辻、峠、畑」などの国字を新造した史 実が、和漢の文化の違いを表わしている。後の時代、とくに明治時代に新文化の摂取とい う要請から、外国語を漢語の表現におきかえた「和製漢語」が数多く追加されている。

「主語+述語+動詞」のウラル・アルタイ語系の倭語、「主語+動詞+述語」のインド・

ヨーロッパ語系の漢語は、基本文法と発音が違うので、倭語を主体にすると、漢語はエン トロピーに認定されよう。だが、両者が合体した『日本語』は、実に鮮やかに,基本文法は 倭語を変化させずに踏襲し、倭語の欠陥である、森と水の文化に由来する片寄った語彙の 不足分を漢語から補填したのだった。ここには倭語と漢語の発音が近似するものもあって、

容易に融合をすすめる原因になった。

このとき、文法が異なる漢文には「返り点(レ、一、二など)」をつけて読みくだす手法 を考案して、後に「カタカナ」を生みだす基盤をつくり、インド・ヨーロッパ語の特徴で ある「LとR」「BとV」「TとTh,Ch」などを区別する漢語を、すべて倭語の発音に合わ せて採用したところも特筆すべきものである。日本語は「倭語」をしっかり継承し、「漢語」

もエントロピー化していないところは、現代が学ぶべき姿勢を示している。

この和漢混交の『日本語』の成立に、朝鮮半島の「伽耶、百済、新羅」から渡来した人々 が大きく関わった史実が重要である。おもに古墳~奈良時代に行なわれた倭語へ漢字をあ てたのは、その鮮やかなあて方をみると、どうみても倭人とは考えにくく、漢字に習熟し ていた渡来人の業績と考えて良さそうである。この様子は、「上代特殊仮名遣い」に百済、

新羅の流儀で、万葉仮名をあて別けた形跡が残されているところが大切である。

朝鮮語は倭語と同じウラル・アルタイ語系の言語で、弥生~古墳時代に交易・行政面で 倭国と密接な関係をもったことから、古代朝鮮語は倭語に近い言葉であったとも推測され ている。飛鳥~奈良時代の人口構成(とくに畿内の人々)は、縄文系の在来人より、朝鮮系 渡来人の系譜をひく人が多かったことが、最近の人類学の分析から浮上した。「倭語の語源」

と「言葉の創作法」が忘れ去られたのも、ここに発しているのであろう。

日本語を大切にする姿勢は、江戸時代の「阿蘭陀オ ラ ン ダ、英リス、亜米 」などの国名が漢 字で表記された史実に残され、いまでも「蘭学、英語、米国」などの形で使われている。

この姿勢は明治時代をへて戦前まで継承されたが、第二次世界大戦以後の時代は、連合軍 に占領された事情と、当時絶頂期にあったアメリカ合衆国の文化にあこがれ、生のままの 英語の表現が好んで取り込まれた。後にこの現象は拡大して、高度成長期以前には想像も できなかった「GDP.DNA.JR」などの略号すら日常に取り込まれ、もはや欧米語 ぬきには生活が成り立たないほどの状況になった。ここには、かつて存在した外国語を自 在に漢語におきかえる慣習と能力が失われ、「自由」の旗印を掲げた放任主義が、「節度」

を消失させたのだった。

ここでも、日本語を中心におくと、「英語」はエントロピーに認定される。世界の情報が 飛びかう高度情報社会では、インターネットの利用状況をみても、世界共通語に昇格した 英語が主役になり、英語圏以外の言語でのエントロピー増大は避け難い状況になっている。

最近、英語を第二公用語とする案が提起されたように、この需要が高まるのは必死だが、

それ以前に、英語のカタカナ化をできるかぎり制限する必要があると思う。

開音節の構造をとり、「LとR」「BとV」などを区別できない日本語では、英語の発音 を文字化すること自体に問題があり、現行のままの用法では、混乱を助長するだけではな いだろうか。ここでは、日本語と英語が互いに相容れない言語体系であることをしっかり 認識し、両者の混用を避けることを徹底するか、あるいは日本語の体系をかえて、「L,V,

Th」などの発音をするカタカナを新設するかであろう。日本語と英語のバイリンガル

(Bilingual)は頭脳に刺激を与えるのは確かだが、中途半端な混用は、日本語のエントロ

ピー(Entropy)を増大させるだけでなく、英語の習得にも悪影響を与える。最近、訳のわ

からない外国語の濫用や、意味のない言葉(日本語、英語の省略型。両者を組み合わせた合 成語)が急増していることが、はっきり、この事実を表現している。

言語には、風土に密着した「二者以上の誰にでも理解できる」大系を定めた法則が存在 する。本書が地名にのこる用法から古代の言語を推理しているのも、倭語が極めて論理的 に構築された史実を根底においている。もし言語に普遍的な論理がなければ、この手法を とれるはずがなく、外国語と日本語を組み合わせた言葉(ラジオ放送、テレビ画面、コピー 機:用例は英語+漢語)や、英語の省略型であるパソコン(Parsonal Comuputer)、ワープ ロ(Ward Processor)、CDロム(Comupact Disk Read Only Memory)なども除外される。

現代の新造語は、一つひとつの言葉に整合性はあっても、創作法に一貫した論理がないた め、全体では言語体系を崩すエントロピーになっている。

かつては「大地震:ダイヂシン。大舞台:ダイブタイ」と音でよまれた言葉が「おおジ シン、おおブタイ」と、訓音併用の湯桶よみに変貌しつつあるのも、日本語に規定された 用法が徐々に崩壊して行くさまを表わしている。現代が『エントロピー増大、不可逆』の 一方通行路をひた走る様子は、十分に雑音化したミュージックをのせて、流行の最先端を ゆくテレビ番組、コマーシャルの幼稚化・痴呆化した姿に表現され、この先に何を求めて いるかを真剣に考えるべき時代を迎えている。

なぜなら、エントロピー増大則とは『物質』に適用される法則であり、ネゲントロピー

(Neg-Entropy:マイナスのエントロピー)を食べ続け、積極的に可逆作用を行なう『生物』

と正反対、対極の位置にあるからである。

人類間の単なる金儲けと功名心による競争によって、日ましに増大するエントロピーに 比例して荒廃、混沌へむかう様相は、いまの自分達だけの感覚と目先の利益を中心におく ことに原因する。ここには、長い間に培われた社会の伝統、歴史の流れを踏まえた現状認 識、将来の人々への配慮がないところが問題になる。日本語のみならず、司法、立法、行 政府をはじめ、さまざまな分野に蔓延した「空洞、根無し草」化現象は、自然界、生命の 根源にある基本法則を忘れ去ったために発したのであろう。

この基本法則である、『可逆、循環』作用とはどのようなものか。古代~近世の人々が、

これをどのように捉えていたか、過去の歴史を参照し、私たち現代人にどんな風に反映し ているかを検討しよう。

ドキュメント内 日本語のリズム (ページ 168-186)