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埼、嶋地名の分布

ドキュメント内 日本語のリズム (ページ 99-107)

表5-4-1 郡名における少数音型の分布

音 型 東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 小 計 百分率

ue

1 2 1 2 2 8 21.0

uo

1 2 2 4 1 10 26.3

eu

1 1 1 1 4 10.5

eo

1 1 2.6

ou

2 1 1 1 3 3 11 28.9

oe

1 2 1 4 10.5 合 計 3 4 6 7 11 3 4 38 郡 数 46 88 104 120 89 40 93 580

百分率 6.5 4.5 5.8 5.8 12.4 7.5 4.3 6.6

㊟ 「

uu

ee

oo

」連母音との接続形は除外。小計の右の百分率(%)は 合計(38例)に対する比率。以下同様。

表に現われたように、『倭語の韻律』の少数音型を採用した郡は、中国地方が少々面白い 分布をとるようにも見えるので、「埼、嶋」地名群からこの音型をとりだして分類すると、

次の結果がえられる。

表5-4-2 埼、嶋地名の少数音型の分布

埼地名 東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 小 計 百分率

ue

6 1 2 5 14 11.5

uo

9 3 10 3 5 4 18 52 42.6

eu

2 1 1 1 8 13 10.7

eo

1 1 1 3 2.5

ou

5 3 1 10 3 4 26 21.3

oe

5 3 1 1 1 3 14 11.5 合 計 27 11 13 5 20 8 38 122 埼 数 484 422 359 180 261 143 512 2361

百分率 5.6 2.6 3.6 2.8 7.7 5.6 7.4 5.2

㊟ 少数音型を連続させた地名は、埼地名に 5例、嶋地名が17例あるが、

前位の音型で区分した。

少数音型が連続する埼地名

李 崎 Sumomusaki 新潟県長岡市李崎 観音崎 Kamunomusaki 山口県下関市観音崎町

長崎県南松浦郡奈留町船廻郷観音崎 小黒崎 Kokurosaki 岡山県笠岡市大島新田小黒崎

小黒ヶ崎 Wokurokasaki 宮城県玉造郡岩出山町池月上宮小黒ヶ崎

嶋地名 東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 小 計 百分率

ue

4 13 2 1 3 23 16.5

uo

1 2 18 2 3 4 12 42 30.2

eu

4 6 1 1 3 15 10.8

eo

1 3 10 1 1 3 19 13.7

ou

1 4 15 2 2 2 26 18.7

oe

2 2 5 1 1 1 12 8.6

その他 1 1 2 1.4

小 計 5 20 68 4 9 9 24 139 郡 数 277 442 946 210 210 154 409 2648

百分率 1.8 4.5 7.2 1.9 4.3 5.8 5.9 5.2

㊟ 地名は、1975年前後の5万分の1地形図に記載されていたもの。

㊟ その他

弁天島 Bentenzima 静岡県浜名郡舞阪町舞阪弁天島 越中島 Wettyūzima 東京都江東区越中島

少数音型が連続する嶋地名

島 Yumenosima 東京都江東区夢島 道悦島 Tafufetusima 静岡県島田市道悦島 中間島 Tifukemusima 富山県富山市中間島 不動島 Futofutafu 富山県砺波市鷹栖不動島 Futofusima 石川県小松市不動島

Futofusima 佐賀県鳥栖市三島町不動島 観音島 Kamunomusima 岩手県稗貫郡石鳥谷町新堀観音島 坂東島 Pamutofusima 福井県勝山市北郷町坂東島 千保島 Semuposima 富山県砺波市太田千保島 天保島 Temupofusima 富山県富山市金山新南天保島 源兵島 Kemupefisima 石川県松任市源兵島

市右ェ門島 Itifemomusima 福井県吉田郡上志比村市右ェ門島 近島 Komunosima 岐阜県岐阜市近

徳之島 Tokunosima 鹿児島県大島郡徳之島町 与久郎島 Yokurafusima 石川県能美郡川北町与久郎島 権現島 Komukemusima 山梨県南巨摩郡南部町成島権現島 苔野島 Kokenosima 新潟県刈羽郡小国町苔野島

少数音型を連続させた地名でも「Kokuro-saki」「Futofu, Komuno, Tokuno-sima」のよう に前後対称の母音音型をとる名は、少数音型を意識してつけた様子がうかがえる。これに 対して、地名を古型に戻しても、音を無作為に組み合わせたしかと感じられない「観音崎、

弁天島、越中島、夢島、天保島、源兵島、市右ェ門島、権現島」などが、近世~近代に 命名(観音、弁天、越中、権現は、漢語の表現)した史実が浮上するのも興味ぶかい。

少数音型は、「

uo

ou

ue

oe

eu

eo

」の順に使用例が多いようで、埼・

嶋地名群は偶然とはいえ、少数例の全体に対する比率が、おなじ値(5.2%)をとっている。

uu

ee

oo

」との接続形を除いた郡名(6.6%)、国名(6.9%)の比率と、『古事記』

『万葉集』の若干例の使用状況を頭におくと、「

」母音の異種を組合せた少数例 は、2~4 音で構成された言葉全体の 5~10%の割合で混在するのが、倭語の標準的様相と いえるかもしれない。

郡名と埼地名では、中国地方が全国の平均値よりも少数音型の使用比率が高く、なんら かの特徴をもつようにもみえるが、嶋地名には逆の様相が現われる。この地方に面白い現 象があるのではないかと期待した予想は見事に外れ、少数音型も単に全国的な分布を採る、

と考えた方がよさそうである。この程度の集計では、関係を見いだすこと自体が無理なの であろう。

少数音型が全国的な分布をとるとなれば、『倭語の韻律』に基づいて命名された一般地名 の分布状況を調べるのが素直な発想である。そこで「埼、嶋」地名のベスト30にランクさ れた地名の個別の分布をあげよう。

表5-4-3 埼地名のベスト30 地方別分布

音 型 地 名 東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 合 計 aai 田 崎 1 4 1 7 13 aai 矢 崎 3 4 7 1 1 16 aaai 赤 崎 2 1 4 6 8 2 14 37 aaai 川 崎 21 27 13 4 8 8 8 89 aaai 高 崎 5 7 3 3 5 23 aaai 中 崎 8 1 1 2 8 20 aaai 長 崎 12 5 13 1 8 13 18 70 aaai 山 崎 65 31 36 19 23 9 28 211 aaiai 林 崎 16 2 1 2 2 2 1 26 aiaai 柏 崎 7 10 1 1 1 1 1 22 auai 神 崎 1 4 2 5 5 3 9 29 auai 松 崎 10 10 9 2 12 6 12 61 auaai 松ヶ崎 4 4 4 1 1 14 iai 木 崎 3 10 4 1 1 7 26 iai 三 崎 2 3 2 2 2 1 12 iaai 岩 崎 21 19 15 6 7 4 18 90 iaai 柴 崎 4 8 1 1 1 15 iaai 芝 崎 6 1 2 1 3 13 iaai 宮 崎 9 11 10 1 6 1 13 51 iiai 石 崎 7 3 2 1 2 15 uai 須 崎 3 1 3 1 1 2 7 18 uai 洲 崎 3 5 2 2 1 13 uoai 黒 崎 6 2 5 3 3 2 10 31 eaai 寺 崎 4 5 1 1 5 16 oai 尾 崎 4 11 14 13 11 10 24 87 oai 小 崎 2 1 11 14 oai 戸 崎 5 11 4 2 5 27 oai 野 崎 13 1 8 2 3 2 9 38 oaai 岡 崎 6 3 3 8 1 3 4 28 ooai 大 崎 7 14 14 4 8 4 17 68 小 計 257 224 190 85 124 80 257 1217 埼地名全数 484 422 359 180 261 143 512 2361 百分率(%) 53.1 53.1 52.9 47.2 47.5 55.9 50.2 51.6

表5-4-4 嶋地名のベスト30 地方別分布

音 型 地 名 東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 合 計 ia 13 16 49 19 9 4 13 123 aia 鹿 島 13 12 13 1 3 3 5 50 aia 田 島 2 25 21 3 9 60 aia 矢 島 1 8 4 1 14 aia 八 島 1 1 4 2 3 2 13 aaia 川 島 1 12 9 4 1 3 6 36 aaia 高 島 1 8 9 3 5 1 10 37 aaia 中 島 69 56 91 28 25 14 31 314 aaia 長 島 3 7 13 3 1 3 30 aaiia 柳 島 4 10 2 1 17 aaoia 5 4 3 3 3 18 aiia 上 島 1 7 1 1 1 11 auia 松 島 6 3 10 2 2 1 4 28 aeia 竹 島 1 3 1 2 3 2 12 aeia 前 島 5 3 2 2 1 1 14 aoia 青 島 1 10 1 1 13 iia 三 島 10 9 8 5 2 11 4 49 iaia 北 島 1 14 6 4 3 2 30 iaia 平 島 1 3 1 2 6 13 iaia 宮 島 1 7 1 3 2 5 19 iiia 飯 島 4 16 8 28 iiia 西 島 3 11 4 1 2 21 ieia 出 島 1 3 1 6 2 1 1 15 ioia 下 島 1 2 7 2 1 1 14 uauia 向 島 2 12 4 2 1 5 26 uiia 牛 島 3 2 4 1 2 2 14 uuia 福 島 20 11 29 5 5 2 16 88 eaia 寺 島 1 1 13 4 19 oia 小 島 10 14 25 8 7 8 22 94 ooia 大 島 9 25 48 10 9 6 24 131 小 計 176 254 453 122 99 73 185 1362 嶋地名全数 277 442 946 210 210 154 409 2648 百分率(%) 63.5 57.5 47.9 58.1 47.1 47.4 45.2 51.4

こういうところに、地名本来の用途である「場所を表わす」要素が威力を発揮するのは ありがたい。「田崎、矢崎、石崎、小崎」「矢島、青島、飯島、寺島」などが偏った分布を とるのは地名特有の現象だが、ここでは個々の地名が偏在する原因を考えるより、全体の 傾向に御注目いただきたい。数が少ない「埼、嶋」地名が個性的な分布をとるのに対して、

数の多い「山崎、川崎、岩崎、尾崎」「中島、小島、大島」などは、多少のバラツキがあっ ても、おおむね全国均質の分布をとっている。

両者のベスト30にランクされた地名群の地方別小計が、埼地名では全国的に均等な分布

(地方毎の百分率に対する標準偏差:3.0)をみせ、嶋地名では、中部地方をのぞいて東高西低の 傾向(標準偏差:6.6)をとり、やや片寄った様相をみせている。ベスト30の地名が全体の傾 向を表わすことは前節で検討したので、音型の違う地名群も全国的には均質の分布をとる 様子がわかる。この現象も、私たちに重要な史実を語りかけている。

『倭語の韻律』に基づいてつけた地名が全国均一に分布する現象は、この法則が全国へ 広まった後に、現存地名がつけられた様子を暗示している。つまり「埼、嶋」地名を命名 した時代には、全国で同じ言葉を使っていたと考えられるのである。

そこで、前章にあげた興味ぶかいデータを再掲しよう。

埼、嶋地名の音数

東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 平均音数 標準偏差 埼地名 2.17 2.03 1.96 1.91 1.93 1.99 1.93 2.00 0.08 嶋地名 1.87 1.95 2.06 1.80 1.93 1.90 1.98 1.97 0.08

「埼、嶋」地名は、これまで扱った地名群の音数集計データの中で、標準偏差(統計数値 の分散度を表わす指標)が最も小さい値の地名群である。この表に現われた数値も、東北地方 以外は地方ごとの特徴もなく、全国で音数が統一されていた様子をうかがえる。

つまり「埼、嶋」地名には、『倭語の韻律』の遵守と共に、崎・島の前に2音節の言葉を おく不文律を定めていたわけで、これほど厳格な規則を全国一律に履行した時期は、ある 時代をおいて、ほかに考えにくいのである。

「毛、總ふさ、越こし、吉備 、筑紫つ く し、豊とよ、肥」などの国々を分割した際に、「下毛野国:Simotukenu.

筑前国:Tukusinomitinokuti」のような長大な名を造り、掛け言葉をふくむ『倭語の韻律』

など、意識の中に全くなかった『好字二字化令』公布の史実をみても、「埼、嶋」地名の命 名を飛鳥~奈良時代におくのは難しい。奈良時代初頭に編纂された『風土記』の地名解説 に『倭語の韻律』を連想させる記述はなく、『古事記』『日本書紀』も同様である。さらに

『万葉集』巻14 東歌にのる中部地方以東の言葉が、畿内のそれとは様相を異にしていた史 実も確認されている。なお、下毛野国は6世紀前半(古墳時代中期)に分割されteiた可能性 があり、筑紫国を筑前・筑後国に二分した時期は、持統紀にのる…筑紫国 上かむつ陽咩 郡(690年 9月23日)、筑後国上陽咩郡(690年10月22日)…の記述から、690年秋と推定できる。

飛鳥時代以前の古墳~弥生時代は、全国に均質な文化が存在したと考えるより、地方毎 に個性を発揮した時代と捉えるのが常道である。ここでは現代と同様に、和製文化を考え るより、外来文明の影響がどの程度あったかの検証が大切にみえる。

このような消去法によると、やはり「埼、嶋」地名群の命名年代は「縄文時代」、または

「先土器時代」の可能性が強く浮かびあがる。

縄文文化の根底を流れる、厳格な「不文律」の存在は特に注目すべきである。常に自然 のなかに身をおいて融和するには、生命の基本ともいえる、規律正しい集団生活が不可欠 だった。一万年という長大な年月の間、基本的な生活様式を変えなかった史実は、現代の 感覚では、ややもすれば文化の停滞と捉えがちである。しかし一面では、文化の爛熟期と みることも可能で、この時代に、いまの私たちには考えられないほど高度な言語活動が行 なわれていても、なんら不思議はないような気がする。

変革期間の短さでは世界に類をみない、狩猟採集から金属器をつかう農耕文化へのあざ やかな転身は、縄文時代に蓄積されたポテンシャルがなければ成しえない現象であった。

明治維新を成立させた背景には、世界の趨勢を正確に把握していた江戸時代後期の文化が あり、戦後の復興、高度成長の時代にも同種の現象が認められることは、歴史の定説にな っている。「文化の爛熟」という面で、縄文時代は江戸時代に共通点をもつと考えるのは、

うがちすぎた見方であろうか。

奈良時代に始まる文献に、『倭語の韻律』を連想させる記述がないことに関していえば、

これも明治維新、第二次世界大戦後に、諸外国の影響をうけて言語活動が変容したように、

渡来人が大量移入した古墳時代中期以降にも同じ現象を想定すると理解しやすい。狩猟採 集の先土器~縄文時代に使われていた「倭語」に、中国・朝鮮からきた渡来人が併用して いた外国語(漢語)が融合して「日本語」に発展したとき、倭語の基本法則と造語法が忘れ 去られた可能性があったのである。

弥生時代以後に誕生する国々…弥生時代の国域は律令時代の郡の領域と同程度…を統括し たのは、主に渡来系の人々であった。代表例に、奈良盆地東端に位置した大和国磯城 郡を

中心に、古墳時代に活躍した纏まきむく(通称。大王おほきみの系譜。朝鮮半島西南部の伽耶・百済系渡来人。

推定起源地:奈良県桜井市東田・太田。纏向小学校、纏向遺跡所在地:弥生時代後期~古墳時代前期の遺跡)

があがる。『記・紀』が纏向氏の動向…天皇の称号は7世紀末に天武天皇が定めた…を主体に 構成したように、渡来系の大王、地方豪族の活動が、古墳~飛鳥時代の政治行政に大きく 影響した。さらに人類学の見地から立証された、弥生時代後期以降の一般庶民の人口構成 が、縄文系の人より渡来系の血をひく人々が凌駕していた史実も、「倭語の造語法」と共に、

『倭語の韻律』が次第に忘れ去られる原因になったようである。

この辺は、縄文時代の地名と、弥生時代につけた「鼻、越」地名群に、言語が進化した 様子と『倭語の韻律』の履行に、はっきりした差異が残されているので、具体例をあげて 検証しよう。

ドキュメント内 日本語のリズム (ページ 99-107)