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日本社会における教育不平等の実相

ドキュメント内 容のメカニズムに関する計量分析 (ページ 151-155)

8.2.1 社会的出自の効果の学校段階による差異

本研究は、戦後日本における教育機会の変動過程について、見取り図をつくることを目 的としていた。そこで、この節では先行研究の理論と各章の分析結果を接合することで、

総体的にどのような姿が見えてくるのかを考察していく。

ヨーロッパの教育システムを比較分析したM ¨uller & Karle (1993)は、学校段階ごとの

8.2 日本社会における教育不平等の実相 141 生徒の移行率のパターンによって、各国の機会の不平等の大きさを説明できるという。す なわち、選抜開始年齢が早く、早期の移行段階で多くの生徒が学校を去る社会では、不平 等の度合いが強い(Shavit et al. 2007)。M ¨uller & Karleの分析は、移行の早期で出身家 庭の効果が強くあらわれるという、教育不平等の標準的なメカニズム(Mare 1981; Shavit

& Blossfeld eds. 1993)がもつ示唆を、国際比較の文脈で掬い上げた好例である。

このような論理を国内の不平等のトレンドに拡張すれば、早期の学校段階において機会 の平等化がすすむことで、教育達成の全体についても出身背景の効果が低下するという 仮説を立てることができる(Shavit et al. 2007)。本研究の資料は、この仮説を支持してい る。第4章で示したように農業と下層マニュアル(半・非熟練)は中等教育の移行と高等 教育の達成では、上層階級(サーヴィス)との不平等が縮小していた。ところが、高等教育 の移行機会を単独で取りだすと、必ずしも明確なトレンドは存在しない。これらの結果か ら、初期の移行における強い不平等が和らぐことで、高等教育の到達機会に平等化の効果 が波及したと推察される。

教育機会の不平等にかんして、日本社会の基本的な動向は、上述のプロセスに沿うかた ちで変移したと結論する。

中等教育の内部格差を区別しても、このような結論が大きく変わらないというのが、本 研究の発見の1つである。高校の「トラッキング」の機能をめぐり国内外で多様な意見が 提示されているが(Gamoran & Mare 1989;中澤2008)、少なくとも教育機会との関係に ついては、「トラック」が機会の不平等の維持や拡大に寄与したという確実な証拠は見つ からない(第4章、第7章)。確かに上層階級の生徒のほうが進学に有利な「トラック」に すすみやすい傾向をもつ。しかし、そのような出身家庭と進路分化との対応が時間ととも に増加し、機会の平等化を阻害する働きをしたとはいえないのだ。

ただし、そうした分析結果は日本の学校制度のあり方をふまえて解釈する必要がある。

日本では上層階級と(高校の)普通科との結びつきが強いとはいえ、その理由は学校が上 層階級のメンバーに加わるのに必要な知識や教養を提供しているからではない。上層階級 の(大学)進学アスピレーションを実現するためには、普通科にすすむことがもっとも合 理的な判断だからである(藤原 2012)。加えて、日本の高校入試は単純な筆記試験による ものが大半を占め、中等教育における階級的なバイアスは弱い。学校の規模 (定員)の大 きさも、中等教育の大衆化から上層階級の特権を守るための塹壕として、普通科が機能し なかった理由の1つに挙げることができる。

ヨーロッパでもオランダのように学校のカリキュラムと階級文化との距離が大きな社会

では(Buis 2013)、「トラック」の拡大や費用負担の低下の結果、進学用のコースに入学す

る下層階級の生徒が増えたことが報告されている(Tieben et al. 2010; Tieben & Wolbers

2010; Tieben 2011)。出身階級に応じて生徒が中等教育の複数の経路にわかれていく現象

は、多くの社会に共通して見られる。そうした現象に着目する際にも、いかなる社会的文 脈がそれらの経路の役割を規定しているのかをよく考えることが重要である。

8.2.2 社会的出自の第 1 次効果と第 2 次効果

中等教育の平等化と教育機会の大局的な動向との関係については、M ¨uller & Karle

(1993) の主張と対抗的な見方もある。それが、異質性の変化に着目した Mare (1980,

1981)の議論である(Blossfeld & Shavit 1993)。

本研究のデータに、異質性の変化から引きだされるインプリケーション——差別的選抜 仮説——を支持する数字はあらわれていない。中等教育の機会が改善した農業や半・非熟 練とサーヴィスとの不平等が、高等教育の段階で広がったようには見えないからだ(第4 章、第5章)。この結果は、日本の場合、移行の前進と機会の不平等の減少との関係を生 じさせるプロセスとして、学力や意欲の分布の変化よりも、家族の介入の低下のほうが重 要であること、要するに後期の移行では社会的出自の第2次効果が弱まることを示唆して いる。

出身階級は学業成績の分布を規定し、教育の結果に間接的に影響力を及ぼす。この第1 次効果——文化的遺産のメカニズム(Boudon 1973=1983)——は学力の形成過程として は重要だが、子どもが成長するあいだに、その成績表が生まれに見合うように何度も書き 替えられるとは想定しにくい。だから、学校教育の各々の分岐点における出身階級の働き は、学業成績を中継した媒介的な効果ではなく、より安定的な決定過程(第2次効果)に重 心を移していくというのが、機会の不平等にかんするBoudonの議論の骨子である。

Boudon (1973=1983)の指摘は、本研究の分析結果とただちに矛盾するわけではない。

けれども移行の前進とともに第 2次効果も低下すると仮定したほうが、データが示す傾 向との一貫性は高い。Mare (1980, 1981)の定式化にしたがえば、移行初期の平等化は移 行後期の不平等の拡大を必ずともなう。そうした傾向が顕在化しない場合、不平等の拡大 を抑える反成層化の機能を、教育システムが備えていると見るべきである (Arum et al.

8.2 日本社会における教育不平等の実相 143

2007)。日本の学校教育は、移行の後期で第2次効果が作動しにくい環境を整えることで、

(異質性の増大がもたらす)第1次効果の上昇を中和してきたと見なせるのかもしれない。

中等教育(移行初期)の平等化を牽引したのが第1次効果と第2次効果のどちらの変化 なのかはわからない。だが、出身階級と子どもの学力や成績との関係の強さは、時代や社 会の差異をこえて似たようなものだという意見がある(Erikson & Jonsson 1996a)。本当 にそうだとすれば、教育機会の動向を説明するためには、第2次効果の働きを中心に議論 をすすめていくのが賢明といえよう。

第2 次効果の変化にかんしては、第 6 章の分析から傍証がえられている。学歴取得 の「便益」と「成功確率」のパラメータを操作化した親学歴の段階的(非線型) 効果は、

1959-68年以降の出生コーホートでのみ認められた。親子の学校教育経験が共通化した世

代では、学歴の同型的再生産の傾向が顕著である。学歴経験が世代間で同質的ならば、学 歴下降回避(吉川2006)を目標にした教育計画を組み立てやすい。さらに、学校教育につ いて親がもつ知識・情報は自らの経験に裏打ちされているので、(成功の見通しを上げる ための)資源的な価値は高い(Erikson & Jonsson 1996a)。

親学歴の効果のうち、一部の機能は教育環境においていくつかの条件がそろうことで、

はじめてその影響力が実質化する。第6章では、そういう環境条件の変化が、家族間の教 育機会の不平等を強めたことを突きとめた。ただし、そうした条件が用意されたときの親 学歴の非線型効果の強さは移行の初期と後期とで変わらない。

親学歴が生みだす不平等のこの側面を第2次効果の発現過程と読むことが可能だとすれ ば、この解釈は後期の移行で社会的出自の第2次効果が逓減する可能性を指摘した前述の 議論と論理的に相容れない。しかし、そこには出身階級と親学歴という説明概念の異同が ある。どちらも家庭背景の標準的な操作的定義であること、そして学年の上昇と社会的不 平等の低下との関係が一般性の高い議論であることを理由として、このような本質的な相 違についてはこれまでほとんど目が向けられていない。出身階級と親学歴が教育達成の過 程でもつ意味のちがいを強調し、両者の差異をデータで示してきた本研究の理論的な成果 の1つが、ここにあると考えている。

教育機会の変化のすべてが第2次効果の強弱に由来していると見るのも、理解の仕方と しては一面的である。第1次効果、第2次効果という区分も、相対的なものでしかないと いう考え方もできる。実際のデータの動きは第1次効果と第 2次効果のいずれの変化を より強くとらえたものなのか、それらの効果の変化は、どのような表出的なプロセスを随

伴しつつ教育機会の構造を変えていくのか。そうした問いに合わせてデータと理論を積み 上げていくことで、教育不平等の動静は少しずつ明らかになっていくはずだ。

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