第 2 章 日本の役員報酬の問題点とコーポレート・ガバナンス
2.1. 日本における役員報酬に関する先行研究
2.1.1. 日本企業におけるコーポレート・ガバナンス
わが国でも、グローバル資本主義の時代において、いかなるガバナンスを推し進めていけ ばよいのかという議論は、2000年前後から積極的に行われてきた。伊丹(2000)は、株主 利得を強く要求されるような時代にこそ、従業員主権のコーポレート・ガバナンスが必要で あると主張している。逃げ足の早い株主が世界を駆け巡り、株式投資が投機的な色彩を強め る今日のような金融環境においては、株主に主権を与えるよりも社会全体を考えて従業員 自らが企業の統治プロセスに関与し、企業が社会的貢献を成し遂げられるような行動を取 りつつ、株主にリターンを提供できるようなシステムの構築が必要であると説く。人、モノ、
カネ、情報という経営資源が、それぞれ異なるスピードで動く時代においては、道徳的な基 準を遵守するためにも、公共の利益を自己の利益よりも優先する安定した人間関係の構築 が必要である。アメリカのように経営者と従業員との報酬格差があまりにも大きすぎるこ とは、日本では問題となるかもしれない。
大村・増子(2003)では、欧米をはじめとした海外の先進国が効率的な企業経営を追求し ているにもかかわらず、我が国企業が規模の経済を前提とした投資スタイルや日本的な経 営制度に執着し、規律を失ってしまった原因の一つとして、コーポレート・ガバナンスが機 能していなかった点を挙げている。また、アメリカにおける効率的な企業経営は1990年代 半ばから2000年代後半における10年以上の好景気の時期に形成されたとしている。
さらに、大村・増子によると、我が国でコーポレート・ガバナンスがバブル崩壊まで機能 しなかった原因を、①1980年代における我が国企業のパフォーマンスが良好であったこと で、経営の効率化に関する関心が根付かなかったこと、②我が国特有のメインバンクシステ ムの存在、③株式持ち合いを挙げている。これら3つの要因が存在したことで、ステークホ ルダーがとるべき行動が制限されてしまい、コーポレート・ガバナンスを議論する土壌が育 まれなかったとしている。
事実としての日本企業の世界的地位の低下傾向も、コーポレート・ガバナンスのあり方を 問題として浮かび上がらせる要因となった。2010年2月26日のCiti groupのレポートに
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よると、日本株の金融危機後の株式のリターンが世界的水準からみてアンダー・パフォーム しており時価総額が相対的に小さいのは、規制緩和が遅れていることや日本のコーポレー ト・ガバナンスに問題があるからとしている。日本の企業では、巨額の赤字を計上しても経 営者がその責任を取って退任しないケースが多くみられ、コーポレート・ガバナンスの機能 不全が海外投資家の日本株投資を消極的なものにしていると報告している。このような状 況において、日本企業の時価総額は世界的にみても低迷しており、製造業の時価総額ランキ ングにおいて、100位以内にランキングされている日本企業は僅か7社と、アメリカ企業の 41社、イギリス企業の12社と比べても少ない点を指摘している。表2-1は2010年3月末 時点の日本企業の時価総額ランキングである。この中で、世界で 100 位以内に入るのは、
トヨタ自動車とホンダのみで、キャノンは109位、パナソニックは198位となっている37。
表2-2はリーマンショック後の世界の時価総額ランキングである。トップの10社をみる と、アメリカ企業が4社、中国企業が4社ランクインしているが、日本企業はトップ10に 1社もランクインしていない。日本企業で時価総額1位のトヨタは世界で30位である。
表2-3は、2016年末の世界の時価総額ランキングである。トップ15をみると、アメリカ 企業が殆どで、中国企業が1社のみ13位にランクインしているだけである。
37 Citi group (2010) ‘Corporate Securities Strategy’, Global Market Japan Inc. Feb. 26, p6.
表2-1 日本企業の時価総額ランキング
1 トヨタ自動車 12兆9,817億円 2 三菱UFJ銀行 6兆9,517億円
3 NTT 6兆2,413億円
4 NTTドコモ 6兆2,356億円
5 ホンダ 6兆733億円
6 キャノン 5兆8,219億円
7 任天堂 4兆4,767億円
8 三井住友FG 4兆3,836億円
9 三菱商事 4兆1,717億円
10 日産自動車 3兆6,737億円
11 ソニー 3兆5,966億円
12 パナソニック 3兆5,520億円
13 JT 3兆4,500億円
14 東京電力 3兆3,741億円
15 武田薬品工業 3兆2,653億円
出所:日本経済新聞、マネーベーシック(2010年3月末現在)
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2016年において、アメリカの株式市場が活況であったこともあり、アメリカの企業が圧 倒的シェアを占めている。また、ランキングの上位にはIT企業が名を連ねていることも特 徴として見出すことが出来る。我が国で時価総額がトップであるトヨタ自動車は、世界で30 位と2009年のランキングと同じであった。
表2-4は、2008年、2009年の日本企業の最終損失の金額が大きかった企業10社の順位 である。Citi Group のレポートでは、これらの企業の経営者は業績が悪化しているという 理由で退陣することはなく、依然として、株式持合いを維持し、世界的にも規模が小さいと 指摘する。
表2-2 世界の時価総額ランキング
2009年 企業名 国 億ドル
1 ペトロチャイナ 中国 3,978
2 エクソンモービル 米国 3,434
3 中国工商銀行 中国 2,592
4 チャイナモバイル 中国 2,102
5 マイクロソフト 米国 2,092
6 ウォルマート・ストアーズ 米国 1,951
7 中国建設銀行 中国 1,898
8 HSBC 英国 1,727
9 ジョンソン・アンド・ジョンソン 米国 1,689
10 ペトロブラス ブラジル 1,659
(出所)日本経済新聞、2009年7月末現在
表2-3 世界の時価総額ランキング
2016年 企業名 国 億ドル
1 アップル 米国 6,176
2 アルファベット(グーグル) 米国 5,386
3 マイクロソフト 米国 4,832
4 バークシャー・ハサウェイ 米国 4,016 5 エクソン・モービル 米国 3,743 6 アマゾン・ドット・コム 米国 3,563
7 フェイスブック 米国 3,324
8 ジョンソン・アンド・ジョンソン 米国 3,134 9 JPモルガン・チェース 米国 3,088
10 GE 米国 2,795
11 ウェルス・ファーゴ 米国 2,768 12 AT&T 米国 2,612 13 テンセント・ホールディングス 中国 2,319 14 ロイヤル・タッチ・シェル 米国 2,315 15 P&G 米国 2,250
30 トヨタ自動車 日本 1,924
(出所)ファイナンシャルスター
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2.1.2. 日本企業のパフォーマンスと役員報酬に関する先行研究
時価総額でみた日本企業の相対的な地位低下の背景には、日本企業のコーポレート・ガバ ナンスのあり方に問題があると推測される。経営者の株主からの自立性を高める株式持ち 合い制度は、株式時価総額を低位にとどめることで、企業の資金調達力を毀損し、研究開発 投資で後れをとらせる要因となり、経営者の報酬が業績と連動せず決定されることで経営 者の業績への責任が曖昧になってしまうからである。そのため、日本においても経営者の報 酬を業績連動型にして、業績を悪化させた経営者を退陣させるようなシステムを構築し、コ ーポレート・ガバナンスの強化を図る必要性が高まるものと予想される。では、我が国にお ける経営者報酬と業績の関係の実態はどうであったのだろうか。
我が国において、コーポレート・ガバナンスの研究の中で、経営者報酬(或いは役報員報 酬)についての議論が高まったのが2000年以降である。当時において、研究者自らが様々 な報酬データベースを加工して、役員報酬と会計数値との連動性を分析するという研究が 試みられるようになる。当時の我が国における役員報酬の研究は、経営者と株主との間にお いて、エージェンシー問題が存在する時、企業が業績を向上させる唯一の手段としては、イ ンセンティブ報酬が有効であるというHolmstrom(1979, 1982)の研究を前提としている。
Holmstromらの研究をベースに、我が国企業の業績と経営者報酬との間に正の相関があ
るか否かを分析によって明らかとするというものであった。胥鵬(1993)は、1970年代か ら1990年代までの経営者報酬のデータを用いて、報酬と企業業績との間に正の相関がある としている。
胥鵬(1993)では、役員賞与と企業のパフォーマンスとの関連が分析されている。そこで
表2-4 日本企業の最終損失上位10社 (億円)
2008年度 2009年度
1 日立製作所 -7872 1 アイフル -2951
2 野村ホールディングス -7082 2 ヤマハ発動機 -2161
3 みずほFG -5888 3 日立製作所 -1070
4 トヨタ自動車 -4369 4 パナソニック -1035
5 パナソニック -3790 5 SUMCO -1005
6 三井住友FG -3735 6 川崎汽船 -687
7 東芝 -3436 7 三菱マテリアル -666
8 NEC -2966 8 日新製鋼 -617
9 武富士 -2561 9 パイオニア -583
10 日産自動車 -2337 10 ソニー -408
出所:会社四季報、Citigroup
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は役員賞与と企業の規模との関連性が指摘されており、役員賞与については利益に依存し ている点が指摘されている。また、胥鵬(2003)は、わが国企業が市場型コーポレート・ガ バナンスへ移行するに当たり、業績連動報酬の導入はコーポレート・ガバナンス改革の第一 歩になると主張している。
星野(1999)は、1997年と1998年の東証一部上場企業の製造業935社において、役員 一人当たりの報酬がROE(自己資本純利益率)の増加に連動している点を実証している。
この他、我が国企業において、経営者の報酬と企業業績との間に有意な正の相関がみられる ことは、乙政(2004)などによっても指摘されている。
乙政(2010)は、会計利益と経営者報酬の水準に注目し、企業の営業利益と営業利益より 下の区分に表示される損益項目が経営者報酬といかに連動するかを調査し、実証分析の結 果、営業利益が経営者報酬に正に関係していることを示している。加えて、営業外損益や特 別損益についても経営者報酬の水準に強い影響力を与えている点を指摘している。
これらの研究に加えて、経営者(役員)報酬を扱った代表的な日本人による研究としては、
久保(2010)がある。そこでは、日本の役員報酬の分析は、高額納税者のリストからデータ を抽出し、実証分析が行われ、株価と経営者報酬と間に有意の相関を見いだしている。ただ し、その相関はアメリカと比較した場合低く、株価(企業価値)上昇へのインセンティブと しての機能には疑問を呈している。この研究は、日本の大企業の経営者が、株価を上昇させ るインセンティブをどの程度持っているのかを定量的に把握した重要な研究であるが、用 いられた高額納税者の公表が行われなくなってしまったことで、この方法によって得られ たデータを用いた更なる実証分析の道は閉ざされてしまっている。
以上のように、これまでの日本の企業業績、株価、と経営者(役員)報酬の関係を分析した 先行研究では、その相関は否定されていない。では、そこにはコーポレート・ガバナンス上 の問題はないのであろうか。
日米の経営者のあり方を比較した場合、必ずしもアメリカ型に優位性がある訳ではない という見方もある。アメリカの経営者が業績悪化の責任を取って退陣するリスクを最小限 にするために、株価重視の短期的な経営を行い、長期的な経営戦略を練ることを怠ったこと が企業の業績悪化を招くケースや過剰な経営者報酬が批判を招き、経営者報酬の見直しや 金融規制の強化が行われている。他方で、日本企業は、短期的な業績の悪化を理由に経営者 を退陣させるという方法を取るよりも、長期的な視野に立った経営を行う必要がある。その ためには、企業価値の向上も重要だが、ブランド価値や信用を高めて、安定株主を増やして