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第三章  Mathematics for Allの思想に

第一節  文化的アプローチとしての動詞型カリキュラムの提案

4‑1‑1文化的アプローチの持つ問題点の検証

これまでのカリキュラム・アプローチが余り省みなかった子どもの文化的環境を取り込 んだ点で、文化的アプローチは一歩前進した.特に本研究で取り上げる開発途上国の数学 教育が置かれている文化的対立の状況を考えたときに、文化的アプローチの持っ意味は大 きいだろう。

ところが民族数学研究が進むに連れて、その批判的検証を試みる研究もなされつつある。

つまり数学では思考の系統性や構造を重んじるが,民族数学においてそれが犠牲にされて しまっては、存在意義が危うくなるだろうなどと。民族数学は当初西洋数学との対比で、

現在の数学教育の持っ問題点を指摘し、乗り越えようとしてきた。したがって、現行の数 学教育、民族数学による数学教育、また民族数学の持っ問題点を指摘している批判的数学 教育を相互参照的に検討し、この民族数学の持っ潜在力を生かすカリキュラム・アプロー チを考察することが本章での目的である。

① 批判的数学教育(Keitel(1997)とSkovsmose(1997))からの考察:学校数学と民族数学 の違い

民族数学はICME第四回大会で産声を上げたのだが,それを取り上げたのは開発途上国 出身のD'Ambrosioであり、その視野には、数学に文化的視座から接近しようとしていた研 究者たちの課題意識が収められていたと思われる。だからこそ、その後の多産な研究(例:

Ascher;1991, Gerdes;1988,1990)が可能だったのであり、その実像が浮かび上がっていくにつ れて、次のような基本的な問題提起もなされたのだと考えられる。

《民族数学的活動は、実践全体の中に̀埋め込まれて'いるので,その置かれている 状況を越えて思考する際の道具とはならず、当該の実践を批判的に考察する基礎とし

ては機能しない。一方、その実践の場における数学的な側面を検証するということは、

密接に結びついた他の側面から、数学的な要素だけを取り出して、眺めることを要求 している。つまり,数学的活動と実践との融合関係が、民族数学と一般的な思考の育 成を目指す学校数学との差異を際だたせているo》 (Keitel, 1997, p.19)

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つまり,ここで言う民族数学的活動は生活実践と不可分な関係にあるため、そこでは数 学的活動の意味や方法を取りたてて考察する必要は無い。ところが学校数学では,実践を 意識化し反省するところから教育的な営為が始まる。そのため民族数学を学校数学‑応用 する上での課題は、次のようにまとめられる。

「民族数学は自分自身の言葉で自分を記述することができない」

「民族数学の実践者は、民族数学を意識しているわけではない」

「民族数学と学校数学は,本来その目的を異にする」

この3つの問題点を分析することで、従来一方的に西洋数学を批判する立場にあった民

族数学に、自己言及的な方向性と構造的な強度をもたらすことを目的とする。そのための 方法論として, Keitelの寄って立っ批判的数学教育を取り上げる。その視座から教育的含 意に富んだ民族数学を再構築できると考えるからである。

その前に批判的数学教育について少し説明を加えたい Keitelはその批判的数学教育 (1997)の中で、 Skovsmoseを様々な角度から引用しているo研究歴を見ても、 Keitelの思想

的背景をなしていると考えられるので,ここではむしろSkovsmoseに焦点を当てながら批 判的数学教育を考察する。

批判的教育は、ハーバーマスに代表されるフランクフルト学派の批判理論の流れをくむ 教育理論であり,批判的市民精神の形成を目指す教育実践を展開している。実際北ヨーロ

ッパやドイツでは,広汎に教育現場でその制度化が進められている。しかしその実践にお いて、数学は除外される傾向が強かった Skovsmose(1985)は,数学教育に批判的教育理論 を採り入れることの重要性を次のように指摘している。

《もし、数学教育が生徒を技術社会に順応させるだけで、批判的な態度の芽を摘み取 ってしまうのならば、数学教育に批判的精神を導くことは不可欠な仕事になる。》

(p.338)

本研究では「批判」について直接論じるのではなく、

「批判」を構成する基本的要素を検討しながら,批判 的数学教育の目標を明らかにしておきたい。批判的教 育では次の3点の形成が重視される。批判的数学教育 でも同様だが、問題はむしろこれらの能力、感覚、意 識を数学科でどのように形あるものに発展させ,啓培 するかということである。

( 1)批判的能力critical competence (2)批判的距離感覚critical血stance (3)社会的参加意識critical engagement

図4‑1三者の関係

上記の3点は批判的精神を構成する支柱と言ってよい(1)は主体を確立する場を指し、

(2)は主客を臨む姿勢を指し, (3)は社会実践を展望する視座を指すものと考えられる。図 示すれば、下のような意識の広がりや、思考の具体化が、批判的教育の授業過程に収めら れていると言えよう。

民族数学はその出自より、西洋数学にたいして当然批判的立場をとるが、冒頭に挙げた Keitel(1997)による問題提起のうち最初の2つは、民族数学に自己言及的であることを求め ている。これに対しGerd¢sは,民族数学の創造者が対象と向き合う姿勢を教育の中に持ち 込むことで、応えようとしている。

《民族数学を実践している人は̀数学'をしているわけではないが、民族数学の創造 者(逮)は̀数学'をしていた。そして教育の中で、子どもたちはこの創造者のよう に̀数学'を創造するよう励まされる。》 (Gerdes, 1988,pp.140‑141)

つまり民族数学の実践者は,文化の一部としての自らの活動を数学的に意識して行なって いるわけではない。しかし,民族数学が教育活動にかかわるためには、単にこの実践者と

しての立場ではなく、実践を対象化してみる創造者の立場からの視点が必要となってくる。

例えばGerdesが挙げたアンゴラのTchokweによる砂絵sonaには、停滞することなく完 全な絵を描くための方法‑あらかじめ砂の上に長方形の形に並んだ一群の点を打っ‑が存 在する。それによって, ̀絵を描く'ことが、何行何列かの̀点を打っ'こととその̀点を 回るアルゴリズム'に転換される。このような方法は、多数の̀絵を描く'だけで生まれ るものではなく、その過程を意識して考察する必要がある。ここに教育が介在する意義が 出てくる。よって民族数学が自身を批判的に検証することは、 ̀民族数学が教育に関わるこ

と'に密接に関係しており, Keitelの提示した最後の問題に対する解答もその中に包摂さ れている、と考える。

次に、批判的数学教育の3つの基本的要素を用いて、上述のGerdes(1988)の立場を検証 するoそこでは、子どもの批判的能力(criticalcompetence)を認めて、創造者の立場から数 学をするように、励ますというものである。ここでは民族数学と距離を保って見る(critical distance)ことが暗黙の内に求められているo その結果、自分たちの現在を乗り越えて行く ことを示している。そこには当然教育の問題設定の仕方が関わっており,子どもが民族数 学をきっかけとして社会的活動に参加し、批判的にその意味を検討していくという、社会 的参加意識(critical engagement)があるo

つまり、この事例は,すでに批判的数学教育の観点を部分的にせよ内包している。そこ では、数学的活動を反省的に考察する方向性が見られ、又3つの基本的要素は無意識に仮 定されている。しかし、民族数学研究が一貫性を持って授業過程に応用されるには、ここ で論じてきた批判的数学教育の観点を意識的、統合的に採り入れ「実践を対象化」し、そ

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の研究の構造的堅牢さを増す必要がある。

② Vithal、 Skovsmose(1997)からの考察:民族数学の持っ政治性

次に南アフリカの研究者vithalとSkovsmoseの共著を取り上げたい。本研究では民族数 学を次のように認識している。

《「民族数学」は、ある実践並びにその実践の研究を指している。本研究において、我々 は「民族数学」をこの両方の意味で用いる.しかし、この言葉が一定の教育的な概念や 研究の視座を含んでいると、我々は基本的に考えている。》 (Ⅵ血al&Skovsmose,1997,

p.133)

そこでは実践と,それに対する研究とが同じ言葉で語られて、さらにそこに教育的な要 素も加わっている。特に民族数学が開発途上国の中から出てきた概念であるがゆえに、最 後にある教育的な要素は重要である。

《これはまだ,他の流れに比べて十分に研究されていない分野である。おそらくこの 分野でこそ,民族数学は最大の問題一学校数学カリキュラム一にぶっかるだろう。》

(p.135)

しかし現時点では、教育‑の応用が余りなされていない点を指摘している。この点では、

①とも関連するが、教育的な側面を考えていくことが、民族数学を構造的に強めていくこ とになる。

さらに,民族数学の中の「民族」という言葉がもつ政治性について議論している。南ア フリカではその歴史において、民族文化がアパルトヘイトを存続させるためのレトリック として使用されてきた事実がある。そこでは文化を持ち出すことで,白人、カラード,イ ンド人、アフリカ人の差異を特別に強調し,教育においてもそれらが分離した状態で継続 することを許してしまった。文明間・文化間の対立が問題視される昨今において、民族性 を極度に強調することは問題となる場合がある。ここでは「民族」もしくは「文化」とい

う言葉の持っ熱をどのように冷静に受け止めるかが求められているo

③ skovsmoseの視点Background/Foreground

「民族」という言葉の持っ意味について, Skovsmoseは再び注意を促している。

民族数学という場合に、来し方としての文化的な背景(Background)にばかり重点が置か れる傾向にあるo ところが教育には、本来二つの側面‑伝達と創造‑が存在しており,そ の一方のみに重点をおくことは危険である。文化的背景、つまり文化内で行われる様々な