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第三章  Mathematics for Allの思想に

第一節  カリキュラムの定義とカリキュラム開発

3‑1‑1カリキュラムの定義と三層のカリキュラム

「カリキュラム」は,戦後になって米国よりもたらされた概念である。この語には,そ の多義性のゆえに解釈が一定しない場合が多いo しかし見方を変えれば、この様々な含み を持つ特徴が、学校はいうまでのなく教育行政や教科書会社など、空間的、時間的に広が

りを持つ,教育という動的な現象を捉えるのに適している、と言えるかもしれない。まず, この語の意味の広がりを追跡することで,その輪郭を浮かび上がらせたい。カリキュラム は,もちろん学習指導要領、教科書,その他教材(掛け図、教具等)を含んでいる。しかし, それだけにはとどまらず,

《教育学者によって,その用語(カリキュラムを指す:筆者)を定義しようと多くの努力 が払われてきたo ついぞ一致することはなかったが,中央政府または‑学校で書かれ たにせよ,その語は単に学習指導要領を表すものではないということが、一般に了解

されてきた。新しい学習指導要領や新しい教科書の作成をカリキュラム開発と呼ぶ限 定的な見方は、ほぼ確実に失敗または失望に終わるにちがいない。》 (Howson et al,

1981,p.2)

と言われるように,教授・学習過程にかかわるその他の要因、特にカリキュラムの実施者で ある教師や、その実施されたカリキュラムの享受者である子どもに関わることが、カリキ ュラム概念に必然的に影響を及ぼす。これら教師や子どもを含めて考えることは、たとえ 同一の教材でも、教師や子どもによって教育の内実が変わりうることに思いを馳せれば, その必要性が認められるだろうし,同時に前者の教材という要素と後者の教師や子どもと いう要素を分かつ必要性も理解できるだろう。すなわちこれらは、カリキュラムにおける 教育内容,実施者、享受者を示している。ところがある特定の問題(例:学力低下、論理 的思考力育成)に対応するためにカリキュラム開発をいう場合、この三者を滞然と扱って いる場合も見受けられる。しかしここでは、学校の中でのこの三者一教材,教師,子ど

も‑の関係を捉えることが重要と考え,第二回国際数学教育調査(SIMS)以降用いられてい る 3つのカリキュラム区分(Robitaille & Dirks, 1982, Pompeu,1992, pp.14‑17;長 崎,1999,p.391)を用いたい*1o

まずこのカリキュラム区分について説明を加える。数学という教科で扱われる内容は, 限定的に捉えれば、学習指導要領(英語ではCourse of StudyまたはSyllabus)に示されて おり、その開発に関わった人々の意図するところを示している。もう少し広げれば、ここ

には、教科書や各種の参考資料なども含まれる。さらに,各学年でそれぞれの教科を何時 間ずつ教えるのか、もしくは実際に授業という形にするには、学校行事などとの関係で、

年間を通してどのように時間配分するのかなどの計画も必要となってくる。意図されたカ リキュラムは,これら授業を実施していく上での骨組みである。

それに対して、教師はこれらの骨組みを基にして,学級や子どもの状況などに配慮しな がら、効果的な方法を選択し,授業を形作っていく。その意味で、教師もしくは授業は, 実施されたカリキュラムと呼ばれる。また授業に参加した子どもは必ずしも、学習指導要 領や教科書が意図したこと、また教師がそれらを意識して実施したことを、そのまま学習 し,身につけるわけではないo 間違ったやり方を身に付けたり,そもそも意図した以外の ところに心が奪われてしまったりすることもあるだろう。これら子どものその時点での理 解度や既有知識との結びつき、生活での経験など、様々な要因が学習活動に影響を及ぼす からである。したがってこの部分は,学習者による達成されたカリキュラムと呼ばれ、区 別される。本研究では,何もつかない「カリキュラム」は,ここでの意図されたカリキュ ラムを指すが,その背景には常にこれら三層構造を意識している。なぜならば、このよう な構造は、教育の全体性を捉えながらも、そこに潜在する問題を摘出していく上で,明確 に表現することを可能にしてくれるからである。

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表3‑1カリキュラムの三層構造

カ リキュラムの種類 その表すもの

意図されたカリキュラム 狭い意味でのカリキュラム、 もしく は学習指導要領他

実施されたカリキュラム 教師ならびに授業

達成されたカリキュラム 子 どもならびに子 どもの学んだこと

さてこの三層のカリキュラムという考え方を使って、本研究の課題「開発途上国の数学 教育カリキュラムを文化的側面から考察」に対して、問題の定式化を行うo

①意図されたカリキュラム:

本研究の課題そのものであるが、第一章で見てきたように数学教育の文化的な側面 の問題指摘に対する応答である。既述のように従来のカリキュラム開発においては、

文化的側面に十分に配慮してきたとは言えない。繰り返しになるが本研究は、文化的 側面より、意図されたカリキュラムの考察に取り組みたい。

②実施されたカリキュラム:

カリキュラムの中で意図されたことが、必ずしも教室レベルで実施されていないと いうことが指摘されている(馬場,岩崎(200DX っまり,意図されたカリキュラムと 実施されたカリキュラムとの帝離が問題となっている。その理由は幾つか考えられる が、どのようにこの帝離を解消もしくは乗り越えていくかを考えていかなければなら ない。これが、第二の課題である。

③達成されたカリキュラム:

本研究の課題である文化的側面の考察は、もともと子どもの学習状況における問題 に端を発しているo ここでは子どもの文化環境の観点より、達成されたカリキュラム を反省することで,一つは実施されたレベルでの教授法の改善を,もう一つは意図さ れたレベルにおける,より根本的な変化を求める。このように、達成されたカリキュ

ラムを契機として,その他のカリキュラムとの関係を考察することが第三の課題であ る。

この三者の関係は独立したものとしてではなく,本来は全てを同時に、あるいは循環的 に考えるべきことであるにもかかわらず,本研究では意図されたカリキュラムに焦点付け て考察を行うo なぜなら,子どもの文化的環境に配慮することは根源的な変化を求めてお

り、それ自身が大きな課題で,十分な準備と考察が求められるからである。したがって, この課題は次節以降で詳細に議論する。それに対し②や③は,本研究で考察するカリキュ ラムが開発途上国の数学教育の改善に実質的な貢献を果たすためには、重要な視点である.

しかしこれらの元となるのはやはり①であり,その重要性はまったく変わらない。

3‑1‑2 カリキュラム開発の歴史と諸要因

カリキュラム開発の初期で最も重要な人物はDeweyである。彼は「なすことによって 学ぶ」という思想のもと,新しい教育の有り様を模索した。しかしここでの「カリキュラ ム」は余りにも広範囲に解釈されたので,生活や経験と同義語になってしまった。記述の ようにある程度の幅は、教育のように複雑な現象をとらえる上で重要であるが、過度にな ると要不要を問わず全てのものが含まれてしまい、用語の意味が消失する。

カリキュラムを生活実践的な要求に見合うように再構成するという傾向は行動主義と呼 ばれるアプローチと結びつくようになった Tylerは流れ作業や評価に関して、職務分析 を行うが、これを教育‑応用したのがBobbitである。彼は「カリキュラム」 (1918)や「カ リキュラムの構成法」 (1924)の中で、その理論について整理している。

さて、カリキュラムが現行のものから新しいもの‑移行すること、またはその過程を, カリキュラム開発と呼ぶが、その移行はもちろん社会的な変化と密接な関係にある。例え ば農業社会と工業社会、そして現在進行しつつある情報社会では,教育に求められる役割 は自ずと異なり、簡単な読み書きや計算程度が求められる農業社会から、精度の高さと効 率性が重要となる工業社会に移行するに当たっては,それなりの教育上の変化が起きるこ

とが予測される。

このように社会的変化と密接な関係にあるカリキュラム開発だが、それを考慮していく 上で、何が新しいカリキュラムを必要とさせるのか、という誘因の分析が重要になってく る。なぜなら社会との密接な関係のみならず、研究における新しい発見がカリキュラムの 開発を求める場合もあるからである Howsonetal(1981)によれば,数学教育におけるカ

リキュラム開発の誘因は、次の三つとされるo

①社会的、政治的誘因

②数学的誘因

③教育的誘因

ここで①社会的、政治的誘因というのは、上で述べたことを指す。教育の独立性を脅か すと捉えられるかも知れないが,カリキュラム開発の歴史は常に社会と教育の密接な関係 について証言している。たとえば戦時では,国のために働き忠節を尽くす人材の育成が不 可欠であろうし、平時においても経済開発を積極的に推進するために、また科学技術力の 育成のために、教育は重要視される。現在では国際化や情報化社会をにらんで総合的な学 習が導入された。

次に②に関して,学校における教育内容は教科の源流にあると考えられる学問、特に今 の場合は2千年以上の歴史を持っ数学に依拠している。したがって,数学研究における進 捗状況により、教育内容に変化が求められることがある。例えば、数学教育の現代化運動

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