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第1章 音楽科における教育内容

第4節 教育内容論に対する批判と評価

1 教育内容論に対する批判

(1)村尾忠廣による批判

千成らの教育内容論に対して、まず批判を展開したのは村尾忠廣であった。ここでは、

村尾の 1981年の論文と1984年の論文について述べる。

村尾は、1981年に、「音楽科の内容と教材」(村尾:1981)(以下、「1981年論文」)とし て、教育内容と教材について論じている。そして、千成らの教育内容論に対する直接的な 批判を、1984年に尾見敦子とともに「音楽的概念による教材構成をめぐって①」(村尾・

尾見:1984)で、また同年に単著で「音楽的概念による教材構成をめぐって②」(村尾:1984)

として行っている(以下、この①②を合わせて「1984年論文」)。

1981年論文では、直接的に千成の名前はあげていないが、千成が教育内容と教材を区別 するという意味で用いた「二分法」という用語を用いて「音楽の教育内容といった場合、

一般的なこれまでの用法では、学習領域、範囲とほぼ同義である。しかし、二分法的に教 材と対置された場合はどのように考えられるだろう」と述べている(村尾:1981, 27-28)。

このような論述から、同論も千成らの教育内容論への疑義を根底に置いていることは明ら かであろう。

村尾は、この 1981年論文において、自然科学分野の教科における「二分法的」23な授業 構成をそのまま文学や芸術教科に適用するには根本的な問題があると説いた。村尾によれ ば、科学は「‘一般化の提示(general proposition)’」であるのに対し、芸術は「‘特定化の

表出(particular presentation)’」である(村尾:1981, 27)。このことから、村尾は、芸術教 科においては、音楽の教育内容を特定化の表出である作品(教材)から切り離すことには 問題があり、教育内容と教材の「二分法的」な授業構成は特定作品においてなされるべき だと主張した。

そして、その「特定作品における教育内容は、共通ルールにしたがいながら、その作品 を価値的に特定化せしめているところのもの」(村尾:1981, 28)と述べた。

村尾は、そのような特定作品における教育内容と教材の例として、ベートーヴェンの《交 響曲第5番》をあげている。村尾によれば、その教育内容の一つは、「『 』と いうモティーフの展開を追いながら、この作品の構造をつかまえさせること」(村尾:1981, 28-29)である。そして、そのための教材として、以下をあげている(村尾:1981, 28-29)

24

・作品のさまざまな断片

・さまざまな断片の異なる指揮者の演奏テープ ・伝統邦楽

・16世紀ヨーロッパの声楽曲

・ベートーヴェンの《交響曲第9番》の第 4楽章の冒頭から主題提示部にいたるまでの 部分

このような特定作品における教育内容や教材をあげつつ、米国の概念学習 Conceptual

Approachの批判的検討や我が国の民間教育研究の成果の分析等をふまえ、次のように述べ

ている(村尾:1981, 39)。25

① 二分法は“一般化の提示”を本質とする科学の教育に基づいており、“特定化の表 出”である芸術の教育に直接応用することは問題が多い。

② 特定作品を前提とした上での二分法ならば、有効だと考えられる。

③ 演奏表現、特に歌唱においては、表現内容の充実を基準に教材を選択、配列する にしても、バラバラに取り出された概念・ルールを体系化するために適宜、これを 教育内容とした二分法的授業を行うことが必要だろう。

④ 特定作品を理解させるという方向、プログラムの中でならば、最初から一般法則・

概念を教育内容として教えることも、教材の様式によっては効果的であろう。

村尾は、これらにおいて、教育内容と教材の設定について、二つの方法をあげているこ とになる。第一は、再表現の授業を配列する一方で、概念を教育内容に設定した授業を適

宜行うという方法である。第二は、特定作品理解の場合に、特定作品を特徴づける様式に 沿った教育内容を設定した授業を行うという方法である。

これらを見る限り、村尾も結局は音楽科において教育内容と教材を分けるという方向性 の中で自身の論を展開しているということができる。

千成は、先に、音楽科において教えうるものと教ええないものとの関係把握が教材構成 や授業組織化に決定的に作用することを述べていた(千成:1983, 130-138)。また、八木は、

その点から、「授業のための音楽教材試論」(八木:1980)において、楽曲先行型の教材論 と内容先行型の教材論があると説明し、前者が曲の選択択基準や配列順序に明快な論理が 見いだせないこと、それに対して後者は、選択基準や配列順序が決まることを述べている。

つまり、村尾の述べる③にあたる考え方は、すでに千成らによって示されている。

また、八木は、「音楽科における授業構成の現状と課題」(八木:1981)において、楽曲 教材先行型の授業構成において、その対象である楽曲教材が音楽構造といった教育内容を になう素材であり、その音楽構造が他の教材も含めて学習され、それら音楽構造とその楽 曲の形象との関係が主体的に学ばれるものであれば、個別の楽曲教材を中心としていても 授業構成の概念を満たすととらえていた。村尾の述べる④は、八木の、このような楽曲教 材という特定作品における教育内容設定と教材の組織化に該当するものであろう。

ただ、八木は表現の授業を例に述べているのに対して、村尾は特定作品の理解といった、

鑑賞の授業を念頭に置いているところに違いがある。一つの鑑賞教材を中心として教育内 容を抽出し教材を構成する授業については、八木らは 1981年以前には述べておらず、村 尾の④の提案が初めてである。また、八木らは楽曲先行型の授業構成において教育内容と 教材の組織化の可能性を探っているのに対して、村尾は、内容先行型の授業構成をむしろ 特定作品に沿って行うべきだと述べているのであり、ベクトルは逆になっている。

いずれにしろ、教育内容を中心とした授業構成は時間的に重厚長大になる可能性があり、

その点から、音楽教育の現場の実情として、表現の授業においても鑑賞の授業においても、

授業構成において1つの楽曲を中心として教育内容を抽出することが多くなっている。そ のような授業構成における現実的な妥協点がこの時点で提案されていると見ることもでき る。

村尾がこのあとに発表した 1984年論文は①②に分かれ、①は尾見との共著である。①で は村尾と尾見の担当部分の内容が連動していないため、尾見の担当部分については後述し、

ここでは①の村尾の担当部分と②について述べる。

1984年論文において、村尾は、1960年代後半から始まったアメリカにおける「音楽概念」

への着目とその「概念学習方式(“Conceptual Approach”)」(村尾・尾見:1984, 144)は、

1984年当時には見直しがなされていたことを取り上げた。

村尾によれば、アメリカにおいて概念学習Conceptual Approachを推進してきたリーマー は、授業の方法として、①音楽体験、②音楽学習、③音楽再体験の三つの部分を示してい た。このうち、音楽概念は②で取り上げられており、これはあくまで体験の深化の手段で あって目的と考えるべきではなかったとしている。その根拠として、Conceptual Approach を打ち出した The Manhattanville Music Curriculum Program (MMCP) の自己批判の中で、

音楽概念の学習の方が目的とされ、体験の深化は手段となったことがあげられていると述 べた。そして、音楽概念を教育内容とする方向はそのままあるが、その中で以下のような 動きが見られるという。それは、教材の選択や音楽活動を教師個人の自由な判断に委ねて フレキシブルにする動きや、音楽概念を焦点として教えることから音楽のわかり方の心理 学的成果に基づこうとする動き、「〈美的教育〉」にまで遡って問い直そうとする動き等であ る。

村尾によれば、そのようなアメリカの状況に対して、我が国では、それらの検討がなさ れないままに「『主題』とか『音楽概念』による教材構成が主張されて」(村尾・尾見:1984, 143)おり、「『科学がわかること』の方に即した音楽教育がはっきりと論じられるように」

なった(村尾・尾見:1984, 144)。つまり、「日本で〈音楽概念による教材構成〉を主張し ている人たちは、科学教育にならって、〈速度〉〈音色〉〈拍子〉などといった概念の理解を 授業の中心に置こうとしている」(村尾:1984, 159)(この文中の〈 〉は、村尾による。以下、村尾 論文の引用については同様)という。

村尾は、このように日本の「〈音楽概念による教材構成〉」を批判しつつ、再度上述のリ ーマーの音楽学習における音楽概念の学習を取り上げ、それに対しても次の二点の疑問を 呈している(村尾:1984, 160-163)26

① 〈美的情動体験の深化〉を目的としながら、なぜ手段である〈音楽概念の学習〉

によって、教材が選択構成されてしまうのか。

② 科学は、個々の現象の中から一般構造や法則を発見し、それらを個々の様々な現象 に適用して説明することに本質があるが、芸術は、様式に共通のルールを前提に、そ こから個々の特定の芸術作品を作り出すことにその本質がある。音楽教育は、一般化 のルールよりもむしろ、特定作品を芸術として特定化せしめている特殊構造に主眼を