第1章 音楽科における教育内容
第2節 教育内容・教材論と授業構成論
1 学力論から授業構成論へ
八木は、「音楽科における基礎学力 -その基調を求めて-」(八木・竹内:1978)にお いて、まず勝田守一、中内敏夫、藤岡信勝諸氏の学力規定を基礎として、学力を以下のよ うにとらえなおそうとした11。
① 学力を授業の中で獲得される能力として限定する。
② 音楽科の学力概念から、態度能力を積極的に排除する。
③ 教育内容を誰にでもわかち伝えることができるように、計測可能な形で系統的に 組織する。
④ 系統配列された教材と子どもの発達との関連を究明する。
八木がこれらの視点の中に態度能力を取り上げていないのは、態度能力を軽視している からではない。態度能力は学習到達度が不明だからである。そのため、それを学力にふま えるのではなく、態度を支える基礎的能力やその学習過程を明らかにすることが重要だと 考えたからである。
そして、これらの視点から、音楽科における基礎学力を「音楽的感覚の習熟とその認識 化の能力の体系」(八木・竹内:1978, 23)ととらえた。
ここで八木が取り上げた「音楽的感覚」は、「リズム感」、「拍子感」、「音程感」、「速度 感」の4つである。「音楽的感覚」には、その他にも「調性感」や「強弱感」、「形式感」他 があるが、八木は、ここでは、これら諸感覚は先の4つの感覚の習熟を基本として習得で きるものととらえている。そして、その4つのそれぞれの「音楽的感覚」の習熟度につい ては、以下の表のような基準を設けた12。
八木が、このような基礎学力を培う指導実践例として高く評価したのは、先にも述べた ふしづくりの教育である。
このふしづくりの教育については、八木は、「音楽科の学力に関する一考察 -音楽的 認識過程の分析を通して-」(八木・鎌田:1979)において、さらに詳細に検討している。
同論文では、まず学校概念として学力をとらえなおし、措定する際の重要な契機として、
「科学・芸術の構造にてらして教育内容を組織化する」、「子どもがその内容〈教育内容〉
を習得していく過程を明らかにしていく」(八木・鎌田:1979, 39)の二つをあげた。これ は、先述の八木の音楽科の基礎学力に通じるものである。八木によれば、この二つは統合 された形で実践場面に作用しており、そして、そこから子どもの音楽的認識の深化の過程 をどうとらえるかという問題が提起されてくるという。その深化の過程をとらえた実践例 として、ふしづくりの教育の実践例を取り上げているわけである。
八木は、ふしづくりの教育の実践例に基づいて、音楽的な認識の発達は「分析、総合、
一般化という諸契機のもとに、科学的な認識の発達と同じような構成をしている」(八木・
鎌田:1979, 45)と述べた。たとえば、実践例として、「リズム」と「様式」の例を取り上
げ、以下のようにスパイラルな学習の展開になっていることを紹介している13。
音楽的感覚 習熟度
リズム感 十六分音符までの音符の組み合わせでできる使用頻度の高いリズムパターン 拍子感 単純拍子
音程感 オクターブと幹音を中心とする六度音程
速度感 一定の速度で演奏でき、速度の変化に対応できること
・ 拍にのった名詞呼び遊び等:リズムパターンの分化→即興的な応答活動:総合→ ビートやリズムパターンの一般化→記譜:ビート等の認識の深まり→リズムパターン
の新たな分析→
・ 3音メロディーの模唱奏やリレー奏等:分化する様式を感覚化→リレーや模唱:応答 的強化→記録(記譜)や階名唱:応答的強化→メロディーのリズム変奏:総合作用→ 7音のメロディーに→
八木は、同年、「音楽科における学力規程に関する一考察」(八木:1979a)において、学 力に関して再び論じている。同論文では、まず、先にあげた勝田、中内、藤岡らによって 定式化されたものとして、学力を以下のようにまとめている(八木:1979a, 36)。
成果が計測可能でだれにでもわかち伝えることができるよう組織された教育内容 を、学習して到達した能力
八木は、これを音楽科にひきつけて考え、教育内容は音楽の理論・構造にてらして組織 するものであり、その教育内容に即した指導過程の設定という実践が要請されていると述 べた。そして、これまですぐれた実践例として取り上げてきたふしづくり教育は、一つの 方略である、としながら、さらに、現実の授業の組織化をどうしていくか、ということが 問題になってくると述べた。つまり、「系統的に措定される一連の本質的な教育内容と、い わば無系統の教材曲をどう統合して授業を組織化するのか」(八木:1979a, 41)ということ が、実践的課題になってくるということである。
八木は、このように、千成と同じように音楽科の教育内容をとらえながら、それを学力 規定から論じ、現実の授業の組織化に焦点を移していっている。
こうして、八木は同年、「小学校音楽科における教科課程構成に関する一考察 -つくる 学習活動を中心とした教科課程構成への一視点-」(八木:1979b)において、教科課程構 成の視点からふたたびふしづくりの教育の実践を取り上げ、音楽的認識の発達が、結局は 音楽科における人間形成につながっていくと主張した。さらに、「技術教科としての音楽科
-音楽科教育の技術的基本性格と教科課程構成への一視点」(八木・堀:1980)においては、
同じく教科課程構成の一視点として音楽科教育の技術的基本性格について論じた。ここで は、労働過程そのものを技術過程とする芝田進午の技術論14を援用し、音楽や音楽的活動 を技術的過程としてとらえている。音楽におけるそれは、「主体の感情が介在している」(八
木・堀:1980, 47)という点で一般の生産的実践における技術的過程とは同質ではないと しながらも、「科学的に抽象された音楽の構造に関する技術学的対象」(八木・堀:1980, 48) として、音や様式といった音の法則性が教育内容として措定できるとした。同論文は、音 楽することを技術的過程ととらえて教育内容措定を裏づけるものであるとともに、1978(昭 和 52)年告示の学習指導要領に見られる「音楽を愛好する心情の育成」などの教科目標の 論理的脆弱さを批判したものであった。つまり、愛好する心情を取り上げるのであれば、
上述の「主体の感情が介在している」という音楽の技術的過程の有様から得られる音楽的 認識能力によって培われる人格を問題にするべきだと主張したのであった。
八木は、このような学力論、教科課程論から、1980年以降、教材論や授業構成論へと理 論を展開していっている。1980 年には「授業のための音楽教材試論」(八木:1980)を、
1981年に「音楽科における授業構成の現状と課題」(八木:1981)を発表している。
「授業のための音楽教材試論」(八木:1980)においては、音楽科における二つの教材 論として、八木は「楽曲先行型」の教材論と「内容先行型」の教材論があると説明した。
前者の楽曲先行型の教材論においては、教師の楽曲教材の解釈を中心として授業構成を 行うことになるが、曲の選択基準や選択した曲の配列順序に明快な論理が見いだせないと いう問題をもっている。それに対して、後者の教材論においては、概念や法則などの教育 内容にしたがって、それを具体的・典型的に担う教材を楽曲以外の素材を含めて幅広く選 択し、複数組織するので、おのずと選択基準や配列順序が決まる。
八木は、このような二つの教材論の説明において、教育内容との対応から教材を規定し、
さらに授業で子どもが音楽に接近していく道すじを三つに整理している。一つは、音楽的 経験からの道すじ、二つめは音楽的技能からの道すじ、三つめは音楽の論理・構造などに 対する知的認識からの道すじである。それまでの音楽科の中で、一つめが前面にたち、二 つめの道すじは不評を買い、三つめは「罪悪視」(八木:1980, 119)されてきたという。
八木は、子どもたちに三つのいずれの道すじをも通りながら音楽に接近してほしいと述べ ているが、そうするための鍵は、先の内容先行型の教材群の組織にあるとした。そして、
そのような授業として成果をあげているのは仮説実験授業の授業書15であるとし、それに 合うのは、上述の三つめの知的認識からの道すじであるとした。八木のこれまでの論理展 開からすると、「知的認識」ということだけを目標としていないことは明らかであるが、こ こで内容先行型の授業と知的認識とを結びつけたことによって、音楽科における授業構成 の一つとして内容先行型の授業構成のモデルができあがったと見ることができる。実際、