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影・

ドキュメント内 修士学位論文 (ページ 108-119)

7.8.本研究の将来性

7.8.1.不飽和度と温度の関係

7.8.2.本研究の将来的な利用可能性

 7.8,1.で述べたように、飽和脂肪酸に対する不飽和脂肪酸の存在比は、生育環境の温度 と相関を持つ。しかし、この存在比は、生命活動に支障をきたさない程度の変動しか示さない と考えられる。例えば、厳寒地域で生活する生物は、ステアリン酸(18=0)から不飽和脂肪酸

(動物では18:1,植物では18:1.1812等)を合成してその量を増やしていくと考えられるが、こ の際にステアリン酸が枯渇するようなことは有り得ない。ステアリン酸自体も、生物にとって必 要な物質であるため、元になるパルミチン酸(16=O)からステアリン酸を合成するためである。

結果として、飽和・不飽和脂肪酸の存在比は、ある程度の範囲内でのみ、変動すると考えら

れる。

 一方で、これらの生合成プロセスを水素同位体分別で追跡すると、次のようになると考えら れる。不飽和脂肪酸が合成されることで、ステアリン酸の水素同位体比が増大していく。ステ アリン酸の存在量が減少してくると、元になるパルミチン酸からステアリン酸が合成されるが、

この際には、水素同位体比分別は発生しない。この状態から、再び不飽和脂肪酸が合成さ れ、ステアリン酸の水素同位体比が増大していく。このプロセスを繰り返すことで、不飽和脂 肪酸合成が進めば進むほど、ステアリン酸の水素同位体比は増大していくと考えられる。

 すなわち、飽和・不飽和脂肪酸の存在比が、ある程度の範囲でのみ、温度との関係を示す のに対し、水素同位体分別を利用することで、より広い範囲で、温度との関係を頭割こ示すこ とができる可能性がある。

 さらに、水素同位体分別を利用することで、水素同位体比の持つバックグラウンドの変動を キャンセルできるというメリットもある。例えば水の水素同位体比は、気温や降水量等の気象 条件によって変動するため、必ずしも年中、あるいは異年同月、同位体比が一定であるとは 限らない。単にステアリン酸の水素同位体比のみを利用すると、これらの季節・気象による同 位体比の変動(バックグラウンドの変動)を同時に観測することとなり、距離的に離れた地域で 育った生物と比較する場合、議論が困難になる可能性がある。しかし、ステアリン酸とオレイ ン酸の生合成における水素同位体分別を求めることで、バックグラウンドの変動を差し引き0 にキャンセルできる。この水素同位体分別を利用することで、個々の地域の気象変動の干渉 を除去することが可能になると考えられる。実際、7.7.6.に示した簡易シミュレーションの結果 からも、オレイン酸生合成が進行すると、ステアリン酸の水素同位体比が増大していくのに対 し、オレイン酸は常に一定の値を保っていることがわかる。オレイン酸の水素同位体比をバッ クグラウンドの同位体比と考えることで、これらの差分(同位体分別)には、バックグラウンドの 情報が干渉しないことがわかる。

 今後、様々な温度条件で生活する生物の脂肪酸の水素同位体比を分析し、本研究で行っ たように不飽和脂肪酸生合成における水素同位体分別を調べることで、成長環境の温度を 示す新しいファクターとしての利用が期待できる。

総括

脂肪酸の安定同位体比分析のための簡易誘導体化法の導入と検証

 脂肪酸の誘導体化法として、Methyl chloroformate(MCF)およびEthyl ch1oroformate

(ECF)を用いた室温5分で完了する簡易かつ短時間な反応を導入し、脂肪酸の水素・炭素安 定同位体比分柵こ利用可能かどうか検証した。

 始めに、飽和(6種)・不飽和(3種)脂肪酸試薬の水素・炭素同位体比を元素分析計一同位体 比質量分析計(EA−1RMS)によって決定した(第3章)。

 続いて、MCF・ECFを用いた誘導体化を施し、ガスクロマトグラフー同位体比質量分析計

(GC−lRMS)に導入した。クロマトグラムから、誘導体化1こよって得られた化合物が脂肪酸メチ ル・エチルエステルであると同定し、ピーク強度から、収率を算出した。収率は飽和脂肪酸に ついては、メチルエステルで70%以上、エチルエステルで80%以上であり、不飽和脂肪酸 については、メチル・エチルエステルのいずれも60%前後であった(第4章)。

 GC−lRMSによって測定した脂肪酸エステルの同位体比は、元の脂肪酸の同位体比とは 一致しなかった。これは、誘導体化反応によって新たに加わった、エステル基の影響であると 考えられる(第5章)。

 反応試薬をクロスさせて行った誘導体化によって得られたエステルから、エステル基がほ ぼ100%アルコール由来であることを確認し、エステル基の同位体比を補正するために、マ スバランス計算を行って、メチル・エチルエステル基の同位体比を算出した。得られたエステ ル基の同位体比を用いて、再びマスバランス計算を行い、脂肪酸部分のみの同位体比を求 めた。こうして得られた脂肪酸部分の水素・炭素同位体比は、いずれも元の脂肪酸の同位体 比と測定誤差範囲内で一致した。よって、MCF・ECFを用いた脂肪酸の誘導体化法が、エス テル基の補正を行うことで、脂肪酸の水素・炭素安定同位体比分柵こ利用可能であることが 示された(第6章)。

 これまで、脂肪酸の安定同位体比分析を行うため1こ、サンプルの脂肪酸を過激な条件下 で長時間(数時間以上)反応させ、誘導体化する必要があった。しかし、本研究により、MCF・

ECFを用いた室温5分で完了する非常に簡易かつ短時間な誘導体化反応を、脂肪酸の安 定同位体比分柵こ用いることが可能となった。これにより、一定時間内に処理できるサンプ ル数は格段に増え、サンプルロスのリスクも低下する。よって、本手法は、有機地球化学や 食品分析化学等の、希少なサンプルを迅速かつ大数量に取り扱う必要のある分野において、

非常に有力なツールになると言える(A◎yagi et al、,2012切〃e∬)。

 本研究で確立した、簡易誘導体化法を用いて、実際に牛肉に含まれていた脂肪酸の炭 素・水素安定同位体比を分析した。

 サンプルには日本を代表するブランド牛である松阪牛・飛騨牛を用いた。これらのサンプル は、バルクの炭素同位体比に産地間の違いが見られたものである(青柳ら,2012切〃e∬)。

牛肉サンプルに有機溶媒(Folch液)を加えて振動撹枠することで脂質を取り出し、アルカリ加 水分解後に、液!液分離を施して、脂肪酸を抽出した。MCF・ECFを用いた誘導体化を施して、

得られたメチル1エチルエステルをGC−lRMSに導入した。主な脂肪酸として、オレイン酸

(1811)、パルミチン酸(1610)、ステアリン酸(18=0)が確認された。これらの脂肪酸の同位体比 は、エステル基の同位体比をマスバランス計算によって補正することで得られた。また、有機 溶媒で脱脂を施した際の残造(バルクサンプル、主にタンパク質)を、EA−lRMSに導入し、バ ルクの炭素同位体比を得た。

 牛肉中脂肪酸の炭素同位体比は、バルク値を再現する結果となり、3種類の脂肪酸間の 差は小さかった。よって、脂肪酸の炭素同位体比は、バルクの場合と同樹こ産地や飼料の違 いを反映するものであり、生合成プロセスにおける同位体分別を議論するためには不向きで あると考えられる。一方、牛肉中脂肪酸の水素の同位体比1こついては、産地間の差がほとん ど見られなかった。しかし、脂肪酸間には大きな差が見られ、ステアリン酸の同位体比が、オ レイン酸、パルミチン酸と比較して極端に(60%。程度)大きな値を示した。

 牛飼料中の脂肪酸の同位体比を測定してみると、炭素・水素同位体比ともに、牛肉とはま ったく一致しなかったことから、牛肉に含まれていた脂肪酸は、摂取した糖等から、脂肪酸生 合成系(16=O→18二0→18=1)1こよって牛が自ら作り出したものであり、ステアリン酸の水素同位 体比が大きな値を示した原因は、脂肪酸の生合成と関係があると考えられる。

 脂肪酸ピークの面積強度から、各脂肪酸の存在比を計算し、水素同位体比との関係を調 べたところ、ステアリン酸の存在比が減少し、オレイン酸の存在比が増加することで、ステアリ ン酸の水素同位体比が増大する傾向にあった。さらに、不飽和脂肪酸(オレイン酸)生合成

(18=0→18:1)における同位体分別を算出すると、ステアリン酸の存在比が減少し、オレイン酸 の存在比が増加することで、同樹こ増大することがわかった。以上から、ステアリン酸の水素 同位体比が大きくなる原因は、不飽和脂肪酸(オレイン酸)生合成に伴う、不飽和化による同 位体分別であることがわかった。

 不飽和脂肪酸の役割が、その存在比を増やすことで生物の体の柔軟性を保つことにあり、

さらに存在比が成長環境の温度と深い関わりを持つことを考えると、本研究で得られた不飽 和脂肪酸存在比と水素同位体分別の関係は、生物の成長環境の温度をより顕著に示すこと のできるファクターとしての利用が期待できる。

ドキュメント内 修士学位論文 (ページ 108-119)