第 5 章 「バンヌー宣言」とアフガン難民とパキスタンの安全保障
5.5 小括
以上に検証したように、かつてはアフガン難民の存在はパキスタンの安全保 障に明らかに裨益していた。そして米国同時テロ事件以後のアフガン情勢の進 展を分析したパキスタン政府は、
UNHCR
と協力し、アフガン難民を帰還させて も安全保障上の支障はないと判断した。205 例えば次の社説参照。 “The Saga of the Pashtuns’ Self-Determination and the Pashtunistan Day,”
The Pashtun Times, August 31, 2017.
206 組織的なパシュトゥン・ナショナリズム運動は、1920-30年代に北西辺境州における反英 運動として発生した、バーチャー・ハーンを指導者とする無抵抗主義の「赤衣団(Red Shirts)」 を嚆矢とする。Selig S. Harrison, ‘Pashtunistan’: The Challenge to Pakistan and Afghanistan, Real Instituto Elcano, Madrid, 2008, p.4.
207 1996年9月、タリバンによるカーブル占領の当初、これを解放者として歓迎した市民と
国際輿論は、間もなく国連施設内に乱入したタリバンが国連によって保護されていたナジ ブラ元大統領を拉致し、拷問凌辱の末に公開処刑するという暴挙を目にして慄然とした。ラ シード、前掲(脚註190参照)、29頁。その後ナジブラ氏の遺体は市内目抜き通りの柱に吊 るされ放置された。
208 Issue Paper the Pakistani Taliban, Australian Government Refugee Review Tribunal, January 2013, pp. 7-8.
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ところが期待に反しその後のアフガン情勢は未だに全面的な和平が実現して いない。パキスタンにとって、アフガン難民の受け入れが西の国境線保全の「梃 子」としての効用が薄れた一方で、今日ではイスラム原理主義に対する国際社会 の目は極めて厳しく、かつてのようにイスラム原理主義パシュトゥン人への支 援を通じてナショナリストのパシュトゥン人を牽制することは、もはや難しい。
他方、帰還を迫られるアフガン難民の間には不満が鬱積している上に、北西辺 境州のパシュトゥン知識層の間にも、デュランドラインに対する強い不満があ り、
1947
年の「バンヌー宣言」の挫折とバーチャー・ハーンの精神は今日なお 語り継がれている 209。もしパシュトゥン人の独立運動が再浮上し、パキスタン が西に国境問題を抱えることとなれば、事は北西辺境州に止まらず、独立以来の カシミール問題と容易に連動し、同じく独立以来くすぶるバルーチスタン州の 分離問題もさらなる不安定要素として浮上するであろう。英領インド分離独立の壮大な歴史の中に埋もれたかの観もある
1947
年の「バ ンヌー宣言」と、40
年にわたり戦禍に翻弄されてきた一見非力なアフガン難民 は図らずも今日、パキスタンの対インド安全保障の媒介変数として複雑な側面 を見せている。パキスタンの政治運営、特に内政は今後更に難しくなるであろう が、一時的に多少の騒擾があっても、印パ双方とも当面は経済開発を最優先し、安全保障の枠組自体を大きく変えることはないであろう。
一方、第
5.1
節に示すCPEC
構想の実現を目指す中国もまたこの地域の波風は 表向き望むところではない。2011
年に当時のパキスタン首相と国防相の双方か ら中国に対しグワダル港に中国海軍基地建設の要請があったが 210、中国は即座 に、同港への海軍基地建設にはいかなる関心も有していない旨の声明を発した211。その否定にもかかわらず、国際社会は中国の声明を額面通りに受け取っては いないが、中国は少なくとも現在のところその行動を示してはいない。
以上に検証したように、アフガン難民の存在はパキスタンの安全保障に裨益 してきた。そして米国同時テロ事件以後のアフガン情勢の進展を分析したパキ スタン政府は、
UNHCR
と協力し、アフガン難民を帰還させても安全保障上の支 障はないと判断した。ところが期待に反しその後のアフガン情勢は未だに全面 的な和平が実現していない。パキスタンにとって、アフガン難民の受け入れが西 の国境線保全の「梃子」としての意義を失った一方で、今日ではイスラム原理主209 2012年7月、北西辺境州チャールサッダ市にバーチャー・ハーンの教えを継ぐとして大
学(Bacha Khan University)が設立された。また、2012年1月27日を以って、北西辺境州 首都ペシャワールの「ペシャワール国際空港」を「バーチャー・ハーン国際空港」と改称し た。
210 Michael Beckley, “China and Pakistan: Fair-Weather Friends,” Yale Journal of International Affairs, March 2012, p. 9.
211 De Silva-Ranasinghe, S. (2011), “China Refutes Gwadar Naval Base Conjecture,” Future Directions International, Nedlands, Australia, 1 June 2011.
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義に対する国際社会の目は極めて厳しく、かつてのようにイスラム原理主義パ シュトゥン人への支援を通じてナショナリストのパシュトゥン人を牽制するこ とはもはや難しい。
他方、帰還を迫られるアフガン難民の間に鬱積する不満はもとより、デュラン ドライン両側のパシュトゥン知識層の間には、意に反して引かれたこの境界線 に対する反感が強く、
1947
年に「バンヌー宣言」が挫折した無念は今日なお語 り継がれている。パシュトゥニスタン、アフガニア、パシュトゥニア、その地域 の名称は何であれ北西辺境州の分離運動は、パキスタンが西に国境問題を抱え ることを意味する。それは独立以来のカシミール問題に直ちに影響し、バルーチ スタン州の不安定につながるであろう。そして、パキスタン安全保障の不安定は、インド安全保障の不安定に直結する。
英領インド分離独立の壮大な歴史の中に埋もれたかの観もある
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年の「バンヌー宣言」と、
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年にわたり戦禍に翻弄されてきた一見非力なアフガン 難民は、かくして今日、印パ安全保障の媒介変数として複雑な側面を見せてい る。パキスタンの政治運営、特に内政は今後更に難しくなるであろうが、一時 的に多少の騒擾があっても、印パ双方とも当面は経済開発を優先し、安全保障 の枠組自体を大きく変えることはないであろう。一方CPEC
構想の実現を目指 す中国もまたこの地域の波風は表向き望むところではない212。かくして一般論 としてインド、パキスタン、中国ともに当面は平穏の維持を望む点では共通し ている。しかしながら、その「平穏」の意味はそれぞれに異なる。そして、その平穏 な環境の下で変化が進み、その結果やがてインド洋の現状に新しい現実が生起 するとすれば、その新しい現実は誰にとって好ましいのか、インド洋の海上交 通路に死活的重要性を有する日本への影響如何、という別の疑問が生ずる。こ の点は極めて重要ではあるが、本稿の議論の趣旨を離れるため、インド洋の安 全保障を論ずる他稿に譲ることとする。
212 2011 年に当時のパキスタン首相、国防相から中国に対しグワダル港に中国海軍基地建設
の要請があった。Michael Beckley, “China and Pakistan: Fair-Weather Friends,” Yale Journal of International Affairs, March 2012, p. 9. 中国は即座にグワダル港への海軍基地建設に関して はいかなる関心も有していない旨の声明を発したが、その否定にもかかわらず、国際社会は 額面通りに受け取ってはいない。De Silva-Ranasinghe, ibid.
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