第 1 章 FCDI 提唱に至るまでの地域政策に関する議論
第 3 節 宮澤喜一首相による東南アジア歴訪と FCDI の提唱
第1項 21世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会
次に第 3 節では、FCDIがどのような過程を経て、提唱されるようになったのかを中心に分析 を行う。FCDI自体は、1993年1月に実施された東南アジア歴訪における宮澤喜一首相によるス ピーチの中で提唱された。そのスピーチの土台となったのが、宮澤の私的懇談会である「21世紀 のアジア・太平洋と日本を考える懇談会」(座長・石川忠雄慶応大学塾長)における提言である。
この懇談会は、加藤紘一官房長官によって提唱された182。1992年2月に、加藤が「冷戦も終わ り、これから日本にとって重要な柱はアジアです。ひとつ勉強会を始めませんか」183と宮澤に持 ち掛けたのが発端である。他方で、宮澤も同年1月の施政方針演説で、「アジア・太平洋での日本 の役割を真剣に考えなければいけない」と訴えるなど、従来、アジア問題に強い関心を示してい ただけに、2つ返事で了承した184。
懇談会のメンバーは、ビジネス界と学界の出身者によって構成された185。同懇談会は、総理府 主催のため、外交当事者は同懇談会には直接関与しなかった186。その意味で、同懇談会における 議論を踏まえることは、必ずしも、FCDI を理解することにつながらないという批判を受けるか もしれない。また、同懇談会は、その名称のごとくアジア・太平洋地域の協力を模索する懇談会 であった187。それゆえに、インドシナ地域の問題だけを扱うわけではなかった。さらに、同懇談 会における言説の中で、FCDIという固有名詞も発見できなかった。
しかし、同懇談会で出された議論を跡付ける意義は大きいと考えられる。同懇談会の成果が、
182 『日本経済新聞』夕刊, 2面, 1993年11月5日.
183 同上
184 同上
185 「21世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会」は、石川忠雄慶応大学塾長を座長とし、副座 長には、須之部量三杏林大学教授、響庭孝典日本放送協会解説委員、青井舒一東芝株式会社代表取締 役会長、五十嵐武士東京大学教授がそれぞれ就いた。また、同懇談会は、政治分科会と歴史・文化分 科会、経済分科会の3つの分科会に分けられた。政治分科会の座長は、岡部達味東京都立大学教授が 務めることになった。政治分科会のメンバーは、北岡伸一立教大学教授、行天豊雄東京銀行取締役会 長、黒田真三菱商事株式会社常務取締役、小林実日本興業銀行顧問、小林陽太郎富士ゼロックス株式 会社代表取締役会長、鮫島敬治日本経済新聞社専務取締役から構成された。また、歴史・文化分科会 の座長は中根千枝東京大学名誉教授が務めた。歴史・文化分科会のメンバーは、西原正防衛大学校教 授、深田宏伊藤忠商事株式会社顧問、山影進東京大学教授、山崎正和大阪大学教授から構成された。
一方、経済分科会の座長は、渡辺利夫東京工業大学教授が務めることになった(役職は当時のまま記 載、また、経済分科会の他のメンバーに関してはウェブサイトには記載がみられなかった)。田中明 彦研究室ウェブサイト「データベース『世界と日本』 日本政治・国際関係データベース 東京大学 東洋文化研究所 田中明彦研究室 [文書名]21世紀のアジア・太平洋と日本―開放性の推進と多様 性の尊重(21世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会報告)」[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~wor ldjpn/documents/texts/APEC/19921225.O1J.html](閲覧日2012年11月14日)
186 外交当事者がオブサーバーとして懇談会に参加していたか否かは不明である。
187 同懇談会において、アジア・太平洋地域を取り上げる意義は、「日本との関係の緊密さや地理的な 距離関係等の要素もあり、検討するテーマによって濃淡があり得る」からである。そこで、「個々の 議論の目的に資する形で浮かび上がってくる地域を素直にそのままとる」対応がとられた。つまり、
「アジア・太平洋地域の問題を考えるにあたっては、対象地域を目的論的に把握することが適当」で あるとされた。同上(閲覧日2012年11月14日)
宮澤によるスピーチを形作る土台となり、FCDI の方向性を決定づける上でも少なからず影響を 及ぼしたと考えられるからである。また、同懇談会では、対インドシナ地域政策に関しても議論 がなされている。
ただし、同懇談会に関する行政文書は見当たらなかった。そのため、依拠資料は、新聞報道お よび田中明彦研究室ウェブサイトの「データベース『世界と日本』日本政治・国際関係データベ ース」に記載された資料を中心となる。
同懇談会の初会合は、1992年5月21日に首相官邸で開かれた。宮澤は当面の検討課題として、
アジア・太平洋地域における①政治的安定・安全保障の確保、②開発援助、③環境保全、④国際 社会で果たしていく役割などを指摘した188。同時に「日本の過去の歴史の問題についても、この 地域の人々の気持ちに対する理解を深める努力が必要だ」と述べ、日本が国際貢献を果たしてい く上でアジア諸国の理解を得るために、どのような努力をする必要があるかという点も検討して いくことが要請された189。
同懇談会を月に1, 2回のペースで開き、1992年度内を目途に提言をまとめる方針が打ち出され た190。経済統合を中心とした地域主義の在り方や、歴史問題の処理の在り方をめぐって、懇談会 は難航した。しかし、1993年1月には、宮澤による東南アジア歴訪において提言を表明する予定 が立てられた。そのために、「無理をしてでも年内に提言をまとめる」(総理府担当者)必要があ った191。その結果、10回にわたる会合が重ねられた。その間には、政治、経済、歴史という3つ の分科会に分かれて意見交換も行われた192。
こうして、1992年12月の東南アジア歴訪の約1カ月前にようやく提言の骨格が固まった。具 体的には、「今後の課題」と「当面の施策」に分類する形で提言がまとめ上げられた。まず、今後 の課題として、①アジア・太平洋地域の安全保障を考える政策協議の場の創設、②自由貿易体制 の維持を前提とした地域協力、③将来を展望した過去の歴史への認識の表明が柱に位置付けられ た。一方、施策として、①安全保障政策対話の強化、②経済協力の充実、③アジア・太平洋地域 の積極的な関心と相互理解の推進が取り上げられた193。この提言を踏まえた上で、1993年1月の 東南アジア諸国歴訪に向け、「宮澤ドクトリン」と称されるアジア政策をまとめる方針となった。
ここで懇談会の議論を通じて明らかになったインドシナ地域に対する日本の方針や対応を改め て整理しておこう。この懇談会は、「21 世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会」という名 前が示しているように、アジア・太平洋地域という枠組みを重視していた。そのために、中国、
188 『日本経済新聞』朝刊, 2面, 1993年5月22日.
189 同上
190 同上
191 『日本経済新聞』夕刊, 2面, 1993年11月5日.
192 同懇談会は、当初はアジア・太平洋における協力を議論するために発足した。そのため、宮澤に よる東南アジア歴訪を当初から念頭に置いているわけではなかった。毎回の会合を開く過程で、東南 アジア歴訪に向けた提言が議論されるようになったのである。
193『日本経済新聞』夕刊, 2面, 1992年12月25日, 田中明彦研究室ウェブサイト「データベース『世 界と日本』 日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 [文書 名]21世紀のアジア・太平洋と日本―開放性の推進と多様性の尊重(21世紀のアジア・太平洋と日本 を考える懇談会報告)」[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/APEC/19921225.O 1J.html](閲覧日2012年11月14日)
朝鮮半島、ASEAN、南アジア、ロシア、アメリカなどとの関係が、懇談会では議論された194。 このような広範なテーマの中で、インドシナに対する地域政策は、どのように捉えられたのか を以下確認していく。1992年12月にまとめあげられた提言によると、アジア・太平洋地域全体 の「政治・社会状況、さらには安全保障に影響を及ぼす可能性のある要因」195の1つとして、イ ンドシナ地域に関する問題が取り上げられた。具体的に、「ASEAN は引き続き経済発展を続け、
地域の安定勢力として存在し続けるものと予想されるが、このASEANとインドシナとの間の共 存共栄関係を如何にして現実のものとなし得るか」196という問題が取り上げられた。この言説は、
ASEAN に対する政策を想定していたが、ASEAN との共存という中で、インドシナ地域が取り 上げられた。冷戦の終結によって、ASEAN とインドシナの共存をうたう福田ドクトリンの理念 が復活したと考えられる。
次に、インドシナに対する地域政策の具体的な内容を確認していく。同懇談会では、インドシ ナ地域に対する方針や対応は、復興というより、むしろ経済協力の文脈の中で捉えられた。具体 的には、インドシナ地域に対する経済協力として、以下のように言及がなされた。
今後のこの地域(アジア・太平洋地域)に対する日本の協力においては、資金・技術協 力両面において、従来にも増して開発途上国側の自助の精神を引き出すような工夫を凝 らすとともに、政府開発援助大綱に盛り込まれた考え方に留意しつつ進めるべきである。
さらに、地球環境問題、人口問題の重要性に配慮しながら、経済発展のみならず、政治 安定・社会安定にとっても効率性の高い協力を引き続き目指すことが求められている。
特に、市場経済への移行を目指し、真剣な改革・開放政策を押し進めているインドシナ 諸国に対しては、上記の諸点に配慮しつつ、インドシナ全域の発展を視野に入れたイン フラ整備等の支援を積極的に行うべきである。(括弧内、下線は引用者)197
ここでは、インドシナ地域全体の発展という文脈の中で経済協力に言及がなされている。特筆 すべきは、経済発展のみならず政治安定・社会安定の文脈から、開発が論じられた点である。具 体的な分野として、地球環境問題と人口問題が取り上げられた。また、支援すべき分野として、
インフラ整備に言及された。インドシナ地域に対する具体的な経済協力の内容が議論されたのは、
筆者の管見の限り、これが初めてであった。
さらに経済協力に関する提言では、具体的な内容に関して、以下のように論じられた。
今後の援助に関わる重点分野としては、環境面での協力や人材養成といったことを、よ
194 田中明彦研究室ウェブサイト「データベース『世界と日本』 日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 [文書名]21世紀のアジア・太平洋と日本―開放性の 推進と多様性の尊重(21世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会報告)」[http://www.ioc.u-tokyo.
ac.jp/~worldjpn/documents/texts/APEC/19921225.O1J.html](閲覧日2012年11月14日)
195 他には、中国に対する安定的な政治の仕組みの案出、朝鮮半島における南北関係、南アジアの核 問題、ロシア情勢の先行きが挙げられた。同上(閲覧日2012年11月14日)
196 同上(閲覧日2012年10月8日)
197 同上(閲覧日2012年11月14日)