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天狗の忌避

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 92-105)

第二節 工程に伴う儀礼

11 天狗の忌避

17 日本の民俗 石川p.117 に

生産品の市としては、鹿島郡鹿西町能登部上の藁工品(バンドリ・草履・フカクツ・

むしろ・繩)の市が一月にのみ設けられた。

の記述がある。羽咋市や鹿西町(現・中能登町)では、特定の日に藁製品を売る市がたった。

昭和 40 年代、筆者がまだ建設会社員だった頃には施主の大半は昭和1ケタ生れであっ た。その親達も健在で、バンドリや六字の名号の紙を貼る事も当然行われた。

だが、タチマイの日は三隣亡を避けるという習慣は廃れ始めていたし、夫婦とも勤め人 の場合、吉日に限らず土・日にタチマイという人も現れ始めた。

(註 1)『水無し、塩無し、マッタ無し』の日本一古い相撲と言われている。能登と加賀に分かれて相撲を 取る。

八郡誌・市町村史に記載された天狗に関する記述を見てみる。

能登北部(珠洲)

珠洲郡誌

〇概説 (前略) 本郡の如き都市を離るること遠く、人智の発達早からざるが故に、

比較的今猶迷信少しとせず、即ち一般に蒼鬱せる松又は楠の老樹あれば、天狗の棲め りといひ、時々或は其の鼓声を聞くといひ、之を伐らば一村火災に罹るべしといひ、

泥酔者深夜溝壑こうかくに陥れば、天狗に投げられたりといふが如きは、往時多くの人に信ぜ られしことにして、今も尚その迷夢を去る能はざるものなきにあらず、 〔この外狐 狸の蠱惑、狐憑を信じ、鬼門又は病門あることを唱ふものあり、かくの如きは真宗宗 規の禁ずる処なりといへども、往々之に拘泥する者あるを免れず、将来人智の発達に 伴ひて自ら消滅すべしは論無かるべきも、尚教育の力に待ちて之が啓発を促進せざる べからざるなり、〕・・・既述(珠洲郡誌 pp.142‐143)

能登南部(鹿嶋)

鹿島郡誌

〇概説 (前略)嫁娶は(日取り)・・・〔概して日蓮、真言、禅等の信徒は何れも方 位日取を信ずるが真宗信徒は之に拘泥せざるものの如く、婚嫁も同宗派内を本体とし 止むを得ざる場合は真言、日蓮、禅或は浄土宗間に於て之を行ふも真宗と他宗派とは 時に異例なきに非ざるも互に婚嫁を行はざるを普通とする。〕・・・既述

土用、つち、八専等によりて晴雨を豫断し 己つちのと午の日を雨とする如き天象に関する 俗信、各種の呪禁まじない、其他迷信と称する「いひならわし」は多少の差あるも各宗派を通 じ一般に之を信ずるものの如し。天狗の存在、狐狸の蠱惑こ わ く、狐憑等の怪を信じ妖を談 ずる等亦他地方と異なることなし。

天狗は恐るべき魔物と一般に信ぜられ、天狗にさらはれしとか、さらはれたるもの、

股より引裂かれ木の又に引懸けられしものありとも言伝へられ、神隠はすべて天狗の 所為なりとせらる天狗は一面懲悪の神と畏れらるるが、天狗面をつけ白装束にてとあ る峠の松に聟を脅し娘の復縁を遍りしものありと伝ふるもこれがためなり。天狗は酒 を嗜むものとし夜中酒倉に入らんとするときは必ず掛声を為すべきものと戒めらる。

天狗のつきし酒は芳醇佳味腐酸の恐れなしとす。旧家の老樹は屢々天狗の棲処と称せ られ其の座敷の一室は深夜天狗の来りて酒宴を開く場所なりといひ之を開かずの間 といふ。 後 山うしろやま岡部家の如き主人のみ特に其の席に侍しお相手を勤むといふもあり。

打切なしといふ天狗の太鼓、或は天狗の千本切は之を聞きしといふもの少なからざる のみならず、或は老松の梢に或は堂塔の軒場に朱面猪鼻の姿を見しといふものさへあ り。天狗は変化自在のものなるがその通力は変化せる生類の力を出でざるものとせら

れ、蜘蛛の網にかかりし一羽の蝶を助けしに、危かりし生命を助けくれしを謝し、何 なりとも望みを叶へさせんと深更天狗の御礼に参りしといふ伝説あり。

天狗は亦弄ひなぶりを好み火災の折、火鳥となりて火をまきちらし火勢を大ならしめ以て自 ら快とするものと称せらる。囲炉裏の火は深く埋け火箸失を斜に立てて仕抹するもの とせらるるは天狗の弄火をを防ぐためなり。天狗の笛太鼓の音を喜ぶに反し、鉦と拍 子木を嫌ふこと甚しとす。夜廻に拍子木を用ひ、迷子を捜すに鉦を用ひ、山小屋に笛 尺八の類を厳禁するは之を嫌はしめ或は其の来るを禦ぐためなりと信ぜらる。また夜 口笛を吹くと天狗が来るといひ之を忌む。地方にては天狗を怖るるためあらはに其の 名を呼ぶを避け「あの人」「かの人」或は「顔の赤い人」などといふ。天狗の祟りは 一般に之を信ぜるが狐などと同じく時には人に憑くこともありといふ。みの虫も亦天 狗の為業し わ ざなりとす。(後略)(鹿島郡誌 前編 pp.982-983)

能登北部の珠洲郡では、阿弥陀一筋である筈の真宗門徒でも、天狗・狐狸・鬼門・病門 を信ずる者が多いと言い、能登南部の鹿島郡の真宗門徒でも同様に信じるが、結婚は真宗 信者同士で行い、他宗派との婚姻は普通しないとする。

鹿島郡誌では天狗と酒の関係が述べられ、天狗がついた酒は芳醇で、醸造家の主人と深 夜座敷で吞み交わすということ、天狗の太鼓、天狗の千本切等の悪戯についての記述が続 く。

天狗は火を弄び、火災の折、火鳥となって大火にし、快とする性質があると言う。

加賀北部の河北郡誌と、加賀南部の能美郡誌の迷信の概説・河内村風土記の天狗の項を 見てみる。

加賀北部(河北)

河北郡誌

〇概説。〔本郡は浄土真宗の最も熾盛を極むる地なり。而して其の宗義として専修念 仏を教へ、雑行雑修を忌むが故に、加持祈祷の行はるること頗る鮮く、観音・不動・

地蔵の如き諸佛の祠堂を見ること甚だ稀なるは注目に値す可く、殊に犬神・狐持等の 弊風の絶無なるは喜ぶべし。〕・・・既述

然りと雖も此等の以外にも多くの迷信は存在す。凡そ道理を以て肯定し得ざるもの を然りとなすは、皆迷信に属するを以て、其量は人智の開發するに従ひて當然減少し、

往時は事實として認められしものも、今は一笑に附せらるるもの益々多きを加ふるに 至れり。抑本郡の地たる、金澤に接し北陸道に添ひ、農村として其開明の程度に於て、

古来決して遅れたりといふ可からず。而も今尚迷信の少からざるは慶す可きの事象に あらず。宜しく教育の力によりて一掃し去らんことを要す。

迷信の種類は之を別ちて三とすべし。其一は教訓の意義を有するものなり。文化の 未だ普からざるや、田夫野人をして非違失策なからしめんことを目的とするものなり。

こは必ずしも排斥すべきにあらざるも、今日に於ては寧直接に其理を説きて諒解せし むるに如かず。其二は卜筮の用に供するものにして、或は陰陽占相の説に基き、或は 單純浅薄なる經驗より歸納して、結果を豫知せんとするものとし、其三は全然根據な く目的を有せざるものにして、其故意たると然らざるとに關せず、無稽の言を構へて 人を誑惑し又は畏怖せしむるの類是なり。共に弊害ありて何等利益する所あらず。(河 北郡誌 pp.180-181)

加賀南部(能美郡)

能美郡誌

〇概説 (前略) 家屋の新築若しくは婚姻に際しては、八将軍の方位によりて吉凶 を判断することも普く行はすることも 普あまねく行はれ、大将軍外の方角は三年塞がりな るが故に万事に宜しからず、或は歳殺神丑の方は新婦を迎ふるに適せずなどといはれ、

之と同時に、本命九星の説によりて、運勢を予言せられ、男女の相性を占はる。天狗 の存在と狐狸の蠱惑度に関しては、科学思想の発達せる今日、相当智識あるものは断 じて之を信ずるものなきに至りたれども、婦女子及び児童中には尚幾分之を肯定する ものなきに非ず、三輪亡の日に於いては建築普請を行ふを避くるを普通とし、婚儀は 偶数日を吉とし、奇数日を凶とす、女子の十九歳と男子の廿五歳とは、之を厄年とし て婚嫁を避く、新に家屋土蔵等を建築する時は、鯖魚を枠に盛りて、四五日中之を柱 に結び置き、麻疹又は種痘の快癒期に当りては、赤飯を桟俵に盛りて、人知れず之を 河水中に流すことあり、

小松町の如きは、元と城下の地として、謡曲を娯楽とするもの多かりしが故に、従 ひて謡曲に関する迷信を有せり、例へば航海中弁慶を吟ずるときは、必ず風起り波立 つが故に之を慎むべしといひ、夜更け人静まりたる後、鞍馬天狗を謡ひて道を往くと きは、天狗の為に投げらるることありといふの類なり、(能美郡誌 pp.323-324)

河内村風土記

(現・白山市)

天狗 天狗を見た者はいないが、天狗は確かに住んでいると信じられて来た。「天狗 のつままれ」、「天狗かくし」にあった者がいた(中途から気が変になったり、馬鹿に なった者)。天狗の羽音を聞いたことがある。天狗の太鼓を聞いたことがある。天狗 は確かにいたが世の中が変わったのでいなくなった。天狗が世知辛い世の中では住め なくなったのだと云う。かまいたちが今もいると信じる老人達には、不思議な天狗の 羽音や太鼓の音は懐かしい過去の思い出でもあるらしい。

この地方の天狗は昔話に出て来る天狗と違い、正体は分からないが、空を飛ぶ羽音 が聞こえるから羽根があるのだろう。天狗は太鼓も持っている。天人にも非ず仙人に も非ぬ存在を想像したものである。

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 92-105)