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囲炉裏への儀礼

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 64-67)

第二節 工程に伴う儀礼

8 囲炉裏への儀礼

・便所をきれいにすると産が軽い。 (1 か所)

・節句にまつる。 (1 か所)

・正月に松竹梅モチバナ、節句に桃や菖蒲よもぎを飾る。 (1 か所)

・裸で入ると祟る。 (1 か所)

・女の下の病の神という。 (1 か所)

・用便のとき拝んで入る。 (1 か所)

・節分に掃除し餅を供える。 (1 か所)

・中部地方の民俗地図の場合、石川県での調査地点の数が限られており、実態との相違が ある。例えば筆者の住む津幡町では、今でも土人形は、昔はカラツ屋と呼ばれていた荒 物店や神道具店で買えるが、◎(中黒)は全く記されていない。

・地図から見えて来るのは、能登では名は不明だが便所には神がいるということ、加賀で は新築の際、人形を埋める習慣があるということである。

・富山県高岡市では紙人形の夫婦一対を、小杉町では藁人形一つを埋めた。

・福井県越前地方には便所への人形埋めの習慣は無いが、若狭地方の小浜市山間部にポツ ンと一か所だけ、その習慣が伝わっている地区がある。

・小松市の「ウソ明神」は烏枢沙摩明王の事であろう。

筆者の生家は 30 数年前に取り壊したが、当時で築後 100 年以上経過していた。北国街 道沿いの中庭を持つ町屋造りで住宅部分の一番後ろに便所があった。

便所前の板の間にある窓の鴨居上には小さな神棚があった。毎年暮れに松の小枝一本を 飾り、半紙の上に紅白の小さな鏡餅を飾ったが、必ず当主(父)がそれを行った。小正月 には松と餅を下し、普段は御札も何も飾ってはいなかった。

神棚の形は竈の神棚と同じく、上部が水平の板で下部はそれを支える 45 度の直角三角 形の板という簡素なものであった。

年末、家中の障子数十枚の張り替えと神棚・床の飾り付けは当主が行い、母、祖母達女 性は、正月料理作りと仏壇・仏具の清掃を行っていた。

金沢市野田山の大乗寺など禅宗寺院の東司入口の鴨居の上には烏枢沙摩明王の像が祀 られているが、筆者宅では便所・竈の神棚には、特定の神仏のお札を飾ることも無かった し、具体的な神仏の名を父から聞いた記憶はない。

(註 1) 各都道府県教育委員会編 都道府県別 日本の民俗分布地図集成 6 p65 便所神 東洋書林 1981

(註 2) 小松市の南の山間部、那谷寺の東に隣接する町。

るのが発見された。

(2011・ 1・13(木)北国新聞朝刊より要約)

輪島市門前町黒島の北前船船主であった角海家は、平成 19 年 3 月の能登半島地震 で建物が大きな被害を受け、市が解体、復元工事を施しており、基礎石撤去作業中、

かめに入った德利が見つかった。かめは明治期の塩田焼(佐賀県)徳利は産地や製作 年代は不詳だが、かめの製作年代からみて主屋の再建年代(明治 5 年)に火除け祈願 に囲炉裏のそばに徳利が埋められたと考えられると神奈川大常民文化研究所はいう。

17 日本の民俗 石川 p.54 には

いろりは神聖視され、金沢市西部では、カンサマ(鈎)を子どもがいじると吃音にな るとか、元日にインナカへ足を入れると苗代田に烏が入るといい、失せ物があるとき は藁でカンサマをからげると思いだすという。※カンサマ・・・自在鈎

県内各資料の中に、囲炉裏の火除けに関する鎮め物の記載は見られない。

しかし、神聖な火を扱う囲炉裏に関する迷信・禁忌の記述は多く、各郡誌・市町村史に 記載されているものを挙げると

珠洲郡誌 p146 第七章 迷信

・圍炉裏の鍵を弄る者は吃音となるべし、

河北郡誌 p181

・圍炉裏の隅に水を捨つれば病を得。

・圍炉裏の中に大根の皮を捨つれば常に病者あり。

・圍炉裏の中に酸味あるものを投ずれば火傷を受く。

・圍炉裏の守護神は人の手の跡を好み給はず。

・圍炉裏の鑰

(かぎ)

と鑰との間より物品を受渡すれば入牢の憂目を受く。

・圍炉裏の中に足を入るれば貧困となる。

津幡町史 p604

・炉をしめらすのは病人のもと。病人が絶えない。

・炉を湿らすと、子供が炉に落ちる。

・正月一日、炉に足を入れると、苗代田に烏が入る。

炉の作法(前掲書 p.604)

・茶の余りを捨てない。

・唾を吐かない。

・鼻をかんだ紙を捨てない。

・子供が小便を垂れると塩で清める。

・炉の火を始末する時、南無阿弥陀仏と唱える。

鳥越村史(旧・石川郡)

・炉に火を埋めた灰が固くなる時は、遠からず死者がある。

・「いろり」を汚すと長病に罹る。

能美郡誌

・爐に火を埋めたる灰の固くなる時は、遠からざる中に死者あるべし、

・圍爐裏を汚す時は長病に侵さるべし、

・圍炉裏の鍵に觸る時は吃音となる、

・元旦の朝圍爐裏に足を出す時は、其年の苗代田は烏の為に荒さるべし、

江沼郡誌

・元旦圍爐裏中に足を入るれば烏苗代を踏む。

・圍炉裏の鍵を弄すれば吃となる。

・火を弄すれば寝小便を漏らすべし。

富山県でも 富山県史

・囲炉裏につばをはくとカワキのヤマイ(ひもじくてひもじくて、いくら食べても飢 えがなおらない病)になる。

・エレブチ(囲炉裏の 框かまち)は親のコンベタ( 額ひたい)だから傷をつけてはいけない。

・子供などが誤って囲炉裏に小便をしたら、灰を入れ替える。

・カンサマ(自在鉤)をなぶる(いたずら)と、どもりになる。

・夜寝る前、防火を祈って火箸を×印に立てて置く。

・夜寝る時、防火を祈って囲炉裏の灰の上に手の跡を付けて置く。

平村史

・囲炉裏へ茶や水を捨てると家に病人が絶えない。

・囲炉裏を跨ぐと長患いする。

・囲炉裏に唾を吐くと長患いをする。

そのほかにも、囲炉裏の周りの坐る位置は決まっていて、厳しく守られていた。

【参考】仏教建築・門への儀礼

(2010・6・15(木)朝日新聞朝刊より要約)

奈良市興福寺の南大門跡で創建時の奈良時代初め(8 世紀前半)に埋納された須恵器 のつぼから、建物が永遠に続くよう地の神に祈った鎮壇具と見られるカサゴの一種の 魚の骨などが見つかった、と同寺と奈良文化財研究所が発表した。藤原京や、平城京 時代に創建された同寺や東大寺などから鎮壇具(7~8 世紀)は 16 例出土しているが、

魚は見つかっておらず、仏教儀礼を記した教典「陀羅尼集だ ら に じ っきょう経」などにも魚を鎮壇具 とする記述は無い。森郁夫・帝塚山大名誉教授(歴史考古学)は「仏教のやり方とは異 なり、海の幸を供える陰陽道と関係があるのではないか」と話す。

筆者の経験

筆者の生家では、2 か所あった囲炉裏にはどちらにも神棚は無かったが、 竈かまど(へっつい さんと呼んでいた)の上には神棚があった。便所と同じ形で、年末に松の小枝一本を飾り、

半紙の上に紅白の小さな鏡餅を飾り新年を迎えた。柱には年末に神社から配られる「鎮火 神符」が貼られていた。親からは三宝荒神・秋葉様・カグツチなどの具体的な神の名は聞 いた記憶はない。

囲炉裏は昭和 40 年代初期に、ダイニングキッチンとなり姿を消したが、それ以前はや はり、家長・主婦など座る場所が決まっていた。テレビの無い時代はそこで祖父母・父母 たちの話を聞くのが常だった。炭火の燃えている灰の中へ、栗やサトイモ、サツマイモ、

等を入れて焼いたものである。 框かまち(囲炉裏の枠)は足で踏むのは禁ぜられ、焼けたイモ 等は框の上に皿を置き、食べた。皮などは火の中へは入れなかった。

行儀が悪いと火箸で叩かれた記憶がある。子供は火箸も灰均しも触らせてもらえなかっ た。囲炉裏の角には、消壷が埋めてあり、就寝前には燃え残りを入れて蓋をした。

冬季の早朝、古い灰はどの家も、自宅前の北国街道(昭和 30 年頃まで今の国道 8 号線 はなかった)の雪道に、転倒防止のため播いたものである。囲炉裏へはその都度、新しい 藁灰を補充した。

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 64-67)