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第二節 工程に伴う儀礼

4 地鎮祭

筆者の経験

敷地のどの場所に建物を立てるかは、現在は建築基準法等で隣家との距離、日照権の問 題、傾斜地であれば山裾からの距離、崖からの距離など規定される。よほどの僻地でなけ れば監督官庁へ有資格者の作成した各種図面を添付し、確認申請書を提出し審査を受けな ければならない。

内浦町史 pp.824-825 に『国重・吉田明照家には縦横各々五十五センチの板製「家相方 管図」が現存する』『秋吉・真言宗壇家前田孫太郎家には、明治五年「家普請地相家相改 止出帳」なる小冊子が残っている。』という記載があるが、平成 23 年(2011)旧内浦町役 場庁舎にある能登町教育委員会へ赴き、「家相方管図」「家普請地相家相改止出帳」の存在 を尋ねた。吉田家の「家相方管図」の所在は不明。前田家の「家普請地相家相改止出帳」

は原本のコピーが教育委員会の倉庫に有った。別添のコピーはそれを複写したものである。

する傾向が多く見られる。

上戸村史(現・珠洲市)

地祭り(地鎮祭のこと) 本村では必らず神主が行う。(上戸村史 p.433)

内浦町史(現・能登町)

地鎮祭 国重・権三郎部落の真言宗壇家では、願成寺の法印(僧侶)を招き仏式のジ チンサイ(地鎮祭)を催す。能登地方は大勢として真宗が盛んで地鎮祭は僧侶ではな く神官を招き神道式で挙行する場合が多い。しかし木郎地方の地鎮祭は、仏式の真言 宗風の建築儀礼が優勢で特異的な存在であったが、最近は神道式を採用する家が目立 っている。

まず建築主は、木郎川から 掌てのひら大の石を五つ採り、洗い清める。法印はその一つに 不動明王をあらわす梵字を書き、大黒柱の位置に据え置く、この石を中心に東西南北 の四方位に梵字を墨書した石を置く。東には降ごう三世さ ん ぜ明王、北には夜叉明王の梵字を石 に記す。

大工棟梁・施主は羽織・袴で地鎮祭に臨む。屋敷地を長く守って戴く五大明王には、

半紙一枚を丸めて筒状にしたブップセ(仏布施)を始め米一升・洗い米一握り・御神 酒・五穀(穀もみごめ・麦・大豆・小豆・胡麻)を供えて法印が祈祷し、ついで御幣をきる 作法をし、屋敷地を祓い浄める。最後に 乾いぬい(北西)の方角に、五大明王の石と供物 少量を共に埋める。屋敷の乾の方角は、地神の安住の地であるという。(内浦町史 第 二巻 近世・近現代・民俗 民俗編 p.826)

珠洲市史と内浦町史の民俗編の著者は同じである。内浦町は旧領主の畠山氏が真言宗信 徒であった関係か、真言宗信徒が多い。

珠洲市、内浦町は棟梁と神主の儀礼における役割分担は決まっている。陰陽道、真言宗 の影響が色濃く見られる。鬼門を封じるのは棟梁である。

能都町史(現・能登町)

ヂマツリ(地鎮祭)昔はほとんど大工が主宰した。僧侶によって行ったムラ(宇加塚・

波並)もあるが、大正の終わり頃から神官を招いて行うことが多くなった。結局は清 祓で、火事・台風・地震等の災害の起らぬよう家の安泰を願う祈りと祓はらいの行事であ る。(能都町史 第一巻=資料編 p.500)

能登南部(鹿島・羽咋)

田鶴浜町史(現・七尾市)

地祭り 屋敷地が決まると、その家の主人が母屋の大黒柱の位置に御幣をつけたサカ キを東に向けて立て、神酒・米・タイ等を供える。ついで大工(後に神主)が塩をま いて祝詞をあげる、祭りが終わると主人と大工でその場でヒヤ酒を祝う。(田鶴浜町 史 第 3 部 p.625)

鹿西町史(現・中能登町)

地祭り 家を建てるということは一生に一度あるかないかの大仕事で、何年も前から 資金の準備をし用材の工面をして結審する。家を建てる場所が決まると、屋敷の地な らしをして神職に「地鎮祭」を依頼する。(鹿西町史 pp. 632-634)

志賀町史

石場かちの前に地祭りをすることもあった。日蓮宗の家では檀那寺の和尚にお経をあ げてもらった。(志賀町史 資料編 第四巻 p.888)

羽咋市史

地鎮祭は、戦前は全く行われなかったが、第二次大戦後流行してきた。ふつうは建 前の一週間前に行われる儀式で、神式と仏式とがある(太田・柳田町の新保では仏式)。

(羽咋市史 現代編 p.49)

加賀北部(河北・金沢・石川)

宇ノ気町史(現・かほく市)

地鎮祭 戦後行われるようになったもので、昭和二十六年上田名の岡部善三郎さ宅で の地鎮祭がこのあたりの最初といわれている。(宇ノ気町史 p.540)

金沢市史

地鎮祭 家屋建築着工前に必ずおこなわれている。大安・吉日の日を選び、神職を招 き、敷地に青竹を立て注連縄し め な わを張り、お神酒・海の物(するめ・魚)・山の物(大根・

果物)等を供え、祝詞の り とをあげ、玉串を捧げた。仏式の曹洞宗の場合は、「鬼門き も んしょうじょ消 除」 のお勤めがある。(金沢市史 資料編 14 民俗 pp.204-205)

白峰村史上巻(現・白山市)

建築に関する儀礼 白峰地方では建築の前にこれといった儀礼もせず、わずかに大黒 柱のところにお神酒を上げるくらいで、地鎮祭は学校など公有物でなければやらない。

(白峰村史上巻 pp.415-416)

白峰村では、一般の家は地鎮祭を行わないのが普通である。羽咋市、宇ノ気町では戦後 行われるようになったと有るが、金沢市より南の市町村史には殆ど地鎮祭の記述が無い。

(註 1) 池上良正・島薗進・徳丸亜木・古家信平・宮本袈裟雄・鷲見定信 編 『日本民俗宗教辞典』

1998 東京堂出版 p.227

(註 2) 村山修一著 『修験・陰陽道と社寺史料 法蔵館』1997 第二部 陰陽道の日本的展開 わが 国における地鎮及び宅鎮の儀礼・作法について 一 雑密期の地鎮・宅鎮 p.108

(註 3) 『新訂増補 国史大系 第一巻下 日本書紀』 後篇・巻廿五 孝徳天皇(白雉二年辛亥二年)

pp.251.252

(註 4) 宇治谷孟 『全現代語訳 日本書紀○』 講談社 1988 孝徳天皇 p.191

筆者の経験

地鎮祭は原則として建設予定地で行う。神式が大半であるが、施主によっては仏式の場 合もある。

地鎮祭予定日が荒天でテントも使えない場合は、建築予定地の土を掘り袋に入れ、神社 または寺院へ持参し、拝殿(仏殿)へ供え、地鎮祭をする。式後、土を建設予定地に戻す。

神職はその土地を管掌する神社の神職に依頼する。それ以外の、例えば現在住んでいる 土地の神職を連れて行くことはしない。同業者の領域は犯さないという不文律が存在する ようである。

施主は自宅の飲料水、米・塩・清酒などを用意し、設計者、施工会社は清酒を用意する。

清酒に巻く熨斗紙には「奉献」と書き、下に奉献者の名を書く。

神職に依頼すれば海の物(スルメ・昆布・鯛など)・山の物(自然薯・栗など)・里の物

(野菜・果物など)を持って来てくれ、その供え物を含めて『神饌料』を払えばよい。

祭壇(折り畳み式)、榊等は神職が、竹 4 本は施主または施工会社が用意する。花屋に 数日前に依頼しておけば当日、届けて呉れる。

式後、神職は祭壇に飾られた清酒 1 本とスルメなどを祝い物として施主に呉れる。その 他の供え物は神職が持ち帰る。その場合の神職への『神饌料』(御礼金)は 2005 年現在、

一般的な住宅であれば、神職一人で催行すれば 3 万円位が妥当であろう。

以上は金沢地方の平均的な地鎮祭である。室達棟梁に聞いた能登島の地鎮祭は少し違い、

・供え物は施主が全て用意する。清酒は建設会社や設計事務所が持って来るが、施主は出 さない。

・4 本の竹、縄は施主が用意し、神主は祭壇、四手、榊を持って来る。

・海が近いので施主は必ず生の鯛を供えるが、生鯛と清酒は神職が持ち帰る。

・能登島には神職は一軒のみで、昔から 20 数集落を管掌している。お供えは全て施主が 用意するため、費用は 1 万円が相場である。

筆者は仏式の地鎮祭は 40 年間に 2 回参列した。どちらも日蓮宗の式で、祭壇には神式

の神籬ひもろぎ(祭壇中央に榊の枝を立て木綿 と垂しでをさげた神の依り代しろ)の代わりに「南無妙法蓮 華経」の題目を中心に、四方に四天王の名を配置し、日蓮大聖人の名や諸佛の名を書いた 十界曼荼羅の軸を掛けた。花立には 樒しきみの小枝、蝋燭と香炉が配され、仏壇に参るようで あった。

僧侶の読経があり、参列者は樒の小枝を捧げ焼香した。それ以外は神式と同じであった。

2 回の内 1 回は暴風雨の日で、新築予定地の土を採り、寺の仏前に供え地鎮祭を挙げた。

〔一般住宅の神式地鎮祭式次第〕

・建設予定地に杭を四本立て、真竹を縛る。真竹の目の高さあたりに藁縄を巡らし紙幣

(垂・四手)を取り付ける。結界である。

・神職は結界の中に、東向きまたは南向きに祭壇を組立て、供物・玉串を並べる。祭壇 には榊を建て神籬ひもろぎとする。三方さんぼうに半紙を敷き、米を供え、水器に施主宅の水を入れる。

・施主とその家族、施工業者は頭を下げ、結界をくぐる。神職は清酒の瓶の封を切って 蓋を外し、水器の蓋を開ける。

・参列者は祭壇の前に並び、低頭する。

・神職は笏を持ち低頭しながら「おー」と長く叫び(警蹕けいひつ・先払いの声をかけあたりを いましめる)、地主とこぬしの神をよぶ。(降神の儀)

・低頭した参列者一同の頭上を御幣で 3 度左右に払う。

・祝詞の奏上。地主の神の名、神職の名、建築地の地番、施主の名、施工業者の名を呼 び、神に工事中の禍事まがごと(事故、怪我)のないように祈る。

・式参加者が順に玉串(榊)を捧げる。

・神職が結界の四方を廻り塩、清酒、五色の切紙を撒く。

・清酒に蓋をする。

・神職が再び低頭しながら笏を持ち「おー」と警蹕の声を長く叫ぶ。(昇神の儀)

・式後、神主から鎮め物を手渡される事もある。基礎工事の時、建物の鬼門(北東)に 埋め、その上に基礎を作る。

能登の地鎮祭では、神職より大工が主に催行する土地が多く見られ、真言・日蓮宗の盛 んな地は僧侶が行う。

現在でも大部分の施主は、地鎮祭を施行する。建築は一生に一度の経験だからである。

〔福井県の地鎮祭〕

富山県・福井県の各市町村史には地鎮祭に関しての記載はみられない。『近ごろの福井 県の冠婚葬祭』(株)エクシート出版事業部発行 2003 pp128-129 にのみ、地鎮祭の記 載が見られた。

●地鎮祭

家を建てる前に、その土地を清めて霊をなぐさめ、一家の平安と工事の無事を祈る ために行います。日時は大安・友引・先勝など、縁起のよい日の午前中に行うのが一 般的です。天候や家族が揃いやすい日を考えた上で、決めると良いでしょう。

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 35-40)