第二節 工程に伴う儀礼
7 便所への儀礼
加賀・越中西部では新築の際、便所の位置を決め、便槽を掘った底に、男女の土人形を 安置し、供え物をした。能登には見られない風習である。
便所の位置が決まると汲み取りの場合、大きな甕を入れるかコンクリートの便槽を掘っ た。底部を御神酒、塩で清めた後、金沢近郊はカイモチ(ボタモチ)、男女の土人形を向 かい合わせて半紙または奉書紙で包み、紅白の水引をかけ埋める。
夫婦の土人形は神道具店や荒物屋で施主が購入する。石川県では製作しなくなったので、
岐阜県内で製作したものを販売している。
現在の人形は男女とも立ち姿のものを用いるが、この人形は「疱瘡流し」に用いる人形 で、本来は座った形であったという。
上記の儀礼は本来、新築時のものであるが下水道が普及し、洋式便所が9割以上を占め る現在、基礎コンクリート打ち込み前に便所の位置に人形を埋める人はまれである。
便所に祀られている神について、『日本民俗宗教辞典』(註 1)では、
便所に祀られている神・便所神は、カワヤガミ、センチガミ、カンジョガミ、チョー ズバガミ、ウスサマなどと呼ばれている。便所神は、便所の一隅に棚を設けて幣束や 人形を神体として祀られ、正月に灯明やマユダマを供えることもある。家の新築の際 に、富山県高岡市ではかつて夫婦一対の紙人形を便壺の下に埋めて魔除けにしたとい い、宮城県の仙台付近では男女一対の小さな泥人形をカンジョガミとして祀ったとい う。便所神は盲目で、大小便を左右の手で受けているので、
写真は、現在金沢地方で使われている「便所の神さま」
もし唾を吐かれると口で受けねばならないといい、この行為は禁じられている。もし 唾を吐けば、目や耳に祟る神々には、境界領域に祀られているものが多い。
便所は、いわばこの世とあの世の境にあると考えられ、この世とは別の世界への参入 口をなし、霊魂の出入りや変身の行われる特別の場所とイメージされていたようであ る。
(中略) 便所神は井戸神と夫婦であるとか、荒神と兄弟であるという伝承もあって、
便所、竈、井戸など家の私的領域に祀られる神々が相互に深い関係があることがわか る。
と述べられている。
新築の際の便所に関する儀礼について、『怪異ノ民俗学⑧ 境界』(註 2)では
(二)建築儀礼
家を新築するときに、便所の便壺の下に人形や化粧品を埋いける風習は各地に見られ る。ここではこの風習の民俗的意味をおよび人形狀をした厠神の神体について考えて みたい。
事例(10)人形を埋める習俗(越中)
越中の小杉で家を新築すると、大工が便所の甕を埋める穴へ、必ず藁人形を一つ作 って容れた。それには別に時とか人をやかましく拘束せず、便壺を埋める工程の時に したという。この小杉から二里ばかり西によった高岡では魔除けの行為だといって、
これは夫婦の人形を二つ作って大工に便壺の下へ入れさせたと謂う。
高岡の人形は必ず子供たちが習字をして墨のついた和紙を用い、女の人形には髷まげを こしらえてつけた。同じ事例は、金沢市付近でも見られ、便所の新築のときカメの下 に男女一対の人形をうめたという。ここでは今も、塩、酒、オハギを供え、市販され ている親指大の赤青の土人形を水引で結んで、便壺の下に埋め、無病息災を祈るとい う。また長野県木曽郡の木祖村や楢川村では、便所を建てる場合に、便壺の下に鏡そ の他の化粧品を埋いけ、新開村熊沢や木祖村小木曽では、便所の桶の下に扇子と麻を埋 けるという。これは、上棟式で、扇を開いて麻をさげる村が多いことと関係があるら しい。楢川村奈良井のあたりでは、便所はきたない所だから、女神を祀って悪魔を払 うのだと言っており、この辺では妊婦が厠を掃除すると美しい子が生まれるともいう。
新築や普請の際に、人形や化粧品等を納める風習は、便所だけでなく、家の上棟式、
船霊込め、庚申塚の築塚、胞衣納めにも見ることができる。井之口章次も、これが便 所に特有なものではなく、「大黒柱の下、土に穴を掘ったとき、古井戸を埋めるとき、
竈を修理するためなどの目的で土をいじったとき、地荒神をなだめるための、陰陽道 の作法である」
と述べられている。
福井県での便所に関しての習俗は、福井市史に
禁忌 浄土真宗の家が多い地区(酒生・棗・鷹巣など)は、鬼門とか方位とかをあま り気にしなかった。しかし鬼門を重視する地区もあって、南西の方角を表鬼門
(ママ)
、 北東の方角を裏鬼門(ママ)
と称した。鬼門の方角に設けてならないものは、家の向き・門・玄関(六条・西藤島・河合・
本郷)、仏壇・神棚(西藤島・本郷)、台所・かまど・流し・井戸・下水(一乗谷・西 藤島・河合・大安寺)、便所(一乗谷・上文殊・西藤島・大安寺・本郷)などであっ た。
鬼門とは別に、南側に便所はよくない、北側がよい(西安居)、南側に台所はいけ ない(河合)という。(福井市史 資料編 13 民俗 p.288)
(註 1) 佐々木宏幹・宮田登・山折哲夫監修 1998 東京堂出版 p.501
(註 2) 柳田國男ほか著 小松和彦 編 2001 河出書房 Ⅱ 境界の場所 厠考―異界としての厠―
飯島吉晴 第四節 年中行事および建築儀礼における厠 pp.122-123
筆者の経験
石川県の便所に関する禁忌は 珠洲郡誌 pp.142-149
・大便所又は水屋に転びて受けたる傷は容易に治せず。
鹿島郡誌 p.987
・女子が便所を清掃すれと眉目よき子を産む。
宇ノ気町史 p.542
・東北に便所をおかない。
金沢の迷信
・便所を新築する時、夫婦の人形(便所の神様)を埋め粥餅(かいもち)をそなえる。
その時家の人達も粥餅を食べる。p.65
・便所の中へ唾液(つば)を吐くと、カハスソ様の着物が汚れる。p.102
・鬼門を不潔にすると、たたりがある。鬼門に便所を建てると、たたりがあるともい う。p.137
石川郡誌
・便所と賄所を對向せしむれば其の家滅亡す。p.371 中部地方の民俗地図 2 新潟・富山・石川・福井』(註 1)には
便所神 便所には神さまがいると考えられているが、それではどんな神様か、どうま つるのかなどについては誰も知らない。便所をそうじするときれいな子が生まれると いうから、便所の神さまはお産の神さまかも知れないと言う程度のものは◎、家を新 築したり改築したりする際、便所のカメの下へ人形を埋めると答えた地区は、◎(中 黒)の記号である。はっきりと、「ウソ明神」が便所を守っていると答えたのが、小 松市馬場町(註 2)である。
とあり、地図に3種の記号が示されている。それによると、
・いると考えられている。
(能登)珠洲市2か所 内浦町2か所 輪島市3カ所 七尾市1カ所 田鶴浜町1か 所 志賀町4か所 羽咋市1カ所 押水町1か所
(加賀)高松町2か所 小松市1か所
・人形を埋める。
(加賀)高松町1か所 金沢市 3 か所 松任市3カ所 鶴来町1か所 辰口町1か所 小松市 2 か所 山中町1か所
・ウソ明神。
小松市1か所
富山県氷見市史 pp364-369
・妊婦が便所を掃除すれば美しい子が生まれる。
・便所へつばをはくと病気になる。
・大便所で歌を歌うと気が狂う。
富山県平村の便所に関する禁忌 平村史 pp1128-1129
・唾を便所に吐くと悪い病に罹る。
・便所を奇麗にして置かんと難産する。
・裸で便所へ入ると罰があたる。
福井県でも男女二体の人形を埋める習慣に関しての記述は見られない。
『中部地方の民俗地図 2 新潟・富山・石川・福井』には 越前地方(福井県北部)
・神がいると聞いている。 (5 カ所)
・あらたかな神だという。 (2 か所)
・便所を埋めるとき息抜き竹をさす。 (4 カ所)
・便所を埋めるとき御幣を立て、川へ流す。 (1 カ所)
・烏枢沙摩明王のお札、烏と書いたお札を貼る。 (1 カ所)
・便所を作るとき塩をまく。 (2 カ所)
・つばをはいたり鼻をかむ事を忌む。 (3 カ所)
・正月に燈明を上げる。注連縄を貼る。おまつりする。 (2 カ所)
・入口に花を飾る。 (2 か所)
・新築時に燈明をあげる。 (1 か所)
・便所をきれいにすると美しい子が産まれる。 (1 か所)
・もれて地の神様を汚さぬよう、底に石を埋める。 (1 か所)
若狭地方では
・神がいると聞いている。 (1 か所)
・便所を埋めるとき息抜き竹をさす。 (1 か所)
・烏枢沙摩明王のお札、烏と書いたお札を貼る。 (4 か所)
・便所神として男女 2 体の神の神像を埋める。 (1 か所)小浜市山間部
・つばをはいたり鼻をかむ事を忌む。 (4 か所)
・正月に燈明を上げる。注連縄を貼る。おまつりする。 (10 か所)
・入口に花を飾る。 (10 か所)
・便所を奇麗にすると美しい子が生まれる。 (5 か所)
・便所をきれいにすると産が軽い。 (1 か所)
・節句にまつる。 (1 か所)
・正月に松竹梅モチバナ、節句に桃や菖蒲よもぎを飾る。 (1 か所)
・裸で入ると祟る。 (1 か所)
・女の下の病の神という。 (1 か所)
・用便のとき拝んで入る。 (1 か所)
・節分に掃除し餅を供える。 (1 か所)
・中部地方の民俗地図の場合、石川県での調査地点の数が限られており、実態との相違が ある。例えば筆者の住む津幡町では、今でも土人形は、昔はカラツ屋と呼ばれていた荒 物店や神道具店で買えるが、◎(中黒)は全く記されていない。
・地図から見えて来るのは、能登では名は不明だが便所には神がいるということ、加賀で は新築の際、人形を埋める習慣があるということである。
・富山県高岡市では紙人形の夫婦一対を、小杉町では藁人形一つを埋めた。
・福井県越前地方には便所への人形埋めの習慣は無いが、若狭地方の小浜市山間部にポツ ンと一か所だけ、その習慣が伝わっている地区がある。
・小松市の「ウソ明神」は烏枢沙摩明王の事であろう。
筆者の生家は 30 数年前に取り壊したが、当時で築後 100 年以上経過していた。北国街 道沿いの中庭を持つ町屋造りで住宅部分の一番後ろに便所があった。
便所前の板の間にある窓の鴨居上には小さな神棚があった。毎年暮れに松の小枝一本を 飾り、半紙の上に紅白の小さな鏡餅を飾ったが、必ず当主(父)がそれを行った。小正月 には松と餅を下し、普段は御札も何も飾ってはいなかった。
神棚の形は竈の神棚と同じく、上部が水平の板で下部はそれを支える 45 度の直角三角 形の板という簡素なものであった。
年末、家中の障子数十枚の張り替えと神棚・床の飾り付けは当主が行い、母、祖母達女 性は、正月料理作りと仏壇・仏具の清掃を行っていた。
金沢市野田山の大乗寺など禅宗寺院の東司入口の鴨居の上には烏枢沙摩明王の像が祀 られているが、筆者宅では便所・竈の神棚には、特定の神仏のお札を飾ることも無かった し、具体的な神仏の名を父から聞いた記憶はない。
(註 1) 各都道府県教育委員会編 都道府県別 日本の民俗分布地図集成 6 p65 便所神 東洋書林 1981
(註 2) 小松市の南の山間部、那谷寺の東に隣接する町。