第二節 工程に伴う儀礼
10 大黒柱の縛り物魔除け
タチマイを終え、家の形が出来、人間が住む前に、天狗などの魔物が住みつかないよう に大黒柱に結びつける魔除けは、地方によって異なる。
加賀・能登ではタチマイが終わると、人間が住む前に天狗が棲みつかないように、大黒 柱や棟木に縛り物をしてそれを避けた。
能登南部(羽咋郡)
志賀町史
棟木が上がり納まると、棟梁は大黒柱の前に機織用のワクとオサを置き、酒と餅を 供えて祝詞を奏上して、棟上げの目出度く『ワクにオサまった』ことを報告する。(志
賀町史 p.890) 羽咋市史
棟があがると大黒柱に天狗(魔物)が巣をかけに来るので、魔よけのため天狗の最 も忌み嫌う女子を象徴するワク・オサ・カモジをあげるともいわれている。(羽咋)
弓矢、かけやをあげる部落もある(一ノ宮)。(羽咋市史 p.500)
加賀北部(金沢市・石川郡)
大野町史(現・金沢市)
タチマイ 夕の五~六時にすまし、かんなくずを集めて建物の中で火をたき、魔を除 けるためという。そして主柱に神酒をかける。
人の住むまで空家になるので、先に天狗が入らぬようにと、塩鯖や笠・バンドリ(蓑)
を下げておいた。(大野町史 p.730) 金沢市史
建前の後、人の住むまで空屋になるので、先に天狗が入らぬようにと、塩鯖や笠・
バンドリ(蓑)を下げておいた。(金沢市史 資料編 14 民俗 p.218) 旭郷土史(現・白山市)
タチマイ 大黒柱に「南無阿弥陀仏」と書いた紙を貼ったり、棟木に生鯖を吊るした りするのは新築の家を留守にしておくと天狗が来て巣を作るからそれを避ける 呪まじない だと昔の人は信じていた。(旭郷土史 p.737)
蛭川町史(現・小松市)
建前 (前略) タチマイは予定の仕事(たいていは屋根の裏板打ちまで)が終わる と、大黒柱に尺棹、曲尺、カケヤを結びつけ、供物に酒・塩・米などと一緒に魚をそ なえるならわしであった。塩は汚れを払う意味であったが、魚は生臭いということか ら、新築の家に「天狗」が巣喰うのを防ぐためだといわれたもので、天狗は生臭いも のを一番嫌うと信ぜられたからであった。(蛭川町史 pp.449-450)
加賀市史
建前 (前略)当日、予定の仕事を終えれば、大工の指示により、大黒柱の下方に尺 棹、曲尺、カケヤそれに図面板の四点が縄でくくりつけられる。更に大黒柱の前には、
御神酒一升と三方に載せた鮮魚(通常は〔新鮮な鯛〕)と白米、塩が供えられる。儀 式の順序として、先ず
①主人、大工が大黒柱に向って参る。
②石屋が塩をまく。
③大工が酒を大黒柱にかける。
④材木屋(木挽き)が米を撒く。
⑤家族親せきがお参りする。
⑥一同全員御神酒を飲む。
⑦謡を歌う。
こうした儀式の内容は、加賀江沼のどの地区においても同様に行われたようである が、近年になってから一部を簡略化したり、順序が逆になされたり、かなり変化して いる。(加賀市史 通史 下巻 pp.741-742)
加賀南部では、大黒柱に大工がその家の工事に使用した尺棹(竽)、曲尺、カケヤが縛 られる(加賀市では図面板も)。魚も鯖に限られていないし、ぶら下げず、大黒柱の前に 祭壇を作り酒、塩、米と共に供える。加賀市では石屋、材木屋も参加している。イシバガ チ、木挽きが参加する能登北部の形と同じである。
富山県
富山県史 (民俗編 pp.61-64)
富山民俗の位相(pp.62-65) 以上二書は同文
タチマイ (前略)タチマイの日の夕方、砺波地方ではオイ(広間)のいろりを作る 場所の上にヤマカギというものを吊るす。これはいろりの鉤の模型で、これに味噌と 干鰯を包んだわら苞つとをぶら下げる。そして、長い鉋屑を作ってこの下で火を焚く。こ のヤマカギは家移りをするまで吊るしておく。こうしておかないと天狗が入って住む からだという。魚津でもタチマイのときに魔除けとして味噌を苞に包んで梁に吊るす
(『魚津市史』)。福光町臼中では、炭焼きなどが山小屋を作ったとき、味噌をわら苞 に包んで吊るすというのもこれと関連があるのであろう。
城端町史(現・南砺市)
タチマエ 棟梁はじめ大工が柱立てをして、大黒柱に神酒を供える。その時に魔除け として味噌を包んで梁につるす風習がある。(城端町史 p.1290)
富山県西部(砺波地方)や東部(魚津)では魔除け(天狗除け)として、味噌を使う。
加賀・能登には見られない風習である。魚も干し鰯である。
福井県 福井市史
建て前
儀式 建て前には特別な儀式などしない所が多いが、棗地区では地づきのときと同じ ように、作業にかかる前に、中柱の所へ塩と酒を少々ずつかけて、建物の守護と作業 中の安全を祈った。
大安寺地区では、中柱のところに、立て棒(タテボー)を立て、酒とスルメを供え、
全員で祝酒をあげて後、中柱から立て始める。本郷地区でも立て棒を立てて、酒とス ルメを出し、塩で清めてから作業に入った。立て棒とは、二階より高い棒で、先に滑 車がついており、これによって材木などをつり上げる。
鶉地区では、棟木かまたは中柱・トウダイ柱などに請負代表の名を書き記し、工事 の無事完成を祈願して末広と御幣を飾る。
下文殊地区では、作業の前でなく、棟木があがったあと、棟りょうが一升びんの酒 を少しずつ四方に撒き、次はサンボウに載せてある塩を四方にまく。殿下地区では、
棟木が上がると、その日の夕方センマイ(洗米)まきという儀式をした。(福井市史 資 料編 13 民俗 pp.283-284)
筆者の経験
金沢近郊では、大黒柱にバンドリを縛り、棟木に塩鯖を吊るしたり、棟の芯束しんづかに数珠を 下げたり、南無阿弥陀仏の六字を書いた札を貼った。
バンドリは、石川県では藁で作った、膝の後までの長さの蓑のことであり、夜、大木か ら滑空する獣、ムササビの別名でもある。蓑を広げた形がバンドリに似ているところから 名付けられた。
他の地方でバンドリとは、肩から少し下がった所までを覆う短い蓑や、重い荷を背負う 際の肩や背に罹る荷重を軽減する、古布と藁で作った クッションの効用を持つ)背負子の 名である。
バンドリは雨の日の作業には必須の雨具であった。ゴム製の雨合羽は通気性が無く湿気 が内に籠り、長時間の作業では体力を消耗するが、バンドリは通気性がよく作業効率も良 かった。しかし、近年では製作する人も少なくなり、今ではその実物は民俗資料館へでも 行かなければ見られない。
筆者の家にも何枚かあったが、自宅で作っているのを見た記憶が無い。町内には藁製品 や竹製品を売る店舗が何件かあったから、そこで購入したのであろう。
能登地区では藁工品の市が開かれていた。
17 日本の民俗 石川 p.116 に
羽咋市本念寺の法事や唐戸山の神事相撲(註 1)で賑わう九月二十三日から二十六日 盛大な市がたつ。近郷近在からは一年分の必需品を買いに出る。一昔の商品としては、
からかさ・バンドリ・ゴザブシ(茣蓙帽子)・桧笠・箕・マッチ・陶磁器など。(後略)
17 日本の民俗 石川p.117 に
生産品の市としては、鹿島郡鹿西町能登部上の藁工品(バンドリ・草履・フカクツ・
むしろ・繩)の市が一月にのみ設けられた。
の記述がある。羽咋市や鹿西町(現・中能登町)では、特定の日に藁製品を売る市がたった。
昭和 40 年代、筆者がまだ建設会社員だった頃には施主の大半は昭和1ケタ生れであっ た。その親達も健在で、バンドリや六字の名号の紙を貼る事も当然行われた。
だが、タチマイの日は三隣亡を避けるという習慣は廃れ始めていたし、夫婦とも勤め人 の場合、吉日に限らず土・日にタチマイという人も現れ始めた。
(註 1)『水無し、塩無し、マッタ無し』の日本一古い相撲と言われている。能登と加賀に分かれて相撲を 取る。