第二節 工程に伴う儀礼
3 地割り
〔能登北部〕屋敷どり(上戸村) 地割り(内浦町)
〔能登南部〕地割り(田鶴浜町)
〔加賀北部〕ヤシキビキ(尾口村)
建築予定地のどの場所に建物を立てるか、鬼門を避け決定する作業である。
(能登北部)珠洲・鳳至 珠洲市史
ジチンサイ(地鎮祭) 母屋の長方形の敷地の四辺と、対角線に縄を張る。対角線の ものを「カクナワ(角縄)」と呼び、角縄の交点に磁石を置き、 艮うしとら―鬼門(北東)
と、 坤ひつじさる-裏鬼門(南西)の方角に、柱が建つような屋敷取りの時は、角縄を移動
して加減する。これを「鬼門ヨケ」と言い、大工棟梁が司る。鬼門と、裏鬼門は、地 神様が居着いている場所で、柱を建てると、その時より地神様が怒って、柱を倒し、
家を絶やすから、避けるのだと言う。ついで、神主による地鎮祭が催行される。(珠 洲市史 民俗編 p.748)
地鎮祭の前に、建築地の土を触る事はしないが、珠洲市史では地鎮祭の前に鬼門を避け 屋敷の位置を決める。その際、鬼門、裏鬼門、大戸口の位置には榊の枝に紙四手を付け、
地面に刺す。その後地鎮祭をする。
上戸村史(現・珠洲市)
屋敷どり 中には方位等を問題にする人もあるが、真宗が四分の三も占める本村であ り、現在は余り気にかけない。耕地を屋敷にする場合、必ず表土を取り除く、最小限 稲株はとり払い、地均しをし、その上に浜から綺麗な白砂をとってきて一面にまく。
山奥の方でも最小限盛り砂をして清める。(上戸村史 p.433)
内浦町史(現・能登町)
地割り 長方形の屋敷地の四辺と対角線に縄を張る。対角線の縄を「カクナワ(角縄)」
と呼び、その交点に磁石を置く。 艮うしとら・東北の方向を鬼門、艮の反対 坤ひつじさる・西南の方 向を病門として、この二方向に柱が立たないように留意する。特に鬼門に、大戸口・
小便所が位置しないように角縄を移動して屋敷取りを決める。この一連の作業を「家 相ヲキメル」、「地割リヲスル」と言い、大工棟梁が司る。
国重・吉田明照家には縦横各々五十五センチの板製「家相方管図」が現存する。当
主の祖父が明治三十四年製作したもので、二十四の方位について木火土金水のいわゆ る陰陽五行をあて、さらに二十四の方位各々について地面・泉水・ 竈かまど・火気・ 厠かわや・ 土蔵等の吉凶を細部にわたり墨書きしてある。「家相方管図」によれば、鬼門の方角
「艮」は五行の「土」に当たり「此方位一切建物・火気・不浄物置則家運衰散財の相 なり」として凶の方角と意義付けし、また福門の方角「 巽たつみ(東南)」は五行の「木」
に当たり、「万建物吉、地面家造張出大吉、泉・水・竈火気・土蔵大吉、厠凶方なり」
として吉の方角として意義付けしている。
吉田家の「家相方管図」は職業的八卦は っ け見み(占師)の原図を模写したものと推察され る。真言宗壇家の多い木郎地方では、家相・地相・人相・姓名判断等の観想術による 吉凶や因縁を、日常生活において真剣に取組む精神的雰囲気が強い。因みに国重の吉 田家の「家相方管図」は他の家で新改築する折、現在も借用される。また吉田家当主 が大工職で、今日も盛んに活用されている。
秋吉・真言宗壇家前田孫太郎家には、明治五年「家普請地相家相改止出帳」なる小 冊子が残っている。これには屋敷引き、柱礎決定、柱立て、棟上げの日々を、先勝・
友引・先負・仏滅・大安・赤口いわゆる六曜により吉日を選んでいる。例えば「六月 十日 則吉善日以此日北ノ方ニ柱立初メテ吉、附リ十五日迄ニ南ヲ立、西ヲ立東ニテ 立納メベシ」と書き記すように、柱立ては日の選定、作業期間、柱立ての順番に至る まで、建築作法上の規制が吉凶的に厳密である。さらに「五月ハ在乾戌亥 此方ヨリ 土取レテ吉」と記述し、五月中の壁土の採取場所を北西方向に指示している。真言宗 壇家は前田家の事例のように、地割りから始まる一連の建築工程で、日取り、期間、
方位に吉凶観を強く意識し反映させていた。(内浦町史 民俗編 pp.824-826)
「止書帳」には 6 月 2 日屋敷引き 同 8 日礎居地判 同 10 日北から柱立 同 18 日棟上 とあるが、地鎭祭に関しては日取りの指定は無い。珠洲市史同様屋敷引きを行った後、地 祭を挙行したのであろう。
(能都南部)鹿島・羽咋 田鶴浜町史(現・七尾市)
地割り 地づきの前に地割りが行われる。大工が磁石をもって測りながら割る。先ず、
大黒柱の位置を決め、それぞれの間(マ)の位置を決める。この際、北東は鬼門、南 西は裏鬼門とされ、鬼門にかかる方位に大戸(玄関)・カンショジャ(大便)・ション ベジャ(小便)・ナガシ(台所)・フロ場を置くことを慎しんだ。大戸は東が良しとさ れた。また、家の四隅を東・西・南・北に当てることも慎しんだ。(田鶴浜町史 p.625)
この地区も地づきの前に、鬼門、裏鬼門除けを行っている。
鹿西町史(現・中能登町)
地割り 宗派によって玄関や風呂、流し(台所)などの方角を厳しくいう家もあるよ うだが、近年は地溝帯に沿う道路をはさんで家を建てるようになったので、山側と田 圃側の家では方向が全く逆になるため、あまり厳しくはいわないようになった。北の 方角に便所を作らないようにする家が多い。
なお、土用の期間は、地面を荒す地搗きは避けなければならなかった。(鹿西町史 p.632)
(加賀北部)石川
旭郷土誌(現・白山市)
手伝い 家を建てることを「普請」と言う。「普」とは「広く」「あまねく」の意、「請」
は人々にお願いする意で、普請は周囲の人々の協力に依らねば到抵
(ママ)
出来るもの ではない。近親縁故者は勿論の事、他人でも手伝いを頼まれれば余程の差支えのない 限り頼みに応じて働くのが先祖代々お互いになっている。部落内の組の仲間があって その中で協力し合いそれでも不足の場合は他に及ぼすのが不文律になっている。こわ し方や地盛りはこうして行われる。(林郷土誌 pp.736-737)尾口村史(現・白山市)
地搗き・石場据え・建前・オワタマシ・家ブルマイ等の一連の建築儀礼に関して、
以下東二口の例を中心としてまとめる。
ヤシキビキ 建築用地を整地する作業を「ヤシキビキ」「ヤシキをヒク」と呼び、自 家労働ですますのを原則とする。儀礼的なものはない。(尾口村史 第二巻・資料編 p.638)
福井県 福井市史
禁忌 浄土真宗の家が多い地区(酒生・棗・鷹巣など)は、鬼門とか方位とかをあま り気にしなかった。しかし鬼門を重視する地区もあって、南西の方角を表鬼門
(ママ)
、 北東の方角を裏鬼門と称していた。鬼門の方角に設けてならないものは、家の向き・門・玄関(六条・西藤島・本郷)、
仏壇・神棚(西藤島・本郷)、台所・かまど・流し・井戸・下水(一乗谷・西藤島・
河合・大安寺)などであった。
鬼門とは別に、南側に便所はよくない、北側がよい(西安居)、南側に台所はいけ ない(河合)という。
又地づきや建て前は大安吉日を選び(東安居・河合)、仏滅の日は絶対にいけなか った(河合)。(福井市史 資料編 13 民俗 p.288)
筆者の経験
敷地のどの場所に建物を立てるかは、現在は建築基準法等で隣家との距離、日照権の問 題、傾斜地であれば山裾からの距離、崖からの距離など規定される。よほどの僻地でなけ れば監督官庁へ有資格者の作成した各種図面を添付し、確認申請書を提出し審査を受けな ければならない。
内浦町史 pp.824-825 に『国重・吉田明照家には縦横各々五十五センチの板製「家相方 管図」が現存する』『秋吉・真言宗壇家前田孫太郎家には、明治五年「家普請地相家相改 止出帳」なる小冊子が残っている。』という記載があるが、平成 23 年(2011)旧内浦町役 場庁舎にある能登町教育委員会へ赴き、「家相方管図」「家普請地相家相改止出帳」の存在 を尋ねた。吉田家の「家相方管図」の所在は不明。前田家の「家普請地相家相改止出帳」
は原本のコピーが教育委員会の倉庫に有った。別添のコピーはそれを複写したものである。