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ヤワタリイワイ

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 123-127)

第二節 工程に伴う儀礼

15 ヤワタリイワイ

家の享和三年(一八〇三)の「大工木引等附込覚帳」に記されたミマイの品をみよう。

家渡り〈酒・とうふ・やきとうふ・大根・竹の子・こつくら(ブリの稚魚)

(註 1) 菊池祐恭著 真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)発行 1966 第四章 年中行事 ご 本尊並びに仏壇移徏 p.84

(註 2) 久松潜一・佐藤謙三編 角川書店発行 1979 p.1233

筆者の経験

筆者は二度屋移りをした。一度目は結婚して住んでいた県営住宅から、新築した自宅へ。

真宗門徒の分家として、母から仏壇を贈られ、僧侶を呼びそのオワタマシを行った。

二度目は 23 年経過し改築する際、僧侶を呼び「お 精しょう」を抜き、仏壇は仏壇屋に預けた。

5 ヶ月後、新居が完成し仏壇安置の際、僧侶を呼び法要を行った。特に吉日を選ばず、日 曜に行った。家族全員が休める日であったとの理由である。

うに、見返りが何時になるか見通しのつかない、長期間を通しての物品の相互贈与を

「エイになる」と言い「お互い様である」と言う意味である。このような慣行と、そ の意識は、永代にわたる、家と家との付き合いを尊重する、奥能登らしい人情がよく あらわれている。(珠洲市史 民俗編 p.752)

能登南部(鹿島・羽咋)

鳥屋町史(現・中能登町)

ワタリミマイ 最後に、あらゆる点で新家が完成されて引越しも終わり、新しい家で の生活がはじまったとき、ワタリミマイと称してタテマエの時その他手伝ってもらっ た人々に感謝と報告の意味をもって赤飯を配り、あるいは新しい家で祝宴をはること もあった。しかし、タテマエが簡素化すればヤワタリミマイも其に準ずるのは当然で あった。そして一部老人たちの淋しさを無視してこうした簡素化が一般的となるにつ いては、生活改善運動の展開にも大きな関係をもっているのであると思われるが、其 については次に節を改めて述べようと思う。(鳥屋町史 p.614)

鹿西町史(現・中能登町)

家渡り 家ができあがると、親類を招いて家渡り祝いをし、また神職を招いて「おは らい」をする家もある。(鹿西町史 p.634)

加賀北部(河北・金沢市・石川)

宇ノ気町史(現・かほく市)

家移り・家渡り ごく近い親類や近所の人達だけで内輪な酒宴を行う程度であった。

信仰と生活 この地方は仏教特に浄土真宗が盛んであったので、住生活もその影響を 受けたものが少なくない。

仏壇と神棚―仏壇は立派なものが多く仏間も一番いい部屋(デイ)があてられてい て、家の生活の中心となっている。神棚はこれと対照的に簡素なものが多く、一も定 まらず各家によってばらばらである。階下の部屋におかれる場合が多く、この頃のよ うに二階を使用するようになると、神様の上に人間が上るのでは勿体ないと、神棚の 天井に「雲」の字を書いた半紙を張っている家もあった。(宇ノ気町史 p.541) 大野町史(現金沢市)

ザシキビラキ 新築祝いはザシキビラキといい、壁を本塗りにした二~三年後に行わ れる。親類・友人たちを招く。このときの祝い唄にホクリがあった。

(ママ・新か?)

屋敷 しいて均ならいて淀よど掘れば

水も出もする 黄金こ が ね湧き出る

オオドに針千本の魚や馬の蹄鉄を吊るしている家がある。悪いものが入ってこない ためのまじないである。(大野町史 p.73)

金沢市史

家移り祝い 最初に持込む物は、仏壇・位牌である。真宗の盛んな土地柄のせいであ ろうか。新築家の披露を兼ねて、親戚・知人を招き、会席膳で接待した。(金沢市史 資料編 14 民俗 p.205)

尾口村史(現・白山市)

イエブルマイ 新築祝の金品を受けた建築主は、金品の多少に関係せず全ての人々を、

家移り後の新築の家に招待し、分相応の力一杯の手料理を作り、返礼を含めた酒食の 席を設けてもてなした。これを「イエブルマイ(家振る舞い)」という。新築の家で は、一生に一度有るか、無しかの非常に目出たい吉事なので、冬季には若衆にデク宿 を申し出る慣行であった。デク宿に提供した場合は、当日はデクに熱中し過ぎると足 拍子で畳を損め、時には板敷きを踏み破るので、畳は起こし、板敷きを二重にする等 大変であった。さらに、若衆へは酒・手料理でもてなした。酒がはいり酔がまわり、

源平の戦争の場面にでもなれば熱がはいり力演の余り、戸・障子を破損する事もあっ たので、デク宿の提供は、誰彼となく敬遠する気風になった。同じ様な習俗は深瀬に もあった。(尾口村史 pp.638-640)

白峰村史(現・白山市)

ヤワタリイワイいよいよ家ができ上がって新家に引越しすると間もなく、ヤワタリイ ワイ(家移り祝)をする。これは先にフシギ見舞をくれた人や、手伝いに出てくれた 人びとを招いて料理屋料理、手料理などで酒食を饗応する。この御馳走にもニシンの コブマキから生ざかなまである。最近ではこのヤワタリイワイも報恩講と一緒にする 者もある。(白峰村史 上巻 pp.415-416)

(加賀南部)能美・江沼 小松市史

屋移り こうして地搗きに始まり手斧始め・建前・屋根葺きと、いろいろの儀礼とと もに作業も進み壁塗りも終って、外廻りの建具が入ると、内側の建具や造作が出来せ ずとも、屋移りを急ぐことになる。すなわち新築披露を兼ねて、親戚や関係者を招い て最後であり最初の酒宴が盛大に催される。(小松市史 p.378)

富山県

富山県史(民俗編 pp.61-64)

富山民俗の位相(pp.62-65) 以上二書は同文

オワタマシ 家移りをすると僧侶を招いてお勤めをしてもらう。これをオワタマシと いう。分家の場合は、親類などからヤワタリミマイといって鍋釜などの実用品を贈る。

檀那寺からもミマイがくる。

建築過程の折目折目に親類や村人からミマイの品は、現在は赤飯・酒・まんじゅう などの程度であるが昔はかなり自由で、バラエティに富んでいた。よく昔の普請帳が 残っていて、その具体相を知ることができる。一例として砺波市太田お お た、金子宗右衛門 家の享和三年(一八〇三)の「大工木引等附込覚帳」に記されたミマイの品をみよう。

家渡り 酒・豆腐・焼豆腐・大根・竹の子・こつくら(ブリの稚魚)

平村史(現・南砺市) 建築工程と儀礼

(前略)

ヤワタリ (家移り)は内部造作が終わらなくても、オーダレ(茅簀)を張ったりし て移ってしまう。最初に持込むものにはきまったものがないというところが多いが、

相倉ではヒキウス(挽臼)としている。ヒキウスは八方に目があるからだという。ま た、初めてイレを使うときは、サンダラ(桟俵)に味噌をのせてヒノツボへおき、そ の上で火を焚く。 イレ・・・囲炉裏(平村史 上巻 pp.1018-1028)

福井県 福井市史

新築祝い 新築された家へ移ってから、適当な日に大工、親せき、カイチの人を招待 して、酒食を出してもてなし、木の香も高い家の中を見てもらった。下文殊地区では、

昼は、地づきや建て前に茶うけを持って祝ってくれた家の女の人を、夜は、手伝いに 来てくれた人を招待した。

大安寺地区では、昭和の初めまでは新築祝いが行われた。接待の料理は、まんじゅ う、押し物(アラ粉)の菓子、魚料理五品、野菜料理であった。(福井市史 資料編 13 民俗 pp.288)

筆者の経験

建築主の中には、日頃自分の信頼する占い師(八卦見)の告げる吉日に物事を進める人 もいる。まだ内部の建具も入っていない完成前の住宅に、占い師の指定した日に布団を敷

ドキュメント内 加賀・能登の建築儀礼と民族に関する考察 (ページ 123-127)