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大江の初期作品を通して中期作品を読み直す

ドキュメント内 金沢大学大学院 人間社会環境研究科 (ページ 129-132)

第六章 同時代における〈政治〉と〈性〉

第五節、 大江の初期作品を通して中期作品を読み直す

ここでは中期の代表的な作品である「セヴンティーン」を初期の「人間の羊」

と比べながら論じてみたい。

第三章第一節―3、そして同章第二節―2で論じたように、「人間の羊」では、

米兵の出現により、主人公と読者が戦後の日本社会の分裂に気づく。バスの乗客 は、直接米兵より何らかの被害を受けたグループと、それをただ観察するグルー プと、その状況から何かを得ようとする者とに分けられる。

この小説は日本人とアメリカ人の立場の点でもう一つの初期の小説「飼育」と 正反対の設定になっている。大江はわざと同じような動物的なモチーフを使うこ とによりその二篇の対立を強調する。「飼育」で動物的な扱いをされたのは米兵で あるが、「人間の羊」では日本人が動物扱いされている。もう一つの対立点は、小 説の世界の現実性である。「飼育」の場合は神話的な世界における、最初は平和な 関係が描かれている。「人間の羊」ではリアルな世界が描かれ、最初から日本人と

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アメリカ人の関係は暴力的である。「飼育」の主人公は最後まで自分の置かれてい る世界を楽しんでいる。しかしこの世界が〈大人〉によって壊されると主人公は その世界を拒否するようになり、自分と周りの人々を切り離そうとする。一方、

「人間の羊」の主人公は最初から彼を脅かす状況におかれ、更に暴力にさらされ ている。この場合、逃げ道としては〈現実の否定〉が選ばれ、主人公は教員から 沈黙のまま逃げる。

中期小説に移って「セヴンティーン」では主人公は同じくリアルな世界に衝突 し、圧迫される。主人公はそこからの逃げ道を、自分の性欲を満足させることの みに見ている。しかし、彼が得ようとする快楽は、〈自涜〉によるだけではない。

彼は政治的な活動からも同じような気持ちを得る。それゆえ彼は右翼活動に全力 を尽くして、政治的な活動を武器と盾として使って自分の〈内〉を周りの世界の 干渉から守ろうとする。

「セヴンティーン」の主人公は明らかに〈性的人間〉である。彼は〈姉〉に代 表される〈政治的人間〉から逃げようとし、さらに〈逆木原〉に代表されるまた 別の〈政治的人間〉と手を組み、自分も〈政治的人間〉になろうと する。しかし その関係もやがて崩れる。「セヴンティーン」の第二部で、主人公はこの自己欺瞞 に目覚め、右翼も実は逃げようとした〈政治的人間〉であることを悟り、絶望し、

殺人を犯して監視所で自害する。

中期の小説の概念を用いて初期の「人間の羊」を観察してみると、主人公が同 じく〈性的人間〉であることは明らかである。〈政治的人間〉はアメリカ人と教員 である。大江がその作品を執筆したころに〈性的人間〉と〈政治的人間〉の対立 の固定した概念がすでにあったかどうかはともかく、その概念の芽生えは明らか に見える。

また、主人公の性的意識の発達とともに初期から中期にかけて恥意識、罪意識 も発達する。主人公は〈性〉に逃げ道を探すが、そのような道が周りの社会に批 判されていることを敏感に察し、恥じている。しかし、これも後ほど解決し、中 期の後の作品では恥意識はなくなる。

このような形で大江の小説上展開する日本社会における二つの人間のタイプの 止揚は、長い間、大江にとって重要なテーマになった。

しかし、「性的人間」と「セヴンティーン」の主人公は、明らかに〈性的人間〉

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であるものの、その役割を果たせていない様子も見られる。

場合により、彼らは〈政治的〉でもある。「性的人間」の 〈J〉は痴漢被害者に 対して、「セヴンティーン」の〈おれ〉は自分の姉などに対して、「対立せず抗争 しない」とは言えない。むしろ「硬く冷たく対立し抵抗し」ていると思われる。

ここには小説と、批評における大江の定義との矛盾が見られる。

この矛盾はしかし初期作品にすでにあったと思われる。先述した「飼育」と「人 間の羊」の主人公の立場の逆転は、〈政治的〉なものと〈性的〉なものの逆転でも あると言えよう。

よって、政治的と性的は〈対立〉の関係に置かれている一方、他方 では〈止揚〉

の関係にもあると主張したい。これは〈対立〉から〈止揚〉への展開の過程では なく、同時に〈対立〉し〈止揚〉しているのである。

以上、それぞれの小説における〈政治的人間〉と〈性的人間〉の描き方、登場 人物としてのそれぞれの意義について論じた。まとめると、初期小説から中期小 説にかけての作品を一連のものと捉えれば、大江は、〈性的人間〉と〈政治的人間〉

の間の関係の様々なパターンの設定を試み、〈政治的人間〉と〈性的人間〉の間の 止揚の解決は如何なる状況で可能かという疑問に答えようとしているのだと言え る。それぞれの条件を持つ〈性的人間〉と〈政治的人間〉の出会いは、対立葛藤 があるからこそすぐには解決を見出さない。

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ドキュメント内 金沢大学大学院 人間社会環境研究科 (ページ 129-132)