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外国人問題

ドキュメント内 金沢大学大学院 人間社会環境研究科 (ページ 32-35)

第二章 〈政治的人間〉の成り立ち

第二節、 外国人問題

この節で論じる外国人問題とは、戦後日本における外国人、とりわけアメリカ 人に関わる諸問題である。大江の文学が取り上げているのは、まず日本人とアメ リカ人のコミュニケーションの困難とそれにより生ずる事件である。

大江自身のアメリカ人に対する態度は小説にも現れているが、エッセイではそ れよりもさらに明確に立場が示されている。「出発点」というエッセイ集で、大江 は自分の子供の頃の思い出を描き、アメリカ人、とりわけ黒人兵を怖い目で見た と告白する。

ぼくは子供のころ、勝った軍隊の兵士として黒人を、初めて見たときの恐怖と 嫌悪、それに一種の畏敬の念を忘れることができない48

このような作家の個人的な経験は「飼育」や「暗い川、おもい櫂」にも現れて いると思われる。しかし大江は、アメリカ人に対する直接的な反応よりもさらに 広い問題を掲げる。アメリカ人とは日本人にとってどのような存在であるかとい う疑問が、小さい時から大江にはあったようなのである。

小説でアメリカ人をどのように扱うかは、アメリカ人と日本人の間にあった出 来事の理解と関係している。、戦争をどう捉えるか、また戦争は終わったのか、負 けたのか、という悩みが大江にはあった。「敗戦」と「終戦」という二つの言葉、

二つの理解の間に彷徨う作家の思いは、エッセイにも見られるし、小説にも見ら れる。「戦後時代のイメージ」というエッセイの中には、「敗けと終り」という独

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立した項目さえある。その冒頭文はまさに作家のこの悩みを伝えている。

戦争に敗けたということと、戦争が終ったということのニュアンスのちがいは、

今となってはほとんど深い意味をもたないだろう。少なくとも、そのことにこ だわって長いあいだ議論しあう熱情を今や、たれが持つだろうか。

しかし、あの当時、それはそうではなかった。山村の一人の少年は、敗戦と終 戦という二つの言葉を、いくたびもいくたびもノートにならべて書いてみたも のだった49

ここでの「少年」は大江自身を指しているが、この問題が大江を悩ませたのは 少年の頃だけではなかったであろう。それは、繰り返し繰り返しエッセイや小説 で問われるほどのものであった。

このうち、「敗戦」という理解は侮辱を意味し、その侮辱の気持ちは「人間の羊」

に現れている。この小説の出来事は先述したように、抵抗できない日本人に対す る屈辱を与える米兵を描く。これはアメリカ人を明らかに勝利者として描き、日 本人を敗戦者として描くものだ。その反対に、「終戦」という理解は、日本人とア メリカ人の間に平和的な関係が可能であることを意味する。その試みとしては「飼 育」のストーリーがある。日本人とアメリカ人が平和的に共生できるのではない か、という牧歌的的なストーリーが途中ま で続く。また、「戦いの今日」でも、日 本人がアメリカ人と馴染もうとする経験を描く。しかしこの二つの小説において、

平和な関係は長く続かず、〈外〉の状況の影響によって崩される。

こうして「敗戦」と「終戦」とのあいだで揺れる大江は、しかし結局「終戦」

という言葉を選び取る。先に引用したエッセイの続きには、次の文章がある。

そして、かれは、終戦という言葉を選んだ。それは、たいていの大人がそうし たことだった50

ここでは大江は「敗戦」と「終戦」の何れか一つの意識を選んだというよりは、

その問題の複雑さに気がついたというべきであろう。それは小説の構成から窺え

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る。「飼育」における平和的な共生は暫くかのであったにしても、結局それは破壊 されてしまった。「戦いの今日」も同じようなパターンである。もし単純で平和的 な「終戦」だけしか念頭になかったならば、小説内の平和も永遠に続いていたか も知れない。しかし、主人公同士の関係が〈外〉の影響、社会的な状況によって 圧迫され破壊されるという設定は、日本人とアメリカ人の関係の複雑化を意味し ていると考えられる。

大江は、「終戦」という認識は、日本人にとって歴史的なプライドや自尊心の問 題を解消するためにはより便利である、という結論に至っている。そうだとすれ ば、日本人とアメリカ人の間に生じる問題は、「敗戦」と「終戦」の意識とは別に 考えるべきであるとの解釈が大江の小説から導き出せる。なぜなら、「終戦」との 認識に立ったとしても、日本人のアメリカ人に対する認識にも関わらない、それ だけで解消不能な問題が残り得るからである。小説で見られるようなより日常的 な問題、すなわち、「敗戦」か「終戦」かという大きな問いに関わらないような問 題は、小説の登場人物にとってはより重要である。日本人がアメリカ人を権力者 や圧迫者であると思わなくとも、言葉の壁はとにかく残り、文化の違いも残るた め、問題は依然として消えない。それは、大江が気づいた日本における外国人の 問題の複雑さであると思われる。大江の小説における登場人物同士の関係も徐々 に複雑化し、中期小説に入るとアメリカ人と日本人の関係から日本人同士の関係 へと作家の視点が移る。

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