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の結論

ドキュメント内 金沢大学大学院 人間社会環境研究科 (ページ 154-200)

本章は大江健三郎が描く〈政治的人間〉と〈性的人間〉の関係の 大江自身の定 義を基にしつつ、その新たな解釈を試みた。これは本論文の中心を成す主張であ る。従来の大江研究においては、第一章に論じてきたように大江の小説はこの定 義を完全に受け入れているものか、完全に受けないものかといった 明確な二つの 分立が見える。本論文では先行研究と違って大江の定義を受けながらそれを確か める試みをした。作家解釈をありのままに受け入れず、小説上に必要と見られる 要素をその解釈に加え、新たな定義を目指した。

テキストの分析対象としては、〈政治的人間〉と〈性的人間〉というテーマの代 表作と思われる「性的人間」と「セヴンティーン」(その二部作「政治少年死す」

も含めて)が選ばれた。分析の結果、〈政治的人間〉と〈性的人間〉の関係は大江 がエッセイで提供する定義より複雑な関係にあることが分かった。テキストの解 釈上に生じた新たな要素は、活動範囲と主人公の関係においてまず見える。〈政治 的人間〉は活動範囲を広く取っているのに対して、〈性的人間〉は限られた空間を 好むことが明らかになった。次に、主人公とその仲間の関係においても 重要な要 素が見え、〈政治的人間〉と〈性的人間〉は仲間を求めていることが明らかになっ た。第三に、〈政治的人間〉も〈性的人間〉も現状に対して不満足を抱 き、現状を 変える努力をする。これらの要素は〈政治的人間〉と〈性的人間〉 の関係をより 明確にし、大江のオリジナル定義に加えることにより、小説における主人公の行 動がすべて解釈できるようになる。更に、筆者は応用的に見てきた主人公の関係 に、理論的な説明として〈止揚〉という概念を導入し、大江の定義を乗り越える、

新たな定義を示した。互いの関係上、活動範囲上、仲間の取得上、互いに化けよ うとする過程上、などには〈政治的人間〉と〈性的人間〉は互いを必要としてい る。この状態は単なる静態的な対立ではなく、常に変化しつつある〈止揚〉であ る。両者は常に互いの存在を意識し、互いの要素を含んでいることは重要である。

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結論と展望

大江健三郎は現代日本のあらゆる問題を小説や評論で扱ってきた作家である。

並べてみても限りがない長いリストになる多種多様なその諸問題は、大江が見て いる現代日本の肖像をなしている。作品の問題設定は時代とともに変わっていく が、現代日本社会の有様、個人と社会の関係、少数派と多数派の関係という問題 などは彼の多くの作品に取り上げられている。

大江の諸作品は、作品の主なテーマとアプローチにより、時期ごとに一定の統 一性をもったまとまり、作品群へと分類することができる。初期、中期、後期を どのように精密に分けるか、どの作品から次の時期が始まるとみなすかについて は、序論で見てきたように先行研究によって多少見解が異なりはするが、各時期 の大江にとってどのようなテーマが問題となっていたかは概ね明確にしている。

本論文が扱う「初期」とは、大江の文壇での活動が始まる一九五七年から長編小 説が書き始められる一九六〇年代までである。この時期の途中から小説の主なテ ーマは〈監禁状態〉となる。その次の「中期」には、小説の主なテーマが〈村=

国家=宇宙〉に変わる一九八〇年代までと本論文は定義する。

本論文では大江健三郎が描く諸問題のなかから〈政治的人間〉と〈性的人間〉

という問題を選び、この問題の新たな解釈を試みた。このテーマは〈村=国家=

宇宙〉というテーマに入る前の中期小説に見られるが、本論文第三章ではその萌 芽が初期小説にすでに見られると論じている。言ってみればこのテーマは初期作 品と中期作品とを繋ぐものである。

〈政治的人間〉と〈性的人間〉とは、序論と第一章第一節で示したように小説 の登場人物の対立するタイプを指す大江健三郎の用語であり、「政治」そのもの と「性」そのものを意味するものではない。この解釈は本論文の主張の一つであ る。

〈政治的人間〉と〈性的人間〉の関係を明らかにするために、本論文はいくつ かの側面からこれらを考察した。先行研究の分析、問題の成り立ちと構成、〈政 治的人間〉と〈性的人間〉の分離(不)可能性の問題、同時代の他の作家におけ る〈政治的人間〉と〈性的人間〉のあり方、そして〈政治的人間〉と〈性的人間〉

の止揚というテーマを各章で論じている。

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先行研究の分析は第一章第二節で行い、問題設定のしかたによってそれらをい くつかのグループに分類した。その際、この問題に関する大江自身による定義を 取り入れているかどうかということが、分類の第一の規準となった。第一のタイ プの研究はおおよそ大江の定義を受け入れ、それをもとにして〈政治的人間〉と

〈性的人間〉のあり方を論ずる。第二のタイプの研究は、大江における〈政治〉

と〈性〉を狭義のものとして理解する研究である。第三のタイプは、大江の定義 を取り入れずに、〈政治的〉なものと〈性的〉なもので作家が意味することを自ら 探る研究や評論である。また、第四のタイプの先行研究として、〈政治〉と〈性〉

の対立を〈外側〉と〈内側〉の対立に喩える研究がある。

多くの研究者や評論家が、大江の〈政治的〉なものと〈性的〉なものというテ ーマにおいて、大江自身の意図と異なることを論じている。この現象の理由とし ては、次のような点が挙げられる。まずは、大江の小説のみを研究や評論の対象 にしていることがその原因であると考えられる。本論文はこれを踏まえて、小説 とエッセイのテキストを同じレベルの資料とみなして研究を進めることにした。

第二に、大江の〈政治的〉なものと〈性的〉なものの図案化の複雑さもその理由 であると考えられる。本論文と主張の近い先行研究は、結局大江の定義を重んじ るものであると結論づけられる。

本論に入ってまず最初に、〈政治的人間〉と〈性的人間〉というテーマの萌芽 を初期小説に見出し、その分析を通して〈政治的人間〉と〈性的人間〉の成り立 ちを追った。〈政治的人間〉と〈性的人間〉の先駆的形象は様々な形で初期小説 に見られるが、本論文の研究対象としては、このペアが明確に認められるアメリ カ人と日本人の対立する小説群を選んだ。この一群の短編小説で、主人公はまず 自分の〈外〉の世界とのコミュニケーションの経験において、今まで知らなかっ た状況に置かれ、今まで会ったことのない人間である外国人に遭遇する。この接 触によって主人公は外国人に対する何らかのイメージを得るが、これは、主人公 による周りの日本人の捉え方をも変え、主人公は自分と周りの人との違いを敏感 に実感する。

大江の初期短編の世界には、大江の戦後状況に対する現実認識と歴史認識の一 断面が象徴的に現れている。第二章では、この小説の歴史的背景とその意義に関 して論じた。大江は複数にわたる作品の設定を通して、「日本人」―「白人」―

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「黒人兵」の関係性を提示し、その中に横たわる優越する存在と劣等な存在の区 分けを問題にする。そしてまた、日本人の中のアメリカ人に対する態度の変更の 投影を探る大江は、屈辱的な状況に置かれた日本人がたとえアメリカ人を嫌った としても、アメリカ人は日本の生活の一部として扱われる以外はなく、両者は一 緒に生活をしなければならない、というメッセージを間接的に発している。これ は、初期の大江の一連の作品を貫くものであると考えられる。

初期のそれぞれの短編におけるアメリカ人の描き方、登場人物としてのアメリ カ人の意義、そしてそれに関わる日本人主人公とアメリカ人の関係について論じ る際、本論文は六篇の小説を一連のものと捉えるスタンスを取った。大江はこれ ら一連の作品で、日本人とアメリカ人の関係の多種多様なパターンを試み、日本 人とアメリカ人の間の平和は如何なる状況を求めるか、という問いへの答えを追 求している。こうした試みの過程で、大江はアメリカ人はよいか悪いか、という 単純な問題設定から、日本人とアメリカ人の関係はもっと複雑であり、日本人の 間にも様々な問題がある、という問題設定に移ったと考えられる。さらに次の段 階の大江においては、〈民族〉や〈人種〉や〈国民〉という概念から徐々に離れて いく傾向が見られる。初期小説の〈アメリカ人=強者〉と〈日本人=弱者〉の関 係は、〈強者〉と〈弱者〉という対立への観点移動を見せ、そのまま中期の〈政治 的人間〉と〈性的人間〉の関係に移る。この過程は本論文の第三章に論じた。

次に第四章では、初期小説の翻訳を素材にして、原文では見えにくいテキスト の特徴を捉える試みを行った。中期小説に関しても同様に、原文とその翻訳とい う二つの資料を分析した。具体的には、大江の初期小説「飼育」と「不意の唖」

における登場人物を〈政治的人間〉と〈性的人間〉の先駆と見なし、これらの登 場人物の関係がソ連時代のロシア語への翻訳テキストにおいて如何なる形で現れ ているかを分析した。ここから明確になったのは、検閲的性格の翻訳がなされた 小説のテキストからは〈性的〉な要素が消されたことである。さらに、その結果 として、テキストの読解においては〈政治的〉な要素も連動してその意義を失っ てしまう、ということである。人間関係を主題とする大江の小説は、その関係の パターンとして〈政治的人間〉と〈性的人間〉の関係を描いているが、〈性的〉な ものを検閲されて失った翻訳テキストは〈政治的人間〉と〈性的人間〉の両者を 見失い、小説は社会的な問題や世代的な対立を主題とする作品になった。新たに

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