第 6 章 字音語における長音・短音の弁別及び学習
6.2 問題提起
この節では、長短音の混同の定義、字音語における長短音ミニマルペア及び長短の混 同の原因を検討する。
6.2.1 字音語における長短音の混同とは
日本語における長音とは、日本語の音節の母音の部分を長く伸ばした発音である。「現 代仮名遣い」50に基づきまとめると、主に以下のような 5 種類がある。
ア段:ア段音に/a/を添える。 例:母さん/kaasaN/ イ段:イ段音に/i/を添える。 例:兄さん/niisaN/) ウ段:ウ段音に/u/を添える。 例:空気/kuuki/) エ段:エ段音に/e/を添える。 例:姉さん/neesaN/ オ段:オ段音に/o/を添える。 例:塔/too/
本稿では字音語における長短音を検討するため、主に字音語によく現れるウ段とオ段 の長音を考察対象として扱う。それから、字音語に多数存在しているエ段の仮名に母音 /i/を添える発音について、『NHK 日本語発音アクセント辞典(新版)』(NHK 放送文化 研究所 2009)では以下のように記述されている。
50 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19860701002/t19860701002.html
「ケイケン(経験)」や「セイカク (正確) 」などのエ段音に続くイは、
特に改まって一音一音を明確に言う場合には、イと発音されるが、 日常自 然の発音では長音になる。すなわち、「経験」は改まった場合は「ケイケン」
のように発音されるが、自然な発音では 「ケーケン」となる。
上述のことより、自然会話の場合、熟語におけるエ段音母音/i/を添える発音は長音 として発音されることが分かる。学習者が基本的に自然な発音しか学習しないため、本 章では成(1996)や王(2004)などにしたがってエ段音母音/i/を添える発音を長音とし、
考察対象に加える。
一方、短音はいわば音節の母音部分を伸ばさずに発音するものである。ア段(課/ka/)、
イ段(衣/i/)、ウ段(区/ku/)、エ段(家/ke/)及びオ段(都/to/)の五つの段の短音は全部 字音語に現れている。
ア段とイ段の長音が字音語に現れないため、字音語における長短音の混同は「ウ段/
エ段/オ段」の三つの段にしか現れない。例えば以下のようなものがある。
ウ段:/yuusoo/(郵送)↔ /yusoo/(輸送)
エ段:/seikai/(政界)↔ /sekai/(世界)
オ段:/syooki/(勝機)↔ /syoki/(初期)
6.2.2 長短対立の音節ペア
以上の検討に基づき、「ウ段/エ段/オ段」の三つの段における長短対立の音節ペアと しては、理論上表 6-1 で示した 57 の長短対立音節ミニマルペアが挙げられる。
表 6-1 理論上の長短対立音節ミニマルペア
ウ段
/u/-/uu/、/kyu/-/kyuu/、/ku/-/kuu/、/gyu/-/gyuu/、/gu/-/guu/、
/syu/-/syuu/、/su/-/suu/、/zyu/-/zyuu/、/zu/-/zuu/、/tyu/-/tyuu/、
/tu/-/tuu/、/nyu/-/nyuu/、/nu/-/nuu/、/hyu/-/hyuu/、/hu/-/huu/、
/byu/-/byuu/、/bu/-/buu/、/myu/-/myuu/、/mu/-/muu/、/yu/-/yuu/、
/ryu/-/ryuu/、/ru/-/ruu/
エ段
/e/-/ei/、/ke/-/kei/、/ge/-/gei/、/se/-/sei/、/ze/-/zei/、/te/-/tei/、
/de/-/dei/、/ne/-/nei/、/he/-/hei/、/be/-/bei/、/me/-/mei/、
/re/-/rei/
オ段
/o/-/oo/、/kyo/-/kyoo/、/ko/-/koo/、/gyo/-/gyoo/、/go/-/goo/、
/syo/-/syoo/、/so/-/soo/、/zyo/-/zyoo/、/zo/-/zoo/、/tyo/-/tyoo/、
/to/-/too/、/do/-/doo/、/nyo/-/nyoo/、 /no/-/noo/、/hyo/-/hyoo/、
/ho/-/hoo/、/byo/-/byoo/、/bo/-/boo/、/myo/-/myoo/、/mo/-/moo/、
/yo/-/yoo/、/ryo/-/ryoo/、/ro/-/roo/
ところが、すべての対立ペアが字音語に現れるわけ訳ではない。いずれかの一方しか 存在しない場合もあれば、両方とも存在しないケースもある。たとえば、以下の 21 ペ アである。
A 類・両方とも存在しない 4 ペア:/nu/-/nuu/、/hyu/-/hyuu/、/byu/-/byuu/、 /myu/-/myuu/
B 類・長音の方しか存在しない 17 ペア:/kyu/-/kyuu/、/ku/-/kuu/、/gyu/-/gyuu/、 /tyu/-/tyuu/、/nyu/-/nyuu/、/ryu/-/ryuu/、/te/-/tei/、/de/-/dei/、/ne/-/nei/、 /he/-/hei/、/be/-/bei/、/me/-/mei/、/re/-/rei/、 /no/-/noo/、/hyo/-/hyoo/、 /byo/-/byoo/、/myo/-/myoo/
C 類・短音の方しか存在しない 5 ペア:/u/-/uu/、/zu/-/zuu/、/bu/-/buu/、/mu/-/muu/、 /ru/-/ruu/
A 類は字音語に現れないため、とくに論じる必要がないが、B 類・C 類についてはいず れかの一方しか存在しないため、それぞれを覚えておくと、該当する漢字音を学習する 際に長短の判定ができると思われる。
残りの 31 ペアは両方ともに字音語に現れ、長短対立のあるペアで、段ごとに挙げる と、以下の表 6-2 のようになる。
表 6-2 字音語に現れる長短対立音節ミニマルペア
ウ段 /gu/-/guu/、/syu/-/syuu/、/su/-/suu/、/zyu/-/zyuu/、/tu/-/tuu/、
/hu/-/huu/、/yu/-/yuu/
エ段 /e/-/ei/、/ke/-/kei/、/ge/-/gei/、/se/-/sei/、/ze/-/zei/
オ段
/o/-/oo/、/kyo/-/kyoo/、/ko/-/koo/、/gyo/-/gyoo/、/go/-/goo/、
/syo/-/syoo/、/so/-/soo/、/zyo/-/zyoo/、/zo/-/zoo/、/tyo/-/tyoo/、
/to/-/too/、/do/-/doo/、/nyo/-/nyoo/、/ho/-/hoo/、/bo/-/boo/、
/mo/-/moo/、/yo/-/yoo/、/ryo/-/ryoo/、/ro/-/roo/
6.2.3 長短音の混同の理由
中国語 L1 学習者の長短音の混同の発生の理由として、当然、多くの中国語 L1 学習者 が漢字の知識に頼りすぎて普段から漢字(漢字音)学習を疎かにしていることと関連し ている。けれども、より根本的な原因は両言語の音節構造の違いにある可能性が高い。
第 4 章で述べたように、中国語の漢字音節は基本的には声母、韻母と声調により構成 され、声母、韻母及び声調のいずれかが変わると音節(意味)が変わってくるが、音節 自体を伸ばしたり縮めたりすることで別の音節(意味)と知覚されることはまずない。
そして、音節の長さは声母、韻母、声調または語中位置などによって微妙な差が生じる が、自然会話の場合、音節間にはほとんど差はない。すなわち、単母音の韻母であれ、
複数母音の韻母であれ、第一声であれ、第三声であれ、全部同等の長さである51。 その一方で、日本語では一つの音節の中で、子音や母音などの他に、音節の持続時間 も音節(意味)の重要な弁別的特徴となっている(例えば、「過渡(kato)」の音節末 の母音/o/を伸ばして発音すると「加藤(/katoo/)」などと知覚されうる)。また、日 本語はもともと開音節で、中国語にある二重母音や音節末尾に来る子音などは存在しな
51林・王(1985:175)に掲載された「会話文中声調の持続時間」を参照。
声調 第一声(陰平) 第二声(陽平) 第三声(上声) 第四声(去声)
持続時間 248 ms 259 ms 249 ms 248 ms
(林・王(1985:175)表 15 に基づき作成)
い。中国語から/e/や/ia/などの韻尾のない漢字音を取り入れようとするときに、同じ 1 音節 1 モーラの音(課(/ke/→/ka/)52など)で転写するが、二重母音(/ao/など)や 鼻韻尾/n/または/ng/のある漢字音(例えば、/yào/と/yàng/)を取り入れようとする場 合、「要(/yào/→/yoo/)」と「様(/yang/→/yoo/)」というように長音化させたり「万 (/wàn/→/maN/)」のように撥音を添えたり、1 音節 2 モーラの音で転写する。
さらに、/i/韻尾や/p/、/t/、/k/などの入声韻尾53を有する漢字音については、日本 語ではほとんど 2 音節 2 モーラの音で転写している。(たとえば、「愛(/ài/→/ai/)」
「学(/xué(k)/→/gaku/)」など)つまり、ピンイン読みと音読みとは以下のように 1 対 3 の関係をなしている。
ピンイン読み 音読み 1 音節 1 モーラ 1 音節 1 音節 2 モーラ 2 音節 2 モーラ
図 6-1 ピンイン読みの音節構造と音読みの音節構造
したがって、中国語 L1 学習者は日本語の長音・短音を学習する際、1 モーラであった り、2 モーラであったりする音声持続時間が大きく変わる54漢字音について、母語の音 韻情報から干渉を受け、長短音を正確に処理できないと考える。
そのため、中国語 L1 学習者による長短音の混同という問題を解決するためには、日 本語においてどのような漢字が長音で、また、どのような漢字を短音で発音するかとい うことを、中日両言語の音韻対照を行って解明する必要がある。