第 6 章 字音語における長音・短音の弁別及び学習
6.4 中国語の声調特徴に基づく長短音学習への提案
前節まで、中国語の韻母を利用すれば長短音の弁別がつくことを検討してきたが、こ れはあくまでも一種の知識でしかない。それを知っておけば、ある漢字を見てその音読 みに長音があるかどうかは判断できるが、実際に音声のインプットやアウトプットの時、
長音や短音の判断またはコントロールはできるとは言えない59。人間は乳幼児の時から 自分の言語の音韻体系にない音の対比を聞き分けることができなくなってしまう(小柳 2005:1、187)。つまり、中国語 L1 学習者は日本語における長短音を最初からきっちり 聞き分けることができないのである。また、栗原(2004)は何度もインプットやアウト プットを繰り返せると、ある程度弁別できるようになるが、やはり安定性が欠けると指 摘している。しかし一方、もし母語には長短音の対立に類似しているものが見つかると、
それを利用して長短音の学習に寄与できるのではないかと思われる。この発想から中国 語の四声の違いに着目するようになったのである。
中国語の自然会話における音節は、特別の感情が入らない限り、四声を問わず同じぐ らいの持続時間を持っているが、1 字ずつ発音すると声調間の差が出てくる。特に、第 三声音節と第四声音節との間の差(持続時間)が甚だしい。この差は長短音の差に類似 していることを証明できれば、それを利用して長短音の学習に寄与できると考える。
そこで、本節では中国人による第三声音節と第四声音節の持続時間の差と、日本語 L1 話者の第三声音節と第四声音節に対する知覚を観察するため、二つの調査を実施した。
6.4.1 調査①-第三声音節と第四声音節の持続時間に関する調査
(1)調査方法
調査材料:16 の中国語の音節。その中で、第三声と第四声がミニマルペアになってい る 4 ペア(8 音節)は調査項目であり、残りの 8 音節はダミー項目である。調査対象者 が簡単に第三声と第四声のペア(対照)に気づかないよう、順番をランダムにしている
60。
調査手順:調査は中国語 L1 話者 6 人(男女それぞれ3人、全員二十代)を対象に実 施した。調査対象者間の相互影響を避けるため、一人ずつ調査を行った。まずパソコン で調査材料を提示し 16 の音節を順番にそれぞれ 1 回発音してもらい、次に約 1 分後同 じようにもう 1 回発音してもらった。発音の際、できるだけ自然で感情を込めないよう に指示した。発音してもらう同時に、それぞれの発音を録音した。
分析方法:音声分析ソフト「Praat for Mac」を用い、録音した 96 音声(8(音節)×
2(回) ×6(人)=96)の持続時間を測る。持続時間を計るにあたり、もともと音節の始
59 日本語学習者による音声の持続時間の相違について弁別的判断を行うこと自体がきわめて困難であ る(内田 1993);日本語学習者には持続時間の変化の認識が困難である(戸田 1998)。
60 詳しくは付録 D を参照されたい。
まり及び終わりについての判断は基本的に研究者自身に任せられるが、本研究では主に スペクトログラムの幅に基づき計算を行った。
(2)調査結果
6 人の調査対象者により発せられた音声の持続時間は表 6-7 のとおりである。
表 6-7 中国語 L1 話者による音声の持続時間61(ms)
音節 調査対象者
/bă/ /bà/ /mŭ/ /mù/ /lĭ/ /lì/ /kě/ /kè/
1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd A 353 368 181 186 427 401 223 219 406 418 209 228 423 416 258 226 B 302 332 167 176 417 419 220 267 356 351 216 212 334 411 209 235 C 298 310 168 182 348 358 205 215 362 357 210 226 389 375 231 239 D 406 309 214 167 528 490 287 228 461 426 240 220 507 432 254 247 E 402 419 236 209 517 577 270 320 509 510 280 262 497 610 270 315 F 335 357 173 178 550 479 281 225 550 403 277 217 467 499 247 270 周知のように、どの言語においても一つの音節の持続時間は発話速度などによってか わってくる。中国語音節の持続時間は発話速度のみならず、話者の感情などにも大いに 影響されるため、絶対的な音節の持続時間を測るのは不可能であり、仮に測ってもその 音節の持続時間であるとは言えない。ところが、短時間内の話者の感情も発話速度もよ り安定しているため、音節間の持続時間の比の値はより信用できると考える。そこで、
表 6-8 のように第三声と第四声の持続時間の比の値を計算した。
表 6-8 中国語 L1 話者による第三声と第四声の持続時間の比の値
音節 調査対象者
/bă/・/bà/ /mŭ/・/mù/ /lĭ/・/lì/ /kě/・/kè/
1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd 1st 2nd A 1.95 1.98 1.91 1.83 1.94 1.83 1.64 1.84 B 1.81 1.89 1.90 1.57 1.65 1.66 1.60 1.75 C 1.77 1.70 1.70 1.67 1.72 1.58 1.68 1.57 D 1.90 1.85 1.84 2.15 1.92 1.94 2.00 1.75 E 1.70 2.00 1.91 1.80 1.82 1.95 1.84 1.94 F 1.94 2.01 1.96 2.13 1.99 1.86 1.89 1.85
平均値 1.87 1.86 1.82 1.78
表 6-8 の平均値のところを注目すると、全て 1.8 に近い数字であり、つまり平均で言 うと中国語の第三声音節の持続時間と第四声音節の持続時間の比の値は 1.8 前後である。
言い換えると、中国語の第三声音節の持続時間は第四声音節の持続時間 1.8 倍前後であ る。また、調査対象者ごとに見て行くと、すこしばらつきがあるが、平均値から大きく
61 各調査対象者の発音のスペクトログラムは付録 E にまとめた。
離れたものは殆どないことから、中国人の直感では第三声音節の持続時間と第四声音節 の持続時間はより安定した差があることが言える。
一方、この第三声音節の持続時間と第四声音節の持続時間の差を長音の持続時間と短 音の持続時間の差とそれぞれ結びつけ、長短音の学習に使えるかどうかを検討する前、
実際に日本語 L1 話者の知覚では中国語の第三声音節と第四声音節がそれぞれ長音と短 音のどちらに近いかを観察しなければならない。そこで、調査②を実施したのである。
6.4.2 調査②-第三四声音節と第四声音節に対する知覚に関する調査
(1)調査方法
調査材料:まず調査 1 で録音した合計 96 の音声を調査材料とした。調査対象者がパ ターンを推測できないように、ランダムに音声を順番づけた。
調査手順:まず、4 人の日本(20 代 3 人、30 代 1 人)に 96 の音声を聞かせ日本語の 記述を書いてもらうという形でプリテストを行い、その結果に基づき選択式知覚調査用 紙を作った62。つぎに、本番テストでは 5 人の日本語 L1 話者に協力してもらった。調査 対象者は 10 代 1 人、20 代 2 人、30 代 1 人と 60 代 1 人であり、全員中国語を勉強した 経験がない。一人一人の調査対象者に調査用紙を配り、ランダムにアレンジされた 96 の音声を聞かせ、耳にした音声に近い選択肢を選んでもらった。
(2)調査結果
5 人の調査対象者による知覚結果は表 6-9 のとおりである。第三声音節と第四声音節 はそれぞれ 48 の音声がある。
表 6-9 の結果をもって、全体的に言うと、第三声音節は長音と知覚されやすく(94%)、 第四声音節は短音と知覚されやすく(95%)、両音節がはっきり分かれていることが明 らかになった。また、知覚の結果について調査対象者個人間の差もそれほど大きくはな く、より安定していると言える。
表 6-9 日本語 L1 話者による第三声音節と第四声音節の知覚結果
調査対象者
知覚結果
第三声音節(音節数と割合) 第四声音節(音節数と割合)
長音 短音 長音 短音
Ⅰ 46(0.96) 2(0.04) 2(0.04) 46(0.96)
Ⅱ 47(0.98) 1(0.02) 4(0.08) 44(0.92)
Ⅲ 47(0.98) 1(0.02) 0(0.00) 48(1.00)
Ⅳ 45(0.94) 3(0.06) 7(0.15) 41(0.85)
Ⅴ 41(0.85) 7(0.15) 0(0.00) 48(1.00)
平均 45.2(0.94) 2.8(0.06) 2.6(0.05) 45.4(0.95)
62 詳しくは付録 F を参照されたい。
6.4.3 総合考察および提案
モーラ言語に分類される日本語では、長音は2モーラ、短音は1モーラとする。2モ ーラの長音の持続時間は、(語中位置とか発話速度とかによるが)大体1モーラの短音 の 2 倍である。一方、調査①によって、中国語では第三声音節の持続時間は第四声音節 の持続時間の 1.8 倍くらいであることがで分かった。すなわち、第三声音節の持続時間 対第四声音節の持続時間の倍率は長音の持続時間対短音の持続時間の倍率にかなり近 いと言える。さらに、日本語 L1 話者の聴覚では第三声音節は基本的に長音と知覚され やすいのに対し、第四声音節は短音と知覚されやすいことが調査②で明らかになった。
つまり、中国語の第三声音節と長音、第四声音節と短音がかなりの程度で共通性を持っ ていることが言える。
よって、中国語 L1 学習者が日本語の長短音を学習する際には、学習者自身がもとも と持っている母語の第三声音節と第四声音節に対する知覚を利用できるのではないか と示唆されている。具体的には、長音は「第三声音節」の感覚で、短音は「第四声音節」
の感覚で発音・習得させ、長短音の持続時間の差を母国語の感覚を通じ身につけさせる ことをここで提案する。