第 9 章 結論と今後の課題
9.3 今後の課題
本研究の結果により、これからの中国の日本語教育においての貢献が出来ることが期 待できる。けれども、本研究は、いくつかの点において不足がある。最後にこれらの不 足を考慮しながら、今後の課題を提示していく。
① 本研究では、いくつかのの音韻対応関係、識別方法や読み分け方法などの規則 性のある結果が見出されたが、これらの結果をどのように中国の日本語教育現場 で生かすのかまだ検討されていない。そして、各規則が確実に有効であるかどう かについても、今後中国の日本語教育現場で応用して検証しなければならない。
さらに、たとえ確実に有効であると証明されても、それぞれの規則を応用・指導 する「費用対効果」(応用・指導に費やす時間や労力などに対して得られた効果)
を観察する必要がある。「費用対効果」が悪い場合、さらなる考察を加え、各規 則の改善を求めなければならない。
② また、指導法の開発には、対照研究の結果をそのまま応用すれば良いわけでは ない。なぜなら、指導方法は常に学習者の状況によって変化するものだからであ る。したがって、今後の重要な課題の一つとして、本研究で触れていない中国語 L1 学習者による漢字音誤用のパターン(たとえば長短音の場合、長音を短音と誤 用しやすいのか、それとも短音を長音と誤用しやすいのか)、漢字(音)学習に 対する意識(たとえば、メタ認知がどうなっているのか)、学習ストラテジーの 使用(たとえば、どんなストラテジーを使っているのか、成績と正の相関のある ストラテジーとして何があるのか)、などの学習者に対する研究、新たな指導法 の開発を行う必要がある。
③ 学習者に漢字の読み方の指導を行う際、基本的には教材は欠かすことができな い。ところが、未だに中国語 L1 学習者向けの漢字教材が開発されていない。今 後の大きな課題の一つとして、中国語 L1 学習者向けの漢字教材の作成に向け、
まず学習漢字のレベル分けやシラバス作り96を行うべきである。最終的には、中 国語 L1 学習者向けの(漢字の読み方のみならず、漢字の意味や漢字語の使用な ども含める)漢字教材を作成する必要がある。
96「シラバスの策定は、各学習段階でどのような漢字をどのような順で教えるかということに尽きるこ とになる。いわゆる漢字学習書の類は実際にそのようになっている。すなわち、常用漢字や日本語能 力試験の各級配当漢字などが実際の使用頻度や字形の複雑さなど多様な要因が考慮された基準により 配列され、それが漢字教育のシラバスをなす。」(日本語教育学会 2005)
④ 現在中国の各大学のカリキュラムを見ると、基本的にリスニング、スピーキン グ、リーディングとライティングという言語の四つの基本技能に応じカリキュラ ムの構成が行われていることが分かる。言い換えれば、漢字学習に関する専門科 目が未だに存在していない。ところが、中国語 L1 学習者の漢字学習に多くの問 題を抱えている現状からすれば、中国での漢字指導を見直さなければならない。
そうであるならば、漢字指導は、現状のままでいいのか、既存の科目(例えば、
精読(総合日本語))の下で時間を作って行うのがいいのか、それとも新たに漢 字科目(もっぱら漢字を勉強する科目)を設置して行うのがいいのかという新た な課題が表出される。この課題については、中国の日本語教育現場で調査を行い つつ、データの収集・分析を通じて明らかにしていきたい。
以上、本研究では、中国 L1 学習者に対する漢字指導に関する検証を行ってきた。
ふりかえれば「漢字」とは現在世界各地で使用されている文字のなかで最も古い歴 史を持ちながらも、今日に至るまで我々を魅了してやまない。
古来、中国で生まれたその文字は、長い年月をかけて日本の人々が運用したことに よって独自の発展を遂げた。また、現在では、その新たな価値を多くの中国の日本語 学習者が学んでいる。きっと「漢字」はさらに発展していくだろう。
より良い未来に向かって更なる発展を願う心に、もはや国境は存在しない。本研究 が少しでもその未来に寄与するよう切に願う。
謝辞
本論文は多くの方々のご支援とご協力によるものです。
はじめに九州大学大学院においてご指導いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
とりわけ、本論文の研究方法及び統計方法について貴重なご意見をいただいた異文化 コミュニケーション講座の李相穆先生にお礼を申し上げます。そして、中国語に精通し ている日本語教育講座の西山猛先生には中国語の音韻知識及び関連文献について、さま ざまなご指導を賜りました。ここにお礼を申し上げます。また、九州大学人文科学研究 院の久保智之先生は、音韻音声表記及び今後の私の研究について特に篤くご助言、ご指 摘をくださいました。ここにお礼を申し上げます。また、審査の最初から最後まで、暖 かくて愛のあるご助言をくださった九州大学留学生センターの郭俊海先生にも深く御 礼申し上げます。
また、調査の際には、大勢の中国、日本の方々にご協力いただきました。枚挙にいと まがないため各位の名前は省力いたしますが、この場をお借りして、お礼を申し上げま す。
さらに、論文の校正を担当してくださった九州大学比較社会文化学府の新井克之氏に 深く感謝いたします。
最後に、いつも適切なご助言、そして厳しくも愛のある指導をしていただいた世話人 教員である井上奈良彦先生に、この場を借りて深く御礼申し上げます。九州大学比較社 会文化学府に入学して以来、博士後期課程を終えるまでの三年間、井上先生には終始熱 心なご指導、そして多くの励ましをいただきました。先生のご指導及び励ましが無けれ ば、本論文の完成に至らなかったと思います。
本当にありがとうございました。
参考文献
日本語(五十音順)
有坂秀世(1957)『 国語音韻史の研究増補新版』三省堂
池田富見子(2011)「中国語を母語とする日本語学習者の漢字語の習得--漢字の音韻類似 度、漢字語タイプ、語彙レベルが及ぼす影響」 『久留米大学外国語教育研究所紀要』
18, pp. 133-147
石井勲(1961)『私の漢字教室 : 石井学級の実験報告』黎明書房 石田敏子(1994)『日本語教授法』 大修館書店
石橋玲子(1993) 「日本語学習者の学習ストラテジー調査の分析」『日本教育心理学会 総会発表論文集』35, p. 355
石綿敏雄・高田誠(1990)『対照言語学』桜楓社
一般社団法人共同通信社(2010)『記者ハンドブック: 新聞用字用語集 第 12 版』共同通 信社
内田照久(1993)「中国人日本語学習者における長音と促音の聴覚的認知の特徴」『教育 心理学研究』41(4), pp. 414-423
汪昕紅(2009)「日本語の漢字の読みの習得に関するー考察: 中国語話者の学習者を対象 に」『日本教育心理学会総会発表論文集』51, p. 578
大神智春・清水百合(2008)「漢字語彙学習のための基礎調査--母国で日本語を学習する 中上級学習者を対象に」『九州大学留学生センター紀要』17, pp. 29-41
大北葉子(1998)「初級教科書の漢字学習ストラテジー使用及び漢字学習信念に与える影 響」『世界の日本語教育. 日本語教育論集』8, pp. 31-45
――――(1995)「漢字学習ストラテジーと学生の漢字学習に対する信念」『世界の日本 語教育. 日本語教育論集』5, pp. 105-124
大越美恵子・高橋美和子編(1997)『中国人のための漢字の読み方ハンドブック:易解漢字 讀音手册』スリーエーネットワーク
太田亨・藤田佐和子・中村朱美(2002)「上級漢字教材作成プロジェクトについて」『金沢 大学留学生センター紀要』5, pp. 69-95
小河原義朗(1998)「日本語学習における発音学習ストラテジーの有効性の検討」『言語 科学論集』2, pp. 1-12
尾崎雄二郎・都留春雄・西岡弘・山田勝美・山田俊雄(1992)『角川大字源』 角川書店 押尾和美・秋元美晴・武田明子・阿部洋子・高梨美穂・柳澤好昭・岩元隆一・石毛順子(2008)
「新しい日本語能力試験のための語彙表作成に向けて」『日本語教育紀要』4, pp.
71-86
賈海平・森大毅・粕谷英樹(2006)「話速の変化に対する日本語の促音・長音の時間構造の 分析に基づく日本語学習者の習熟度評価: 中国語母語話者を例として」『日本音響学 会誌』62(6), pp. 433-442
カイザー,シュテファン(1996)「漢字学習と押韻」『筑波大学留学生センター日本語教 育論集』11, pp. 99-112
――――――――――(1997)「漢字学習書各種アプローチについての検討(1)」『筑 波大学留学生センター日本語教育論集』, pp. 31-41
海保博之・柏崎秀子編著(2002)『日本語教育のための心理学』 新曜社
郭翠英(2006)「中国人学習者からみた日本語漢字語彙の読み方」『国文白百合』37, pp.
89-80
郭志紅(1989)「中国人に対する日本語教育における漢字教育の諸問題」『講座日本語教 育』24, pp. 188-196
加藤扶久美・岩本阿由美・遠藤祥子・永山香織・横堀慶子(2007)「漢字教材用データベース の活用」『富山大学留学生センター紀要』6, pp. 1-12
加納千恵子(1992)「漢字の造字成分に関するー考察-日本語教育のために」『文藝言語 研究・言語篇』22, pp. 43-54
―――――(1993)「漢字の造字成分に関するー考察(2)‐形声文字の音符について」
『文藝言語研究・言語篇』24, pp. 97-114
―――――(1994)「漢字教育のためのシラバス案」『筑波大学留学生教育センター日本 語教育論集』9, pp. 41-50
―――――(1995)「漢字の読み分け指導に関するー考察: 二つの音読みを持つ漢字に ついて」『筑波大学留学生センター日本語教育論集』10, pp. 41-57
―――――(1997)「外国人のための漢字学習項目およびテスト項目の分類」『情報処理 学会研究報告. 人文科学とコンピュータ研究会報告』97(80), pp. 1-6
―――――(1998)「漢字音の促音化について」『筑波大学留学生センター日本語教育論 集』13, pp. 61−96
―――――(2000)「中上級学習者に対する漢字語彙教育の方法」『筑波大学留学生セン ター日本語教育論集』15, pp. 35-46
―――――(2002)「上級漢字クラスにおける漢字語彙学習の方法」『筑波大学留学生セ ンター日本語教育論集』17, pp. 47-59
―――――(2007)「第 6 章 初級漢字の読み情報を探る―外国人日本語学習者の読み指 導のために―」藤原雅憲・堀恵子・西村よしみ・才田いずみ・内山潤編『大学における日 本語教育の構築と展開(大坪一)』ひつじ書房, pp. 109-131
加納千恵子・清水百合・竹中弘子・石井恵理子(2004)『基本漢字 500: BASIC KANJI BOOK VOL.1 第 4 版』凡人社(初版 1989)
――――――――――――――――――――(2009)『基本漢字 500: BASIC KANJI BOOK VOL.2 第 5 版』凡人社(初版 1989)
加納千恵子・清水百合・竹中弘子・石井恵理子・阿久津智(2003)『漢字 1000Plus:
INTERMEDIATE KANJI BOOK VOL.1 第 3 版』凡人社(初版 1993)
――――――――――――――――――――――――― (2008)『漢字 1000Plus:
INTERMEDIATE KANJI BOOK VOL.2 第 3 版』凡人社(初版 2001)
海保博之編(1984)『漢字を科学する』有斐閣