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中国の NPO 研究者による民間非営利組織の歴史的分析

1-1. 国外民間非営利組織の歴史的分析

王名は「1980年代以降、世界的な範囲で市場化、民主化、民営化とグローバリゼーショ ンのうねりが現れ、それにしたがって世界の多くの国家と地域において、非政府組織が発 展する情況が現れた」(王, 2007: 101)と述べ、世界規模での民間非営利組織の発展は、80 年代以降に起こったとしている。それでは、80 年代以降の民間非営利組織の増加には、具 体的にどのような社会的背景があったのだろうか。中国のNPO研究者の議論は、以下3点 に集約できる。

(1)近代福祉国家の危機

田玉栄は、近年の国際的な民間非営利組織の増加・発展について、その背景には西洋諸 国の福祉国家の危機があったと指摘する。1950年代、西洋諸国では社会保障重視の政策が

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実行されたが、70年代に発生したオイル・ショックなどの政治的要因で経済成長が鈍化し、

国家財政は増加を続ける社会保障費の負担に耐えられなくなった。このような社会背景の 下で、国家主導の経済成長に失望した市民は、民間非営利組織を発展の土台とする社会建 設を行うこととなった(田, 2008: 2)。

(2)開発をめぐる危機

1970年代のオイル・ショックなどの政治的要因に端を発する80年代の経済不況は、先 進国だけでなく、途上国にも多大な影響を与えた。温艶萍はこの点について「発展途上国 における主な問題は、経済発展の問題であり、1970年代中期以降、…(中略)経済の衰退 およびソ連などの社会主義国家の解体などによって、…(中略)途上国政府は意識変革が 迫られ、…(中略)(途上国政府は)非営利組織発展のための空間を提供し、社会経済発展 のためのプログラムへの参加を許可した」(温, 2008: 70)と、国際経済の鈍化が、途上国の 民間非営利組織増加の契機になったことを指摘している。また王は、80年代初期の経済不 況は開発戦略において、「自立支援」(assisted self-reliance)と「参加型開発」への関心を 集め、そのような開発戦略は、非政府組織の運営を通じて行われ、人々の積極性と情熱が 発揮されたとしている(王, 2001: 3)。

(3)世界規模の環境悪化

王名は、グローバルなレベルでの環境問題は、非政府組織の発展を促すと指摘する(王,

2001: 3)。例えば、毛静は「80年代以降、国外の非政府組織は中国国内で貧困削減や環境

保護の活動を展開し、中国の民間組織と国外の組織の間にネットワークとコミュニケーシ ョンの機会が増加した。これら国外の非政府組織は、先進的なプロジェクト管理の経験を 持ち、中国において国際業務に従事する人材を育成し、中国の非政府組織発展のためのよ い模範となった」(毛, 2008: 20)と環境問題を中心とする社会的課題が、中国の民間非営利 組織発展に作用したことを示している。

中国のNPO研究者は、世界規模での民間非営利組織増加の背景を以上の3つの要因に求 めている。このような中国のNPO研究者によって紹介される民間非営利組織の歴史的展開 の分析は、アメリカのサラモンの研究など、西洋の研究成果に基づいている。サラモンは、

80年代以降の世界的規模での民間非営利組織の発展を「連帯革命」と名付けている(サラ 25

モン, 1994: 401)。そして、その要因には近代福祉国家の危機、開発をめぐる危機、世界規 模の環境悪化、社会主義の危機の4つの危機と1970~80年代に起きた劇的なコミュニケー ション革命と1960~70年代の世界経済の大幅な成長、そして、その結果もたらされたブル ジョア革命という2つの革命的変化があったと分析している(サラモン, 1994: 406-409)。 近代福祉国家の危機、開発をめぐる危機、世界規模の環境悪化は、先述の通り多くの中国 の研究者が民間非営利組織の台頭の要因として挙げている。社会主義の危機については、

社会主義国家中国にとっては、国内事情と重なるので、国際的な非営利組織台頭の理由と して取り上げている研究者はほとんどいない。温が先述のように指摘している程度である。

次に 2 つの革命的変化について、まず、通信手段の発達による教育レベルおよび識字率 の向上が、人々の組織化を容易にするというコミュニケーション革命(サラモン, 1994: 408) は、これまで中国の研究者にはほとんど指摘されてこなかった。経済成長による中産階級 の誕生というブルジョア革命(サラモン, 1994: 409)について、温は「第二次大戦後、工 業化の急速な進展に伴って、多くの国家と地域において中産階級が奮起した。中産階級は 公共の権利に対して関心を持ち、その思想・観念に強い民主、自由、平等および法律に関 する意識を内包している」(温, 2008: 71)と言及している。

以上のような歴史的経緯によって、世界規模に拡大した民間非営利組織を見てサラモン は、現代社会は「連帯革命」のただなかにあり「これは、19 世紀後半における国民国家の 台頭が世界に与えたのと同様のインパクトを、20 世紀後半の世界に与えるものかもしれな い」(サラモン, 1994: 401)と示唆したのである。

中国のNPO研究者は、この「連帯革命」を「全球結社革命」や「社団革命」などと翻訳 し、紹介している。例えば、王は「多くの国家で公共サービスの領域において、政府と平 等な相互に競争関係にある状況が形成されている。非政府組織の増加と規模の拡大はそれ らを徐々に成熟させており、…(中略)全世界の至る所に及ぶ『社団革命』が今起こって いる」(王, 2007: 101)と述べている。

1-2. 国内民間非営利組織の歴史的分析

中国の民間非営利組織は、一般的に民間組織や社会組織と呼ばれる。民間組織という用 語は、改革開放に伴う行政管理のなかで使用され始め、現在、社会に広く浸透している。

社会組織は、2007 年に開催された中国共産党第 17 回全国代表大会以降、政策上の表現と 26

して使用されている(岡室, 2010: 394)。

中国国内の民間非営利組織の歴史を考察する際、歴史的起点をどこに設定するかは研究 者によって異なる。しかし、歴史的な区分については、多くの研究者でおおよそ共通して おり、「古代中国から清末」、「中華民国期」、「中華人民共和国成立から文化大革命」、「改革 開放から現在」の4つの時期に分類することができる。以下、時期ごとに整理する。

(1)古代中国から清末

まず、王名は、民間非営利組織の源流を、約2200年前の先秦時代に生まれた政治結社「朋 党」に求めている。王によると、5世紀頃までには「朋党」の他、豊作祈願、収穫感謝を祈 る「春社」や「秋社」、同業者の相互扶助組織である「社邑」、仏教結社「仏社」、会党(反 体制的な結社)の1つである「黄巾」、宗教結社「五斗米道」などのような、民間結社の原 型がすでに現れており、中国の民間結社は、秦・漢の時代まで遡ることができるという(王, 2002: 33-35)。

さらにその後は、隋初に現れた食糧の借入制度である「義倉」や、宋以降に現れた教育 支援制度である「義田」、結婚や葬儀、災害などの際に、費用を借入する会員制の相互融資 結社である「合会」や、慈善を目的とした「善会」などにつながっていく(王, 2002: 35-38)。 また、王はその他にも、各々異なる伝統社会のなかで発生した民間会社組織として、知識 人コミュニティである「詩文社」や「講学会」、市場に関する「行会」や「会館」、「商会」、 農村コミュニティの「廟会」や「花会」、「看青会」、「聯庄会」などを挙げ、これら組織は 伝統中国のなかでネットワークの強化、社会的協調の構築、公共空間の拡大を促進させた 点において、現代の民間非営利組織に類似しており、今日の中国における市民社会の源流 であると指摘している(王, 2007: 99)。

王名は、中国の民間非営利組織の源流を先秦時代の朋党に求める等、民間非営利組織の 範囲を広く設定している。今日における社会サービスを提供するような一般的な民間非営 利組織の源流としては、善会、善堂など、慈善組織の研究がある。例えば、莫文秀らは、

組織化された慈善組織の源流を、漢の時代に伝わった仏教各派が展開した慈善事業にみて いる。漢の時代に中国に流入した仏教は、その後各宗派に分かれ、各地に寺院を建設して いった。寺院は自らの田畑を所有し、そこから得られる収益で慈善活動を展開し、信者を 獲得することで教勢を拡大していった(莫・皺・宋, 2010: 34)。その後、唐代中期になると、

儒教勢力の反発によって、仏教の寺院が運営していた慈善組織である悲田養病坊が官営に 27

移管されるなど、民間の側面が弱体化するが、唐の末期から五代時期に入ると、僧侶と信 者による慈善組織である社邑が誕生し、民間による慈善組織は新たな局面を迎えることに なった。莫らは社邑について、「原則、当時の社会における仏教色を帯びた民間慈善組織で あり、社区サービスや社会保障、社会救済、社会慈善事業等の機能を有していた」(莫・皺・

宋, 2010: 34)と述べている。また、そのメンバーは「多くは同じ地域に属しているが、異

なる宗族の社人(社邑の成員)は、寄付と財力を集め収めることで入ることができ、一家 一戸では支払うことが困難な葬祭、社交儀式、宗教儀典、水利の建設と維持および民間の 貸付協力等に用いられた」(莫・皺・宋, 2014: 34-35)と述べている。社邑は基本的に、同 じ地域の住民を成員とした相互扶助機関であり、一定程度、社会にも開放されていたと推 察される。

宋代になると、郷紳等の士大夫層によって、義荘や社倉、粥局、慈幼局などの民間によ る多様な慈善組織が形成された。特に代表的なのは義荘である。義荘は、1050年に北宋の 政治家であった范仲淹によって、范の故郷蘇州に范氏義荘が設立されたことに始まる。そ の後、各地の科挙官僚によって特に福建・広東を中心として設立されていった。

朱林方によると、義荘とは宗族 17とその下にある家族に基づく 2 重構造の組織であり、

血縁および儒教の家原理に基づく社会組織であるという 18。義荘が設立された背景には、

宋以降の門閥政治の終焉と科挙制度の強化、家産の均等分配による宗族の経済的弱体化が あった 19。科挙官僚の地位は一代のみであり、政治的地位を一族に世襲させることはでき なかった。また、当時の中国は、家産は長子にのみ相続するのではなく、兄弟に均等に分 配した。このことによって家産が細分化し、宗族の弱体化という事態をまねいた。以上の2 点を防ぐために、義荘という制度が構築された。

そもそも、儒教の教えを基礎として国家を統治した歴代王朝は、修身斉家治国平天下と いう儒教に基づく基本的な政治観があり、義荘の基礎としての宗族は、王朝を支える基層 の組織であった。朱は、宗族と王朝との関係性について、「帝国は宗族を用いて政令を貫徹

17中国における父系血縁集団の呼称。宋代以降、組織的な社会集団としての性格を強めた。

宗族は、族譜の編纂による同宗の確認、宗祠の建設による同じ祖先の崇拝を行った。また、

義田と呼ばれる共有田から得られる利益で、一族の科挙受験、学校運営を行った(足立, 2013: 752-753)。

18朱林方「義庄:宗法一体化国家治理体系的一個様本」『華中科技大学学報』2014年第4期、

中国社会科学網ウェブサイト、http://www.cssn.cn/zzx/201409/t20140911_1323702.shtml、 2014年12月9日検索。

19朱、前掲論文。

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