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―溝口雄三による「官民連動」の空間と公私観―

前節では、サラモンのいう「連帯革命」の一部を成すような「市民社会」、ハーバーマス がいう自由意思に基づく非国家的・非経済的な結合関係としての「市民社会」、いわゆる「西

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洋型市民社会」は、構築されつつあるとまではいえないと結論づけた。しかし、このこと は、中国には「市民社会」が存在し得ないということを意味しているわけではない。李妍 焱は、「中国の市民社会は、西洋モデルと異なる、独自の展開の道を探り出さなければなら

ない」(李, 2008b: 55)と指摘している。それではどのような「市民社会」が独自性をもつ

「中国的市民社会」といえるのだろうか。

「中国的市民社会」の特徴を論じるにあたっては、2 つの要件を考慮する必要がある。1 つは、文化大革命前後の間で歴史的な断絶がなく、連続性を有していることであり、もう1 つは、中国のNPO研究者による「西洋型市民社会」の定義では、その枠組みをはみ出して しまう人民団体やGONGOなどを広く包括する概念であるということである。

この2つの要件を満たす「中国的市民社会」を考えるにあたって有用な視点の1 つに、

いわゆる「西洋型市民社会」とは異なる、清末に起きた地方分権化にみられる漢族の構造 的変容から溝口が導き出した「官民連動」という公共空間の概念がある。本節では、溝口 のいう「官民連動」の空間とはいかなるものか考察し、そこから「中国的市民社会」の理 念形とはどういったことなのかを考察する。

3-1. 「官民連動」の空間概念

溝口は、「官民連動」を支える公共の空間を「民間空間」と呼び、2 つの空間を想定して いる。1 つ目は、「宗族・ギルドなどの民間組織あるいは善会・善堂と呼ばれる公共社会活 動団体などの活動空間」(溝口, 2004: 247)である。この空間は、サラモンやハーバーマス らのいう「西洋型市民社会」の定義に、民間による非営利の組織として実態があるという 意味で相似しているといえよう。2 つ目は、「記録に残されていない、あるいは記録の裏側 に潜む見えざる空間」(溝口, 2004: 248)である。溝口は、以上2つの「民間空間」のうち、

特に 2 つ目の概念を、中国における主要な「民間空間」であると指摘し、具体的な内容と してつぎの四つを例示している。

(1)制度として顕在化しているのではなく、制度の及ばない先の、あるいは制度の隙間 にある空間。

(2)事件や活動そのものではなく、事件や活動を生み出し、あるいは事件を事件たらし めている磁場。

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(3)記録がないことによってかえって存在がうらづけられる日常的な生活空間。

(4)体制から排除され抑圧されることによってその存在が類推されるある関係空間。

(溝口, 2004: 248)

溝口は、この「民間空間」の特徴として、流動的で不定形な場、伸縮自在の関係、営み という3点をあげている(溝口, 2004: 248)。そして、これらの特徴を持つ空間を公共空間、

公共領域と呼ばず「民間空間」としている理由として、ヨーロッパの「市民社会」につな がる公共空間、公共領域とは、その中身が本質的に異なるという点を挙げている(溝口,

2004: 248)。その上で溝口は、中国の公共空間を「実は体制や制度からはみ出した、あるい

は逆に体制や制度とかかわりながらの、官と民の複雑な緊張関係によって構築される一種 の『連動関係』とでも名づけるべき、官民連動の空間と思われる」(溝口, 2004: 248)とそ の特徴を示している。

上記のような溝口の考察を見る限り、中国の社会空間における「官」については、国家、

地方政府など権力機構を想定しているものと思われる。「民」については、その範囲が体制 内にいる人間、もしくは体制に極めて近いために体制に対して何らかの影響を与えること ができる人間から、体制外にいる制度上不可視化されているような人まで包括する極めて 広い範囲を持つ概念だといえよう。それがさらに「官」との関係性の中で「民」としての 立場を有しながら、「官」の空間に潜り込んで伸張したり、「官」からの排除を受けて、縮 小したりする特徴を有するものと推測される。

ここまでを見ると、中国の「民間空間」は、一部「官」に内包され、「官」そのものと見 える恐れがあるがそうではない。溝口は、「『民間』があればこそ官民の『連動』は可能に

なる」(溝口, 2004: 248)と述べており、あくまで「官」と「民」とは、異なる立場だと主

張している。

「官民連動」の空間について、溝口は、1729年にあった地方の漢人官僚による「各州県 の東西南北にその土地のなかから選ばれた『郷官』を設置し、州県の行政に補佐させる」(溝

口, 2004: 249)という一種の地方自治政策の上奏に対する満人の重臣による反対という一

連の事例をあげている(溝口, 2004: 249)。溝口は、「『郷官』が地方の有力者によって担わ れ、官民共同(あるいは相互補完)の一種の地方自治活動の接点であることは容易に想像

できる」(溝口, 2004: 250)と指摘し、さらに、郷官は設置されなかったが、「実際は、こ

の上奏が出された州県の行政システムのなかに、地方レベルでの自治の実質的な連動体、

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すなわち官民の入り組んだ複雑な空間の存在があったこと、その連動体としての空間は却 下の後にも別の名目で活動が続いたであろうことなどに想到すべきである」(溝口, 2004:

250)と述べている。

郷官は、設置の上奏という形で、一時的に可視化されたが、郷官が合法的に設置されよ うがされまいが、実質的には地方の士大夫層を中心とする有力者が紐帯となり、「官」と「民」

が結び付けられ、地方自治は行われていたといえよう。地方の士大夫層は、民衆の 1 人と いう立場を有しながらも、地方の有力者として政府の地方統治にも協力するという二重性 を持っていたと考えられる。このような存在が、「官」と「民」の境界を曖昧なものにし、

「民間空間」、すなわち「官民連動」の空間を構築したと思われる。

「官民連動」の空間は、あくまで溝口が清初から清末の各省独立という社会の構造変化 を分析することで見出した見方であるが、「省権力のなかで諮議局や郷 伸ママ、省伸ママが果たし た役割を考える時、『郷官』を必要とした『空間』の行く末が辛亥革命につながるものであ ることを知るであろう」(溝口, 2004: 250)と述べており、「官民連動」の空間が、近代中 国にまでつながっていったことを示唆している。

3-2. 中国の公私観

「官民連動」の空間の近代中国までのつながりについては、先に指摘したとおりである。

ここでは、特に中国の公私観という視点から、「官民連動」の空間が、清末を経て、いかに して現代中国まで継承されたのかさらに考察を進める。

溝口によると、今日の中国につながる公私観は、『韓非子』にある公は「平分」なりに遡 ることができるという(溝口, 2011: 199)。そして、この「平分」には、「共同体成員間の公 平な分配」、(溝口, 2011: 202)という、利己主義を排除し、公正を是とする道義的な意味が 包含される。また、この「公」=「平分」という観念は、どの国家にも見られる普遍的な 観念ではないという(溝口, 2011: 202)。つまり、「公」=「平分」という観念は、中国社会 における1つの特徴であり、目指すべき社会の理想形であるといえよう。そして、この「平 分」を理想とする中国の「公」概念の背景には、「天」の統治理念がある。

溝口によると、「天」の統治理念とは、中国の歴代王朝が継承してきた、「民は食を以っ て天となす」(民以食為天:天賦の生存権を持つ)、「貧富を均しくする」(均貧富:天(統 治者)の配分が民の「分」に応じて公平)、「万物各々其の所を得る」(万物得其所:すべて

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の生存が調和的に保証される)から成る統治理念だという(溝口, 2004: 96-97)。したがっ て、中国の「公」=「平分」の具体的な内容が以上の3つであることがわかる。

「天」の統治理念を背景とする「平分」を目標とする中国の公について溝口は、「政治的 な公に浸透し、原理的、道義的な内容をもたらしたそれは、政治・社会・道徳の場では、

具体的には、天下の公であった。つまり、中国では、君・国・官すなわち朝廷・国家の公 は、外側により上位の天下の公をもち、朝廷・国家の公は、公義、公正、公平といった、

原理的、道義的な天下の公によってみずからをオーソライズしており、この天下の公に対 しては、朝廷・国家といえどもその位相として、一性一家の私であることをまぬがれない」

(溝口, 2011: 205-206)と述べている。中国では、朝廷・国家、さらには皇帝までも1つ

の私であると考えられていたといえよう。しかし、古代の中国では君主と家臣の上下関係 は基本的には、動かし難いものとして考えられていた。このような古代中国の君臣関係に 対して具体的な変化が現れるのは、明末に入ってからである。

江南の士大夫層による反宦官政治集団である東林学派の流れをくむ明末清初の儒学者黄 宗羲は、著書『明夷待訪録』の原君論で君主批判を展開した。その特徴は、溝口によると 次の3つに集約できるという。

(1)君主は官僚と分業で政治を行い、天下を治めなければならない。

民意を吸い上げるための行政システムを機能させるために、君主と官僚は分業を行 うべきというもの。

(2)政治は、天下万民の与論に従って行われなければならない。

明末になると、郷紳と呼ばれる官僚経験のある有力地主層を中心とした地主層が経 済的支配を拡大させ、結果、官僚の規制力が弱体化した。地主層を中心とする在地 支配勢力の発言力、すなわち「与論」に従うべきというもの。

(3)政治は、民の生存(自私自利)を充足させることを根本としなければならない。

明末になると、民の所有欲、生存欲の主張が見られるようになる。具体的には、上 記に関連する田土の私有権の主張である。それまで、一般的に田土は、皇帝のもの、

いわゆる「王土」であった。しかし、この時期になると、民が自ら購入した土地に 対する所有権の主張が現れはじめた。

(溝口, 2010: 175-177)

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