第 2 章 カンボジア政府の取り組み
2.1. 貧困問題を取り巻く経済環境
2.1.1 マクロ経済政策の影響:内戦からの経済復興
内戦終結後のカンボジア経済にとって最も重要な課題は、いかに内戦による荒廃からの再 建を図るかということであった。そのための新たな経済基盤作りとしての経済安定化およ び市場経済化が進められてきている。ここでは、マクロ経済指標と照らし合わせながら、
内戦後の経済政策の貧困問題への影響を見る。
(1)
内戦後の安定化政策による影響1975
年に樹立された「クメール共産主義」を掲げるポル・ポト政権下では、徹底した集団 主義を押し進めた。急進的な土地革命を含め、伝統的な社会規範、コミュニティ、文化、宗教などを破壊することで、農民の集団化を行ったのである。また、ポル・ポト政権は、
社会システムのみならず、貨幣の廃止、銀行の廃止など近代的な金融制度を否定する政策
を採り、カンボジア経済を前近代的な現物経済に押し戻した。その後、
1980
年にヘン・サ ムリン政権下でカンボジア人民国立銀行が再建され、自国通貨であるリエル紙幣の発行に より通貨制度が復活した。しかし、内戦が続くなかで、国民の政府への信頼を高めること は困難であり、リエルを軸とする経済基盤を構築することができずにいた。ところが、
1990
年代に入り和平の機運が高まると一転して、様々な要因によって経済活動 が刺激され、1991年から1994
年にかけて急速にマネーサプライが増加した。(図2-1)こ
の時期のマネーサプライの急増は、a.
和平による自国通貨への信頼回復にともなうリエルの流通量の増加b.
財政赤字補填のための国内借入による調達c. UNTAC
の任務開始にともなうカンボジア支援関連の在留外国人の増加49による外貨流入の急増 が要因として挙げられる。
基本的な経済システムおよび財政・金融政策機能が非常に脆弱であるカンボジアでは、こ うしたマネーサプライの急増に適切な対応が採れず、
100%を超える高インフレを招き、ま
た対ドル為替レートでリエルの下落が起こった。(図2-2)
[出所] Asian Development Bank, Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, 2001年版より作成 [注1] 2000年の数値は推定値
[注2] 政府調達は、財政赤字補填、国営企業融資、国債買付けなど特別な資金使途のための政府の直接 信用によるもの
図 2-1 通貨供給量の変化率の推移
49 カンボジアに駐留したUNTAC職員だけでも22,000人に上る。
-400 -200 0 200 400 600 800 1000 1200 1400 1600
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
(%)
M1 外貨資産 政府調達
[出所] Asian Development Bank, Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, 2001年版より作成 [注1] 2000年の数値は推定値
[注2] 消費者物価指数は、1990〜1994年までは1988年=100としており、1995年以降は1993年=100 としている
図 2-2 インフレと為替レートの推移
1993
年の総選挙により新政権が樹立されると、政治的安定を背景に、経済復興を推し進め ることが急務の課題となったが、その阻害要因となるのが高インフレや自国通貨の下落な ど経済的混乱であった。そのため、高インフレの収束による経済安定化がカンボジア新政 府の最重要政策となった。カンボジア政府は、
IMF
の支援を受け、財政改革に着手し、政府への信頼の獲得とともに、インフレの収束を図った。具体的には、1993年
12
月に財政基本法(Organic Budget Law)を定め、それまで不透明であった政府予算を経済・財政省に一本化し、予算管理の強化と 透明性の向上を目指した。この結果、政府の不透明な国立銀行からの借入による財政赤字 補填が削減され、政府による不用意なマネーサプライの拡大が抑制された(表
2-1)。
表 2-1 カンボジア政府の財政動向
(単位:10億リエル)
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
財政収支 -45.3 -89.6 -318.3 -418.7 -557.7 -593.7 -386.8 -565.0 -516.3 海外借入 6.1 1.5 239.1 432.1 559.3 575.6 445.9 505.4 538.0 国内借入 39.2 88.1 79.2 -13.4 -1.6 18.1 -64.6 123.0 -44.7 [出所] National Institute of Statistics, Statistical Yearbook 2000, February 2001, Phnom PehnおよびWorld Bank, Cambodia: Public
Expenditure Review, January 1999 より作成 -20
0 20 40 60 80 100 120 140 160 180
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 上昇率
(%)
0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000 3,500 4,000 4,500 為替レート
(1ドル=リエル)
消費者物価指数 上昇率
為替レート(年末)
また、和平達成により、軍事費削減が可能になったことも、インフレ要因の財政赤字削減 に貢献した。ただし、その後も財政赤字の状態の改善は進んでおらず、赤字のファイナン スは海外借入に置きかえられ、独立以後外国援助に依存する財政体質になっている。
財政改革・財政管理強化が十分に達成されたとは未だ言えないものの、緊縮財政による安 定化政策は効果をあげ、1995〜1997年にかけて、インフレは
7%台に沈静化し、為替レー
トも1
ドル=2,500〜2700リエルに落ち着いた。その後、1997
年のタイ・バーツの急落を発 端とするアジア通貨危機の影響により、リエルも切り下げを余儀なくされ、インフレ率も一時約
15%まで上昇した。しかし、和平直後のように高インフレを引き起こすような混乱
には至らず、
1999
年のインフレ率は4%に落ち着き、 2000
年は‐0.8%と現状は安定を維持 している。安定化政策が効果をあげたことで、経済復興の足固めが出来たことは評価できよう。また、
第
1
章で見たとおり、カンボジア全体で貧困指標および不平等指数の改善が見られ、和平 直後の経済的混乱の貧困層への直接的影響はそれほど深刻なものにはならなかったように 見受けられる。一般的に、高インフレの貧困層へのダメージで懸念されるのは、食料品価格や生活必需品 価格の上昇による家計支出への負担増加である。しかしながら、実際には、インフレの激 しかった
1990
年代前半の米価は比較的安定していた。米価が安定していた背景には、援助 機関による食糧援助の影響があったものと推察される。食糧援助と米価の関係および貧困 世帯への影響についての検証は行えていないが、食糧援助が貧困層にとってのインフレの 緩衝材となったとも考えられる。(2)
経済自由化の影響1993
年に一応の政治的安定が達成されると、カンボジア政府は計画経済から市場経済への 移行を進めていくことを明らかにした。1980
年代後半には、民間セクターの経済活動への 制限や価格統制の撤廃などが始められ、また、国営企業および国有資産の民営化、農地の 私有化が行われていたが、本格的な経済自由化・市場経済化は、政治的安定を背景にした 基盤作りが可能になった1993
年以降といえる。1993年以降、国際的な支援のもと、外国 資本を含めた民間投資も活発になり、カンボジアの経済は大きく変化することになった(図2-3)。
カンボジアは農業など伝統産業を中心とする経済であり、雇用面から見ると現在でも労働 人口の約
8
割が農業に従事している。しかしながら、1993年以降、農業の相対的な重要性 は低下している。GDP
に占めるシェアで見ると、和平が締結される以前の1990
年には50%
を超えていたが、1993年以降は
40%程度となり、2000
年には洪水の影響もあり40%を下
回った。一方で、繊維など労働集約的な産業を中心に製造業が
GDP
シェアを伸ばしている。製造業 のGDP
を占めるシェアは、1990年には約7%であったが、年々伸びており、2000年には約
18%にまで拡大している。カンボジア政府は 1989
年以降、国営企業の民営化を行っているが、ほとんどの生産工場は内戦の影響で稼動しておらず、具体的には工場の民間企業 への売却や生産設備のリースという形で行われた。大規模企業の売却先は外国資本であり、
民営化および外国資本の誘致といった自由化により製造業の復興が進められた。また、
1996
年にEU
および米国から最恵国待遇を受けたことから、繊維産業など低賃金の労働力が求 められる労働集約的産業の拠点として注目され、外国直接投資が流入している。サービスセクターについては、1993年から
1996
年にかけては約40%に拡大した。これは
UNTAC
の駐留など、カンボジアの和平と復興に向けた援助関連の在留外国人が急増し、こうした外国人向けの生活関連需要によるものであった。そのため、
UNTAC
が撤退し、特需的な要因が減少すると、35%程度に若干低下している。
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
その他 サービス 製造業 農業
[出所] National Institute of Statistics. (2000). Cambodia Statistical Yearbook 2000 より作成 図 2-3 産業別GDP構成比
経済自由化は、カンボジアの産業構造に大きな影響を与え、農業への依存度を低めている。
しかしながら、雇用における産業別シェアをみると、1994年以降大きく変動はなく、既に 述べたとおり、依然として農業セクターが約
80%ともっとも雇用を吸収しており、サービ
スセクターが20%弱、製造業は 4.5〜6%で推移している。
製造業への投資や外国人向けのサービス産業はプノンペンに集中しており、カンボジアに おける雇用創出に大きく貢献している。しかしながら、こうした雇用ニーズは一定の教育 水準や技術などを要求されるものであり、必ずしも都市部貧困層の就労機会の拡大に繋が るものではなかったと見られる。製造業やサービス産業における雇用創出がプノンペンに 限られたものであったことは、翻ると農村においてはそうした新たな就労機会は出現せず、
経済自由化は基本的に雇用構造に変化を及ぼさなかったといえよう。
経済自由化の農業への影響としては、農地の私有化が挙げられる。ポル・ポト政権下では 極端な共産主義に基づく集団農場化が行われたが、そうした農地については、もとの土地 権利関係を特定するのが困難になったため、人民革命党政権は、農民間の土地紛争を回避 し、限られた生産手段をできる限り有効利用するため、農民を「クロムサマキ」と呼ばれ る班を編成して共同耕作を行わせた50。その後
1989
年に私的所有権が認められ、農業の自 由化が行われた。
50 天川直子「カンボジア/土地所有の制度と構造」(アジア経済研究所『アジ研ワールド・トレンド』No.44、
1999年4月)