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三論教学における空性と修道の研究.

龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」

龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」

... 能ク説ニキ是ノ因縁一ヲ 我レ稽首シテ禮ス佛ヲ 善ク滅ニス諸ノ戯論一ヲ 諸説中第一ナリト ︵大正三〇・一中︶︵﹃中論﹄巻一︶ 修行者が悟りに達するためには、戯論を滅除しなければならない。この戯論を滅するの が﹁八不という因縁﹂である。﹁八不という因縁﹂は空性や中道と同義語であるから、空性 を観ずることにより、戯論は除かれる。空観という実践は戯論を滅し、戯論が滅せられる [r] ...

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龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」第3章

龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」第3章

... ハ主ニトス知照一ヲ。波若ノ腔ハ絶ニシ名字一ヲ。智慧ハ則チ猶オ渉ニル名言一二。 ︵大正四五・五〇中︶ ︵﹃ 蜿謖コ論﹄三四︶ 智慧は新しい知識や経験したことのない境地を求める心のはたらきであって、修行者が 持つ通常の心のあり方を述べたものである。これに対して、絶観の般若は画期的な境地に 到達した特別の感動を含んでいる。 智慧ハ是レ知照ノ之名ナリ。豊二能ク稻[r] ...

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龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」第2章

龍谷大学学位請求論文2009.09.17 高岡, 善彦「三論教学における空性と修道の研究」第2章

... しては諸法は単に﹁有﹂ではなく﹁空﹂を含むと説き、聖人に対しては実相は単に﹁空﹂ ではなく﹁有﹂を含むと教える。この考え方は﹁教﹂の立場から二諦を説くので、﹁儒教の 二諦﹂という。三論宗は約理の二諦を批判的にみて、説教の二諦を正しい論理と考える。 言いかえると、二諦は絶対的な理性を述べるのではない。仏法における究極的な無為・ 真如は言語によって表現しえないものである。[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第18号(2014) 002吉田 慈順「日本三論宗における『成唯識論掌中枢要』の二比量への反駁 : 『一乗仏性究竟論』の受容と展開」

龍谷大学佛教学研究室年報 第18号(2014) 002吉田 慈順「日本三論宗における『成唯識論掌中枢要』の二比量への反駁 : 『一乗仏性究竟論』の受容と展開」

... 日本三輪宗における﹃成唯織論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 有無の二性の随一に摂むるが故に(因) 有性の者の如し(轍) 或いは聖の所説なるが故に(因) 有性と説くが如し(轍) ここでは、無性有情(仏となる種を持たない衆生)の存在す ることが主張されている。その理由は、経典には﹁有仏性﹂ と﹁無仏性﹂というこ種が鋭かれているが、無性有情は、有 仏性・無仏性の中の無仏性[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

... 8 6 飽谷大学悌教学研究室年報第 1 1 号 2001 年 3月 を行うことが、与えるだけの唯物的な慈善事業の問題を解決するものである ことを提言した。さらに、社会問題の発生を防ぐということにも努めなくては ならないことを述べ、大正中期以前の救貧を目的とする当時の慈善事業から 脱却し、防貧を目的とする社会事業へ移行する必要性を論じている。 渡辺は、社会事業の性格の一つ[r] ...

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インド哲学仏教学研究 11(200403) 004堀内, 俊郎「『釈軌論』における三三昧 : 『声聞地』との比較を通じて」

インド哲学仏教学研究 11(200403) 004堀内, 俊郎「『釈軌論』における三三昧 : 『声聞地』との比較を通じて」

... [和訳]このように,本来的に我なく,有情なく,命者なく,プドガラなく,作者と受者 を欠き,主なく,因縁に依存し,自性空,清浄,無自性なものであるという十の行相を持 っ縁起を観察しつつある彼にとって,空解脱門が生じる・ このように,生存の支分が,自性を滅して完全に解脱していると確定している彼にとって・ いかなる法の特徴も生じない.それゆえ彼には無相解脱門が生じる・ このよ[r] ...

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佛教学研究 第65号 003寺井, 良宣「唯識説における仏身観の特色 : 『成唯識論』を中心として」

佛教学研究 第65号 003寺井, 良宣「唯識説における仏身観の特色 : 『成唯識論』を中心として」

... 日住識説における仏身観の特色 論釈される(大正コ二・五七 ci 五九 a 、新導本巻一 0 ・ 二 五 l 三三頁)。そこでは、三身(受用身を二種に開けば 四身)を説いたのち、五法(清浄法界と凹智心口問)が三身(四身)にどのように配当されるか、また三身(四身)の 所依土に三土(四土)が対応すること、さらに﹁身・土﹂をめぐる唯識学上の諸問題が論じられている。いま、それ ら[r] ...

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佛教学研究 第71号 005道元, 徹心「円珍撰『法華論記』における「舍利」表現について」

佛教学研究 第71号 005道元, 徹心「円珍撰『法華論記』における「舍利」表現について」

... h 巻に鐸成す。稗諭といひ。智論と脱し。大論ともよぷ。﹂(繍天台宗全書・史 博・五一二頁上)。また、同じく同書には﹁吾宗ニテ稗諭ト云大論ト云ハ。大智度論ナリ。良一言宗ニテ僻論ト云ハ。 稗摩詞術論ノ事ナリ﹂(繍天台宗全書・史仰・四九五頁)。 ⑫﹃大智度論﹄第十五巻において、精進波羅蜜を説く一段では次のように説く。﹁度脱衆生、老、病、死昔。特減度時。 以法身輿禰勅菩薩摩詞薩[r] ...

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駒澤大学佛教学部論集  42 004石井 修道「道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観」

駒澤大学佛教学部論集 42 004石井 修道「道元の霊夢の中での大梅法常との出会いと修証観」

... を大悟すれば、無心なり、その無心功徳は、如何なる 功徳にも勝るものであることが強調されているである。大 悟がなければ、無心も得られない説いているである。そ 無心功徳を大梅法常行状で例証し、大悟後功徳が述 ...

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日本佛教學會年報 第71号 023浅野 玄誠「修道論におけるcaitanyaとjiva」

日本佛教學會年報 第71号 023浅野 玄誠「修道論におけるcaitanyaとjiva」

... ヨーガ的な実践を,インド思想各学派予備的共通学として,比較対 照重要な素材として認めて分類する場合,精神主体を⑴本来精神主体 は無であり,迷い生存として精神的機能を認める純粋理論,⑵精神主 体精神活動を分けて,二元的に捉える論理実践折衷案,⑶精神主 ...

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佛教学研究 第66号 009那須, 円照「『瑜伽師地論』「菩薩地」における如来の十力の研究(1) : 和訳と註解」

佛教学研究 第66号 009那須, 円照「『瑜伽師地論』「菩薩地」における如来の十力の研究(1) : 和訳と註解」

... 種種なる種姓の建立(確立),つまり,声聞・独覚・加来の種姓において, 貧等の行の区別の道理によって,乃至,有情の八万(=八十千)の行があり, 種種界と言われる。 陸 ( 1 ) サーガラメーガは註釈する。[これまで, ]色身によって包摂された諸法が説 かれたので,今[この第六章では]名身によって包摂された諸法が説示しよう と望まれて説かれる。四つのすべての種類の清浄,と[r] ...

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駒澤大学佛教学部論集 46 015李 子捷「真諦訳とされる『仏性論』における「仏性」について : 『地持経』・『宝性論』・『摂論釈』との関連を中心に」

駒澤大学佛教学部論集 46 015李 子捷「真諦訳とされる『仏性論』における「仏性」について : 『地持経』・『宝性論』・『摂論釈』との関連を中心に」

... 「応得因(=無為真如)」には三種仏性がある。この三種仏性は、「住自 (=道前凡夫位)・引出(=有学聖位)・至得(=無学聖位)」、 というものである。ここで注意すべきは、「此因前一則以無為如理為体、後 ...

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佛教学研究 第62・63号 009小山, 昌純「證空における天台菩薩戒説の受容について」

佛教学研究 第62・63号 009小山, 昌純「證空における天台菩薩戒説の受容について」

... 結 要 以上、小論の考察の結果をまとめると、詮空の菩薩戒説の受容は次のように考えられる。 一、詮空の三来戒説には、三家戒を四弘誓願や三身菩提因等によって解釈するものがある。詮空以前の諸師の三 詮空における天台菩薩戒説の受容について 来戒説を調べると、三家戒を四弘誓願で解釈する例は少なく、特に天台僧の明瞭、源信の三家戒説のうえに、詮 空との多くの一致点を認めることができた[r] ...

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佛教学研究 第68号 006那須, 円照「『瑜伽師地論』「菩薩地」における如来の十力の研究(2) : 和訳と註解」

佛教学研究 第68号 006那須, 円照「『瑜伽師地論』「菩薩地」における如来の十力の研究(2) : 和訳と註解」

... (BBh Vy: Peking [R.. 1 ) 側 サーガラメーガは註釈する。その趣へ行く因は,極劣であるから,悪趣と言 われる。それ故に言われる。非法行と,云々。法に相応しない側商であるから, 法でないという意味である。その同じものが,自と他を害することに入るから, 不平等行である。それは,それ(地獄)に行く道であるから悪趣と言われる。. (BBhVy: Pek[r] ...

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佛教学研究 第71号 007高岡, 善彦「三論宗における仏法の真実義について」

佛教学研究 第71号 007高岡, 善彦「三論宗における仏法の真実義について」

... らゆる教義が生まれと説き、﹁八不は衆教の宗帰にして、群盟の阪本なり﹂と説いている。 さらに吉蔵は﹁絶鋭の般若﹂を説くが、これは実相と観智を超越した境地を指しており、甚深の境涯に到達し た歓喜を合んでいる。それは仏法の真理と直結しており、仏陀の智慧と深く繋がっている。 キーワード 非二非不二の正観、入不二法門、絶観の般若 三諸宗における仏法の真実義について.[r] ...

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駒澤大学佛教学部論集  39 020四津谷 孝道「二つの空性理解と三転法輪」

駒澤大学佛教学部論集 39 020四津谷 孝道「二つの空性理解と三転法輪」

... 二つ仏教理解正否が論じられ、 「漸悟仏教」すなわち「主知主義的な仏教」 が勝利をおさめ、そのことがそれ以後チベット仏教ゆくえに明確な方向 を与えたされている。 サムイェ宗論が起こったは、所謂「前期伝播時代」 (snga dar)であり、 ...

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佛教学研究 第67号 007吉田, 哲「仏教認識論におけるpramanaの両義性」

佛教学研究 第67号 007吉田, 哲「仏教認識論におけるpramanaの両義性」

... <プラメーヤ〉が外界対象として存 在する場合でも,同じ能取相が〈プラマーナ〉である,という疑いがあ ろう。ぞれ故に,その〔疑い〕を除くために,「一方〔プラメーヤが外 界対象であるならば〕……」云々と〔ディグナーガは〕述べたのである。 〈プラマーナ〉が外界〔対象〕である場合は,自己認識を〈結果〉とし て画定するとしても.[r] ...

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佛教学研究 第64号 015那須, 円照「『倶舎論』の時間論における「第十三処」と聞こえない音声についての考察」

佛教学研究 第64号 015那須, 円照「『倶舎論』の時間論における「第十三処」と聞こえない音声についての考察」

... f 倶舎論互の待問論における F 第十三処」と間こえない音声についての考察 生じないという論理である。現在の位量にまだない,存在する未来の位置の 音声が,次の瞬間に現在の位置に移動することが,奇声が発せられることで あると,有部は考えるのである c 安慧は TA で,有部の立場について SA と同様の註釈をする。ただ特徴 的な点は,未来の音声には現在の音声のようには作用[r] ...

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倉橋惣三の保育者論における教育性と芸術性

倉橋惣三の保育者論における教育性と芸術性

... まず、倉橋( 2008f )は、 「保母さんは、もう少しその遊びを 指導して、内容を豊かにしておやりになる事が出来ない か」訴えている。このことから、 「芸術」を保育方法に おける創造という意味で狭く捉えることも不可能ではな いだろう。また倉橋は、低学年教師たちに向けて「いい詩 を読み、いい絵を見ることをおすすめしたい」、 「絵なり、音 ...

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Vol.66 , No.1(2017)019石井 修道「鈴木大拙と『新宗教論』」

Vol.66 , No.1(2017)019石井 修道「鈴木大拙と『新宗教論』」

... 同七七頁︶ ①②による、出版は、釈宗演共著で進んでいたこと が判明する。また、③段階では、書名は﹃宗教択法眼﹄で あったということを新たに知ることができるが、現存するそ ...

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