詮空における天台菩薩戒説の受容について
山
目 Eヨ
問題の所在
詮空における天台菩薩戒説の受容について純
西山善恵上人詮空(一一七七 l 一二四七)は鎌倉時代前半、近畿一円を主な活動の場とした法然門下の高弟で、 浄土宗西山派の派祖に位置づけられる人物である。詮空の浄土教は、念仏と諸行との関係において、法華開会の 思想を用いるため、諸行を生け捕りにしたと評されることで知られている。 さて詮空の戒に関する研究は、従来より詮空教義の一特色である、戒と念仏の関係(戒念一味)を解明するこ とに集中してきたと思われる。この詮空発揮の戒思想が研究者の注目を集めてきた反面、詮空が既存の天台系戒 思想をどのように受容したか、といった問題は等閑にされてきた観がある。よって小論では、詮空が授かった天 台菩薩戒を推定し、彼が天台菩薩戒の思想をどのように受容し継承しているのか、その一端を明確にしたい。第一章
τ授菩薩戒儀﹄
はしがき
の普薩戒について
l
誼空伝持の菩薩戒の推定│
それではまず、詮空が法然から授かった天台菩薩戒が、具体的に知何なる戒を指すのか、この問題を考えてお詮空における天台菩薩戒説の受容について きたい。この問題は詮空の﹃授菩薩戒儀﹄を調べれば、いとも簡単に判明することであるが、詮空の﹃授菩薩戒 ① 儀﹄は現存が確認されていない。また詮空に戒を授けた法然の菩薩戒儀は、詮空の菩薩戒を推定する材料になる が、現存するものは真偽未詳であり直ちに法然の著述とみることはできない。また詮空の直弟子の菩薩戒儀が伝 ② われば、詮空の菩薩戒を特定できるが、これもまた散逸して見ることができない。従って詮空の受けた菩薩戒が ③ 知何なる戒であったかは、今のところ直接的な資料によって考察することはできない。そこで日本天台宗が授け る菩薩戒がそもそも如何なる戒であるのか、この点を最澄の﹃授菩薩戒儀﹄を通して考えるとともに、法然門下 の信空系﹃授菩薩戒儀﹄である青蓮院所蔵﹃授菩薩戒儀﹄(白河)から、詮空の同門が法然から受けた菩薩戒を 考え、詮空の授かった菩薩戒を推定してみたい。
第一節
最澄﹃授書薩戒儀﹄の書薩戒について│日本天台における菩薩戒の授戒│
最澄の﹃授菩薩戒儀﹄は中国天台宗の湛然(七一一 l 七八二)が著した﹃授菩薩戒儀﹄を基に、菩薩戒を授け る方法や儀式について記されたものである。十二門 ( 1 開 導 、2
三 帰 、 3 請 師 、4
臓 悔 、 5 発 心 、 6 問 遮 、 7 受 戒 、8
証 明 、 9 現相、叩説相、日広願、ロ勧持)の構成を持ち、第七﹁受戒﹂では、弟子が受ける戒を次のよう に 説 く 。 ① 夫 レ 三 蔵 教 一 一 有 コ 三 緊 戒 ノ 名 ﹂ 通 教 -一 有 コ 三 来 戒 ノ 名 ﹂ 別 教 -一 有 コ 三 衆 戒 ノ 名 ﹂ 円 教 -一 有 コ 三 緊 戒 ノ 名 ﹂ 今 正 シ ク 可 ゆ 授 コ 此 ノ 円 ノ 三 家 戒 す ( ﹃ 伝 全 ﹄ 一 ・ 三 二01
三一二頁・二行目) すなわち三蔵教、通教、別教、円教それぞれに三家戒の名があるが、今は正しく円教の三緊戒を授けると。ここ で最澄は弟子に円教の三来戒を授けようとしていることが分かる。従って最澄の授ける天台菩薩戒とは円教の三取水戒であることがわかる。実際に﹁受戒﹂する段落を見ると、最澄は弟子たちに次のように呼びかけている。 ② 汝 等 ハ 今 於 一 J 我 所 一 一 一 求 コ 受 ヶ 一 切 菩 薩 ノ 浄 戒 ↓ 、 求 ン 受 ク 一 切 菩 薩 ノ 学 処 イ 。 所 謂 摂 律 儀 戒 ・ 摂 善 法 戒 ・ 鏡 益 有 情 戒 ナ リ ( ﹃ 伝 全 ﹄ 一 ・ 一 二 一 二 頁 ・ 二 行 i 四行目) ま登空における天台菩薩戒説の受容について 汝等はいま私のもとで、全ての菩薩の浄戒であり学処である三衆戒を求め受けると。ここから弟子に三衆戒を求 めさせる最澄の設定を読み取ることができる。そして三緊戒の受戒が終わり、受戒を証明する第八﹁証明﹂段で は、最澄は次のように述べている。 ③ 有 コ 衆 多 ノ 仏 子 一 来 日 テ 於 我 所 弓 求 ン 受 ヶ 菩 薩 ノ 金 剛 宝 戒 ザ 覚 ヌ 。 ( ﹃ 伝 全 ﹄ 一 ・ 三 二 二 頁 ) 多くの弟子がいて、彼らは自分のもとに来て、﹁菩薩の金剛宝戒﹂を求め受け終わったと。ここで最澄は弟子が 受けた三家戒を﹁菩薩の金剛宝戒﹂と称して、三家戒を金剛宝戒と位置づけていることが分かる。そして三家戒 (菩薩金剛宝戒)の戒相をとく第十﹁説相﹂段では、④﹁諸の菩薩、己に戒師の所に於いて三説し、菩薩金剛宝 ④ 戒を求め受け寛ぬ﹂と述べて、直ちに次の十重禁戒を説いている。 ⑤
1
若 シ 自 -フ 殺 シ 。 若 シ 教 一 一 人 ヲ シ テ 殺 寸 : : : 不 w 得 レ 犯 又 ル コ ト ヲ 。 能 ク 持 ッ ャ 不 ヤ0
2
若 シ 自 ラ 盗 ミ o 若 シ 教 一 一 人 ヲ シ テ 盗 寸 : : : 不 w 得 レ 犯 ス ル コ ト ヲ 。 能 ク 持 ッ ャ 不 ャ 。 : : : 8 若 シ 僅 パ 法 ヲ 健 一 六 財 ヲ : : : 不 w 得 レ 犯 ス ル コ ト ヲ 。 能 ク 持 ッ ャ 不 ャ 。 9 若 シ 膿 コ 一 切 ノ 出 家 在 家 ノ 菩 薩 イ : : : 不 w 得 レ 犯 ス ル コ ト ヲ 。 能 ク 持 ッ ャ 不 ャ 。 叩 若 シ 誘 コ 三 宝 ブ : : ・ 不 w 得 レ 犯 ス ル コ ト ヲ 。 能 ク 持ッャ不ャ。(﹃伝全﹄一・三二五百ハ)※算用数字は筆者(小山)の挿入で各戒の文頭に付けた。 この十重禁戒の説述部分は﹁説相﹂段のほとんど全文に渡るから、最澄は三家戒(菩薩金剛宝戒)の戒相として ⑤ -十重禁戒を考えていたと言えるだろう。以上の考察を踏まえると、最澄の﹃授菩薩戒儀﹄では、天台菩薩戒とは 円教の三緊戒のことであり、それは菩薩金剛宝戒と称されていて、その戒相は十重禁戒(究網戒)であると考え られるのである。それでは次に法然から天台菩薩戒を授かった白河信空系統の﹃授菩薩戒儀﹄を調べて、法然門下に伝わる菩薩 戒が知何なる戒であったか考えてみたい。
第二節
青蓮院所蔵﹃授菩薩戒儀
L (白河)の菩薩戒について
ー法然門下信空系の菩薩戒│
﹁天台書薩戒相承血脈譜﹂について
第一項
設空における天台菩薩戒説の受容について 青蓮院所蔵﹃授菩薩戒儀﹄(白河)は﹁天台菩薩戒相承血脈譜﹂﹁出家作法﹂﹁授菩薩戒儀(極略)﹂を収める巻 ⑥ 子本で鎌倉時代の古写本である。﹁天台菩薩戒相承血脈譜﹂をみると、天台菩薩戒の相承者の系譜が次のように 記されている。 慧 威 大 師 玄 朗 大 師 源 心 僧 都 札 口 阿 闇 梨 良 忍 上 人 叡 空 上 人 ※(﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新惰大蔵経・図像巻十二、二一九頁 ここでは叡空・源空・信空と戒脈が次第しているので、本書が比叡山黒谷を経由する天台菩薩戒の相承血脈であ り、同時に法然│信空系の授戒資料であることが見て取れる。本書の末尾には ②右諸人結縁惇授之内授コ禅快阿閤梨一一畢 文永四年(歳次丁卯)七月廿八日(葵丑巳初魁)法印大和尚位慈胤一利 章安大師 妙楽大師 道遼和尚 南岳大師 天台大師 ①釈迦知来 大 師 慈 覚 大 師 信 空 上 人 慈 胤 智威大師 慈念僧正 慈忍僧正 源空上人 長意和尚 ※ --、、 )内は原文が小文字であることを示す。 とあり、文永四年(一二六七)七月二十八日に、信空の弟子慈胤が禅快に菩薩戒を授けたことを書き付けている。つまり本書は詮空滅後二十年にして行われた法然│信空系の授戒資料である。本書は﹁血脈譜﹂のため菩薩戒へ の具体的な言及はないが、文永四年七月に慈胤が授けた菩薩戒は﹃出家作法﹄に示されている。
第二項
﹃出家作法﹂と菩薩戒
設空における天台菩薩戒説の受容について すなわち﹃出家作法﹄には、文永四年(一二六七)七月二十八日の授戒について、次のように記されている。 ①々々(慈胤法印)、去ル文永四年七月廿八日巳ノ初ノ魁、於一 J 山城州愛宕郡康楽寺僧伽藍処ノ阿弥陀知来像ノ ③ 前一一授コ当座ノ戒師禅快一一※()内は筆者(小山)の挿入 慈胤法印は、去る文永四年(一二六七)七月二十八日巳の初めのとき、山城州愛宕郡康楽寺の阿弥陀仏像の前で、 当座の戒師禅快に授戒したという。この﹁去る文永四年七月二十八日﹂との言い回しから、文永四年七月二十八 日の授戒からそれほど日を経ずして﹃出家作法﹄が著わされたと考えられる。そして ② 従 コ 釈 迦 如 来 一 二 十 二 代 相 伝 之 戒 ハ 名 ヶ テ 相 伝 戒 ト ス 。 釈 迦 如 来 隠 コ テ 此 世 一 一 後 逢 ヵ ナ リ 。 雄 ゴ 経 コ 二 千 余 歳 ↓ 、 此 ノ 戒 ノ 相 伝 ハ 子 レ 今 一 不 レ 絶 へ 。 依 コ 此 ノ 相 伝 一 一 一 、 以 一 J 所 得 ノ 戒 法 ↓ 為 コ 発 得 戒 ↓ 。 所 謂 三 衆 浄 戒 ノ 三 恥 ナ リ 。 釈迦知来より二十二代相伝の戒を相伝戒とする。釈迦如来が入滅して逢かな時が過ぎて二千余年を経たけれども、 この戒の相伝は今に絶えない。この相伝によって得た戒法を発得戒とする。いわゆる三家戒であるという。 この﹁釈迦如来より二十二代相伝﹂とは、﹁血脈譜﹂(第一項①)の釈迦如来より慈胤にいたる二十一代に、禅 快を加えた二十二代の相伝をいう。前二十一代の相伝が﹁天台菩薩戒相承血脈譜﹂に示されるのだから、この二 十二代の相伝が天台菩薩戒の相伝であるのは言を侠たない。また、この相伝によって得た戒法を発得戒とし、発 得戒を三家戒と説くのであるから、天台菩薩戒は三衆戒であることが分かる。この三家戒については③ 此 ノ 円 頓 ノ 妙 戒 ハ 一 タ ビ 得 ル ノ 後 、 雄 一 ﹂ 破 一 山 戒 ヲ 作 町 ト 悪 ヲ 永 ク 不 レ 失 セ 。 依 門 ァ 之 -一 号 コ 一 得 永 不 失 戒 ↓ 。 ( 中 略 ) 戒 ハ 即 以 ル ガ 理 -一 故 -一 。 法 性 常 住 ナ レ パ 戒 モ 亦 常 住 ナ リ 。 其 ノ 体 堅 固 ナ ル ガ 故 一 一 名 コ 金 剛 宝 ぬ ↓ 。 この円頓の妙戒は一度得た後は、戒を破っても悪をなしても、永久に失わないから、一得永不失戒とよぶ。(中 略)この戒は真理に即し、真理は法性常住であるから戒も常住である。戒体は堅固であるから金剛宝戒と名づけ るという。ここで三家戒が﹁円頓妙戒﹂と呼ばれ、﹁一得永不失戒﹂であり、戒体が堅固であるから﹁金剛宝戒﹂ と名づけられている。このように﹃出家作法﹄では天台菩薩戒は三緊戒であり、それは円頓妙戒・一得永不失 讃空における天台菩薩戒説の受容について 戒・金剛宝戒として示されているのである。
第三項
守授菩薩戒儀﹄(極略)と書薩戒
﹃ 授 菩 薩 戒 儀 ﹄ ( 極 略 ) ︹ 以 下 ﹁ 極 略 ﹂ 本 と す る ︺ ① 御 本 ニ 云 ク の文末には、次のような奥書が記されている。 正 嘉 二 年 九 月 一 目 。 雇 ヱ 永 舜 イ 令 コ 書 写 立 記 ヌ 。 即 チ 是 レ 故 法 蓮 上 人 ( 信 空 ) 書 出 シ 所 げ 授 コ ル 向 蓮 房 ( 西 進 ) 一 本 也 。 為 一 ニ 一 自 用 イ 加 減 ノ 詞 有 川 之 。 後 見 悉 げ セ 之 ヲ 失 仮 名 菩 薩 比 丘 慈 ゅ ( 町 一 竹 一 切 ) 記 レ お 御本には次のように云っている。正嘉二年(一二五八)九月一日、永舜を雇って書写させ終わった。すなわちこ れは(正嘉二年本は)、故法蓮上人信空(一一四六i
一 二 二 八 ) が書写し、向蓮一房(西進)に授けた本である。 自分が用いる為に加減した詞があるが、後見の者はこれを詳しく知り尽くしなさい。仮名菩薩比丘の慈胤これを 記すと。この奥書には﹁御本﹂が成立する経緯が記されているが、これによると﹁御本﹂は、正嘉二年に西進伝鐙空における天台菩薩戒説の受容について ⑫ 持の信空本を書写し、書写された信空本の詞を慈胤が加減したテキストであることがわかる。従って正嘉二年に ⑬ 書写され加減されて成立する﹁御本﹂を、さらに書写したものが青蓮院が現蔵する﹁極略﹂本であることになる。 ⑬ さて﹁極略﹂本は②﹁天台菩薩戒を授くるに必ず十二門の次第有り﹂というように、湛然・最澄以来の十二門 戒儀の構成
(
1
開 導 、 2 三 帰 、 3 講 師 、 4 機 悔 、 5 発 心 、 6 問 遮 、 7 正 授 戒 、 8 証 明 、 9 現相、叩説相、日広願、 ロ勧持)を持っている。このうち第一﹁開導﹂では次のように述べている。 ③ 略 シ テ 述 コ パ 此 戒 ノ 意 嘉 網 経 -一 云 ハ ク 金 剛 宝 戒 ハ 是 レ 仏 性 種 子 ニ ン テ 諸 仏 本 恥 ナ リ 。 この戒(天台菩薩戒)の意を略述するなら、﹃党網経﹄に金剛宝戒は仏性種子であり諸仏の本源であると説いて いると。ここでは天台菩薩戒が﹃党網経﹄によって説明され、金剛宝戒として説明されている。この天台菩薩戒 の戒相を説く第十﹁説相﹂では ⑬ ④ 摂 律 儀 戒 ノ 中 -一 有 コ 十 重 禁 J 受 戒 之 場 ハ 必 ズ 授 け 之 ヲ 摂律儀戒の中に十重禁戒があり、受戒の場は必ず十重禁戒を授けると。ここから信空系の授戒において、十重禁 戒が必ず授けられていたことを知ることができる。そして十重禁戒を菩薩戒の戒相として、湛然や最澄の立場が 継承されている。また本書の最後の一段には、次のように説かれている。 ⑤今ノ十二門ノ行儀ノ大旨ハ大略若 ω 斯 ノ 。 夫 レ 遇 一 J 知 来 ノ 医 王 一 一 服 コ 不 死 之 法 薬 ↓ 、 開 一 J 己 心 ノ 伏 蔵 ↓ 得 コ リ 金 剛 宝 戒 之明珠↓(﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新傍大蔵経・図像巻十二、二一三頁a )
今の十二門の行儀の大旨は大略このようである。知来という医王に遇って不死の法薬を飲み、己心という伏蔵を 開いて金剛宝戒という明珠を得ることができたと。つまり本書では十二門の行儀を終えて、金剛宝戒を得たとい うのである。信空系の授戒儀則においても、菩薩戒といえば三緊戒、十重禁戒、金剛宝戒と考えることができる。 以上、最澄と信空系の﹃授菩薩戒儀﹄を検討したところ、菩薩戒として三家戒・十重禁戒・金剛宝戒・一得永⑫ 不失戒が語られていることを知った。それでは以下に詮空の三来戒観について考察してみたい。
第二章誼空における天台菩薩戒説の受容について
第
一
節
三
緊
浄
戒
説
の
受
容
に
つ
い
て
第
一
項
明
暖
説
の
受
容
に
つ
い
て
詮空における天台菩薩戒説の受容について 詮空は﹃観経疏自筆紗﹄において次のような三緊戒説を説いている。 {甲︼菩薩三緊戒ト云フハ、①一ハ摂律儀戒、一切ノ諸ノ悪ヲ断ゼント思フ心ナリ。是則チ諸悪莫作ノ心ナ リ 。 四 弘 ニ 約 セ パ 、(
b
)
煩悩無辺誓願断ノ願ノ心ナリ。(イ)法身菩提ノ因ナリ。②一一ハ摂善法戒、一切ノ諸 ノ善ヲ修セント思フ心ナリ。是則チ諸善奉行ノ心ナリ。四弘ニ約セパ、 ( C ) 法 門 無 尽 誓 願 知 、(
d
)
無上菩提 誓願証ノ義ナリ。(ロ)報身菩提ノ因ナリ。③一二ハ鏡益有情戒、一切衆生ヲ利益セント思フ心ナリ。是則チ自 浄其意ノ本意臼疋ニ極マルナリ。四弘ニ約セパ、第一ノ(
a
)
衆生無辺誓願度ノ願ナリ。(ハ)磨身菩提ノ因ナリ。 スベテ三衆浄戒ニ納マラヌ法ナク、具セザル功徳ナシ。(﹃西叢﹄一・二二九頁) 菩薩の三家戒とは、一つに摂律儀戒は、一切の悪を断とうと思う心で、諸悪莫作の心で、四弘誓願では煩悩無辺 誓願断の心で、法身菩提の業因である。二つに摂善法戒は、一切の善を行おうと思う心で、諸善奉行の心で、四 弘誓願では法門無尽哲一一向願知・無上菩提誓願証の義で、報身菩提の業因である。三つに鏡益有情戒は、一切衆生を 利益しようと思う心で、自浄其意の本意はここに極まる。四弘誓願では衆生無辺誓願度の願で、応身菩提の業因 である。すべて三緊戒に納まらぬ法はなく、具わらない功徳はないと。この詮空の三緊戒説を図で示すと、次の ようになるであろう。︻ 図
1
︼詮空の三来戒説 三衆浄戒 ①摂律儀戒 七仏通戒 諸悪莫作 四弘誓願 三身の因 ②摂善法戒b
煩悩無辺誓願断1lc
法門無蓋誓願知lJ
諸 善 奉 行 │ 上 T │ │ ロ 報 身 菩 提 の 因﹁ ー
d
無上菩提誓願証l
L
イ法身菩提の因 讃空における天台菩薩戒説の受容について ③ 鏡 益 有 情 戒 │ │ 自 浄 其 意 ここで三緊戒が、七仏通戒と四弘誓一願と三身仏の業因として説明されていることがわかる。このように体系化さ れた三衆戒観は詮空の創見に依るものではなく、鐙空以前に展開した天台僧の三衆戒観を継承したものと考えらa
衆生無辺誓願度 ノ、、 臆身菩提の因 れることを以下に述べたい。 明噴は八世紀に活躍する中国天台の僧で、天台智者大師説として伝わる﹃菩薩戒義疏﹄を﹁剛補﹂(添削) し、﹃天台菩薩戒疏﹄を著している。本書は日本天台の最澄に影響を与え、最澄の党網戒単受の思想的根拠をな ⑬ した、きわめて重要な著述である。本書は﹃党網経﹄を七門から考察するが、第一・第二・第三門は五重玄義 (名・体・宗・用・教)による解釈で、第一釈名において明噴の三家戒が説かれている。 ︻ 乙 ︼ 今 一 言 げ ハ 戒 ト 者 能 ク 防 す 一 三 業 ザ 止 1 3 f 二 惑 ノ 非 ↓ 故 -一 得 川 名 ヲ 也 。 大 ニ シ テ 而 言 勺 之 ヲ 不 レ 出 一 J 四 弘 ・ 三 緊 イ 。(
d
)
成道 ( C ) 知 法 ハ 即 チ ② 摂 善 法 。(
b
)
誓 一 断 煩 悩 ハ 即 チ ① 摂 律 儀 。( a
)
願 度 衆 生 ハ 即 チ ③ 摂 衆 生 。 況 ャ 一 一 ノ 誓 -一 三 緊 具 足 ス ル ヲ ャ 。 況 ャ 一 一 ノ 戒 ニ 備 コ ル ヲ ャ 此 ノ 三 心 イ 。 知 凶 持 す 不 殺 イ 。 止 り テ 悪 ヲ 不 レ 生 ゼ 、 遍 ル テ 体 ヲ 離 川 ハ 染 ヲ 即 チ ① 摂 律 儀 。 ( イ ) 法 身 ノ 因 也 。 制 シ テ 行 w 善 、 等 シ ク 知 川 法 ヲ 証 、 W テ 真 ヲ 感 w 報 ヲ 自 -フ 存 ス ル ハ 即 チ ② 掻 善 法 。 ( ロ ) 報 身 因 也 。 止 悪 行 善 ハ 慈 悲 ヲ 矯 レ 本 ト 。 四 悉 ノ 利 物 ハ 即 チ ③ 摂 衆 生 。 ( ハ ) 応 身 因 也 。 ( 大 正 四0
・ 五 八O
頁c
l
)
いま戒とは三業をまもって煩悩の非を止めるから戒という。戒は大まかに言えば四弘誓願・三家戒を出るもので詮空における天台菩薩戒説の受容について はない。四弘誓願の﹁成道﹂と﹁知法﹂は摂善法戒である。﹁誓断煩悩﹂は摂律儀戒である。﹁願度衆生﹂は摂衆 生戒である(←︻図 2 ︼に示す)。まして一つ一つの誓願に三緊戒が具わることは尚更であり(←︻図
3
︼に示 す)、一つ一つの戒にこの三心を備えることは尚更である。例えば﹁不殺﹂戒を持つようなものである(←︻図 4 ︼に示す)。悪を止めて生じさせず、本体を遍くして煩悩を離れるのは摂律儀戒であり、法身仏の業因である。 三業を制して善を行じ、等しく仏法を知り、真理を悟り、その果報を感じて自ら存するのは摂善法戒であり報身 仏の業因である。止悪行善は慈悲を根本とし、四悉檀の衆生利益は摂衆生戒であり応身仏の業因であるという。 この明嘆の三緊戒説からは次の図のような内容を読み取ることができる。 { 図2
︼什
i
②摂善法戒b
誓断煩悩a
願度衆生 d 成 C 知 ①摂律儀戒 ③摂衆生戒 そして﹁況や一一の誓に三緊具足す﹂とあるから、 ︻ 図3
︼ 道 ( 仏 道 無 上 誓 願 成 ) ① 摂 律 儀 戒 ・ ② 摂 善 法 戒 ・ ③ 摂 衆 生 戒 法 ( 法 門 無 尽 誓 願 知 ) ① 摂 律 儀 戒 ・ ② 摂 善 法 戒 ・ ③ 摂 衆 生 戒b
誓 断 煩 悩 ( 煩 悩 無 数 誓 願 断 ) ① 摂 律 儀 戒 ・ ② 摂 善 法 戒 ・ ③ 摂 衆 生 戒a
願 度 衆 生 ( 衆 生 無 辺 誓 願 度 ) ① 摂 律 儀 戒 ・ ② 摂 善 法 戒 ・ ③ 摂 衆 生 戒 また﹁況や一一の戒に此の三心を備ふ﹂として、不殺人戒を例に出している。 d 成 C 知︻ 図
4
}
ま登空における天台菩薩戒説の受容について ーー①摂律儀戒1
不殺人戒│←│②摂善法戒 ﹁ー③摂衆生戒 寸│①摂律儀戒 2不与取戒│←│②摂善法戒 ﹁ー③摂衆生戒 ハ応身因 ロ報身因 イ法身因 ハ応身因 ロ報身因 イ法身因 ※以下の十重禁戒は省略す。 ここで明瞭が﹁一一の誓に三衆具足す。況や一一の戒に此の三心を備ふ﹂というように、 ⑬ 来戒(三心)を具足する立場︻図 3 ︼ ︻ 図 4 ︼は、詮空からは明確に読み取ることができない。しかしながら右 の明瞭の三衆戒説は次の図のような詮空の三緊戒説と同様の形を読み取ることができる。詮空の三衆戒説と並べ て み た い 。 { 図 5 ︼ ︻ 明 噴 の 三 家 戒 説 ︼ 三家浄戒 ①摂律儀戒││止悪 @ 四弘誓願b
誓断煩悩(煩悩無数誓願断) 1│c知法(法門無尽誓願知) ②摂善法戒││行善ーーム ﹁ーd
成道(仏道無上誓願成) ③摂衆生戒 1 1 1 慈悲a
願度衆生(衆生無辺誓願度) 一つ一つの誓や戒に 三身の因 イ 法 身 因 ロ 報 身 因 ハ 応 身 因︻ 詮 空 の 三 衆 戒 説 ︼ 三家浄戒 ①摂律儀戒 七仏通戒 諸悪莫作 四弘誓願 三身の因 ②摂善法戒
b
煩悩無辺誓願断 ー ーc
法門無蓋誓願知 1﹂
諸 善 奉 行 ー ム 丁l
ロ報身菩提の因﹁
l
d
無上菩提誓願証l
L
イ法身菩提の因 詮空における天台菩薩戒説の受容について ③鏡益有情戒││自浄其意 すなわち右の明噴の三緊戒説と詮空の三緊戒説とは、次の点で共通の理解をする。 一、摂律儀戒は、止悪(諸悪莫作)であり、b
煩悩無辺誓願断の誓であり、(イ)法身仏の業因であるとする。 一、摂善法戒は、行善(諸善奉行)であり、c
法門無尽誓願知・d
無上菩提誓願証の二願であり、 仏の業因であるとする。 一、鏡益有情戒(摂衆生戒)は、慈悲(自浄其意)であり、a
衆生無辺誓願度 ハ癒身菩提の因 ( ロ ) 報 身a
衆生無辺誓願度の誓であり、 ( ハ ) 応 身 仏 の 業 因 で あ る と す る 。 菅見するところ、中国・朝鮮半島・日本の諸師の三家戒説において、三衆戒を四弘誓願で解釈する例はほとんど @ 見あたらなかったことを考えると、右のような多くの一致をみる讃空には﹃明瞭戒疏﹄からの影響があったもの ﹃観経疏他筆抄﹄(以下﹃他筆抄﹄と略称)には﹃明噴戒疏﹄の文が引 と推察される。詮空の著述を精査すると、 かれていることが分かってきた。 @ {丙︼明瞭ノ菩薩戒疏ニ云ク、六親トハ六人ノ親ナリ。一ニハ父ノ親、二ニハ母ノ親、三ニハ我親、四ニハ 妻ノ親、五ニハ夫ノ親、六ニハ兄ノ親ナリ(文)。是即チ敬フベキ者ヲ親近トシ、日疋ヲ親子ト名付九 @ ︻丁︼明噴ハ、宗トハ要ナリ帰ナリ、ト云へリ。(﹃西叢﹄五・七七頁)これにより詮空が﹃明瞭戒疏﹄の釈義を用いていることが分かる。 @ もともと詮空は天台菩薩戒の究明に熱心で、仁空実導の﹃西山上人縁起﹄(一三八六成立)には﹁善恵上人は、 讃空における天台菩薩戒説の受容について 菩薩戒義記は三反文々句々の師授を蒙り﹂(二二五頁)とあり、また﹁五部大乗経・天台六十巻・浄名浬繋疏・ 菩薩戒義記・顕戒論・顕揚大戒論等、ことことく印板を開て、未来の益をこころさす﹂(二三三頁)とし、また 入寂の前日に詮空のもとを訪れた泉涌寺長老の明観には﹁天台大師菩薩戒義記三重玄の中の釈名の章に、広く四 教の階位を明せること、今の菩薩戒につきて、この趣存知如何﹂(二三四頁)と問、ったことが伝わっている。伝 記の記述がそのまま史実とは言えないにしても、詮空が天台菩薩戒の究明に意を致していたと考えて良いであろ う。従って詮空が、天台の﹁菩薩戒義記﹂を剛補する﹃明噴戒疏﹄、を引用する事実、を考え合わせると、詮空 が明瞭の三家戒説を自著の中に受容することは十分に考え得ることである。このような事情を考え合わせ、筆者 は詮空の戒思想には明嘆の三衆戒説が継承されていると考えるのであ句。
第二項
源信説の受容について
ところで詮空の三家戒説は明瞭一師に依って形成されたのであろうか。ここでは日本天台の学匠・恵心僧都源 信(九四二 l 一O
一七)に注目することにしよう。源信は﹃往生要集﹄の著者として有名であり、法然(一二二 一 一 一l
一一二二)も﹃往生要集﹄を先達として浄土門に入ったと伝えられるように、日本に浄土教をとりわけ西方 願生の阿弥陀仏信仰を浸透させることで大きな役割を果たした人物である。﹃往生要集﹄は十門構成の組織をも ち、その中心は﹁正しく念仏を修﹂す、と題される第四門﹁正修念仏﹂である。﹁正修念仏﹂では天親菩薩の ﹃浄土論﹄に基づく五念門(礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・廻向門)の実践が説かれている。源信はこの作讃空における天台菩薩戒説の受容について 願門において次のような三家戒説を説いている。 言 コ ハ 縁 事 ノ 四 弘 ↓ 者 。 ( a ) 一 一 一 衆 生 無 辺 誓 願 度 。 応 戸 念 ロ ベ シ 一 切 衆 生 ハ 悉 ク 有 コ 仏 性 ﹂ 我 ハ 皆 令 部 ト 入 一 J 無余浬繋 一 一 。 此 ノ 心 即 チ 是 ③ 健 闘 益 有 情 戒 。 亦 是 恩 徳 心 。 亦 是 縁 因 仏 性 。 ( ハ ) 応 身 ノ 菩 提 ノ 因 ナ リ 。 ( b ) 二 ニ 煩 悩 無 辺 誓 願 断 此ハ是①摂律儀戒。亦是断徳心。亦是正因仏性。(イ)法身ノ菩提ノ因ナリ。(C)三ニ法門無尽誓願知。此ハ是② 摂 善 法 戒 。 亦 是 智 徳 心 。 亦 是 了 因 仏 性 。 ( ロ ) 報 身 ノ 菩 提 ノ 因 ナ リ 。
(
d
)
四ニ無上菩提誓願証。此ハ是願二求ス仏果 菩 提 イ 。 謂 ハ ク 由 引 テ 具 一 一 足 ス ル ニ 前 二 フ 行 願 イ 、 証 一 一 得 シ 三 身 円 満 ノ 菩 提 イ 、 還 リ テ 亦 広 ク 度 コ 一 切 ノ 衆 生 イ 。 ( ﹃ 浄 土 真 宗 聖典﹄七祖篇、一O
O
九 頁 ) 事を縁とする四弘誓願とは、(
a
)
一つに衆生無辺誓願度とは、まさに念じなさい。一切衆生にはことごとく仏性 があって、私は皆を無余浬繋に入らせると。この心は③鏡益有情戒であり、思徳心であり、縁因仏性であり、 (ハ)応身仏の業因である。(bY一つに煩悩無辺誓一願断とは、①摂律儀戒であり、断徳心であり、正因仏性であり、 (イ)法身仏の業因である。(C)三つに法門無尽誓願知とは、②摂善法戒であり、智徳心であり、了因仏性であり、 ( ロ ) 報 身 仏 の 業 因 で あ る 。(
d
)
四つに無上菩提誓願証とは、仏果を願い求めることである。これはつまり前の三 つの行願(衆生無辺誓願度・煩悩無辺誓願断・法門無尽誓願知)を具足することによって、法身・報身・応身の 円満なる菩提を悟り、かえって広く一切衆生を救うのであるという。この内容を図で示して、議空の三家戒説と 対比すると、次のようになるであろう。 { 源 信 の 三 緊 戒 説 ︼ 三 家 浄 戒 三 徳 三 因 仏 性 四 弘 誓 願 三 身 の 因 ①摂律儀戒l
l
断徳心i
l
正因仏性l
i
イ法身菩提の因││b煩悩無辺誓願断﹂ ②摂善法戒l
ー智徳心││了因仏性││ロ報身菩提の因││C法門無尽誓願知T
d
無上菩提誓願証 ③鏡益有情ーー思徳心 l 縁 因 仏 性 │ ハ 応 身 菩 提 の 因lla
衆生無辺誓願度L
︻ 詮 空 の 三 衆 戒 説 ︼ 三 家 戒 七 仏 通 戒 ①摂律儀戒││諸悪莫作││b煩悩無辺誓願断││イ法身菩提の因
-c
法門無蓋誓願知﹂ ② 摂 善 法 戒 │ │ 諸 善 奉 行 土T
ロ報身菩提の因﹁
d
無上菩提誓願証L
四弘誓願 三身の因 ま登空における天台菩薩戒説の受容について ③鏡益有情││自浄其意││a衆生無辺誓願度││ハ麿身菩提の因 詮空の三来戒説は、三来戒と四弘誓願の関係において、源信と異なる点(ゴシック体表記)がわずかにあるが、 右の三点において両者は共通の理解を示している。 一、摂律儀戒を法身菩提因と煩悩無辺誓願断で解釈する。 一、摂善法戒を報身菩提因と法門無尽誓願知で解釈する。 一、鏡益有情戒を応身菩提困と衆生無辺誓願断で解釈する。 また源信と詮空は、三衆戒、四弘誓願、三身菩提因など、個々の名称についても完全に一致するのは注意を要す る点である。管見するところ、諸師の三緊戒説において、三来戒を四弘誓願によって解釈する例はほとんど見あ たらないが、源信と詮空は右のような一致を見るのであり、詮空には﹃往生要集﹄からの影響があったものと推 察される。詮空の著述を精査すると、詮空が﹃往生要集﹄﹁正修念仏﹂について次のような言及をしていること が 分 か っ て き た 。 今ノ観経ノ観門弘願ヲ詮スル謂ヲ得ザル時ハ、観仏念仏共ニ念仏ニ摂シテ是ヲ分別セズ。往生要集ノ正修念 仏ノ心モ是ヲ帯ビタル心アルナリ。(﹃西叢﹄四・一九五頁) すなわち﹃観経﹄の﹁観門が弘願を詮わす﹂という謂われをまだ心得ていない段階では、観仏と念仏がともに念仏に摂まりこれらを分別しないが、﹃往生要集﹄﹁正修念仏﹂もこの意を帯びているという。これは源信が﹁正修 念仏﹂と言っておきながら、﹁正修念仏﹂の段落には、念仏と観仏が説かれていることを、詮空が観門の理論に よって説明したものである。このように独自の解釈を施すほど﹁正修念仏﹂を読み込んだ詮空が、﹁正修念仏﹂ の三家戒説を知らなかったとは到底考えられない。 いずれにしても、三緊戒を四弘誓願や三身仏因としてみる三来戒説は、詮空の創見にかかるものではなく、詮 空以前に展開していた三緊戒説を詮空が継承したものであると考えなければならない。こうした事実を考慮する 詮空における天台菩薩戒説の受容について と、詮空の三緊戒説は、 明瞭・源信の思想を参照し、受容したものと考えられる。 第二節
詮空の一得永不失戒について
前章において、信空系の授戒儀則では、三家を一得永不失戒として示していた。一得永不失戒の思想は﹁一度 受けたる戒体は知何なる悪因縁に遭遇して重戒を殴犯する事あるも、未来永久に亡失する事なじゅ﹂と説くもので、 すでに﹃壊務経﹄(大正二四・一O
二 一b
)
や安然﹃普通授菩薩戒広釈﹄(大正七四・七六六a )
にみることので きる思想であ句。この一得永不失戒の思想は、詮空にも受け継がれているのであろうか。﹃観経疏自筆紗﹄を見 ると次のような記述がある。 ①菩薩戒ハ尽未来際ト契リテ一度受ケツル後、生々世々ヲ経ト難モ更ニ戒体失セズ、是ヲ犯スル事ナカレト 授 ク ( ﹃ 西 叢 ﹄ 一・一七九頁・上) 菩薩戒は﹁尽未来際﹂と誓って一度受けた後、 生生世世を経ても戒体を失わないが、菩薩戒を犯すことなかれと 言って授けるという。このように菩薩戒は一度受戒したら何度生まれ変わっても、その戒体は失われないという。ここから菩薩戒を一得永不失戒とする思想を読み取ることができる。また同じく﹃観経疏自筆紗﹄には、 ②十無尽戒トイハ菩薩ノ十重禁戒ナリ。此ノ戒ニ無尽ノ名ヲ立ツル事ハ、サキノ三来浄戒ノ持犯ア説ク戒相 @ ナレパ、横ニハ一切ノ戒ヲ収メ、竪ニハ三世ニ亙リテ尽クル事ナケレパ、殊更、無尽ノ名ヲ顕スナリ。 十無尽戒は菩薩の十重禁戒である。この戒に﹁無尽﹂の名を付けるのは、この戒は先に説いた三緊戒の戒相であ るから、横には一切戒を収め、竪には三世にわたって尽きることがないので、殊更、﹁無尽﹂の名を付けるとい 詮空における天台菩薩戒説の受容について う。このコ二世(過去・現在・未来)にわたって尽きることがない﹂は﹁(一得)永不失﹂の意味に見ることが できるから、詮空が十無尽戒(十重禁戒)を一得永不失戒の立場で理解していたことがわかる。また、よくよく 見ると②は﹁十無尽戒(十重禁戒)は、三家戒の戒相だから、三世にわたって尽きることがない﹂という内容な ので、十無尽戒が三世にわたって不滅の理由は、十無尽戒が三家戒と結びつく点に根拠があるようである。従っ て詮空は十無尽戒(十重禁戒)だけでなく三来戒についても一得永不失戒と考えていたように息われる。②﹁サ キノ三来浄戒﹂とは、②文より前の三緊戒(第二章・第一節・第一項の 永不失戒を図で示すと、次のようになると思われる。 { 図
1
︼)を意味するから、詮空の一得 {詮空の一得永不失戒図︼ 三家浄戒 三 取 水 浄 戒 の 戒 相 四弘誓願 三身菩提因3
2
十 十 剛 長 戒 戒ド
摂 摂 善 律 j去 { 義 戒 戒 七仏通戒 ーー諸悪莫作 1 1 1 煩悩無辺誓願断ーーー法身菩提の因 ー 法 門 無 蓋 誓 願 知 ﹂ │ │ 諸 善 奉 行 上 下 報 身 菩 提 の 因 ﹁無上菩提誓願証L
この三緊戒の戒相を十重禁戒とする立場は、最澄と信空系の﹃授菩薩戒儀﹄に共通して認められるところである @ から、詮空が天台菩薩戒の思想を継承していると考えることができる。 第 三 節
誼空における十重禁戒名の踏襲について
設空における天台菩薩戒説の受容について 最澄と信空系の授戒儀則により、十重禁戒は授戒の場で必ず授けられる戒であることが明らかとなったが、本 節では詮空の用いる十重禁戒の一々の戒名から、詮空の十重禁戒が誰の影響下にあるかを分析してみたい。まず 詮空の十重禁戒名を明らかにしよう。﹃往生礼讃自筆御紗﹄(以下﹃礼讃自筆紗﹄と略称)には次のように示され て い る 。 ①十無尽戒トイハ十重禁戒ノ異名ナリ。一ハ不殺人戒、二ハ不倫盗戒、三ハ不姪戒、四ハ不大妄語戒、五ハ 不酷酒戒、六ハ不説四衆過戒、七ハ不自讃駿他戒、八ハ不健貧戒、九ハ醇、心不受憐謝戒、十ハ不誘三宝戒ナ リ 。 ( ﹃ 西 叢 ﹄ 三 ・ 二 ハO
頁・上) すなわち①不殺人戒、②不倫盗戒、③不姪戒、④不大妄語戒、⑤不酷酒戒、⑥不説四衆過戒、⑦不自讃駿他戒、 @ ⑧不僅貧戒、⑨曝心不受憐謝戒、⑬不誘三宝戒の十の戒名が詮空の十重禁戒名であるが、この詮空の十重禁戒の 一々の戒名を、天台・法蔵・義寂・太賢等の諸師のものと比べてみると次の表のようになる。1 眠 心 1'堅 自 説 天 詩 讃 四 鞍 衆 酷 妄 よE品3、 宝 他 過 酒 語 戒 握 盗 殺 戒 戒 戒 戒 戒 戒 戒 自 法 詩 讃 穀 故 故 説 貼 妄 宝 戒眠 '戒堅│ 他 過 酒 戒語 蛭 盗 殺 蔵 戒 戒 戒 戒 戒 戒 戒 段 醸l'加i霊企日 自 義 誘 鞍讃 説
長
重
他 E古 妄 ,ヨょ主. 他 過 酒 戒語 姪 盗 殺 寂 戒 戒 戒 戒 戒 戒 戒 駿 眠 '1:堅 自 談 酷 故 無 劫 盗 快意 太 誘 不 受 生駿 讃穀 他 酒 心 行過 生 妄 慈 人 殺 t 玉-4 謝戒 辱戒 他 戒失戒罪戒語欲戒戒物生戒 賢 戒 戒 揖 太眠 讃自 衆四 不 不 勝 誹悔戒~ι
Z f戒堅 致 過 浩 妄 不 備 不 荘 詩 他 〔 酒 戒語 姪 盗 殺 戒 戒 感 戒 戒 戒 戒 誘 助コ 機謝戒 臨 故 自 犯 説 酷 大 妾 行 不 与 殺 明 ,む {堅 讃 過 衆名四 酒 非 人 不 加 鞍 戒 戒 語 党 取 戒 , ヨA三, 受 車交 他 戒行戒 戒 噴③ 戒 戒 戒 徳 r-、r-、 過 〔 不故 不 不 不故 不故 C時 不説 倫 殺 智 戒膿憧戒 菩 姪戒盗戒 戒 周 薩 故 故 r-、 古文 法 説 妄 戒眠 '戒堅│ 過 戒 戒語 姪 盗 殺戒 戒 戒 銑 不 戒 膜 樫f昔 売 量 不 揖 不 平 震不妄 不 不 不 円 爵 心 自 説 酷 揺 盗 殺 三 不'受悔 加 讃 鞍 四 酒 戒 戒 生 宝 駿戒 衆 戒 戒 珍 @ 戒 他 過 言 ド 患膿 憧貧 自 説油妄姪欲倫盗 殺 安 誘 讃 鞍 過 酒 語 生 ,玉-4 他 然 @ 不 不眠意 不憧貧 不 罪 不 説 不 不 姪欲不 不 不i
原 語 自 過 酷 妄 倫盗 殺 イ 鞍讃也 衆等四 酒 語 生 賓 信 @ 2 3 4 5 6 詮空における天台菩薩戒説の受容について 7 8 9 10 ※右の表は石田瑞麿︹一九七二﹃究網経﹄│仏典講座(一四)
i
二七九頁﹁十重四十八軽戒名目一覧表﹂を参照して 作成した。ただし円珍・安然・源信については筆者(小山)の付加。ゴシック表記は詮空と一致する戒名、傍線 は詮空だけと一致することを示す。 明嘆の①殺人戒、④大妄語戒、⑤酷酒戒、⑦自讃駿他戒、⑨眠心不受機謝戒が詮空のものと一 致することに気づく。特に①殺人戒、④大妄語戒、⑨膿心不受機謝戒については、明噴以外は詮空しか使用して @ いない点は見過ごすことができない。ここで①殺人戒の出拠となる﹃党網経﹄の本文を尋ねてみよう。 ② 仏 言 。 仏 子 。 若 自 ラ 殺 シ 教 コ 人 ヲ シ テ 殺 寸 方 便 シ テ 讃 一 一 歎 シ 殺 ザ 見 げ 作 ス ヲ 随 喜 シ 。 乃 至 呪 ン テ 殺 サ パ 。 殺 ノ 因 、 殺 ノ 縁 、 殺 ノ 法 、 殺 ノ 業 。 乃 至 一 切 有 印 命 者 不 け 得 二 故 ラ ニ 殺 イ コ ト ヲ 。 是 菩 薩 応 下 起 一 イ ァ 常 住 慈 悲 心 孝 順 心 ↓ 。 方 便 シ テ 救 中 護 ス 一切衆生 M 。而自恋レ心快けシテ意ヲ殺生セパ者。是レ菩薩ノ波羅夷罪(大正二四・一OO
四 頁 ・b
)
この表をみると、ここには自ら殺す場合、人に殺させる場合、殺すことを讃えたり、殺すのを見て喜んだり等等、種々の殺生が戒 められているが、傍線部のように、人を殺す場合を特別視した内容にはなっていない。つまり﹃党網経﹄の第一 戒の条文をみても、それを﹁殺人戒﹂とする根拠が見つからないのである。従って詮空がこれを﹁殺人戒﹂と呼 ぶのは、それ相応の理由が別にあるか、或いは先師の用例を踏襲したかであろう。詮空には﹃明瞭戒疏﹄に言及 する事実があり、また明瞭の三家戒説の受容を考えることができるので、十重禁戒の戒名も明瞭を踏襲したもの かと考えられるが、どうもそれは早計であることが分かってきた。 詮空における天台菩薩戒説の受容について 青蓮院所蔵﹃授菩薩戒儀﹄(白河)に収載される﹃授菩薩戒儀﹄(極略)は、既述の通り、法然門下の信空が弟 子西進に授与した﹃授菩薩戒儀﹄を書写し、その本文を加減したものである。そのため﹁極略﹂本の本文は信空 の授戒作法の本文を基本的に踏襲したものと考えられる。 さて、この﹁極略﹂本を見ると、次のような十重禁戒の呼称が記されている。 ① 不 殺 人 戒 ② 不 与 取 戒 ま た 不 倫 盗 戒 ③ 姪 戒 ④ 不 大 妄 語 戒 ⑤ 不 治 酒 戒 ⑥ 不 説 四 衆 過 罪 戒 ⑦ 不 自 讃 @ 段他戒⑧不僅貧加段戒⑨膿心不受機謝戒⑬不誘三宝戒。 このうち①②④⑤⑦⑨の六戒は明瞭と一致するが、①②③④⑤⑥⑦⑨⑬の九戒は詮空と同じである。つまり信空
l
慈胤本は詮空とほとんど同じ十重禁戒名を使用しているのである。両者間にこれほどの一致がなぜ起こるので あろうか。これは信空・詮空の二人が同一の師(法然)に受戒したことに由来すると考えるほかないように思わ れ旬。もしこのような推定が許されるなら、詮空の十重禁戒の呼称は、明噴を背景にもちながらも、直接的には 法然を踏襲したものと考えなければならない。結
要
以上、小論の考察の結果をまとめると、詮空の菩薩戒説の受容は次のように考えられる。 一、詮空の三来戒説には、三家戒を四弘誓願や三身菩提因等によって解釈するものがある。詮空以前の諸師の三 詮空における天台菩薩戒説の受容について 来戒説を調べると、三家戒を四弘誓願で解釈する例は少なく、特に天台僧の明瞭、源信の三家戒説のうえに、詮 空との多くの一致点を認めることができた。これは詮空の三衆戒説が、詮空の創見ではなく、彼以前に展開した 三家戒説を受容したことを明かしている。おそらく詮空は明瞭や源信の三家戒説を参照し部分的に受容継承した ものと考えられる。 一、詮空が十重禁戒を三衆戒の戒相とする立場は、すでに中国天台の湛然や、最澄のうえに認められるところで、 また一得永不失戒も、すでに日本天台の学匠安然の著述に確認することができる。よって詮空は基本的に天台菩 薩戒の立場を受容していることがわかる。 一、詮空の十重禁戒には、中国・朝鮮半島・日本の諸学匠と異なる呼称│特に殺人戒 l が用いられている。この 殺人戒の呼称を用いる学匠に明噴があり、詮空は明瞭と五つの戒名において一致をみるのである。従って詮空は 明瞭の戒名を踏襲したのかとも考えられたが、法然門下信空系の﹃授菩薩戒儀﹄を検討したところ、詮空の十重 禁戒名のうち九つの呼称が一致することがわかってきた。 一、この信空系﹃授菩薩戒儀﹄(﹁極略﹂本)は、西進が信空から授かったものを、慈胤が永舜に書写させて詞を 加減したものである。よって﹁極略﹂本は、信空が法然から授かった十重禁戒名を残し伝えている可能性が充分 に考えられるテキストなのである。しかもこの信空系の十重禁戒名と詮空﹃礼讃自筆紗﹄の十重禁戒名は、ほぽ完全に一致するのである。これほどまでの両者聞の一致は、信空と詮空が同一の師(法然) に受戒したことに由 来すると考えるほかないであろう。従って詮空の十重禁戒名は、 ﹃ 明 噴 戒 疏 ﹄ の十重禁戒名を背景としながらも、 直接には法然の十重禁戒名を踏襲したものと推定されるのである。 ま登空における天台菩薩戒説の受容について 註 ①国書総目録や泉学洋の調査(﹃浄土宗西山派学匠著述目録﹄)によると、詮空に﹃授菩薩戒儀﹄の著述はない。 ②泉学洋の調査では、詮空門下の著述に、﹃授菩薩戒儀﹄は含まれていない。しかし龍谷大学の﹃龍谷大学和漢書籍 分類目録﹄をみると、﹁西山宗義﹂の部門に﹁戒書﹂の一段を設け、﹁観鏡相伝﹂の﹃授菩薩戒儀﹄(写本。巻子本) を載せている。早速閲覧の手続きを取ったが、現在は所在不明との回答を得た。本書が詮空の門弟観鏡房詮入の手に かかるものかは、今のところ定かでないが、今後も本書の現存が確認されるまで調査を続けていきたい。 ③現在、西山派において受戒者が伝持する巻子本﹃授菩薩戒儀﹄は、後述するように、十重禁戒の各戒の呼称が、詮 空﹃往生礼讃自筆御紗﹄のそれと随分異なっている。それと相侠ってこの巻子本自体、古写本が残っておらず、どこ まで遡ることができる資料か不詳である。従ってこの巻子本が詮空の菩薩戒儀をどこまで忠実に伝えているか明らか でないのである。そのため小論の資料には西山派教団(光明寺系)が授けている巻子本は用いないこととする。 ④﹃伝全﹄一・三二四頁 ⑤﹃党網経﹄では、十重禁戒は金剛宝戒として説かれているから、両者を同一視する最澄の態度は﹃党網経﹄に根拠 が あ る の で あ ろ う 。 ⑥本書は尊円親王(一二九八 i 一三五六)が編んだ﹃門葉記﹄巻一
O
八(大正新惰大蔵経・図像第十二・一二九頁 i 二二二頁)に収載されている。ただし﹃門葉記﹄収載版は、青蓮院所蔵写本を抄出した本文である。 ⑦﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新情大蔵経・図像巻十二、一二九頁c
、ただしこれには﹁慈胤示﹂の三字はない。 ⑧﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新情大蔵経・図像巻十二、二二O
頁 aib 、ただし﹁康楽寺﹂は﹃門葉記﹄版に は﹁八坂郷康楽寺﹂とある。青蓮院本にも﹁康楽寺﹂の右肩に﹁八坂郷﹂と傍記されている。筆者(小山)が見てい る紙焼複写本では﹁八坂郷﹂の三字は本文と異筆のようにも見える。ま登空における天台菩薩戒説の受容について ⑨﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新情大蔵経・図像巻十二、一三
O
頁 b ⑬﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新情大蔵経・図像巻十二、二二O
頁 bO
①の文は、﹃門葉記﹄収載の﹃授菩薩戒儀﹄(極略)に見あたらない。林鳴宇氏は林︹二O
O
二︺﹁比叡山周辺にお ける﹃授菩薩戒儀﹄の内容研究﹂│青蓮院吉水蔵の所蔵写本を中心に│﹃曹洞宗研究員研究紀要﹄三二(四O
頁)掲 載の翻刻文において、﹁加減詞﹂を﹁知滅詞﹂とするが、筆者所持の紙焼複写を見るかぎり、ここは﹁加減調﹂と翻 刻するべきと思われる。なお①文の()内は原文が小文字であることを示す。 ⑫慈胤が禅快に菩薩戒を授けたのは文永四年(一二六七)で、正嘉二年(一二五八)の約九年後である。おそらく慈 胤は自分が授戒するときの為に、西進伝持の信空本を書写させたのであろう。 ⑬﹃授菩薩戒儀﹄(極略)の書名を慈胤自ら付けたと仮定するなら、慈胤の加減とは、信空本の詞をかなり減らし簡略 化したものと考えられよう。 ⑪﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新倍大蔵経・図像巻十二、一三O
頁 c ⑬﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新惰大蔵経・図像巻十二、一三O
頁c
⑬﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新惰大蔵経・図像巻十二、一三一頁 b ⑪このうち金剛宝戒と一得永不失戒は、菩薩戒の思想的特色を表現した言葉であるから、実際の菩薩戒としては三家 戒と十重禁戒の二つに絞ることができるであろう。ちなみに現在の西山派の円頓戒の授戒儀則を見ると、やはり三束 浄戒と十重禁戒が伝戒の中心をなしている。 ⑬小寺文穎︹一九八七︺﹃天台円戒概説﹄叡山学院(二六頁、一七二頁) ⑬小寺文頴氏は﹁一戒に限って図示すれば次の知くになるであろう﹂と述べて、明嘆の戒思想を次のように示す。 ー 止 悪 │ │ 摂 律 儀 戒 │ │ 戒 │ │ 中 1 1 法身li
法 身 / ¥ 度 戒 ー ーT
行 善 │ │ 摂 善 法 戒 │ │ 慧 │ │ 空 ー ー 般 若 │ │ 報 身r
¥
/
断 ﹁ 慈 悲 │ │ 摂 衆 生 戒 │ │ 定 │ │ 仮 │ │ 解 脱 1 1 応 身 ¥ / / 知 / 成 ※ゴシック体の表記は、引用︻乙︼から読みとれる内容で、この中に讃空の三緊説︻図 1 ︼の組織と同じ形を見る ことができる。そして小寺氏は﹁明瞭は円の三棄の互具互融を論じ、三学、三観、三徳、三身、四弘の相即をのべ、三家三身優劣なき旨をあかし、十重四十八軽戒の一々に戒々三家互融なる論理を展開している。﹂と述べて いる。この円融菩薩戒思想は詮空の著述から明確に読み取ることが出来ない。※引用はすべて小寺︹一九八七︺ 六
O
頁 i 六 一 頁 。 ⑫()内の四弘誓願は、﹃明瞭戒疏﹄(大正四0
・ 五 八 三 頁 ・a )
に 出 る も の 。 @主として詮空以前の諸師について調べたところ、三身や三徳などと結びつけて解釈される三来説は、以下の諸著述 から確認することができた。天台﹃菩薩戒義疏﹄(大正四0
・ 五 六 六 頁 c l 五六七頁a )
、 道 官 一 ﹃ 釈 門 帰 敬 儀 ﹄ ( 大 四五・八五六頁 b│C) 、道世﹃法苑珠林﹄(大正五三・九四一頁 C ) 、義寂﹃菩薩戒本疏﹄(大正四0
・ 六 六 二 頁a )
法蔵﹃党網経菩薩戒本疏﹄(大正四0
・ 六O
四 頁 b ) ・﹃華厳経探玄記﹄(大正三五・二二O
頁 b ) 、良貫﹃仁王護国般 若波羅蜜多経疏﹄(大正三三・四六三頁 C) 、曇噴﹃金剛般若経旨賛﹄(大正八五・七四頁 b ) 、明噴﹃天台菩薩戒疏﹄ ( 大 正 四0
・ 五 八O
頁 c l ) 、源信﹃往生要集﹄(﹃浄真聖﹄七祖篇・一O
O
九頁)、道誠﹃釈氏要覧﹄(大正五四・二 七二頁a )
、子培﹃起信論疏筆削記﹄(大正四四・三八七頁 b ) 、元照﹃観経義疏﹄(大正三七・二九九頁 c l 三O
O
a )
、詮空﹃観経疏自筆御紗﹄(﹃西叢﹄一・二二九頁)、良忠﹃観経疏伝通記﹄(大正五七・五九六頁 b ) 、これらの三 来説のうち、四弘誓願を分配して三衆戒を解釈するのは、明瞭・源信・詮空の三師だけであった。 ⑫この﹃明瞭戒疏﹄の出拠は(大正四0
・ 五 八 八 頁 C) ⑫﹃西叢﹄六・工ハ二頁 ⑫これと同文は﹃明瞭戒疏﹄に見あたらないが、﹃明噴戒疏﹄には﹁宗者要也。趣也﹂(大正四0
・ 五 八 一 頁a )
と る。おそらく詮空の引用はこの文意をとったものであろう。 ⑫浄土宗西山三派遠忌記念事業委員会編︹一九九四︺﹃西山国師絵伝﹄法蔵館、所収の翻刻 ⑫詮空の明噴三家説の受容は部分的なものである。明瞭は摂律儀戒から小乗具足戒を廃除し、摂律儀戒を党網戒のみ で解釈するが、詮空は摂律儀戒には五戒・八戒・二百五十戒等の諸戒を含めて解釈する。この相違は非常に大きな問 題を含んでいると思われるので稿を改めて論じたい。 ⑫福田嘉穎︹一九九O
︺ ﹃ 天 台 学 概 論 ﹄ 中 山 書 房 仏 書 林 、 ⑧ 福 田 ︹ 一 九 九O
︺一二九頁 ⑫﹃西叢﹄一・二二九頁 詮空における天台菩薩戒説の受容について 一 二 八 頁詮空における天台菩薩戒説の受容について 詮空は大念寺の胎内文書で、金剛宝戒を次のように述べている。 ③ 四 戒 相 承 ノ 金 剛 宝 戒 ハ 諸 仏 ノ 本 源 ニ シ テ 敬 一 一 帰 ス 弥 陀 一 一 依 心 起 行 ノ 八 万 余 門 ハ 釈 尊 ノ 教 ︹ 説 ︺ ニ シ テ 成 コ 十 六 観 ↓ 六 字 ハ 具 足 シ テ 開 二 顕 ス レ パ 弘 願 ↓ 善 悪 ノ 凡 夫 ハ 皆 得 一 一 往 生 ヲ コ ト ヲ 願 ハ ク パ 以 一 J 此 ノ 功 徳 ↓ 平 等 -一 施 コ 一 切 -一 同 ジ ク 発 一 イ ァ 菩 提 心 イ 往 一 一 生セム安楽国一一。南無阿弥陀仏沙門詮空比丘尼喜忍(森英純編﹃西山上人短篇紗物集﹄一三七頁) こ こ で 四 戒 相 承 と は 、 1 舎 那 戒 ( 慮 遮 那 仏 の 戒 ) 、 2 釈 迦 戒 、 3 菩 薩 戒 、 4 衆生戒と金剛宝戒が相承されることをい うが、四戒相承される金剛宝戒は諸仏の本源であるという。この四戒相承の文には金剛宝戒と他の戒との関わりが記 されていないが、金剛宝戒は﹃党網経﹄に説かれる十重禁戒の別名であることから、︻一得永不失戒図}のように十 重禁戒の傍らに位置づけた。 ⑪湛然﹃授菩薩戒儀﹄も第七﹁正授戒﹂で三家浄戒を授け、第十﹁戒相﹂において十重禁戒を説くから、三衆浄戒の 戒相として十重禁戒を考えていることが分かる。(﹃浄土宗全書﹄十五、八七五 1 八七七頁) @この戒名は西山浄土宗の戒脈相承で授ける﹃授菩薩戒儀﹄中の戒名(①不殺②不盗③不姪④不妄語⑤不酷酒⑥不説 四衆過⑦不自讃段他③不憧惜過般⑨不眠⑬不誘三宝)と異なっている。戒脈相承にともなって授与されるこの﹃授菩 薩戒儀﹄は、その成立を改めて検討する必要があるだろう。 ⑧﹃天台菩薩戒疏﹄(大正四
0
・五八七頁 c l 五八九頁 C) ⑪﹃伝全﹄一・三二四百九i三二七頁、頭注の朱字 @安然(八四一?i九一五?)撰﹃普通授菩薩戒広釈﹄(大正七四・七七六 C ) ⑧ 源 信 ( 九 四 二 l 一O
一七)の十重禁戒名は﹃要法文﹄巻中(﹃恵全﹄五・三六八頁)のもの。源信の十重禁戒名は、 そのほとんど全てにわたり安然との一致が確認できる。源信と安然の関係は従来あまり分かっていなかったが、ここ から源信は安然の十重禁戒名を継承したことが考えられる。 ②詮空は﹃観経疏自筆紗﹄において、次のように四重罪を解釈する。﹁四重トイハ、一ハ姪戒ヲ破シ、二ハ盗戒ヲ破 シ、三ハ殺人戒ヲ破シ、四ハ大妄語戒ヲ破スルナリ。﹂(﹃西叢﹄二・一七頁・上)。ここでも詮空は殺人戒・大妄語戒 と明瞭特有の戒名を用いることがわかる。 ⑧﹃門葉記﹄版の当該箇所は、大正新情大蔵経・図像巻十二、一三一頁c
⑧﹃門葉記﹄(大正蔵経・図像十二、二二四a )
に は 、 ・ : 源 空 、 源 空l
信空・湛空、信空│湛空、湛空l
恵尋、恵尋 i @成運、成運│栄運、栄運 l 尊道と相承する血脈を載せる﹃授菩薩戒儀﹄がある。これは法然・信空を経由する湛空系 の菩薩戒儀である。この湛空系﹃授菩薩戒儀﹄は本文的に信空系﹃授菩薩戒儀﹄(白河)とよく一致する。十重禁戒 の戒名についても、①不殺生戒②不与取戒また不倫盗戒③姪戒④不大妄語戒⑤不治酒戒⑥不説四衆過罪戒 ⑦不自讃駿他戒⑧不僅貧加駿戒⑨膿心不受機謝戒⑬不誘三宝戒、とあって、①以外はすべて﹃授菩薩戒儀﹄ (白河)所載の﹃授菩薩戒儀﹄(極略)と同じである。法然門下の信空、湛空両系の﹃授菩薩戒儀﹄と詮空の十重禁 戒名がほとんどすべて一致するのは、讃空の十重禁戒名が法然を踏襲していることを十分に考えさせるものである。 霊登空における天台菩薩戒説の受容について ※末筆ではありますが、﹃授菩薩戒儀﹄(白河)の研究を快諾くださいました青蓮院門跡門主のご厚情に対しまして衷心 より感謝を申し上げます。また紙焼複写をしてくださいました東京大学史料編纂所にも同じく感謝を申し上げます。 なお小論は筆者が西山浄土宗に提出した学階論文(得業)の前半部分にいささか子を加えたものです。