円珍撰
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法
華
論
記
﹄
﹁
合
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表現について
における
道
ヌ
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{~、 円珍撰『法華論~~J における「合平IJJ 表現についてはじめに
世一親の﹃法華論﹄は﹃法華経﹄の印度撰述註釈書として漢訳された唯一のものとして知られ旬。﹃法華論﹄の 誌釈は古来より吉蔵(五四九 l 六二三)撰述の﹃法華論疏﹄と円珍(八一四1
八九一)撰述の﹃法華論記﹄があ るのみである。﹃法華諭﹄は極めて難解な書であり、その両註釈書も難解である。それ故にこれらの文献に関す ② る研究はあまり多くはない状況である。 円珍が﹃法華諭記﹄を著述した年代は敬光の﹃知日誇大師年譜﹄によれば大中八年四十一歳の時に、﹁七月至越 ③ 州開元寺。勘法華論記。﹂とあり入唐中に著述し始めたことがわかる。そして、四年後の大中十二年四十五歳の ④ 項目には本書が修正中であることを﹁在三天台-再勘ニ法華論記﹂而修治未 ν 了。﹂と記しており、何年もかけて完 成した様子が伺われる。 また﹃仏書解説大辞典﹄には﹃法華論記﹄の著述年代や内容の特質について端的に次のように説明されている。 ﹁本書の撰述年代は明確でなく、入唐中の大中八年(西暦八五四年)四十一歳の時に執筆に携わり、帰朝後に完 成をみた。本書の内容は印度中国の法華潮流を中心に綜合された立脚地よりなり、特に天台刑渓湛然の教学上に あり天台法華・観の正意を隅揚しようとした。また更に注意すべきは前代諸師には見られなかった事円を強調した円珍撰r法事論記aにおける「合和IJJ表現について 日本天台教学立ちにあり、円密同致思想とみられる。寸 小論では、円珍が﹃法曹論﹄を註釈する過程で﹁合利﹂の語句に注意を払っていた様子がみられるので、ここ ⑥ に焦点をあてて考察したい。﹃法華論﹄の﹁舎利﹂の語句に関係する先行研究は、管見の限り僅か苅谷定彦氏の 論説がみられる程度である。苅谷氏の研究は、党本と漢訳の妙法華と正法華を対照させて、﹃法華経﹄所説の舎 利を
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と昏自己に分類して考察している。つまり舎利にあたる党語に二種あり、島問Z
は大乗経典の最初 期の般若経典にみる仏塔信仰舎利供養の﹁舎利﹂であり、それは次第に生命を失い形骸化しつつあったと想像さ れるもので、仏陀の遺骨を・斌昧する。﹃法華経﹄の立場から見て、宗教的生命の枯渇した舎利供養を表すと論じ ている。それが漢訳部分では序品の次の三カ所にあたると指摘している。(氏は漢訳として妙法華と正法華を挙 げて党本と対照させているが、便宜上妙法華の部分のみを次に示したい。) ⑦ 復見ニ諸悌般浬繋者﹂復見下諸悌般浬繋後、以ニ悌舎利一起申七賓塔日 ⑧ 文殊師利又有=菩薩-悌滅度後供=養舎利﹂又見悌子造ニ諸塔廟-文殊師利諸悌子等為下供三舎利-殿中飾塔廟吋 また一方のE
2
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は一度否定された般若経典の説く仏塔信仰に生命の怠を吹き込み、般若経典等の仏塔観を 全く打破して、舎利供養に新たな信仰を与えたとする。﹁舎利﹂は﹃法華経﹄によって仏陀の遺骨という物質的 限定をこえて、遺骨の有無に関わらず仏塔の中に、﹃法華経﹄の教法を通してのみみることのできる、血の通っ た美しき身慢を備えて永遠に生き続ける仏陀そのものを表現していると論じている。特に法師ロ聞の次の箇所がよ くそのあり方を示すと指摘する。 薬王在在慮慮。若説若讃若諦若書。若経巻所住慮。皆謄下起=七賓塔-極令中高度巌飾日不 v須復安三舎利一所以 者何。此中巳有二如来全身イ此塔-聴下以一切華、香、壊陶:::円珍撰『法事論記』における「合平IJJ表現について また仏のあり方は理仏・法身仏的ではなく、報身仏的と註釈している。以上のような﹃法華経﹄の塔廟観が明確 に打ち出されるのは見宝塔品であり、次の二筒所を挙げている。 大楽説。今多賀如来熔。聞 ν説 ニ 法 華 経 -故 。 従 ν 地踊陶 ⑫ 善男子。我今膝下往ニ裟婆世界稗迦牟尼仰所 A 井 供 申 養 多 賀 如 来 賓 悦 明 日 苅谷氏の指摘は以上のような要点であり、浅井円道氏は﹃法事論記﹄等の著述を通じて円珍の教学を論じる部 分で次のように指摘している。﹁多宝知来は﹁全身合利﹂の死仏であるから、関目かと問うたのであろ、明:::﹂ といった記述が見られるが、舎利についてそれ以上の論説はみられない。 さて、円珍は﹃法華経﹄に説かれる﹁舎利ヘまた﹃法華論﹄註釈書の﹃法華論記﹄において、どのような意 識で﹁合利﹂を語ろうとしたのであろうか。 諸経論には﹁舎利﹂を間話とする文脈は頻出するが、その大半が合利供養であったり仏舎利としたいわゆる合 利信仰に基づいた表現である。その他に﹁法身合利﹂﹁砕身舎利﹂﹁全身舎利﹂とした仏性や仏身論に関わる表現 があることに気付くが、これは主に﹃法華経﹄の説示に由来していると考えられる。そこで次に﹃法華経﹄に関 する点を考察しておきたい。
﹃法華経﹄における﹁舎利﹂
の記述
ところで﹃法華経﹄の法師品第十には、 薬王在在慮慮。若説若讃若諦若書。若経巻所住慮。皆態下起=七賓塔-極令中高庚巌飾日不 v須復安三舎利﹂所以 者何。此中巳有ニ知来全身﹂此塔膝下以二切華香理格。縛蓋睡幡。伎柴歌頒寸供養恭敬。尊重讃歎 U 若有 v人得 ν見ニ此搭斗鵡奔供養。賞 ν知是等皆近=阿縛多羅三義三菩提 4 薬王多有 v人在家出家行=菩薩道 4 若不 ν能 ν得 ム ハ 見 ニ 間 讃 三 諦 書 関 持 供 五 養 是 法 華 経 一 者 。 嘗 v知是人未三善行ニ菩薩道山若有 v得 ν間 二 是 経 典 -者 。 乃 能 善行=菩薩之道﹂其有=衆生-求=偽造-者。若ニ見若三間是法華経﹂閑己信解受持者。嘗 v知是人得 ν 近 -阿 梼 多 羅 三義三菩提吋 円珍撰『法事論記』における「舎利』表現について と仏が薬王菩薩に告げる一段がある。どのような場所であれ、法華経を説き読み書写などするところやこの経巻 がある所では高く厳かな七宝の塔を建てるべきである。その塔の中には仏陀の遺骨を安置する必要がない。その 理由は塔の中に如来の全身がましますからであると説いている。このように経巻のある場所に七宝の搭を建立し て仏舎利を必ずしも安置する必要のないことを示している。これは﹃法華経﹄への経巻信仰と理解される。 また見宝塔品第十一において、 爾時悌告ニ大柴説菩薩 4 此賓塔中有ニ如来全身斗乃往過去東方無量千寓億阿僧紙世界。園名ニ賓浄寸彼中有 v仰 ⑬ 続 日 ニ 多 賀 一 ⑮ とあり、仏が大楽説菩薩に宝塔の中に知来の全身がましますと語っている。多宝塔出現の由来の一段である。は るか昔に入滅した多宝如来が宝塔より大音声を発し、釈尊の分身諸仏を来集した後に宝塔の扉が聞かれ、いわゆ る二仏並坐の場面となっていく一段である。
﹃法華論記﹄にみる﹁舎利﹂
の
記
述
﹃法華論記﹄は﹃法華論﹄によって次のような五門構成をとる。第一門は七成(七種功徳成就)。第二門は五 分(五分示現)。第三門は七喰(七種醤喰)。第四門は三平(三種平等)。第五門は十無上(無上義十種)となっ /ている。(括弧内は﹃法華論﹄の科文。)第一門七成は﹃法華経﹄序品第一を七節に分けて註釈する。第二門五分 は方便品第二を五節に分けて註釈する。そして、第三門七喰・第四門三平・第五門十無上の三門は﹃法華経﹄醤 検品第三以降の註釈となっている。 円珍撲 riよ・務,11命記』における「舎利JiAIJlについて ﹃法華論記﹄において特徴的に﹁舎利﹂の表現がみられる箇所は三筒所である。はじめの一筒所は第一門七成 就の七節に分け説く第三如来説法時至成就の中で法華異名を十七種類挙げて a説いており、その内の第十二の一切 諸仏堅固舎利経の箇所(﹃法華論記﹄巻第二)である。また一筒所は第四門三平等の箇所(﹃法華論記﹄巻第七 本)である。もう一筒所は第五門十無上として十節にわたり説かれる第十の勝妙力無上の筒所有法華論記﹄巻 第九末)である。 さて、第一門七成就の第三の如来欲説法時至成就では﹁大乗修多羅有十七種名﹂として大乗経典としての十七 種の名を挙げる。その第十二に﹁一切諸仏堅固舎利経﹂と名付けており﹃法華論﹄では次のように 以此法門能破一切諸障凝故。十二名一切諸悌堅固合利者。謂知来真寅法身於此修多羅不敗壊故。十三名一切 ⑫ 諸側大巧方便級者。 とある。この部分に対して円珍は﹃法事論記﹄の中で 十二名=一切諸悌堅固舎利経-者。調如来虞如法身。於ニ此修多羅-不=敗壊-故。論十二名一切諸悌堅固舎利者 謂知来同県知法身於此修多羅不破壊故者。是第十二科楳鰐如 ν前 。 対 側 引 バ 糊 謝 八 回 。 砕 骨 日 疋 生 身 舎 利 。 経 巻 目 疋 法身舎利。此経是法身舎利。故菓乙ニ教-即日疋砕散法身舎利。未=能巧度一若入ニ闘教-即是全身舎利。則巧度 偽善行也。磯崎綴普育問。生身全身砕身功徳等耶。仰昔日不 ν等。色身言教化訓。三業具足消滞衆生得 ν至 二 道 場イ全砕舎利。正可ニ威神光明-供養得 ν福。是故不 ν等。又問。項王如来十二那術幼説法教化。舎利亦爾。此 聴 二 日 疋 等 ﹂ 偽 言 。 皆 項 王 知 来 神 力 所 作 耳 。 彼 経 一 格 三 全 砕 舎 利 皆 由 = 生 身 悌 力 4 A 1 経格ニ生身全砕舎利。法身偏国
舎利。皆従 ν経出ベ穎=此経功徳-(云云)。六祖演日(有虞有略今且略注)言ニ悌堅闘舎利者刊此経即是法身 全身堅悶舎利。不 v同 -生 身 砕 身 舎 利 A 寅本不 v動故名=堅固一束春義織目。経日。嘗 v知是慮即有=如来全身合 利寸又以ニ偽舎利司起ニ七賓塔一(巳上文)。不思議身常恒不饗。猶如ニ虚空イ即 v 一而三即乙ニ而一。即本而遮即 ν 遁而本。不 ν同一切思議生滅。故名二切諸悌堅固舎利 A 三教果頭無 ν有 = 其 人 寸 故 非 ニ 国 間 関 身 ﹂ 雄 ν有 = 虞 賓 如 常 之 名 寸 猶 属 = 般 機 ﹂ 於 エ 是 経 中 -宣 -示 額 三 説 諸 法 賓 相 A 故一切悌到ニ此経慮-法身不 ν壊。八教諸働法身未 v 因 。 今醍醐中奨賓態問。又未=穎本-前一切不 v堅。稜遮瀬本三如来者。永異=諸経一放言=加来同県如法身於此修多 ⑬ 羅不壊故ザ世間相常住故法身常住。此義忠 ν之。生法二身全砕舎利(云云)。(傍線は筆者) とある。この中で円珍は、﹁対剛刊開制同叫 l 砕骨旬疋生身舎利。経巻是法身舎利。﹂と天台大師智額の﹃法華文句﹄ の文をそのまま引用している。﹁六祖演日﹂の語の手前までの文章が﹃法華文句﹄からの引用となる。この円珍 ⑮ の﹃法華文句﹄引用文の前半部分である﹁稗論﹂から﹁則巧度偽善行也。﹂は﹃法華経﹄法師品を智額が解説す @ る部分に相当する。後半部分﹁欄常務総普古問。﹂から﹁皆従 ν経出。額三此経功徳こは﹃法華文句﹄の見宝塔品の 解釈部分となっている。この法師品と見宝塔品の二箇所にまたがる﹃法華文句﹄の文を円珍は﹁大師引稗論日﹂ と引用するのである。 円珍撰 r法務論紀』における「舎利」表現について @ 、引用の前半の﹃法華文句﹄の﹁大師引稗論日﹂であるが、この﹁稗論﹂とは天台で﹃大智度論﹄をさしている。 ここで、知目顔が触れる﹁鰐論﹂の内容について﹃大智度論﹄にさかのぽり若干の考察をしておきたい。 ﹃大智度論﹄には﹃法華文句﹄に引用される文そのままの箇所は検出できないが、論の数箇所において内容的 に合う記述がみられる。その内容を検討すると﹃大智度論﹄では仏が一切衆生済度の大慈悲心から、金剛三昧を もって仏身や舎利を細かく砕くと説いており、その説示に智頭が着目したのではないかと思われる。詳細な検討 @ は本論の主旨を煩雑にするので別稿に譲りたい。
円珍撰F法華論記』における「合和IJJ表現について ここで円珍が﹃法華文句﹄の引用により註釈する内容を検討していく。﹁砕骨口疋生身舎利﹂とは骨を砕いた舎 利(砕 H 砕)で生身の仏陀を意味し、一方を経巻つまり﹃法華経﹄を﹁法身舎利﹂と表現している。蔵教・通 教・別教の三教は未だ巧みに済度できず、もし円教の立場に入ると、﹁全身舎利﹂と表現され、それは巧みに善 行として衆生を済度するのである。このように智鎮の解釈を円珍は﹃法華論記﹄に引用する。引き続き﹃喫洛 経﹄の解釈として示されている。生身舎利と全身舎利と砕身舎利の功徳について問答体で説き、各々の功徳が等 しくはないことを説いている。文中で、彼経格全砕舎利皆由生身悌力。今経格生身全砕舎利。法身偏園舎利。皆 従経出。願此経功徳。とあり、彼経(の功徳)は生身仏力により、今経つまり﹃法華経﹄(の功徳)は偏に円教 である法身合利であり、﹃法華経﹄の功徳によるもであるから、他の経典の功徳とは相違があると説いている。 この智顕の解釈を円珍は﹃法華文句﹄の引用として示し、続いて湛然の﹃法事玄義稗鍛﹄を引用しているのそこ で、﹁此経即是法身全身堅固合利。不問生身砕身舎利。賓本不動故名際問。﹂と﹃法華経﹄を法身全身堅同舎利と し、生身と砕身舎利の不同を述べる。統いて﹁束春義績日﹂として東春沙門知日度の﹃天台法華疏義績﹄を引用し て、慮すなわち﹃法華経﹄の説かれる所には如来全身舎利が有ることを示している。 智顕と湛然の文を引用後、﹁今案日。﹂として円珍自身の解釈が述べられる。それよると、不思議身は常恨に不 変で虚空のようであるとする。この身は法身のことを指していると理解される。また、﹁即一而三即三而一。即 本而漣即漣而本。不同一切思議生滅。﹂と説いている。これは円珍が一即三身・三身即一身として、法身を中心 に法身の中で法報応の三身を展開する教理を説こうとしたのであろう。﹃法華論記﹄における円珍の仏身観は ﹃法事論﹄﹁十無上﹂の第八現成大菩提無上における三種の仏菩提に対する円珍の詳しい解釈があって、河村孝 照氏によるこの一段への詳細な研究がある。それによると、円教の三身は、法身において三身を論じる点にある ことを同氏は指摘し、円珍の円教の三身は法中論三の仏を a説示することにおいて円珍の見解がみられるとする。
円珍模『法務論記』における「舎利J表現について 浅井円道氏も同様の見解を指恥する。 また、円珍は三教すなわち別教・通教・蔵教は方便の教えであり、﹃法華経﹄は経典の中で諸法実相の道理を 説き、故に一切の仏は﹃法華経﹄に到って法身不壊となることを説く。天台化儀化法の八教の諸仏は堅固とは言 えず、醍醐である﹃法華経﹄の中に真実堅固があることを教える。円珍はこのように﹃法華経﹄を二切諸仏堅 固舎利経﹂とする意味について、﹃法華経﹄法師品と見宝塔品の内容を関わらせて展開している。 次に﹃法華論記﹄第四門三平等の箇所(巻第七本)を検討する。一・乗平等と二・世間浬繋平等と三・身平等 を説く中、司法華論﹄の﹁二者世間浬般市平等。以多賀如来入於浬繋。世間浬繋彼此平等無差別故。﹂を受け﹃法華 論記﹄では以下のように説く。 論ニ者世間浬繋平等下。明ニ第二句-鶴 ν 二。初事 ν法。後稗 ν義。生死浬繋非=異庭﹂煩悩菩提穏無 ν 二 。 非 下 離 三 世間-更有申浬繋日非下離ニ浬繋-別有中世間日経云。諸法賓相。本末究寛等。乃至諸法従本来常自寂滅相。 是法住二法位-世間相常住。世間既常。誰棄三世間二史入=浬繋 4 故多賓悌全身不 v散。如 ν入 = 締 定 一 表 ν示 下 常 住 本鉱山中滅波日中論云。因縁所生法。我説=空仮中一下経文云。非 ν知非 ν異 。 不 下 如 = 三 界 -見 乞 ニ 界 日 如 v斯 之 言 。 皆明=世間浬繋平等義寸非=唯多賓一文-而巳。@ 大乗仏教によく説かれる生死と混繋、.煩悩と菩提を同体として示し、世間を離れて浬繋が有るのではないと示 し、経云として﹃法華経﹄方便口聞から﹁諸法賓相。本末究寛等。乃至諸法従本来常自寂滅相。是法住法位世間相 常九までを引用する。それに続いて円珍自身の言葉として、世間既常。誰棄世間更入浬般市。故多賓悌全身不散。 知人絹定。表示常住本無滅波。と説いている。過去に入浬繋となった多宝仏は全身が散じているわけではなく、 禅定に入った知くの状態であると説いている。舎利の言葉はないものの、宝塔内の多宝仏が全身舎利として、今 正に禅定中である旨を教えようとしたと考えられる。糟尊入滅後の仏塔崇拝の舎利信仰から離れ、久遠仏として
円珍傑(r法事諭記』における「合利』表現について 現にはたらく多宝仏を説こうとしたものと考察される。その後の文章は﹃中論﹄を引用している。 また﹃法華論﹄の身平等として﹁三者法身平等。多賀加来巳入浬繋復一市現身。自身他身法身平等無差別故。 L を受け﹃法華論記﹄には 論三者身平等己下
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-中略:::多身是衆生。衆生輿ニ悌賓-鵠平等無 ν有ニ差別﹂故云ニ身平等斗悌及衆生本 有法身一種不二。故言=平等﹂言=多賀知来巳入浬繋復示現身-者。奉二身不滅-額三多身常住﹂示 ν入 ニ 浬 繋 斗 @ H疋磨身悌而不ニ散乱 A 日疋法身仰境智同舎本無=生滅﹂生滅寂然。無 ν有ニ異相﹂自身是多賀備。他身日疋衆生。 衆生は仏宝と平等であり、本来、仏と衆生は法身一体であると示している。多宝如来が浬鍵に入り現身を示し ていることは、不滅を意味し多身常住を顕わすと説いている。そして応身仏は散乱せず法身仏の境知日と同じく平 等であると説いている。多宝仏と衆生との円融一体を論じようとしたのであろう。 更に﹃法華諭記﹄の﹁合利﹂に関して三点日の例を考察する。﹃法華論﹄では第五門十無上を説く中の第十勝 妙力無上をを説く筒所で多宝如来について示す部分がある。それを八種(熔・畳・略・住持・無量仏・離械・多 宝・同一塔坐)に分けて説く。その八種解説する中の塔について円珍は﹃法華諭記﹄で次のように解釈する。 論塔者示現如来舎利住持故者。第二明エ所厳斗無量珍賓荘=厳此塔寸故筋二所厳 A 此 約 二 義 ﹂ 塔 義 知 ν先。党 云 ニ 塔 婆 4 此云ニ方墳一亦言ニ霊廟日又言ニ支提 A 無ニ骨身-者也。此塔既有ニ全身-不 ν散。則不 ν稀 ニ 支 提 -( 新 言 三 制底﹂並得三通用
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-今之賓塔目疋先悌入滅支徴。経云。悌三種身従ニ方等-生(虞平賓相名 矯ニ方等-)。只是法華三世諸仰之支徴。先悌己居。今悌並坐。示現舎利住持者。偽有三四身﹂舎利亦爾。今経 格=生身全砕舎利 J 法身偏園舎利皆従ニ此経-出。穎ニ此功徳一弘持力大。故云=示現住持故﹂此七賓塔出ニ其義一 有 ν二。一讃前。二起後。若欲 ν開 v塔須 ν集三分身寸明二玄付属-聾徹三下方一召ニ本弟子-論ニ於書量寸久遠之塔 従 ν地涌出。関=自在神通之力目願ニ過去世益物-也。護ニ大音聾-額二現在十方開樺願寅-也。有ニ大誓願て未来説 ν円珍撰r法軍事論記』における r舎利』表現について 経皆到作 ν諮。穎=未来常住不滅-也(義通=三世益物之文寸具如=上品及涌出品-)。此則三世常恒住=持一心妙 @ 法合利一即大岡究賞相住持。故云ニ示現舎利住持故一不 ν可ニ偏忠斗准 ν 理稗 ν之。(傍線は筆者) この塔には全身が散ぜずにある。もはや支提つまり塔廟とは称しないことを示す。そして多宝知来と釈迦の二
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刻刻創利倒矧割叶倒剖剛剣ぺ創利刑制
L の部分が引用文ではない円珍自身の言葉である。円珍は多宝知来と釈迦知来の二仏の舎利住持を示現すると説く。 仏身に四種あって、舎利も同様であると説いている。塔廟内での仏舎利の有無を論じたのではなく、久遠仏とし てのこ仏の合利表現であることが理解される。円珍は続いて﹃法華文句﹄を引用して、﹁今経格生身全砕舎利。 法身偏闘舎利皆従此経出﹂と註釈する。生身舎利と全砕舎利そして法身舎利と偏園舎利が﹃法華経﹄による功徳 の顕現としている。これら四種の舎利を考察するにあたり、光宗の﹃渓嵐拾葉集﹄の文言が参考になるので触れ て お き た い 。 @ 法花者全身舎利。諸経者砕身舎利也。一悌菩提者全身舎利也。 ﹃法華経﹄は全身舎利で諸経典は砕身舎利と示している。また、 法花経者法界線程故全身舎利也。爾前諸経者分別説三故砕身舎利也。於二生身-亦復如 v是。稗迦纏慢者全身 @ 也。分教舎利者砕身也云云又土悌身也。多賓者法身故有身也。分身諸仰砕身也 として﹃法華経﹄は全身舎利で諸経典、は砕身舎利とする。多宝如来は法身であり、釈迦分身の諸仏は砕身として いる。また、次のように説く。 此字三身即一種子也。舎利又三身舎利有。法身以=色法- a m
-舎利 4 報 身 以 ユ 心 法 -盛 岡 = 舎 利 斗 聴 身 以 ニ 口 業 -潟 三 合利イ日疋三密舎利也。此三身舎利於又各各全身舎利有。砕身舎利有。所謂以=法界総髄法身-全身。以=法法 塵塵矯法身砕身ベ次以--法花経-矯ユ口業ノ全身﹂爾前諸経以潟 z 聴 身 砕 九
円珍撲 r法務論li!tJにおける「合手IIJ表現について ここでは一種子を示して台密の立場より諮っているが、法報応の三身の舎利をうたい、三身各々に全身と砕身の 舎利が有るとしている。また﹃法華経﹄をもって口業の全身舎利とし、爾前の諸経を応身砕身としている。これ らの﹃渓嵐拾葉集﹄の理解を参照すると、﹃法華経﹄と諸経の相違がより明確になる。﹃法華経﹄は全身舎利であ り法身舎利でもある。諸経典は生身合利・砕身舎利と理解される。 また、﹃法華論﹄では八種の中で略について﹁略者。多賓如来身一髄示現掻取一切諸仰民法身故。﹂と示す箇所 を円珍は﹃法華論記﹄において次のように解釈している。 諭略者多賀如来身一憾示現撤収一切仰法身故者。第四明 ν略。所 ν雪 円 略 者 即 日 疋 鰍 也 。 多 賀 表 ニ 法 仰 4 稗 尊 表 ニ 報 仰寸分身表ニ聴悌寸三仰雌 v三 . 向 子 -一 典 寸 不 異 之 故 法 身 一 憾 。 故 名 -多 賀 4 不一之故遍満法界。故云ニ一切 A A 1皐 J -綿惜-織二切身
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矯二悦寸多賀分身及以鰐尊皆 u 疋毘慮遮那法身。故云ニ多賀仰身一側示現磁取一切働 法身故 A 問。法身唯一。聴化無量。何故法多。答理事憾用内外周遍。常一常多。本来如此。然 A 寸 法 華 蟻 二 曾 十方三世八教四昧 A 同惜別憾。一切法身蹄ニ於本地一醍醐身ベ故云ニ多賀加来身一憾一不現撤取一切悌法身故-@ ( 云 云 ) 。 多宝仏を法仏・釈尊を報仏・分身を応仏と表現しており、三仏を不一不異と示している。不異の故に法身一体と し、それ故に多宝と名付けている。多宝如来と分身仏と釈尊を昆虚遮那法身と示している。そして﹁法華掻曾十 方三世八教四味﹂と示し法華が超八醍醐の教えとして一切を掻取し、一切法身は本地として一醍醐身に帰すると 表現する。一切法身が﹃法華経﹄に帰入するわけで、多宝加来が一切仏法身を嬬取して示現すると説いている。 ここで、以上のことをまとめると次のように考察されよう。多宝加来は過去に浬繋に入っているものの、宝塔 には如来の全身があって全身舎利であり、また法身仏である。﹁久遠之塔従地涌出﹂と記されるように久遠の仏 として説かれる。そして﹁舎利﹂の語は仏身論との密接な関わりで表現されたものと理解される。﹃法華経﹄が円珍撲『法事着記aにおける r舎利」表現について 説かれるところに必ず多宝塔を有す多宝如来が出現し﹃法華経﹄を讃嘆するのである。この多宝加来は全身舎利 であり、法身舎利である。その法身舎利は﹃法華経﹄への経巻信仰から生じる語でもある。円珍は十二名の異名 で﹃法華文句﹄の引用を通じて、法師品と見宝塔品を合わせて一つの註釈にまとめていた。円珍は、﹁舎利﹂の 表現を介して久遠仏としての稗迦加来と多宝如来を捉える一面があったものと理解される。 さてここで、円珍が法身を毘虚遮那法身と表現している点に注目したい。池田魯参氏は﹃法華論記﹄の研究に おいて﹃法華論記﹄への澄観の学説を引用するなどの点から、﹁円珍が華厳学と天台、学の接点を認めていたらし @ く、この点は別な角度からも証することができる﹂.と論じている。円珍は﹃法華文句﹄﹃法華玄義﹄から湛然や 智度など天台典絡を引用して天台教学から﹃法華論﹄を註釈するが、このような円珍独自の学説も少ないながら 認められる点は見逃せないバまた河村孝照氏は﹃法華論﹄の研究の中で三種仏菩提を解釈するに﹁円珍の仏身観 は、天台一家の仏身観をそのまま継承しているといえるのである。﹂と指摘し、﹁法華論十巻は、天台教家の上に @ たって法華論を解釈されたものであると理解してよいと思う﹂と結論付けている。毘虚遮那法身に関わる点につ いては別の機会に考察することとして、以上のことをふまえると、円珍の仏身論においてさらなる検証が必要と い え よ う 。 ここで仏身論に関係して考察しておきたい点は、法相側を意識した﹃法華論記﹄の記述である。最近の研究に よると前川健一氏が﹃法華論記﹄について、﹁阻誠一澄の諸著から源信のコ乗要決﹄にいたるまでの日本天台宗に 於ける最も大部の法相宗批判の書と言えるのであり、その観点からの内容分析が今後の課題と言えよう。﹂と論 じてい旬。この指摘される課題について、小論の研究において二筒所の一三権実論争に関する記述が新たに検出 されたので。それを次に考察しておきたい。 ﹃法華論﹄,の﹁到彼岸者。勝徐一切諸菩薩故。﹂を解釈して
論到彼岸者。経云=波羅蜜一党漢互頼。論到彼岸者勝飴一切諸菩薩故者。稗ニ経結句 4 不 ν共 ニ 偏 菩 薩 司 故 勝 ニ 彼 境界﹂三教菩薩未 ν知二回妙寸永迷ニ所趣イ北線向 ν越宣有=達期ベ妙嘗未 ν穫。妙行未 ν修。既無二船筏ベ安到ニ 彼 岸 ベ 如 下 指 ニ 州 城 -以 属 中 市 城 日 堅 受 不 二 前 進 -一 抱 達 二 大 都 日 菩 薩 雌 ν皐ニ恒沙道品-未 ν知 ν所 ν向。終
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数 ニ 他 賀 -⑮ 白無ニ半銭分一凡如 ν斯者未 ν知 ニ 妙 理 斗 川 ハ 夜 ニ 一 歩 日 故 不 ν同=無差別中是菩薩道 A 弄 ニ 魚H
-者留 ν意思 ν之 。 ( 傍 線は筆者) 円珍撰r法華論記』における「合平fJJ表現について このように徳一を北轍と庇称し批判している。方便の教えである菩薩は法華円教のすばらしきが分からないの で永く迷うところとなる。徳一は法華の教えと修行に向き合わないので、迷いの海で筏がないような状態に替え られる。悟を城に醤えると、中州の城を指して帝の城としているようなものである。他人の宝を数えているだけ で自分の身に付かず、そのような三乗の者は法華の妙理が分からないと批判する。 もう一つの批判箇所は﹃法華論﹄の﹁我待土不殴而衆見焼謹者。報仰知来虞賓浮土第一義諦之所掻故。﹂の解 釈する一段にあり次のように説く。 汝不 ν識二教部構賓 A 執 ν氷鵡ニ明珠一敬 ν猿矯ニ天帝一不 ν知 ν所 ν期 。 宛 如 -北 鞍 一 又 約 ν賓論。三戴教側終非= 無常﹂日疋常住悌之影像。故不 ν識 v 陛 ν目。詩ニ山地轄﹂宣非 ν汝耶。慎順ニ悌意 J 莫 ν令 z舌堕=大綱一如 ν上不 v 煩 ユ 筆 里 地 時 ( 傍 線 は 筆 者 ) 徳一は方便と真実を理解できないでいる。氷をとって明珠とするような者で、猿を敬って天帝となす者である。 三乗真実の教えからすると、三蔵教の仏である騨尊は無常の道理によって入滅したままで、影像の仏としての理 解になってしまう。仏意に随順すべきであり、堕落したことを徳一は言うべきでない。以上のことを敢えて筆を 執って述べておきたい。このように円珍は痛烈に徳一批判をしている。 天台関係の論書に出典を求め検家によって調査したが見あたらなかった。天台家の引 これらの記述について、用文献が圧倒的分量を占める﹃法華論記﹄にあっては、これら二箇所の記述は円珍自身の見解と判断されよ、河。 円珍は最澄対徳一の論争を強く意識下に置き、一乗真実説のもとに﹃法華論記﹄の著述にあたったと考察され る。円珍の﹃法華論記﹄においては最澄の著述を引用している筒所が見あたらない。その理由はおそらく最澄に @ は簡略な﹃法華論﹄の註釈である﹃法華論科文﹄があり、敢えて最澄の著述からの引用を避けることで円珍が独 自の﹃法華諭﹄註釈の作成を目指したのではないかと推論される。 ところで、﹁舎利﹂の表現は全身舎利・法身舎利として﹃法華経﹄の経巻信仰を促し仏身論を伴う表現である と論考される。円珍は全身舎利や法身舎利の﹁舎利﹂表現を通じて、悉皆成仏として法華一乗思想を説こうとし 円珍撲r法事論記aにおける r舎利』表現について たものと理解されよう。 一方﹃法華論﹄のもう一つの註釈書である吉蔵の﹃法華論疏﹄では、法華の異名としての十七種の第十二に一 @ @ 切諸悌堅悶舎利経として簡略な二筒所の註釈があり、また仏舎利を以て七賓塔を起こす記事を二筒所記す程度で ある。また多宝如来を語る上では次のように 示=現有八種寸一者塔二者量三者略四者住持五者示現無量悌六者離職七者多賓入者同一塔坐。如 ν文。塔者巳 下。第二別樗八事成八別。一一中初標章。次解得。塔者示二現知来舎利住持-故。示=現知来舎利住持-者。所 以立塔者。為欲住持舎利利益物故也量者。樺第一 4 0 とあり、多宝如来塔を八種に示すにあたって塔を解説する。塔についての解釈は﹁如来舎利住持﹂と説くのみで、 ﹃法華論記﹄に比べて吉識の解釈は極めて簡略である。吉蔵の﹃法華論疏﹄と比較しても円珍の﹃法華論記﹄に おける﹁舎利﹂は特色ある表現であることが明らかになったと苦闘えよう。
四
結語
合利は仏陀の遺骨を忠わせる表現であるが、円珍が﹃法華論記﹄で﹁合利﹂と表現する説き方には、 天台特有 円珍撰『法務鎗aeJにおける「合事IJJ表現について の用例が認められる。円珍の解釈は﹃法華経﹄見宝塔口 m を中心とした智鎖の理解を中心に天台説を踏襲している。 円珍は法事一乗を﹁全身舎利﹂と教示したと考察される。また生身合利や砕身舎利は﹃法華経﹄以外の方便であ る諸経典を意味している。 ﹃法華論﹄の大部の註釈書である﹃法華論記﹄は、全体的に引用部分が圧倒的に多い。しかし、﹁今案日﹂と して自説を述べたり、経論の引用の問に円珍自身の見解を挟む部分も認められる。円珍が論述展開する過程で、 最澄徳一の仏性論争に言及する筒所に注目されるが、﹁全身合利・法身合利﹂の表現を通じて法事一乗の純円独 妙を示そうとした点は、円珍の﹃法革論記﹄の撰述態度の一面であると言えよう。 ﹃法華・論記﹄の﹁舎利﹂表現は、仏陀の遺骨を意味する舎利・繭前の経典を指す砕身舎利・法華川妙を説く全 身舎利や法身舎利など種々みられる。﹁舎利﹂表現が仏身論と関係し経典の思想をさしていると理解されるが、 仏身論のより詳細な検討は今後の課題としたい。 註 ①﹃仏書解説大辞典﹄第十巻・九二 1 九 三 頁 。 ②﹃法華論﹄の解説として、丸山孝雄氏の﹁法華経論の立場﹂{﹃講座・大乗仏教 4 法 華 思 想 ﹄ ・ 春 秋 社 ) 。 円 珍 の ﹃ 法 事論記﹄については、前川健一氏による次の一連の研究がある。﹁円珍﹃法華論記﹄の引用文献l
未詳文献の解明を 中 心 に │ ﹂ ( ﹃ イ ン ド 哲 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 三 号 ) 。 ﹁ 円 珍 ﹃ 法 華 論 記 ﹄ の 引 用 文 献l
﹁ 先 覚 ﹂ と ﹁ 慈 思 ﹂ ﹁ 進 公 ﹂ ﹂ ( ﹃ 印 度 学円珍撰r法華論Ii!..における r舎利』表現について 仏教学研究﹄四四
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一 一 ) 。 ﹁ 円 珍 ﹃ 法 華 論 記 ﹄ の 法 華 思 想l
﹁ 釈 序 品 L に於ける﹃法華玄賛﹄批判を中心に L ( ﹃ 東 洋 哲 学研究所紀要﹄一八)。﹁円珍﹃法華論記﹄の法華思想(二)﹁釈方便品﹂に於ける﹃法華玄賛﹄批判ご)﹂(﹃東洋哲学 研究所紀要﹄ニO
)
。﹁円珍﹃法華論記﹄の法華思想(三)﹁釈方便品﹂に於ける﹃法華玄賛﹄批判﹂(﹃東洋哲学研究所 紀要﹄二一)。池田魯参氏の﹁円珍﹁法華論記﹂における天台研究の特質﹂(﹃駒沢大学仏教学部論集﹄九号)。﹁円珍 の﹃法華論記﹄について﹂(﹃印度学仏教学研究﹄二七l
一)。河村孝照氏の﹁智誼大師法華論記にみえる仏身観﹂ ( ﹃ 智 讃 大 師 研 究 ﹄ ) 。 ﹁ ﹃ 法 華 論 記 ﹄ に 関 す る 一 考 察 ﹂ ( ﹃ 法 華 文 化 研 究 ﹄ 一 五 号 ) 。 ﹁ 円 珍 の 法 華 論 記 と 大 日 経 指 帰 ﹂ ( ﹃ 宗 教 研 究 ﹄ 二 七 九 号 ) 。 清 岡 寂 雲 氏 、 の ﹁ 法 華 論 と 法 華 論 科 文 に つ い て ﹂ ( ﹃ 博 教 大 師 研 究 ﹄ ) 等 が あ る 。 ③﹃智証大師全集﹄第四(大日本仏教全書二八)一三八六頁上。 ④﹃智証大師全集﹄第四(大日本仏教全書二八)一三八八頁下。 ⑤﹃仏書解説大辞典﹄より取意。 ⑥苅谷定彦寸法華経における寸舎利﹂l
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﹂(﹃印度学仏教学研究﹄一四ー一・一九六五年)。及ぴ ﹁ 法 華 経 見 賓 搭 品 に つ い て ﹂ ( ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 一 一 ー 一 ・ 一 九 六 三 年 ) 。 ⑦大正九・二頁中。 ⑧大正九・三頁中。 ⑨大正九・三頁中。 ⑬大正九・三一頁中。 ⑪大正九・三二頁下。 ⑫大正九・三三頁上。 ⑬浅井円道﹃上古日本天台本門思想史﹄四九三頁・平楽寺書庖。 ⑪大正九・三一頁中 1 下 。 ⑬大正九・三二頁下。 ⑬この加来全身について藤井教公氏は次のように註釈している。﹁多宝加来の身体全身をいう。:::中略:::この ﹁全身﹂は、茶毘に付された遺骨ではなく、如来の肉身、あたかも生命を有するひからびていないミイラの如き具体 的イメージが考えられているのであろう。﹂(﹃仏典講座・法華経﹄下・五七五頁 i 五七六頁。大蔵出版、一九九二円珍撰r法革論lleJにおける r舎利」表羽について 年 ) 。 ⑫大正二六・三一氏上。 ⑬﹃智証大師全集﹄第一(大日本仏教全書二五)六七頁上 1 六 八 頁 上 。 ⑬大正三四・一一
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頁 下 。 @大正三四・一一二頁下 i 一 一 三 頁 上 。 @慈本の﹃天台大師略博﹄に以下のように記載する。﹁大智度論は大品般若の樺論なり。龍樹菩薩の造。羅什三戴の 課。もとは千巻なりしを九倍に略之。. h
巻に鐸成す。稗諭といひ。智論と脱し。大論ともよぷ。﹂(繍天台宗全書・史 博・五一二頁上)。また、同じく同書には﹁吾宗ニテ稗諭ト云大論ト云ハ。大智度論ナリ。良一言宗ニテ僻論ト云ハ。 稗摩詞術論ノ事ナリ﹂(繍天台宗全書・史仰・四九五頁)。 ⑫﹃大智度論﹄第十五巻において、精進波羅蜜を説く一段では次のように説く。﹁度脱衆生、老、病、死昔。特減度時。 以法身輿禰勅菩薩摩詞薩、迦葉、阿難等。然後入金剛三昧。自砕身骨令如芥子。以度衆生而不捨精進力。﹂(大正二 五・一七三下)。以下のような解釈となる。菩薩は衆生済度するに金剛三昧に入り、自ら身骨を芥子の知く細かく砕 き、衆生を済度して菩薩の精進力を保ち続ける。辞書によれば、﹁この金剛三昧とは金剛が一切に無礎なように、あ らゆることに通達する三昧である。﹂(中村元著﹃仏教語大辞典﹄四一九頁・東京書籍)。また、同論第五十九巻には ﹁世尊。仰見回目地福。利衆生故。入金制三昧中。砕金鋼身作末合利。何以故有人側滅度後。供養悌舎利。乃至如芥子許。 其福報無漣。乃至苦謹故。﹂{大正二五・四八一上)。とあり、仏は衆生を利益せんとして、金剛三昧に入り、金剛身 を砕いて舎利となすことを説いている。仏滅後、芥子の実のような仏舎利を供養するのは、福徳が実に大きいと説 く。そして同論の第百巻には、答日。諸悌大慈悲心。従初稜意巳来。乃至到浬繋門。常不捨離。於裟羅襲樹問。以金 鋼三昧為衆生砕身如麻米。何況経法多所僕益而不嘱累。(大正二五・七五四上)。と説く。諸仏は初発心から祖繋に至 るまで常に大慈悲心をち統け、裟羅健樹の問つまり浬繋において、金剛三昧をもって衆生の為に麻米(米一一粒)のよ うに身を砕くと説いている。 ⑫河村孝照﹁智讃大師法華論記にみえる悌身観﹂(﹃智讃大師研究﹄九六七頁)。・浅井円道﹃上十日日本天台本門思想 史﹄五三五頁 1 五三七頁・平楽寺書庖。 ⑫﹃智証大師全集﹄第一(大日本仏教全書二五)一二八頁下から一二九頁上。円珍棟 r法事論記』における「舎利』表現について ⑧大正九・五頁下 1 九 頁 中 。 @﹃智証大師全集﹄第一(大日本仏教金書二五)一一一九頁上。 ⑫﹃智証大師全集﹄第一(大日本仏教全書二五)二八六頁下 l 二 八 七 頁 上 。 @大正七六・五四四頁中。 @大正七六・八四五頁中。 @大正七六・五五六頁中。 ⑪﹃智証大師全集﹄第一(大日本仏教全書二五)二八七頁下 1 二 八 八 頁 上 。 ⑫池田魯参﹁円珍﹃法華諭記﹄における天台研究の特質﹂(﹃駒沢大学仏教学部論集﹄九号)。 @河村孝照﹁﹃法華諭記﹄に関する一考察﹂(﹃法華文化研究﹄第十五号)。 @前川健一﹁円珍﹃法華論記﹄の引用文献