印度學佛敎學硏究第六十六巻第一号 平成二十九年十二月
鈴木大拙と
﹃新宗教論﹄
石
井
修
道
一 九 六 六 年 七 月 一 二 日 に 示 寂 さ れ た 鈴 木 大 拙 先 生 ︵一 八 七 〇 ︱ 一 九 六 六︶ が、 二 〇 一 六 年 の 昨 年、 歿 後 五 〇 周 年 を迎え、筆者も関連の論文を、次のように、二、三発表して きた。 ① ﹁鈴 木 大 拙 の ejaculation の 説 を め ぐ っ て﹂ ︵﹃印 仏 研﹄ 第 六 四 巻 第一号、二〇一五年一二月︶ ② ﹁鈴 木 禅 学 が 残 し た も の ︱︱ そ の 二 つ の 視 点 を 中 心 と し て ︱︱﹂ ︵﹃駒澤大学禅研究所年報﹄第二七号、二〇一五年一二月︶ ③ ﹁鈴 木 大 拙 と 盤 珪 の 不 生 禅﹂ ︵﹃禅 学 研 究﹄ 第 九 四 号、 二 〇 一 六 年三月︶ 特に、縁あって、佐々木閑氏が二〇〇四年一月に、鈴木大 拙の Outlines of Mahāyāna Buddhism ︵London: Luzac and Company
, 1907 ︶ を 初 め て﹃大 乘 仏 教 概 論﹄ ︵岩 波 書 店︶ と し て 日 本 語 訳 さ れ、 そ の 本 が 岩 波 文 庫 本 に な る に 当 た っ て、 そ の﹁解 説﹂ を 書 く こ と が で き た ︵二 〇 一 六 年 六 月︶ 。 私 の 専 ら 務 め た﹁解 説﹂は、その当時の大拙の﹁禅﹂との関係を中心とするもの で、個人的にも多くを学ぶことができたものであった。 中 で も、 大 拙 が 三 一 歲 の 時 に、 西 田 幾 多 郎 に 宛 て た 一九〇一年一月二一日の次の手紙は、大乗仏教と禅との関係 を考えるのに、極めて重要であることが再確認できた。 予 は 近 頃﹁衆 生 無 辺 誓 願 度﹂ の 旨 を 少 し く 味 ひ 得 る や う に 思 ふ、 大 乗 仏 教 が 此 の 一 句 を 四 誓 願 の 劈 頭 に か ゝ げ た る は、 直 に 人 類 生 存 の 究 竟 目 的 を 示 す 、 げ に 無 辺 の 衆 生 の 救 ふ べ き な く ば、 此 の 一 生 何 の 半 文 銭 に か 値 ひ す る と せ ん、 自 殺 し て 早 く 茫 々 の 処 に 行 き 去 る こ と、 余 程 気 の き い た や う に 思 は る、 真 誠 の 安 心 は 衆 生 誓 願 度 に 安 心 す る に 在 り、 之 を は な れ て 外 に 個 人 の 安 心 な る も の あ る こ と な し、 も し あ り と せ ば 其 安 心 は 我 執 の 窠 窟 に 逃 げ こ み て 黒 闇 々 の 処 に 死 坐 せ る 安 心 な り、 功 名 に 奔 走 す る の 徒 と 何 ぞ 択 ば ん、 我 執 の 迷 を は な る ゝ 能 は ざ る 点 に お い て、 積 極 的 な る と、 消 極 的 な る と、 其 揆 一 な り と す、 / 君 は 余 り こ ん な こ と に 心 配 せ ら れ ざ る か も 知 れ ざ れ ど、 予 は 始 め て 四 句 の 願 を 聞 き し と き、 ﹁煩 悩 無 尽 誓 願 断﹂ が 第 一 に 来 て 其 次 に﹁衆 生 ︱︱﹂ が 来 る の が 当 然 か と 思 ひ な り き、 今 に し て 之 を 考 ふ れ ば 予 は 大 に 誤 れ り 、﹁衆 生 無 辺 誓 願 度﹂ の た め に﹁煩 悩 無 尽 誓 願 断﹂ な り、 も し 第 一 願 な く ん ば 煩 悩 何 が た め に 断 ず る 必 要 あ ら ん、 否、 煩 悩 を 断 じ 得 る 最 要 件 は 実 に 度 衆 生 の 願 に 在 り、 こ ん な
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ 事 は ど う で も 可 い や う に 思 ふ も の も あ ら ん が、 予 は ま こ と の 安 心 は 第 一 句 に あ り て、 第 二 句 に あ ら ず と 信 ず、 / も し そ れ 然 ら ず ん ば、 吾 は た 何 を く る し ん で 今 日 の 境 遇 に ぐ づ ぐ づ し て を ら ん / 三 十 四 年 一月二十一日 貞太郞︵ ﹃全集﹄三六巻二〇九頁︶ 当時、確かに﹃大乘仏教概論﹄や今回取り上げる大拙のそ れに先立つ﹃新宗教論﹄の出版は、大拙が禅を世界に普及し た最大の功績から考えて、本格的な禅の専門書としてはまだ 著されてはいない。その功績については、大拙自身が九一歳 の﹃也 風 流 庵 自 伝﹄ ︵一 九 六 一 年︶ で、 ﹁こ の 禅 と い う も の に 対 し て、 近 ご ろ ま あ ア メ リ カ の 人 が 評 判 を す る と か、 ヨ ー ロッパでも関心を持っておるというようなことになりだした のはですね、ヨーロッパやアメリカから帰って来て、わしが 英語で禅のことを書き出したという、そいつがまあ端緒にな る で し ょ う ね。 ﹂ ︵﹃鈴 木 大 拙 全 集﹄ 二 九 巻 一 五 七 頁。 以 下﹃全 集﹄ と略す。 ︶ という通りである。 更に近年になって大拙の最大の影響とされる講演・講義の 日本語訳も松ヶ岡文庫の叢書第四・第五として発行されるに 至っている。 ①
EIGHT LECTURES ON CHAN
, 1962. 1949 ∼ 1954 ︵﹃禅八講︱︱鈴 木 大 拙 講 演 集﹄ 松 ヶ 岡 文 庫、 二 〇 一 一 年。 常 盤 義 伸 編、 酒 井 懋 訳 ﹃禅八講︱︱鈴木大拙最終講義﹄ 、角川選書、二〇一三年︶ ② COLUMBIA UNIVERSITY SEMINAR LECTURES , 1952 , 1953 ︵重松 宗 育・ 常 盤 義 伸 編 訳﹃鈴 木 大 拙 コ ロ ン ビ ア 大 学 セ ミ ナ ー 講 義﹄ 松 ヶ 岡文庫、二〇一六年︶ これらを踏まえて、筆者は論文の中で、鈴木大拙の禅の基 本は四弘誓願の第一願の﹁衆生無辺誓願度﹂にあり、小堀宗 柏氏の ﹃ Living by Zen ︵禅による生活︶ ﹄ ︵春秋社、新装版二〇〇一 年︶ の﹁解 説﹂ の﹁そ う だ な、 衆 生 無 辺 誓 願 度 が わ し の 見 性 だな﹂の大拙の言葉などを参考にして、その姿勢は終生変化 なかったのではないかと考えてきた。 ここで更にって、大拙の処女出版の ﹃新宗教論﹄ ︵貝葉書 店、 一 八 九 六 年︶ に つ い て、 こ の 問 題 を 検 討 し た も の が、 今 回 の発表である。この著の執筆の機縁については、秋月龍珉氏 は﹃人 類 の 教 師・ 鈴 木 大 拙﹄ ︵三 一 書 房、 一 九 七 八 年︶ の 中 で、 次のように述べている。 明 治 二 十 六 年 の 九 月 に、 洪 嶽 老 師 が シ カ ゴ の 宗 教 大 会 に 参 加 さ れ た と き、 大 会 の 会 員 で ジ ョ ン・ バ ー ロ ス と い う 人 か ら、 老 師 の 宗 教 上 の 意 見 を 書 い た パ ン フ レ ッ ト を 送 れ と 言 う て き た。 そ の 中 に、 こ う い う 事 柄 に 意 見 を 述 べ よ と い っ て、 い く つ か の 項 目 が 並 べ て あ っ た。 老 師 が そ れ を わ し に 示 し て、 ﹃お ま え 一 つ 書 い て み た ら﹄ と い わ れ て、 そ れ で 老 師 の ア メ リ カ で の 経 験 を 伺 っ た り し て、 老 師 の 帰 国 後 に 書 き 上 げ た の が こ の 本 だ︵ ﹃新 宗 教 論﹄ ︶。 ︵以 下 略︶ ︵同 一二三頁︶ 筆者らにとって、従来、唯一知られた本書の執筆の機縁で あった。ところが、井上禅定・禅文化研究所編﹃鈴木大拙未
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ 公 開 書 簡﹄ ︵禅 文 化 研 究 所、 一 九 八 九 年︶ が 発 刊 さ れ て、 特 に 山 本 ︵旧 姓 金 田︶ 良 吉 宛 書 簡 に よ り、 更 に 出 版 ま で の 経 過 が 知 ら れ る よ う に な っ た。 山 本 良 吉 ︵一 八 七 一 ︱ 一 九 四 二︶ は 大 拙 の明治一二年の石川県専門学校付属初等中学科以来の生涯無 二の親友である。特に印象深いのは、井上禅定氏の﹁解説に か え て﹂ に 述 べ る よ う に、 ﹁ ︵山 本 良 吉 の 急 逝 は︶ ︵大 拙︶ 先 生 は それから二十四年の後、昭和四十一年の同月同日に九十六歲 で歿した。不思議な縁である﹂と言う通りである。また、大 拙には林田久美野氏の ﹃大叔父鈴木大拙からの手紙﹄ ︵法藏館、 一 九 九 五 年︶ に よ る と、 大 拙 の 長 男 の 元 太 郎 の 長 男 に 良 吉 ︵久 美 野 の 父︶ が い て 身 内 の 中 で も 特 に 親 し い 関 係 で あ っ た と い う。 山本良吉宛書簡の﹃新宗教論﹄の関係を抜萃すると、次の ような文面に出会うことができる。 ① 明治二十九年︵一八九六︶二月二十五日 就 て は 頃 日 一 小 著 述 を 始 め て 何 か の た し に 致 た き も の と 存 居 候、 来 月 中 に は 何 と か 完 成 し、 完 成 し た ら ば 老 師 と の 共 著 と し て 出 し た な ら 、 多 少 旅 費 の 補 助 と な る な ら ん か と 思 ふ。 其 上 禅 学 も 今 少 し 修 行 し お き た な ら、 面 白 か る べ き か と 存 候 故、 何 れ 夏 は 日 本 に て 過 し た し と の 考 な り。 ︵﹃鈴 木 大 拙 未 公 開 書 簡﹄ 一 九 六 ︱ 一 九 七 頁︵禅 文 化研究所、一九八九年︶ 。﹃全集﹄巻三六︱七一頁︶ ② 同五月三日 小 著 述 の 義 も 大 略 成 就 致 し、 之 よ り 老 師 の 修 正 を 待 ち て 出 版 す る 運 び に 相 成 る べ け れ ば、 ど う か し て 今 月 下 旬 に は 下 京 し た き も の に 候。 ︵﹃書簡﹄二〇二頁。同七五頁︶ ③ 同六月二十七日 拙 著 は 既 に 完 成 し た り、 老 師 の 序 も 出 来、 是 か ら 元 良 の 序 を 得 る つ も り、 是 も 近 日 出 来 る な ら ん、 出 版 も 来 月 中 に は 是 非 出 来 上 る つ も り。 出 来 上 ら ば 君 方 の ご 尽 力 に て 諸 方 へ 売 ひ ろ め 度 き も の に 候、 書 名 は 宗 教 択 法 眼 と 云 ひ 十 五 六 章 三 十 二 行 三 十 語 百 頁 候。 ︵﹃書 簡﹄ 二 〇 五 頁。 同七七頁︶ ①②によると、出版は、釈宗演との共著で進んでいたこと が判明する。また、③の段階では、書名は﹃宗教択法眼﹄で あったということを新たに知ることができるが、現存するそ の 年 の 六 月 の﹁老 師 の 序﹂ も ま た、 ﹃新 宗 教 論﹄ と あ る。 恐 らくこの著が﹁宗教文庫第壹編﹂として刊行されるに当たっ て、 命 名 し 直 さ れ た も の で あ ろ う。 な お、 釈 宗 演 に つ い て は、 井 上 禅 定 編 著﹃釈 宗 演 伝﹄ ︵禅 文 化 研 究 所、 二 〇 〇 〇 年︶ を 参考にした。 ﹃新 宗 教 論﹄ は、 鈴 木 貞 太 郎 の 名 で、 明 治 二 九 年 一 一 月 二五日、 ﹁宗教文庫第壹編﹂として貝葉書院から発行された。 初版は松ヶ岡文庫の電子書籍として公開されている。岩波書 店の﹃鈴木大拙全集﹄では、二三巻に収められているが、大 拙が強調した文面の﹁◦﹂や﹁ヽ﹂は一切省略され、釈宗演 が 付 し た﹁・﹂ ︵﹁ヽ﹂ の 表 記 と し て︶ の み は 残 さ れ て い る。 た だ、 大 拙 を 考 え る に は、 初 版 は 大 い に 参 考 に す べ き な の で、
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ 記号をつけて引用するが、表記は ﹃全集﹄ を基本にする。 大 拙 は 書 名 に つ い て、 京 都 で 明 治 二 十 九 年 ︵一 八 九 六︶ 十一月書かれた﹃新宗教論﹄の﹁凡例﹂では、次のように述 べている。 一、 此 書、 題 し て﹁ 新 宗 教 論 0 0 0 0 ﹂ と 云 へ ど も、 今 日 の 所 謂 る 新 宗 教 と は 異 に し て、 別 に 一 旗 幟 を た て ん と す る も の な り。 吾 人 は 国 家 の 進 化 を の み 中 心 と し て、 科 学 に 最 上 の 権 威 を 与 ふ る も の と 一 致 す る 能 はず。本書はまた ﹁ 宗教真義 0 0 0 0 ﹂ と名づくるも可なるべきか。 本 書 の 内 容 は﹁緒 言・ 宗 教・ 神・ 信 仰・ 儀 式、 礼 拝、 祈 禱・教祖・人・無我 ︵霊魂実有説の妄を弁ず︶ ・不生不滅・宗教 と 哲 学 と の 関 係・ 宗 教 と 科 学 と の 関 係・ 宗 教 と 道 徳 と の 区 別・宗教と教育との関係・宗教と社会問題・宗教と国家との 関係・宗教と家庭﹂の十六項目より成っている。全体の説を 紹介することは不可能であるので、大きく二つのことを述べ ておきたい。 その前に、宗教とは、イスラム教等にも言及はあるが、基 本 的 に は 仏 教 と キ リ ス ト 教 を 問 題 に し て い て、 ﹁教 祖﹂ に 興 味深い次の表現が見出せる。 若 し 0 0 釈 と 基 督 と を し て 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 其 位 置 0 0 0 、 其 時 代 を 0 0 0 0 更 へ て 0 0 0 生 れ 出 で 0 0 0 0 た り と 0 0 0 せ ば 0 0 、 釈 も 0 0 0 亦 基 督 の 0 0 0 0 為 せ し 如 く 0 0 0 0 0 感 情 を 主 0 0 0 0 と し た 0 0 0 る な る べ く 0 0 0 0 0 、 基 督 0 0 も 0 亦 釈 の 0 0 0 0 如 く 哲 理 を 0 0 0 0 0 基 と し て 0 0 0 0 宗 教 を 建 立 し た り し な ら ん 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 故 に 釈 0 0 0 は 印 度 の 基 督 と 謂 ふ べ く 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 0 基 督 は ユ ダ ヤ の 釈 と 謂 ふ べ し 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 両 教 祖 の 価 値 必 ず し も 軒 輊 す る を 須 ひ ず。 ︵一 〇 五 ︱ 一 〇 六 頁。 ﹃全 集﹄ 六一頁︶ その宗教に対立する現代思潮について、大拙は﹁緒言﹂で 次のように主張する。 思 ふ に 8 8 8 、 今 日 は 8 8 8 物 質 主 義 8 8 8 8 ・ 快 楽 主 義 8 8 8 8 全 盛 の 時 代 8 8 8 8 8 な る か な 8 8 8 8 。 彼 も 幸 福 説 を 唱 へ、 此 も 功 利 説 を 唱 へ、 到 る 処 に 快 楽 主 義 は 歓 迎 せ ら れ ん と す。 是 を 以 て 苟 く も 事 宗 教 に 渉 り、 談 信 仰 に 及 べ ば、 其 是 非 曲 直 を 判 断 す る の を 与 へ ず し て 直 に 之 を 排 斥 し、 古 人 が 金 科 玉 条 と し て 尊 び 伝 へ た る 宗 教 信 仰 を も 一 言 に 罵 倒 し て 破 草 鞋 に だ も 如 か ず と な す。 ︵一頁。 ﹃全集﹄七頁︶ これらの説に基づいて、大拙の自利主義の祈禱と二種の利 他主義の祈禱の分析を第一に取り上げたい。そこには次のよ うにある。 ① 吾 人 の 所 謂 る 宗 教 は、 徹 頭 徹 尾 合 理 的 な ら ん こ と を 期 す る も の 也。 故 に か の 好 ん で 神 秘 奇 怪 の 魔 力 あ る を 信 ず る も の と 衝 突 す。 而 し て 此 祈 禱 な る も の は、 実 に 箇 の 神 怪 力 即 ち 宇 宙 の 原 則 を 意 に 任 せ て 変 更 し 得 る 神 怪 力 の 存 在 を 先 決 す る も の 也。 既 に 之 を 先 決 す、 是 を 以 て 此 神 怪 力 を 動 か し て 自 家 の 快 楽 を 計 ら ん と す る や、 一 切 の 方 便 尽 さ ず と 云 ふ こ と な し。 祈 禱 0 0 は 実 に 0 0 0 自 利 主 義 也 0 0 0 0 0 、 自 家 の 意 志 0 0 0 0 0 に 0 よ り て 0 0 0 天 地 不 可 動 0 0 0 0 0 の 0 大 原 則 を 変 改 せ ん 0 0 0 0 0 0 0 0 と す る 也 0 0 0 0 。 其 大 胆 粗 心、 寧 ろ 驚くべきにあらずや。 ︵八九︱九〇頁。 ﹃全集﹄五三頁︶ ② 利 他 主 義 の 祈 禱 に も 二 様 あ り。 一 を 物 質 的 利 益 を 0 0 0 0 0 0 祈 る も の 0 0 0 0 、 一 を 心 霊 的 進 歩 を 祈 る も 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の 0 と な す。 他 人 の た め に 物 質 的 幸 福 を 祈 る の 妄 な る は、 猶 ほ 自 家 の た め に す る が 如 し。 ︵中 略︶ さ ら ば 如 何 な る
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ 種 類 の 祈 禱 と 雖 も、 苟 く も 祈 禱 と 云 は ば、 悉 く 是 れ 妄 想 の 産 物 な り 謂 は ざ る べ か ら ず。 さ れ ど 0 0 0 、 第 二 種 の 0 0 0 0 利 他 的 祈 禱 0 0 0 0 0 、 即 ち 心 霊 的 発 展 0 0 0 0 0 0 0 の 0 障 礙 な 0 0 0 か ら ん を 0 0 0 0 祈 る は 0 0 0 、 深 高 な る 意 義 を 有 0 0 0 0 0 0 0 0 す る が 如 し 0 0 0 0 0 。 固 よ り 0 0 0 其 0 意 義 の 0 0 0 依 り て 0 0 0 現 は れ 0 0 0 た る 形 式 即 ち 祈 禱 0 0 0 0 0 0 0 0 は 妄 信 た る 0 0 0 0 0 を 免 か れ ず と 雖 0 0 0 0 0 0 0 も 0 、 仔 細 に 0 0 0 其 意 義 を 看 来 れ ば 0 0 0 0 0 0 0 0 、 人 性 の 奧 秘 を 払 開 す る に 似 た り 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 即 0 ち 人 0 0 類 0 に は 無 限 大 に 達 せ ん と す 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 る 一 種 の 理 想 あ る 0 0 0 0 0 0 0 0 を 知 る 0 0 0 、 是 な り 0 0 0 。 ︵九二︱九四頁。 ﹃全集﹄五四︱五五頁︶ この文面から理解できることは、大拙が宗教の合理性を重 視していることと、宗教における﹁祈禱﹂については、あま り 積 極 的 な 評 価 を し て い な い こ と で あ る。 認 め る に し て も、 ﹁心霊的進歩を祈る﹂ところの利他的祈禱に限定されている。 筆者は大拙禅において、密教化は生涯強調されなかったと思 うが、このことは最初期においても同じであった。そのこと は、釈宗演の ﹃閑藤﹄ ︵民友社、一九〇七年︶ の ﹁仏教とは何 ぞ﹂ に お い て、 同 様 の 説 を 説 い て い た こ と か ら も う か が え る。 蓋 し 仏 教 道 徳 位 、 実 行 し 易 き も の な か る べ し。 不 可 思 議 な る 点 あ る に も あ ら ず、 迷 信 的 な る に も あ ら ず、 偶 像 を 拝 す る に も あ ら ず、 超 自 然 的 な る に も あ ら ず、 事 物 の 道 理 に 反 す る 悪 事 を 為 さ ず。 唯 だ 善 を 行 ひ、 未 だ 悟 ら ざ る 人 又 は 世 を 厭 へ る 人 を 助 け て、 悟 道 せ し む れ ば 足 る な り。 祈 禱 や 讃 美 歌 や、 其 他 の 儀 式 の 如 き は 仏 教 に 於 て は 何 等 の 必 要 あ る に あ ら ず、 愛 と 同 情 に 充 ち た る 単 簡 な る 日 々 の 生 活 だ に 完 全 に 送 り な ば、 以 て 善 良 な る 仏 教 徒 た り 得 る な り。 ︵同 九 六 頁︶ 第二に、今回、特に取り上げたいと思ったのが、四弘誓願 の第一願を重要視していたことと、その説と釈宗演及び日本 臨済禅との関係である。大拙が白隠禅を日本禅思想史におけ る三つの思想類型の一つに取り上げたことは、幾度か言及し たことがある。それが看話禅成立以降の集大成であることも 認めている。しかし、筆者には大拙禅がその白隠禅のみに収 斂されて行くものとは思えなかった。ただ、大拙禅が釈宗演 の 禅 と 生 涯 に わ た っ て 深 く 結 び つ い て い る こ と は 否 め な い。 その共通点をどこに見出すか。ましてや﹃新宗教論﹄は、釈 宗演との共著で進められていたことが判明している。そのこ と を 考 え る に、 ﹁無 我﹂ 説 に﹁ 無 我 の 理 を 8 8 8 8 8 証 す れ ば 8 8 8 8 大 悲 を 生 8 8 8 8 じ 8 、 大悲を生ずれ 8 8 8 8 8 8 ば諸々の 8 8 8 8 善事成れば也 8 8 8 8 8 8 ﹂として、白隠の法 嗣の東嶺円慈 ︵一七二一︱一七九二︶ の ﹃宗門無尽灯論願力弁﹄ を次のように引用していることは注目される。 是 故 に 修 行 の 正 路 は 願 を 以 て 本 と 為 す。 願 力 深 重 な る 者 は 天 魔 外 道 も 動 か す 能 は ざ る 所 な り。 願 力 微 劣 な る 者 は 多 く 障 難 に ふ。 夫 れ 願 力 と は、 大 悲 を 本 と 為 す。 凡 そ 自 利 を 求 む る 者 は 皆 小 見 に 止 ま る。 譬 へ ば 商 人 の 己 が 栄 を 謀 る 者 は 先 づ 小 財 に 誇 り、 普 く 物 を 恵 ま ん と 欲 す る 者 は 終 に 小 を 以 て 足 れ り と 為 さ ざ る が 如 し。 是 故 に 四 弘 の 願 行 に は 先 づ 度 生︵衆 生 済 度︶ を 以 て 第 一 の 誓 と 為 し、 而 し て 自 性 を 明 ら め て 煩 悩 の 本 を 断 じ、 普 く 法 門 を 学 ん で 菩 の 行 を 起 し 悲 8 智 円 満 8 8 8 す る、 是 を 仏 道 と 謂 ふ。 当 に 知 る べ し、 大 悲 8 8 は 誠 に 成 仏 の 基 本也。 ︵以下略︶ ︵一四三︱一四四頁。 ﹃全集﹄巻二三、八〇頁︶
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ こ の﹃宗 門 無 尽 灯 論 願 力 弁﹄ の 引 用 の 指 摘 は 正 し く、 ﹃全 集﹄の古田紹欽氏の注によるが、ただ、現在、松ヶ岡文庫に は 大 拙 が 見 た と 思 わ れ る 著 書 ︵別 に 駒 澤 大 学 図 書 館 に は 写 本 が 存 す︶ は 所 蔵 さ れ て い な い。 恐 ら く 古 田 紹 欽 氏 も﹃白 隠 全 集﹄ 第 七 巻 ︵龍 吟 社、 一 九 三 四 年︶ に よ る と 思 わ れ る。 し か し、 こ の 引 用 箇 所 は、 ﹃宗 門 無 尽 灯 論﹄ の﹁信 修 第 二﹂ と ほ ぼ 同 一 の 文 で あ る。 続 い て そ の 引 用 の 後 文 に は、 有 名 な﹃涅 槃 経﹄ 巻 三 八﹁ 葉 菩 品﹂ ︵大 正 蔵 巻 一 二 ︱ 五 九 〇 a︶ の﹁自 未 得 度 先度他﹂ ︵﹃白隠和尚全集﹄一八二頁︶ の偈の引用もある。 この﹃新宗教論﹄の主張は、筆者が先に指摘した大拙禅の 生涯変わらぬ説と一致する。一般に看話禅としての臨済禅の ﹁見 性﹂ 重 視 の 主 張 と は 関 連 が 稀 薄 と 思 わ れ た。 そ れ で は そ の説と釈宗演との関係はないであろうか。ここで注目したい の が﹃禅 籍 目 録﹄ 一 七 九 頁 に あ る 釈 宗 演﹃宗 門 無 尽 灯 論 講 話﹄ ︵横 浜 少 林 会。 積 翠 文 庫 旧 蔵︶ の 存 在 で あ る。 残 念 な が ら 松ヶ岡文庫には目下、所蔵されていないし、筆者は未見であ る。 大 拙 が 参 禅 し た 当 時 の 釈 宗 演 の 講 本 に﹃宗 門 無 尽 灯 論﹄ があったことは、井上禅定氏の﹃釈宗演伝﹄に指摘するとこ ろであり、日頃の釈宗演が説いていたことが想像される。 セイロンに留学し、その仏教の高い宗教性を評価する釈宗 演 に し て、 ﹃閑 藤﹄ の﹁仏 教 と は 何 ぞ﹂ で は そ の 大 乗 観 は 次のようであった。 故 に 小 乗 仏 教 は 多 少 悲 観 的、 厭 世 的、 且 つ 倫 理 的︵宗 教 的 に あ ら ず︶ に し て 又 た 所 謂 出 家 的 な り。 随 て 仏 の 精 神 を 完 全 に 説 き た る も の に あ ら ず し て 未 だ 人 間 の 宗 教 心 を 満 足 せ し む る に は 甚 だ 不 充 分 な り。 セ イ ロ ン、 ビ ル マ、 暹 羅 等 に 行 は る ゝ 仏 教 は 稍 や 小 乗 教 の 傾 を 有するも、現今日本に行はるゝ仏教は皆な大乗教なり。 ︵同九〇頁︶ そ の 仏 教 の 特 色 を、 ﹃閑 藤﹄ の﹁無 智 と 悟 ︵無 明 と 正 覚︶ ﹂ の中では、次のように述べるのである。 自 我 の 無 智 去 ら ば、 仁 慈 の 悟 り を 得、 自 我 の 念 よ り 起 り た る、 傲 慢、 頑 固、 執 拗 等 の 心 は 変 じ て、 人 間 一 般 の 幸 福 に 尽 す 美 し き 念 と な り、 無 智 の 幕 除 か る ゝ と 共 に、 悟︵愛 な る︶ の 栄 光 は 顕 然 と し て 照 り 輝 く べ し と は、 仏 教 の 説 く 所 な り。 蓋 し 仏 の 智 識 は 宇 宙 に 充 ち、 吾 々 を し て 万 象 の 根 蔕 に 存 す る 平 等 の 真 理 を 解 せ し む れ ば 也。 吾 々 人 間 は 個 人 と し て は 各 々 別 あ り て、 自 己 の 物 は 決 し て 他 人 の 物 に あ ら ず、 故 に 此 意 味 に 於 て、 利 己 主 義 は 真 理 に し て、 我 意 を 主 張 す る は 可 な り と 雖 も、 同 時 に 万 物 の 内 に 働 け る 同 じ 神 あ り て、 万 物 は 又 た 其 の 神 の 中 に 住 み、 神 の 中 に 動 け る 事、 及 び 無 窮 の 生 命 と 愛 が 神 よ り 来 た る 事 片 時 も 忘 る 可 か ら ず。 神 に 於 て 万 物 が 一 に 帰 す る 事 を 知 る は、 単 に 基 督 教 の み な ら ず、 仏 教 に 於 て も 最 も 重 要 な る 教 義なり。 ︵同一四二︱一四三頁︶ 大拙の類似の表現はこれ以上は紙数の関係で指摘できない が、以上述べてきた釈宗演から承けた﹃新宗教論﹄の﹁宗教 と道徳との区別﹂で述べる鈴木禅学に一貫するものは、釈宗 演も認めるものであったことが判明するのである。 宗 教 の 真 髄 は 無 辺 の 慈 悲 に 在 り。 而 し て 道 徳 の 究 竟 は 義 務 を 尽 す に 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
鈴木大拙と﹃新宗教論﹄ ︵石 井︶ 在 り。 4 4 義 務 は 寧 ろ 消 極 的 意 義 を 有 し 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 0 慈 悲 は 積 極 的 活 力 を 有 す。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 義 0 務 は 0 0 自 己 の 存 在 0 0 0 0 0 を 先 決 す 0 0 0 0 。 慈 悲 は 本 来 無 我 を 0 0 0 0 0 0 0 0 体 と す 0 0 0 。 義 務 は 0 0 0 限 ら る 0 0 0 る 0 所 あ り 0 0 0 、 慈 悲 は 0 0 0 包 ま ざ る 0 0 0 0 所 な し 0 0 0 。 義 務 は 0 0 0 現 在 的 な り 0 0 0 0 0 、 慈 悲 は 無 量 0 0 0 0 0 劫 0 に 0 渉 る 0 0 。 義 務 は 0 0 0 人 類 の 間 に 0 0 0 0 0 行 は る 0 0 0 、 慈 悲 は 三 界 万 霊 を 含 む 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 故 4 に 4 、 0 道 徳 4 4 は 人 な り 4 4 4 4 、 0 宗 教 は 神 な り 4 4 4 4 4 4 。 0 道 徳 は 0 0 0 磊 々 た る 岩 0 0 0 石 の 如 し 0 0 0 0 、 宗 教 は 0 0 0 炎 炎 た る 0 0 0 0 熱 火 の 如 し 0 0 0 0 0 。 道 徳 は 0 0 0 冷 然 た り 0 0 0 0 、 宗 教 は 0 0 0 温 然 た り 0 0 0 0 。 道 0 徳 は 0 0 秋 霜 な り 0 0 0 0 、 宗 教 は 0 0 0 春 風 な り 0 0 0 0 。 道 徳 の 前 に 立 0 0 0 0 0 0 て ば 0 0 粛 乎 と し て 0 0 0 0 0 容 を 0 0 改 め 0 0 ざ る べ か ら ず 0 0 0 0 0 0 、 宗 教 の 傍 に 0 0 0 0 0 侍 す れ ば 0 0 0 0 悠 然 と し て 0 0 0 0 0 心 寛 か ず ん ば 0 0 0 0 0 0 あ 0 らず 0 0 。︵ ﹁・﹂ は釈宗演。二〇八︱二〇九頁。 ﹃全集﹄一一三頁︶ 確かに鈴木大拙の﹃大乗仏教概論﹄は、佐々木閑氏が指摘 するように、インド仏教思想史上の﹃大乘起信論﹄の馬鳴説 など認められないものもあるが、結局、ステファン・ P・グ レイス氏が﹁鈴木大拙の研究︱︱現代﹁日本﹂仏教の自己認 識とその ﹁西洋﹂ に対する表現︱︱﹂ ︵二〇一四年度の駒澤大学 の博士論文︶ で、次のように述べていることは重要であろう。 佐 々 木 も、 こ の 著 作 の な か の 梵 語 の 表 記 や 仏 教 学 の 術 語 の 使 用 に 関 す る 過 誤 を 指 摘 し な が ら も、 最 終 的 に は こ の 書 物 を 大 拙 の 独 自 の 思 想 を 表 現 し た も の と 認 め、 ﹁﹃法 華 経﹄ な ど の 経 典 と 同 レ ベ ル に 並 ぶ ﹃大 拙 大 乗 経﹄ と も 呼 ぶ べ き 新 た な 聖 典 の 誕 生 を 意 味 し て い る﹂ と 評 し て い る。 き わ め て 正 当 な 評 価 と 思 わ れ る が、 た だ し、 そ の 独 自 性 は 何 も 無 い と こ ろ か ら 大 拙 が 一 人 で 考 え 出 し た も の で は な く、 Ketelaar ︵ 1993 ︶ や Snodgrass ︵ 2003 ︶ が 指 摘 す る よ う に、 明 治 新 仏 教 の 思 潮 を 継 承 し つ つ 独 自 の 発 展 を 加 え た も の だ と い う こ と も 忘 れ て は な ら な い で あ ろ う。 佐 々 木 の い う﹁大 拙 大 乗 経﹂ は、 ま た﹁明 治新仏教の大乗経﹂ でもあるのだった。 ︵同論文七三頁︶ 今回、検討した鈴木大拙の処女出版の﹃新宗教論﹄の結果 からも、この﹁明治新仏教の大乗経﹂という主張は釈宗演を 含めて当時の特色と言えるのではなかろうか。 ︿参考文献﹀ Suzuki , D aisetsu T eitar o. 1907 . Outlines of Mahāyāna Buddhism . London:
Luzac and Company
. 鈴木大拙著、佐々木閑訳﹃大乗仏教概論﹄岩波文庫、二〇一六 石 井 修 道﹁解 説﹂ 鈴 木 大 拙 著、 佐 々 木 閑 訳﹃大 乗 仏 教 概 論﹄ 岩 波 文庫、二〇一六 秋月龍珉﹃人類の教師・鈴木大拙﹄三一書房、一九七八 井 上 禅 定・ 禅 文 化 研 究 所 編﹃鈴 木 大 拙 未 公 開 書 簡﹄ 禅 文 化 研 究 所、一九八九 井上禅定編著﹃釈宗演伝﹄禅文化研究所、二〇〇〇 鈴木貞太郎︵大拙︶ ﹃新宗教論﹄貝葉書院、一八九六 釈宗演﹃閑藤﹄民友社、一九〇七 ス テ フ ァ ン・ P・ グ レ イ ス﹁鈴 木 大 拙 の 研 究 ︱︱ 現 代﹁日 本﹂ 仏 教 の 自 己 認 識 と そ の﹁西 洋﹂ に 対 す る 表 現 ︱︱﹂ 博 士 論 文︵駒 澤大学︶ 、二〇一四 ︿キーワード﹀ 鈴 木 大 拙、 ﹃新 宗 教 論﹄ 、 釈 宗 演、 四 弘 誓 願、 ﹃宗 門無尽灯論﹄ ︵駒澤大学名誉教授・文博︶