日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量へ
﹃一乗仏性究寛論﹄の受容と展開
はじめに
因明が日本へ伝わって以来、主としてその研鎖の任に当た ってきたのは法相宗の学僧達であった。その学究の盛んであ ったことは、秋篠寺善珠(七二三t
七九七)の﹃因明論疏明 灯抄﹄や明詮(七八八頃 1 八六八)の﹃因明大疏導﹄﹃同裏書﹄ 等、後世の因明研究に大きな影響を与えた書物が、奈良後期 から平安初期といった時代に既に述作されていたということ からも窺えよう。 その一方で、法相宗以外の諸宗においても、因明への関心 は高かったようで、平安時代初期に著された、伝教大師最澄 ( 七 六 七 1 八二二)の﹃通六九証破比量文﹄、天台座主安慧(七 九 四 ? 1 八六八)の﹃感諭弁惑章﹄、三論宗玄叡 ( ? 1 八 四O
)
龍谷大学悌教学研究室年報第十八号 平成二十六年三月の反駁
士 ロ田
慈
)
順
の ﹃ 大 乗 三 論 大 義 紗 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 大 義 紗 ﹄ ) 、 円 宗 ( 0 ・ 1 八 六 九t
八八三)の﹃一乗仏性慧日抄(究寛抄)﹄(以下、﹃慧日抄﹄)と いった著作には、いずれも因明に関する言及が見られる。し かしながら、これら一乗真実を主張する諸師における因明理 解は、対法相宗という点に力点が置かれており、この点、日 本仏教における因明受容の一特徴であるといえよう。 さて、このような中にあって、一乗真実を主張する諸師に よって問題視された比量が、本稿で取り上げる慈恩大師基(六 三 二 3 六八二)の﹃成唯識論掌中枢要﹄(以下、﹃枢要﹄)に見 られる二つの比量である。この二つの比量は、定性二乗と無 性有情を証明せんとするものであったため、その妥当性を巡 って議論がなされることとなったのである。これに関して、 天台宗からは最澄が、三論宗からは玄叡・円宗がそれぞれ反 駁を行っており、一乗真実の立場から﹃枢要﹄の比量に対す日本三輪宗における﹃成唯織論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) る批判が加えられている。本稿では、この﹃枢要﹄の比量に 対する玄叡・円宗の反駁を中心に、日本の三論宗における﹃枢 要﹄二比量批判の様相、またその思想背景について検討を行 うことにしたい。 ﹃ 枢 要 ﹄ の二比量 先ずは、争点となる﹃枢要﹄の二比量について確認してお こ h
つ
。
﹃枢要﹄の二比量とは、定性二乗を証明せんとした﹁二乗 之果比量﹂と、無性有情を証明せんとした﹁所説無性比量﹂ の二つを指す。第一の﹁二乗之果比量﹂とは、以下の主張で あ る 。 証 コ ト ハ 二 乗 J 定 性 寸 者 、 云 夕 、 華 厳 ノ 第 四 十 ノ 世 間 品 三 一 A 7 、 仏 子 、 菩薩摩詞薩ハ於 3 兜率天一て臨ラ命終 J 時 4 有 コ 十 種 ノ 果 ノ 現1
2
ト 。 第 一 ニ , ス 於 右 手 ノ 掌 中 耳 目 放 コ 大 光 明 寸 。 名 コ 浄 境 界 ↓ 、 悉 タ 能 タ 厳 ニ 浄 ス 大 千 世 界 イ 。 此 ノ 世 界 ノ 中 、 若 シ 有 ヨ ハ 無 漏 J 諸 ノ 砕 支 仏 、 覚 訪 コ ト 斯 ノ 光 寸 者 、 即 チ 捨 弓 寿 命 寸 入 山 於 浬 繋 一 -。 若 シ 不 勺 覚 者 、 光 明 カ ノ 故 = 、 移 = 置 ス ト 他 方 ノ 余 ノ 世 界 ノ 中 一 -。 荘 厳 論 / 第 一 巻 三 一 今 、 余 ノ 人 ノ 善 根 ハ 浬 繋 ノ 時 z 尽 キ ル モ 、 菩 薩 ノ 善 根 ハ 不 川 爾 ラ 。 文 云 ク 、 三 乗 ノ 衆 生 ハ 、 由 ヲ 界 / 差 別 一 -故 = 種 性 差 別 セi
。 浬 繋 経 = 云 ハ 夕 、 我 レ ハ 於 3 経 J 中 4 、 為 一 一 諸 J 比 丘 り 、 説 コ 一 乗 、 一 道 、 一 行 、 一 縁 ↓ 。 知 同 是 ノ 一 乗 、 乃 至 、 一 縁 八 、 能 タ 為 一 一 衆 生 り 作 コ 大 寂 静 寸 、 永 z 断 弓 一 切 ノ 繋 縛 、 愁 苦 、 苦 、 及 ヒ 苦 J 因 寸 、 令 弘 一 切 衆 生 ヲ シ テ 至 コ 於 一 有 づ 我 ヵ 諸 ノ 弟 子 、 開 封 是 J 説 4 E Z 不 レ 解 日 我 ヵ 意 寸 。 唱 へ テ 言 夕 、 如 来 ハ 説 日 夕 守 フ ト 須 陀 酒 、 乃 至 、 阿 羅 漢 、 皆 得 口 仏 道 オ 文 摂 大 乗 ュ ハ 、 為 U 十 義 ザ 故 ェ 説 コ 一 乗 寸 。 引 ニ 摂 セ ン カ タ メ ノ 不 定 姓 寸 故 ナ リ ト 。 又 法 華 論 J 中 Z ハ 、 四 種 ノ 声 聞 7 1 不 可 為 一 一 趣 寂 ザ 受 記 此 故z t
楊 伽 、 議 伽 ノ 玉 姓 ノ 差 別 、 如 w 是 ノ 非 同 一 = 。 量 = 云 夕 、 二 乗 之 果 = ハ 応 民 有 コ 定 姓 -。 乗 所 被 ノ 故 = 。 知 山 ト 大 乗 J 者 吋 。 ① 以上のように、﹁二乗之果比量﹂では、決定性の二乗が成 仏できないことを証明するために、﹃華厳経﹄﹃荘厳論﹄﹃浬 繋経﹄﹃摂大乗論﹄﹃法華論﹄、さらに﹃楊伽経﹄﹃職伽論﹄ が教証とされ、以下の比量が主張されている。 二乗の果には応に定姓有るべし(宗) 乗所被の故に(因) 大乗の者の知し(喰) この比量で主張 ( H 宗)されるのは、声聞乗・縁覚乗の果 報には定姓があるということである。つまり、二乗の果報は 小果に定まっており、大果たる仏果を得ることはできないというのである。その理由 ( H 因)は﹁乗所被の故に﹂、すな わち、声聞乗・縁覚乗は、それぞれの機根に応じた教化を被 るものであり、得られる果もまた異なるというものである。 そして、このことの喰例 ( H 喰)として、大乗(菩薩乗)の 衆生が、その機根に応じて仏果を得るのと同様である、と述 べ ら れ る 。 この主張の基づくところは、いうまでもなく﹁五姓各別説﹂ である。つまり、﹁二乗之果比量﹂のいわんとするところは、 衆生は個々の機根によって得られる果報に異なりがあり、仏 果を得る者がある一方で、得られない者も存在するというこ と で あ る 。 次の﹁所説無性比量﹂もこれと関連するものであり、 主張は以下の通りである。 そ の 無種姓ノ人ノ証ょ者、浬繋ノ三十六ェ云ハ夕、善男子、若シ説訪二切 衆 生 = 定 ン テ 有 斗 仏 性 -、 是 ノ 人 ヲ 名 ヶ テ 為 日 誘 サ 仏 法 僧 4 。 若 シ 説 ヨ 二 切 ニ 定 ン テ 無 コ ト 仏 性 -、 此 J 人 そ 亦 名 付 ト 誘 守 仏 法 僧 寸 。 又 浬 繋 -云 ハ 夕 、 警 コ 如 計 病 人 ザ 。 有 コ 其 レ 二 種 一 。 一
- x
者 、 若 シ 遇 三 良 医 、 妙 薬 一 -及 以 ヒ 不 守 遇 ハ 、 必 見 当 = 得 レ 差 ュ コ ト ヲ 。 ニ ェ ハ 者 、 若 シ 遇 ぇ 即 チ 差 ュ 号 、 不 川 ハ 遇 ハ 不 レ 差 z 。 = 一 -ハ 者 、 遇 フ ト モ 与 日 不 川 遇 ハ 要 ス 不 川 可 す 差 品 。 初 メ ハ 是 レ 定性大乗、次ハ為コ不定性斗、第三ハ即チ是レ定性二乗ト及ヒ与サ無 性二 文 浬 繋 三 一 品 ハ 夕 、 善 男 子 、 知 同 是 ノ 静 訟 ハ 是 レ 仏 ノ 境 界 十 日 。 非 コ 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 諸 ノ 声 聞 、 縁 覚 ノ 所 ロ 知 ル 。 若 シ 人 、 於 げ 此 = 生 コ レ ハ 疑 心 寸 者 、 猶 ホ 能 タ 擢 三 壊 2 号 無 量 J 煩 悩 ノ 知 コ ナ ル ヲ 須 弥 山 ザ 、 若 シ 於 3 是 J 中 九 生 コ レ ハ 決 定 寸 者 、 是 レ ヲ 名 コ 執 著 斗 。 知 寸 是 ノ 執 著 ヲ 不 日 名 ヶ テ 為 グ 善 ト ハ 。 文三十六 二 一 品 ハ 夕 、 善 男 子 、 我 レ ハ 雌 僻 説2 - - =
ロ ヨ 二 切 衆 生 ニ 悉 P 有斗仏性-、衆 生 ハ 不 レ 解 コ 仏 ノ 知 内 是 ノ 等 ノ 随 自 意 ノ 語 イ 。 善 男 子 、 如 同 是 ノ 語 ハ 者 、 後身 J 菩 薩 モ 尚 * 不 レ 能 い 解 R ル コ ト 。 況 ン ャ 於 ヲ ャ 二 乗 ト 其 ノ 余 ノ 菩 薩 一 。 又 恒 河 ノ 七 人 J 第 七 ハ 常 没 ナ1
0
文 善 戒 経 ノ 種 性 品 ニ 云 パ 夕 、 無 種 性 / 人 ハ 雄 三 復 タ 発 心 シ テ 勤 行 精 進 寸 、 終 ニ 不 川 能 い 得 3 1 無 上 菩 提 寸 。 又 彼 ノ 経 ニ 云 ハ 夕 、 無 種 姓 ノ 人 ハ 、 但 タ 以 3 人 天 ノ 善 根 寸 而 成 ニ 就 ス ト 之 寸 。 文在厳論ェ、無浬繋法=有 q -、 一 ニ ハ 時 辺 、 ニ = ハ 畢 寛 ナ リ 等 ト イ 72 ト 、 如 三 別 F E E -説 ゴ 。 文 勝 重 ニ 云 , 夕 、 離 コ 善 知 識 イ 、 無 同 開 非 法 ノ 衆 生 ニ ハ 、 以 3 人天 J 善 根 ↓ 而 成 = 就 z 之 寸 等 ト 。 金 剛 経 = 云 ハ 夕 、 毛 道 生t
。今 云 コ 愚 夫 生 寸 。 党 ニ ハ 云 コ 婆 羅 斗 ︿ 去 声 ﹀ 、 此 二 三 愚 夫 ↓ 。 本 ト 錯 ロ テ 云 コ 縛 羅 斗 、 乃二三毛道↓。無性7
。 量 三 五 夕 、 所 説 / 無 性 ハ 決 定 シ テ 応 民 有 ナ ル 。 有 無 ノ 二 性 J 随 一 ニ 摂 ム ル ヵ 故 z o 如 一 す 有 性 / 者 づ 。 或 ィ ハ 聖 / 所 説 ナ ル ヵ 故 z o 知 ω ト 説 コ ヵ 有 性 ↓ 。 ② ここでは、教証として﹃浬繋経﹄﹃善戒経﹄﹃荘厳論﹄﹃勝 重経﹄﹃金剛般若経﹄から合計九文が引用され、以下の比量 が主張されている。 所説の無性は決定して応に有なるべし(宗)日本三輪宗における﹃成唯織論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 有無の二性の随一に摂むるが故に(因) 有性の者の如し(轍) 或いは聖の所説なるが故に(因) 有性と説くが如し(轍) ここでは、無性有情(仏となる種を持たない衆生)の存在す ることが主張されている。その理由は、経典には﹁有仏性﹂ と﹁無仏性﹂というこ種が鋭かれているが、無性有情は、有 仏性・無仏性の中の無仏性に摂められる存在だからだとい う。その上で、﹁仏性を持つ衆生﹂が存在することを例示し、 ﹁仏性を持たない衆生﹂、つまり無性有情もまた存在すると 論証するのである。 また、この主張には、これに加えてもう一組の﹁因﹂と﹁喰﹂ とが立てられている。第二の﹁因﹂では、﹁仏性を持たない 衆生﹂の存在が仏説であるからだという。そして、﹁仏性を 持つ衆生﹂が存在するのと同様である、という﹁喰﹂を立て、 この論証の正当性を主張しているわけである。つまり、﹁仏 性を持たない衆生﹂も﹁仏性を持つ衆生﹂も仏説であり、﹁仏 性を持つ衆生﹂が存在する以上、かかる﹁仏性を持たない衆 生﹂もまた存在するはずである、という推論である。 さて、この﹁所説無性比量﹂も、前の﹁二乗之果比量﹂と 同様、その基本となっているのは王姓各別説である。つまり、 衆生には仏性を持つ者と持たない者の差別が法爾として存在 しているということを主張しているのである。 しかしながら、そもそも一切皆成を宗とする諸師において は、この﹃枢要﹄の比量は到底許容できるものではなく、こ の点で両者間の意見が衝突することとなる。そこで、次にこ の﹃枢要﹄の二比量に対する日本三論宗の対応について確認 することとしたい。
﹃大義紗﹄の反駁
日本の三論宗において、﹃枢要﹄の二比量に反駁した現存 最古の典籍が玄叡の﹃大義紗﹄である。本書の中、いまの﹃枢 要﹄二比量に対する論難は、巻第四﹁有性無性評論第四﹂と ﹁定性不定性詩論第五﹂においてなされている。①﹁有性無性誇論第四﹂
先ずは﹁有性無性詩論第四﹂であるが、本段は、前の﹃枢 要﹄二比量の中、﹁所説無性比量﹂に対する反駁となってい る 。慈 恩 法 師 ハ 、 依 ニ 傍 シ テ 浬 繋 、 善 戒 、 勝 重 等 ノ 了 義 ノ 経 ト 荘 厳 論 等 一
τ
建 -一 立 R 無 性 有 情 寸 。 比 量 ニ 云 ク 、 所 説 / 無 性 ハ 決 定 シ テ 応 民 有 ナ ル ︿ 宗 ﹀ 。 有 無 / 二 性 ノ 随 一 ェ 摂 ム ル ヵ 故 z ︿ 因 ﹀ 。 知 コ 有 性 ノ 者 づ ︿ 喰 ﹀ 。 或 ィ ハ 聖 ノ 所 説 ナ ル ヵ 故 一 一 ︿ 因 ﹀ 。 知 可 説 ラ 有 性 ↓ ︿ 喰 ﹀ 。 問 フ 、 此 / 量 = 何 ノ 過 7 2 0 答 フ 、 三 支 互 ェ 関 ヶ テ 虚 シ 夕 、 一 切 ハ 自 ラ ヲ シ テ 陥 ル 。 是 レ 似 比 量7
。 量 ノ 過、甚タ多シ。粗而論 M Z 之ヲ、宗ェ聖教相違ト相符之懲ト比量相違 ト 7 9 0 因 = 随 一 不 成 ノ 過 失 ト 不 定 / 過 失 ト ア リ o ③ ﹃大義紗﹄に依れば、﹃枢要﹄の﹁所説無性比量﹂には、宗 に﹁聖教相違﹂﹁相符之慾﹂﹁比量相違﹂、因に﹁随一不成﹂ ﹁不定﹂の過失があるという。 そこで、先ずは﹁聖教相違﹂の過失についてであるが、こ れは仏説と相違することを主張する過失をいう。﹃大義紗﹄ で は 、 こ の こ と に つ い て 、 ﹁ 所 引 ノ 経 論 パ 、 但 タ 拠 コ テ 客 性 一 一 且 ラ ク 説 コ 無 性 づ 非 以 約 コ ル エ ハ 本 性 つ o @ ﹂と述べられており、﹁所説 無性比量﹂が教証としているものは、いずれも客性に約して 無性有情の存在が説かれたものに過ぎず、本性に約すれば一 切衆生は平等であるという。その上で、本性に約して説かれ たものとして、﹃浬繋経﹄﹃華厳経﹄﹃楊伽経﹄﹃仏性論﹄を 引用し以下のように述べる。 浬 繋 経 三 一 品 ハ 夕 、 為 日 非 卦 ル モ ノ ノ 仏 性 一 -説 コ 於 仏 性 ↓ 。 非 日 ル モ ノ ト ハ 仏 性 4 者 、 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 塘 壁 、 瓦 石 、 無 情 之 物 ナ リ 。 離 ヨ ヲ 知 吋 是 ノ 等 ノ 無 情 之 物 ザ 、 名 ヶ テ 為 コ ト 仏 性 ↓ 。 述 へ テ 日 夕 、 此 レ ハ 簡 コ テ 無 情 イ 而 取 コ ナ P 有情寸。無性 J 衆 生 ハ 、 既 ニ 是 レ 有 情 ナ リ o 云 何 ン ヵ 得 マ 言 W コ ト ヲ 無 凶 ト 有 32 ト 仏 性 一 。 文 云 ハ 夕 、 凡 y 有 ω 心 者 ハ 、 悉 , 皆 当 民 得 ニ 阿 縛 菩 提 寸 。 是 / 故 ニ 、 言 ヨ ナ1
一 切 衆 生 ェ 悉 ク 有 口 卜 仏 性 二 述 へ テ 白 書 、 此 レ ハ 簡 コ テ 無 心 寸 市 取 コ 有 心 4 、 簡 コ テ 己 得 ノ 人 ↓ 而 取 コ ナ H 当 得 寸 。 無 性 有 情 , 既 = 是 レ 有 心7
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亦 非 コ 巳 得 一 二 。 畢 寛 シ テ 不 日 得 ニ 阿 縛 菩 提 ↓ 、 是 レ 何 ノ 謂 ナ ル 平 。 又 云 ハ 夕 、 障 コ ル ヵ 未 来 寸 故 ェ 名 ヶ テ 為 コ 無 性 ↓ 、 必 ス 当 日 得 故 -名 ヶ テ 為 コ ナ1
有 性 ↓ 。 文 云 ハ 夕 、 雄 日 信 コ ト 仏 性 ハ 是 レ 衆 生 ニ 有 寸 卜 、 不 コ ト イ フ 必 ス シ 号 一 切 ニ 皆 悉 ク 有 た ハ 之 。 是 ノ 故 ュ 名 ヶ テ 為 弓 信 不 具 足 ↓ ︿ 巳 上 ﹀ 。 若 シ 爾 ラ ハ 、 建 -一 立 ス ル ハ 一 分 ノ 無生寸、量非弓一間提、信不具足 J 人 一 -耶 。 又 華 厳 経 三 一 そ 夕 、 知 来 J 智 慧 ハ 、 無 コ 処 ト シ テ 不 ヨ ト 至 ラ 。 何 ヲ 以 テ ノ 故 ニ 。 無 可 衆 生 J 身 z 知 来 ノ 智 慧 ヲ 不 以 具 足 寸 者 上 。 楊 伽 経 ェ 云 ハ 夕 、 知 来 ハ 不 レ 捨 ヨ 一 切 衆 生 寸 。 又 仏 性 論 -云 夕 、 説 コ ハ 無 性 寸 者 、 第 五 ノ 無 性 号 当 日 得 -一 成 仏 ヲ ョ ト ヲ 。 是 レ 不 了 ノ 義 ナ リ 。 説 コ ハ 有 性 寸 者 、 名 ヶ テ 了 義 J 経 ナ1
︿ 巳 上 ﹀ 。 汝 ヵ 所 り 立 ッ ル 宗 ハ 、 彼 既 ュ 違 -害 ス 前 = 所 ω 引 ク 教 一 -。 説 キ テ 名 コ 似 宗 ↓ 。 ⑤ つまり、これら本性に約して説かれた教説には、一切衆生 は皆仏性を具えていることが明示されており、﹁所説無性比 量﹂はこれらの﹁聖教﹂に﹁相違﹂しているため、聖教相違 の過失を犯しているというのである。 次 に 、 ﹁ 相 符 之 慾 ﹂ で あ る が 、 これは宗の過失の中、相符日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 極成の過失を指摘したものである。相符極成の過失とは、主 張の内容が立敵聞で共許しており、そもそも議論の必要のな いことを主張する過失をいう。ここで﹃大義紗﹄が﹁所説無 性比量﹂に相符極成の過失があるといっているのは、以下の 理由によるものである。 問 フ 、 相 符 ノ 失 ト ハ 那 ソ ャ 。 答 フ 、 一 代 ノ 聖 教 ハ 万 差 ナ レ ト 、 注 シ テ 収 ム ル ュ 唯 タ 是 レ ニ 蔵 ナ リ 。 於 ヨ 菩 薩 蔵 4 、 有 コ 隠 密 ノ 教 -、 有 コ 顕 了 ノ 教 -。 若 シ 拠 コ テ 菩薩蔵 J 隠密ノ教、及ヒ声聞蔵 4 建 -- 立 C ハ 比 量 寸 、 宗 = 有 コ 相 符 一 。 我 号 亦 許
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故 ナ リ 。 何 ト ナ レ , 者 、 善 戒 経 、 深 密 経 等 J 隠密 J 教 ノ 中 ェ ハ 随 転 理 門 = シ テ 且 タ 説 コ 無 性 ↓ 。 又 説 弓 無 性 ↓ 是 レ 小 乗 J 義 ? 。 何 ヲ 以 テ カ 得 マ 知 ル コ ト ヲ 。 仏 性 論 三 一 今 、 仏 ハ 為 一 一 小 乗 ノ 人 イ 、 説 咋 有 利 ト 衆 生 ニ シ テ 不 レ 住 日 於 性 4 、 永 = 不 均 J 般浬繋 M ︿ 己 上 ﹀ 。 我 号 亦 許2
故 -て 是 レ 相符 J 過7
。若シ拠ヲ普薩蔵 J 顕了一乗ノ教 4 、 即 チ 有 コ 違 教 J 失 -。 義 内 則 チ 知 コ 前 = 説 ゴ 。 文 若 シ 就 コ ハ 縁 因 4 、 有 コ 相 符 ノ 失 -。 以 内 断 善 / 位 = 未 グ 有 3 縁 因 一 、 名 字 国 コ ハ 無 性 ↓ 、 我 ヵ 宗 号 亦 許 見 。 故 = 相 符 ノ 過 ナ リ 。 若 シ 拠 弓 正 因 4 、 聖 教 相 違 ナ リ 。 浬 繋 等 ノ 経 内 、 理 ト 之 与 げ 心 名 ヶ テ 為 コ 正 因 ↓ 。 無 性 有 情 -何 y 無 コ ヲ ン ャ 理 ト 心 -。 ⑥ つまり、釈尊一代の聖教は、顕了教(真実の教説)と隠密 教(方便の教説)の二種に分類されるとした上で、﹁所説無性 比量﹂が、隠密教の立場から﹁所説の無性は決定して応に有 なるべし﹂と主張しているのであれば、方便の教説として﹁仏 性を持たない衆生﹂が説かれていることは、三論宗でも認め るところであり、そもそも議論自体を必要としない。ここに、 ﹁相符極成﹂の過失があるというのである。また、もし﹁所 説無性比量﹂が、顕了教において同様の主張をしているので あれば、これは前と同様の理由から﹁聖教相違﹂の過失に当 た る と い う 白 次に﹁比量相違﹂の過失についてである、が、これは正当な 論理的思考と矛盾したことを主張する過失をいう。 比 量 相 違 ノ 過 相 ハ 若 為 ン 。 答 7 、 所 説 ノ 無 性 ハ 応 民 有 ナ ル 之 宗 ハ 、 違 コ 後 ノ 因 4 。 故 = 比 量 相 違 ナ リ 。 作 ラ 比 量 ゴ 弓 、 所 説 J 無 性 等 ェ ハ 応 民 有山成仏之性-︿宗﹀。以サ有弓十二因縁一故 z ︿ 因 ﹀ 。 知 コ 有 性 / 者 り ︿ 輸 ﹀ 。 若 シ 言 弓 宗 = 自 語 相 違 づ ト 者 、 未 げ 了 日 立 意 寸 。 有 法 ノ 無 性 ハ 拠 コ 客 性 4 。 無 コ 能 別 て 。 本 性 、 本 ト 客 ト ハ 既 = 別 十 リ 。 違 コ ャ 何 ノ 自 語 4 。 若 シ 爾 ヲ ハ 同 時 嚇 = 所 立 不 成 ァ リ 。 彼 ノ 立 論 者 ハ 、 以 3 真 知 ノ 理 寸 為 コ 成仏 J 性 吋 。 有 性 ノ 同 轍 ハ 是 レ 行 性 ナ ル ヵ 故 -ト イ ハ , 、 此Z
亦不 ν爾 , 。 彼 ノ 有 性 ノ 人 、 量 無 コ ン 理 性 -乎 。 若 シ 分 別 セ ハ 者 、 即 チ 成 コ 過 類 寸 。 又 無 コ 不 定 ト 、 及 以 ヒ 所 立 不 成 ノ 過 失 ↓ 。 定 性 ノ 二 乗 , 摂 コ ル ヵ 有 法 一 -故 = 。 有 法 三 言 ぺ 等 ト 、 等 ニ 取 見 ル ヵ 此 す 故1
。所立之宗八、既 z 是 J 君 " 法 -- 。 無 訪 レ ハ 果 / 所 逐 -名 コ 似 立 宗 ↓ 。 ⑦ 回 吋 フ 、 回 目Hここで﹃大義紗﹄は、 所説の無性等には応に成仏の性有るベし(宗) 十二因縁有るを以ての故に(因) 有性の者の知し(喰) という﹁所説無性比量﹂と相違する比量を立て、その過失を 挙げるのであるが、この部分は一種の問答体の形式が取られ ており、これをまとめると以下のようになる。 (問)﹃大義紗﹄の比量には﹁自語相違﹂の過失がある。そ もそも、﹁成仏の性を持たない者﹂を﹁無性﹂というの であるから、﹁成仏の性が無い者には成仏の性が有る﹂ などという主張は成立しない。 (答)この指摘は誤りである。ここでいう﹁無性﹂とは、客 性の有無に約して﹁無﹂といっているのである。一方、 ﹁ 成 仏 の 性 有 る べ し ﹂ と い う の は 、 ﹁ 本 性 ﹂ に 約 し て ﹁ 有 ﹂ といっているのであるロそのため、自語相違の過失に は 当 た ら な い 。 (問)もしそうであれば、同喰(宗と同じ属性を有し、かつ因 の義を有するもの)に所立不成の過失がある。﹁本性﹂ をもって﹁成仏の性﹂とするということは、真如の理 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) そのものをもって成仏の性とすることと同義である。 しかしながら、喰の﹁有性﹂という言葉の同喰は﹁行 性﹂であり、﹁成仏の性﹂は﹁本性﹂ではなく﹁行性﹂ に約して立てられるべきである (答)この指摘も誤りである。﹁有性﹂の同喰は﹁行性﹂で あるというが、﹁有性の者﹂は当然﹁理性﹂を有してい るのであるから、その同輸は﹁行性﹂とはならない。 また、この比量は、不定の過失にも所立不成の過失に も当たらない。﹁定性の二乗﹂は、宗の﹁所説の無性等﹂ に含まれるからであり、これを含めるために、わざわ ざ﹁所説の無性等﹂といっているのである。﹃枢要﹄が 立てる﹁所説無性比量﹂は、この比量と矛盾する。そ のため、﹁比量相違﹂の過失がある。 次 に ﹁ 随 一 不 成 ﹂ の 過 失 に つ い て ﹃ 大 義 紗 ﹄ の 本 文 は 、 ﹁ 問 フ 、 随一、所依不成ノ過ょ何ン﹂となっており、ここに﹁随一不成﹂ と﹁所依不成﹂の二つの過失が示されている。そこで、第一 の﹁随一不成﹂の過失であるが、これは、立敵のどちらか一 方には認められない因を立てる過失である。また、第二の﹁所 依不成﹂の過失とは、宗の前陳(主張の主語)の存在が立敵 間で共有できない因を立てる過失をいう。これについて﹃大 義 紗 ﹄ は 、
日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 問 7 、随一、所依不成 J 過 ょ 何 ン 。 答 フ 、 我 ヵ 宗 ュ 不 レ 許 サ 。 若 シ 就 討 テ 正 因 一 -而 説 コ ハ 無 性 寸 、 是 レ 聖 J 所 説 ナ ル 貴 重 ト ノ 因 , 、 即 チ 無 コ 所 依 一 。 即 チ 是 レ 、 有 体 J 他随一、所依不成ノ過
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即 チ 顕 乏 で -有 コ ロ ト ヲ 他 所 別 不 極 成 ノ 過 -。 若 シ 言 号 無 性 , 彼 此 共 ェ 許 ス 、 有 コ ン ト 何 ノ 不 成 サ 、 此 ノ 義 不 レ 爾 ラ 。 立 論 ハ 行 性 ヲ 以 テ 為 コ 正 因 ↓ 、 本 ト 無 ラ 此 / 因 一 故 = 名 コ 無 性 ↓ 。 敵 者 ハ 不 可 許 サ 故 = 不 成 ノ 過7
。 例 文 、 知 行 数 論 ト 仏 弟 子 ト 、 共 ェ 言 っ そ 我 ノ 能 詮 ザ 、 其 所 ノ 自 体 ハ 彼 ト 此 ト 別 ナ ル ヵ 故 z 有 勺 不 成 ノ 過 上 。 ⑥ ﹁所説無性比量﹂が、﹁正因﹂の有無に約して﹁所 説の無性﹂といっているのであれば、そもそも仏説において、 ﹁正因を有さない衆生﹂が説かれているということを認めら れないといい、この点をもって、﹁或いは聖の所説なるが故 に﹂という因に﹁随一不成﹂の過失を指摘するのである。ま た、﹁正因を有さない衆生﹂という存在そのものも認めるこ とができないとして、﹁所依不成﹂の過失を指摘している。 最後に﹁不定﹂であるが、これは、因が正しく宗を証明す るものとなっていない過失をいう。すなわち、﹃大義紗﹄が、 と し て 、 問 ヲ 、 不 定 ノ 慾 ト ハ 何 ン 。 健 闘 7 、 有 無 / 二 性 ノ 随 一 ノ 摂A
Z
故- - 7
因 ハ 、 不 定 J 過 ナ リ 。 何 ト ナ レ ハ 者 、 兎 角 等 J 法 ハ 、 決 定 シ テ 応 民 有 ナ ル 之 宗 ノ 異 品 ナ レ 川 、 即 チ 摂 コ 異 轍 づ 所 立 ノ 園 内 転 コ 彼 ノ 兎 角 ノ 上 1 。 故 -成 コ ナ 日 不 定 寸 。 ⑨ と述べるように、﹁所説の無性は決定して応に有なるべし﹂ と主張する場合、﹁応に有なるべし﹂の異喰は、﹁兎角等﹂ といった﹁無﹂なるものである。しかしながら、﹁有無の二 性の随一に摂むるが故に﹂という因では、﹁兎角等﹂が﹁有 無の二性﹂の中の﹁無﹂に含まれるので、﹁兎角等は、有無 の二性のいずれかに含まれる性質を有するため、有性の者と 同様に存在する﹂という明らかに誤った論理をも成立させて しまう。そのため、この﹁有無の二性の随一に摂むるが故に﹂ という因は不定の過失を犯していると指摘するのである。②﹁定性不定性静論第五﹂
では、次に﹁二乗之果比量﹂に対する﹃大義紗﹄の反駁を 見ていこうロこの一段は、ご一乗之果比量﹂の過失を明かす 部分と、指摘した過失の正当性を述べる部分とから構成され ている。いまは要を取って、前段部分を中心に窺っていくこ と と し た い 。 慈恩法師ハ、為同欲 D ル ヵ 建 ニ 立 セ ン ト 五 性 J 道 理 ↓ 、 傍 ゴ シ 経 , 、 影 山 シ テ 論 ヲ 、 立 弓 比 量 ゴ 冨 夕 、 二 乗 之 果 ュ ハ 応 印 有 コ 定 姓 -︿ 宗 ﹀ 。 乗 所 被 ノ 故 ι ︿ 因 ﹀ 。 知 守 大 乗 ノ 者 ザ ︿ 喰 ﹀ 。 問 フ 、 此 / 比 量 = 有 コ ャ 何 ノ 慾 -。答 7 、 謬 テ 像 コ 三 支 寸 、 妄 1 -陳 コ 偽 執 サ 。 免 弓 猶 ホ 累 卵 寸 、 何 y 称 立 ン 真 立 ↓ 。 三 支 ι 多 タ 過 ァ p 。 粗 爾 -論 M f -之ヲ、宗ュ聖教相違、相符ノ過 失 、 違 コ ル ノ 自 教 一 -失 ァ リ 。 因 = 不 定 之 過 、 法 差 別 ノ 失 ァ リ 。 同 職 = 所 立 不 成 / 過 失 7 3 ⑩ ﹃大義紗﹄は、﹁二乗之果比量﹂には、宗に﹁聖教相違﹂﹁相 符﹂﹁違自教﹂、因に﹁不定﹂﹁法差別﹂、同喰に﹁所立不成﹂ の過失があると指摘する。そこで、これらの過失について、 ﹃大義紗﹄の論述に沿って確認することとしよう。 問 7 、 陳 つ 衆 過 ノ 相 寸 。 答 フ 、 知 来 ノ 正 法 ノ 教 , 、 開 コ 八 万 寸 、 理 ハ 通 コ テ 四 宗 て 二 蔵 ι 注 収 見 。 教 ト シ テ 莫 げ 不
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該 卓 、 理 ト シ テ 鹿 川 不 川 コ ト 尽 キ 。 広 タ ハ 知 山 宗 義 づ 。 於 コ 彼 ノ 菩 薩 蔵 ノ 中 一 -、 有 コ 顕 了 一 、 有 口 密 意 一 。 汝 貴 所 り 立 ッ ル 量 ハ 、 未 げ 詳 ヨ セ 懇 拠 寸 。 若 シ 約 ラ 声 聞 蔵 ト 及 以 ヒ 密 意 ノ 教 一 -建 ニ 立 セ ハ 量 寸 者 、 即 チ 相 符 ノ 過 ァ リ 。 於 ヨ ハ 彼 / 教 ノ 中 つ 、 我 レ モ 亦 許 ス ヵ 故 ナ リ 。 若 シ 就 コ ハ 究 寛 顕 了 一 乗 一 -、 即 チ 違 教 ノ 失 ァ リ 。 顕 了 一 乗 ュ ハ 、 不 す 説 コ 趣寂不成仏 1 故 ナ p o ⑪ ここで﹃大義紗﹄は、﹁所説無性比量﹂の時と同様、仏の 教説には、顕了教と密意教(方便の教説)の別があると述べ、 ﹁二乗之果比量﹂がこのいずれに約して主張されているのか を問題とする。その上で、密意の教に約して主張されている 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 方便として、経典中に二乗固有の果が説かれ ていることは三論宗においても認めるところであり、そもそ も議論を要しない。そのため、﹁相符極成﹂の過失があると いう。逆に、顕了教に約して主張されたものであるとすれば、 ﹁究寛顕了一乗﹂の法門には、﹁寂滅に趣向する二乗は成仏 することがない﹂などとは説かれていないため、﹁聖教相違﹂ の過失を犯すことになる、と指摘している。 こ れ に 次 い で 、 の だ と す れ ば 、 於 ヨ ハ 汝 ヵ 自 教 一 -、 説 ゴ 有 コ ト 不 定 J 二乗之果-、於 3 有 法 ノ 中 一 -而 不 -簡 ニ 別 セ 不 定 ノ 二 乗 / 有 余 J 果 寸 。 故 ニ 則 チ 犯 刊 一 分 ノ 違 コ ル ノ 自 教 4 失 日 。 若 ゴ 言 ロ ト ハ 不 定 ノ 二 乗 之 果 ハ 不 ド 摂 弐 有 法 で 、 若 シ 爾 ラ ハ 何 = 摂 ス ル ャ 。 為 コ 是 レ 同 喰 斗 ャ 、 為 コ 是 レ 異 喰 ↓ ャ 。 若 ・ Y 言 ﹀ ハ 同 喰 ↓ 、 一 分 ノ 所 立 不 成 ノ 過 失 ト 、 一 分 ノ 不 定 ト 7 1 不 す 成 立 所 立 / 定 性4
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故 ナ 目 。 若 シ 言 -ぐ 異 喰 ↓ 、 即 チ 不 定 ノ 過 TP 。 乗 所 被 / 因 ハ 、 転 ラ ヵ 彼 / 不 定 / 二 乗 ノ 果 一 芸 故 ナ 9 0 作 一 予 不 定 ゴ 弓 、 為 わ 知 コ 不 定 性 イ 、 乗 所 被 J 故 z 、 二 乗 之 果 ニ 無 仲 ト ヤ 定 性 上 耶 。 為 わ 知 コ 大 乗 / 者 づ 、 乗 所 被 J 故 = 、 二 乗 之 果 ェ 有 判 ト ャ 定 性 上 耶 。 ⑫ ﹁ 違 自 教 ﹂ の 過 失 が 指 摘 さ れ る 。 そ も そ も 法相宗は、不定性の二乗については成仏の可能性を認めてい るはずであり、この点、﹁二乗之果比量﹂の主張は と し て 、 つ ま り 、 ﹁ 二 乗 の日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 果には﹂とのみいっており、不定性の二乗の果について簡別 されていない。ここに﹁違自教﹂、すなわち﹁自教相違﹂の 過失があるというのである。 さらに、もしもこの点について法相側が、﹁不定性﹂は主 張するところの﹁二乗﹂には含まないというのであれば、い ったい﹁不定性の二乗﹂は何に含まれるというのか、という 聞いが立てられる。その上で、もし﹁二乗之果﹂の同喰とい うのであれば、﹁所立不成﹂の過失と﹁不定﹂の過失を犯す ことになるという。つまり、﹁二乗之果比量﹂は﹁応に定姓 有るペし﹂といっており、﹁不定性の二乗の果﹂を同轍とし たのでは、宗を成立する喰とならない。そのため、﹁所立不 成﹂﹁不定﹂の過失を犯すことになるというのである。 また、もし異喰であるというならば、これもまた﹁不定﹂ の過失になるという。つまり、﹁乗所被の故に﹂という因に は、﹁不定性の二乗﹂も含まれるのであり、﹁不定性の二乗 と同様に、乗所被の者であるこ乗の果報にも法爾に定まった ものはない﹂ともいえるし、﹁大乗の者と同様に、乗所被の 者であるこ乗の果報は法爾に定まっている﹂ともいえるので あ り 、 ﹁ 不 定 ﹂ の 過 失 が あ る と い う 。 こ こ に 又 、 汝 ヵ 所 川 立 ツ ル 因 = 、 如 U 能 タ 成 こ 立 ス ル ヵ 応 有 定 性 寸 、 亦 能 タ 成 下 立 見 所 川 立 ッ ル 法 差 別 相 違 = 、 応 ぃ γ 無 コ ル 定 ン テ 小 乗 之 性 三 故 = 即 チ 法 差 別 相違ノ過失ァリ。作ラ相違ゴ巧、二乗之果 Z ハ 応 同 無 コ ル 定 ン テ 小 乗 之 性 -︿ 宗 ﹀ 。 因 ト 轍 ハ 同 W ト 前 z o ⑮ つづいて、﹃大義紗﹄が指摘する過失は、﹁法差別相違﹂ である口これは、立者が認めている別の能別を成立させてし まう因を立てる過失であり、この場合は、﹁二乗の果には応 に定姓有るべし﹂という主張の﹁応に定姓有るべし﹂とは異 なる主張を成立させてしまうことをいう。この過失について、 ﹃大義紗﹄は、以下の主張を行っている。 二乗の果には応に定んで小乗の性無かるべし(宗) 因と輸は前(﹃枢要﹄の﹁二乗之果比量﹂の因喰)に同じ つまり、﹁二乗之果比量﹂が立てる﹁乗所被の故に﹂とい う因では、﹁大乗の者のように、乗所被の者である二乗に小 乗の果は無い﹂という主張も成立してしまうと指摘している の で あ る 。 四
﹃慧日抄﹄と﹃大義紗﹄との関連
現存する文献の中、﹃大義紗﹄に次いで﹃枢要﹄の二比量を批判したものは、円宗の﹃慧日抄﹄である。そこで、次に ﹃慧日抄﹄が指摘する﹃枢要﹄二比量の過失について確認す ることにしたい。 -﹁ 二 乗 之 果 比 量 ﹂ の 過 失 枢 要 J 上 z 、 依 二 葱 シ テ 深 密 等 J 経 ト 璃 伽 等 ノ 論 一 -、 立 ヨ テ 一 量 ゴ E 夕 、 二 乗 之 果 ニ ハ 応 日 有 コ 定 姓 -。 乗 所 被 J 故 ェ 。 如 コ ト 大 乗 ノ 者 イ 0 ・ : 中 略 : ・ 剣剣劇 J 旬 、 今 略 シ テ 示 け ン 相 ヲ o 宗 ニ 有 コ 相 符 ト 兼 ネ テ 違 教 ノ 過 ↓ 。 因 ニ 法差別相違 7 2 喰 -有 コ 所 立 不 成 一 、 兼 ヰ テ 有 口 不 定 、 -﹁所説無性比量﹂の過失 枢 要 ニ 亦 立 弓 一 正 因 ゴ 玄 夕 、 所 説 / 無 性 ハ 決 定 シ テ 応 民 有
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有無 J 二 性 ノ 随 一 ェ 摂 ム ル ヵ 故 ュ 。 知 山 ト 有 性 J 者 り 。 或 ィ ハ 聖 / 所 説 ナ ル 力 故 = 。 知 け ト 説 コ ヵ 有 性 ↓ 。 : ・ 中 略 : ・ 破 シ テ 日 9 、 妄 リ ニ 陳 ラ 偽 執 寸 、 危 弘 猶 ホ 累 卵 寸 。 司 選 会 M-矧 剖 号 明 。 略 シ テ 示 日 ン 方 隅 寸 。 宗 ュ 有 3 7 相 符 ト 兼 ネ テ 有 教 ↓ 如 凶 前 J 。 亦 有 コ 所 別 不 成 -。 初 ぅ 因 z 、犯コ有法自相相違 J 過 4 、 亦 有 コ 不 定 -。 後 J 因 = 、 有 体 J 他 随 て 所 依 不 成 7 3 ⑮ 以上が、﹃慧日抄﹄の指摘する﹃枢要﹄二比量の過失であ る。ここで注目したいのは、傍線部、これらの指摘は﹁先賢﹂ ﹁先哲﹂によって既になされている、という﹃慧日抄﹄の言 で あ る 。 ﹁ 先 賢 ﹂ ﹁ 先 哲 ﹂ が 誰 を 指 す の か が 問 題 と な る こ の 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄のニ比量への反駁(吉田) カ ミ ここに挙げられた過失を前の﹃大義紗﹄と比較す その多くが共通していることに気づかされる。 いま、 る と 、 -﹁ 有 性 無 性 評 論 第 四 ﹂ 問 フ 、 此 J 量 ニ 何 ノ 過 ア ル ャ 。 答 フ 、 一 二 支 互 ュ 闘 ヶ テ 虚 シ 夕 、 陥 ル 。 是 レ 似 比 量 ナ P 。 量 ノ 過 、 甚 , 多 シ 。 粗 市 論 づ 一 一 之 ヲ 、 宗 z 劃剥 相 違 ト 相 符 之 慾 ト 比 量 相 違 ト ア リ 。 因 ュ 随 一 ( 筆 者 補 一 + 所 依 ) 不 成 ノ 過 失 ト 不 定 ノ 過 失 ト 7 3 一 切 ハ 自 ラ ヲ シ テ -﹁ 定 性 不 定 性 誇 論 第 五 ﹂ 問 ? 、 此 ノ 比 量 = 有 コ ャ 何 J 慾 -。 答 7 、 謬 テ 像 コ 三 支 ザ 、 妄2
陳 コ 偽 執 40 免 弓 猶 ホ 累 卵 寸 、 何 y 称 弓 真 立 ↓ 。 三 支 = 多 タ 過 7 3 組 爾 ュ 論 ヨ ニ 之 ヲ 、 宗=劃制覇、捌伺A
期 、 違 コ ル ノ 自 教 づ 失 7 2 因 ニ 不 定 之 過 、 出 差 別 ノ 失 7 3 同輸 z 所立不成 J 過 失 7 1 傍線部が、﹃慧日抄﹄と﹃大義紗﹄とで一致する箇所であ る。このように見ると、﹃慧日抄﹄述作の背景には﹃大義紗﹄ の影響があったと考えられる。そこで、この両書を、さらに 仔細に検討してみると、以下の対照表の通り、その内容にお いても、両者間に顕著な一致が認められることが明らかとな っ た 。日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) (傍線部は文の一致、付点部は内容の一致を示す) ﹃ 慧 日 抄 ﹄ -対﹁二乗之果比量﹂ 問、衆過相何。答、依深密等、 我亦許有定性二乗。拠縁因故因 何論之調相符也。依法花等終無 趣寂。説理心故如前既決。謂違 自教。因法差別。能別二意。謂 定小性与定大性。立者意許定小 性也。定小性名能別不成。敵不 許故。定大相符。他極成故。由 斯不顕言陳意許。小性唯口定性 故。能違云、ゴ剰刻刻非創川倒。 因 喰 知 前 。 : ・ 中 略 ・ : 摂 ? 摂 ? 喰 能 異 │ 岡 知 違 轍 │ 轍 │ 前 云 者・者・ , 晴 眼 即 聖 │ 過 等 有 . 斗 │ 相 必 不 │ 不 │ 者 為 定│巧
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仮 l非 不 我 国 定 定 他 彼 │ 性 二 用故│吃采因
- ・ ・ 中 略 ・ ・ ・ ﹃ 大 義 紗 ﹄ -﹁ 定 性 不 定 性 詩 論 第 五 ﹂ 又汝所立因。知能成立応有定性。 亦能成立所立法差別相違。応無 定小乗之性故。即法差別相違過 失。作相違云、二乗之果。応無 定小乗之性︿宗﹀因喰同前。 若言不定二乗之果。不摂有法。 若爾何摂。為是同輪。為是異輪。 若言問喰。一分所立不成過失。 一分不定。不成所立定性宗。故 若言異輪。即不定過。乗所被因。 -対 ﹁ 所 説 無 性 比 量 ﹂ 問、衆過相何。答、相符違教、 両過知是。汝無智種名目無性、 是我亦許。即立巳成。若拠理心 名之無性、即違自教。剖剰矧教、 仏性等論、真理及心説為正因。 無性有情、畳汝得執無理心耶。 有法無性、是永無性。敵者不許。 調 所 別 不 成 也 。 ・ : 中 略 : ・ 別 不 極 成 過 ・ ・ ・ 中 略 ・ . . 問、因過無過且約初過。凡因明 法有別意許是過方起。既無意許 因何相違。亀毛是無体。何本因 関。故無不定。答、破目、無性 有二。謂時辺与皐寛。立者意許 畢寛無性。故成相違。其亀毛等 転彼不定二乗果故 0 . ﹁ 有 性 無 性 静 論 第 四 ﹂ 又若就縁因。有相符失。以断善 位未有縁因。名目無性。我宗亦 許故。相符過。若拠正因。聖教 相違。浬繋等経。理之与心。名 剥到刷。無性有情。何無理心 問 。 随 一 所 依 不 成 過 何 答 。 我 宗不許。若就正因。而説無性。 是聖所説因。即無所依。即是有 体他随一所依不成過。即顕宗有 他所別不極成過。 彼 本 ・ 問 兎・因・ 角・ 。兎・ 等│有角・4
│
票等
I "T' 盤・ 種│定 '1控│肺体・
吟I~ 性・ 彼│此・無・ 因│義・常 亦│不 関│爾・杢・。 o Rfh 若不爾者。兎角等。将有種姓故無種性故。彼因亦転。猶不定也 問、約後因過、総説無性。彼此 吋刊。因倒村刷。答、制問、到 者智種以為正因。本無法因執為 鮒倒。耐宗利剖。量可極成。州 刻謝及制剰引封同割到。其四十 既別。猶不極成。由知是過 若 言 無 性 彼 此 共 許 。 有 何 不 成 。 此 義 不 爾 。 立 論 行 性 以 為 正 因 。 本 無 此 因 。 故 名 無 性 。 敵 者 不 許 。 故 不 成 過 。 例 知 数 論 。 仏 弟 子 。 共言我能詮其所自体彼此別故有 不 成 過 ﹃慧日抄﹄﹃大義紗﹄のこのような一致を見るに、﹃慧日抄﹄ が﹃大義紗﹄の見解を踏まえた上で著述されたものであるこ とは明らかである。 さ て 、 つ注目したいのは、﹃慧日抄﹄(一二頁対 照表・上段一四行
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)
に見られる﹁二乗の果は定んで小性に は非ず。因と喰は前の知し﹂という比量である。前述の通り、 これと閉じ比量は、﹁二乗の果には応に定んで小乗の性無か るべし。因と喰は前に同じ﹂として﹃大義紗﹄にも立てられ ている。一見すると、これもまた、﹃慧日抄﹄が﹃大義紗﹄ を下敷きとした一例と考えられるのであるが、興味深いこと に、この比量は﹃慧日抄﹄﹃大義紗﹄に先行する大安寺慶俊 ( 七 七01
七 八0
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?
)
の﹃究寛論補闘﹄(以下、﹃補関与にお いて、既に主張されていたものなのである。 こ こ で 今 一 七 ニ 立 づ 量 ヲ 云 夕 、 二 乗 之 果 Z ハ 応 民 有 山 定 姓 一 。 乗 所 被 / 故 z 。 知 コ ト 大 乗 / 者 ↓ ︿ 巳 上 ﹀ 。 此 ノ 義 云 何 ン 0 ・ : 中 略 : ・ 究 寛 論 補 闘 ︿ 慶 俊 / 抄 、 三 論 宗 ﹀ 、 作 ラ 比 量 相 違 寸 云 夕 、 定 性 ノ 二 乗 ハ 、 亦 応 一 一 唯 一 仏 乗 等 / 言 之 所 立 遮 ス ル ︿ 宗 ﹀ 。 三 乗 ノ 所 摂 ニ シ テ 、 非 ヨ 由 仏 乗 一 一 ハ 故 ニ ︿ 因 ﹀ 。 如 弓 不 定 乗 イ ︿ 喰 ﹀ 。 文 作 コ テ 法 差 別 相 違 ゴ 冨 夕 、 ゴ 剰 刻 刻 ョ 刷 副 サ A 司 J 州 司 対 剰 ﹂ 制 叶 ︿ 巴 上 ﹀ 。 @ これは、恵心僧都源信(九四二1
一O
一 七 ) の ﹃ 一 乗 要 決 ﹄ に引用される﹃補閥﹄の逸文であるが、傍線部の通り、前の ﹃慧日抄﹄﹃大義紗﹄と閉じ比量が立てられている。つまり、 日本三論宗における﹃枢要﹄二比量に対する批判は、﹃補閥﹄ ←﹃大義紗﹄←﹃慧日抄﹄といった流れの中で研鎖が深めら れてきたのであり、﹃慧日抄﹄はこれらを指して﹁先賢﹂﹁先 哲﹂と称していたものと考えられるのである。 この一致は、日本の三論宗諸師における﹃枢要﹄二比量批 判の思想的根拠について重要な示唆を含むものであるため、 次にこの点について検討することにしたい。 五﹃枢要﹄二比量批判の思想的根拠
﹃補閥﹄﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄の三書は、 いずれも、唐の法 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田)日本三輪宗における﹃成唯織論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 宝 ( 六 二 七
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七O
三s
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六 頃 ) 撰 ﹃ 一 乗 仏 性 究 寛 論 ﹄ ( 以 下 、 ﹃究寛論﹄)の影響下において撰述されたものであるという共 通点を有している。すなわち、﹃三論宗章疏﹄等には、﹃補 閥﹄の作者慶俊に、﹃究寛論﹄の注釈書として、﹃一乗仏性 究覚論記﹄なる書物のあったことが記されており⑪、前の﹃一 乗要決﹄に﹁究寛論補闘﹂として書名が挙げられていたこと からも、本書が﹃究寛論﹄の注釈書であることは間違いない。 次に、﹃大義紗﹄については、寺井良宣氏が、本書と﹃究 覚論﹄との関連について詳細な比較を行い、その主張の大部 分が﹃究寛論﹄に依るものであることを論証している⑮。ま た、﹃慧日抄﹄については、浅田正博氏が、本書と﹃究寛論﹄ との関連を精査され、本書が﹃究寛論﹄の抄出であることを 明らかにしている9
さて、﹃究寛論﹄そのものには、明確な形での因明が確認 できないのであるが、今回、﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄の﹃枢要﹄ 二比量への反駁と、﹃究寛論﹄との関連について調べたとこ ろ、先学の研究において指摘されている通り、両書には﹃究 寛論﹄の影響が多々確認される。そうした一致の一々を挙げ ることは控えるが、ここで特徴的な例をいくつか示しておき た い 。 これまでに見てきた通り、﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄は共通し て、﹃枢要﹄の二比量に﹁聖教相違﹂﹁相符極成﹂の過失が あることを指摘している。繰り返しになるが、例えば﹃大義 紗﹄の 一 代 J 聖 教 ハ 万 差 ナ レ ト 、 注 シ テ 収 ム ル -唯 , 是 レ 二 蔵 十 日 。 於 3 普薩蔵 4 、 有コ隠密ノ教¥有日顕了 J 教-。若シ拠弓菩薩蔵 J 隠 密 ノ 教 、 及 ヒ 声 聞蔵 4 建 ニ 立 ス レ ハ 比 量 寸 、 宗 -有 口 相 符 -。 我 壱 亦 許2
故1
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何 ト ナ レ ハ 者 、 善 戒 経 、 深 密 経 等 ノ 隠 密 ノ 教 J 中 三 随 転 理 門 ュ シ テ 且 タ 説 コ 無 性 ↓ 。 又 説 そ 無 性 ↓ 是 レ 小 乗 ノ 義 ナ H 。 何 ヲ 以 テ ヵ 得 マ 知 ル ヨ ト ヲ 。 仏 性 論 -二 一 今 、 仏 ハ 為 一 一 小 乗 ノ 人 イ 、 説 付 ト 有 吋 衆 生 Z シ テ 不 レ 住 日 於 性 ﹃ 、 永 = 不 匂 J 般 浬 繋 抗 。 という説や、﹃慧日抄﹄の 依 ヨ ハ 深 密 等 一 て 我 レ 号 亦 許 以 有 コ2
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定性二乗イ。拠ヲ縁因 4 故 ナ リ 。 ・ 中 略 ・ : 依 コ ハ 法 花 等 4 、終 z 無 コ 趣 寂 -。 説 コ ヵ 理 ト 心 す 故 ナ H o @ といった説などがそれで、ここでは、釈尊一代の教法を、顕 了の教と隠密の教に分類し、隠密の教においては、方便とし て定性二乗が説かれるが、顕了の教においては、そのような 差別は説かれないという考え方が背景となっている。 このような思想は、﹃究寛論﹄の全体を通じて確認される もので、撰者の法宝は、﹁教時前後﹂という論理に沿って、釈 尊 一 代 の 教 説 を 前 教 ( 未 了 義 ) と 後 教 ( 了 義 ) と に 分 類 し て い る 。 い ま 、 ﹃ 大 義 紗 ﹄ と ﹃ 慧 日 抄 ﹄ と に 関 連 す る ﹃ 究 寛 その例を示せば@、 論 色 = の文として、 -﹃ 究 寛 論 ﹄ ﹁ 教 時 前 後 章 第 三 ﹂ 難 H 深 密 経 ハ 顕 了 = 説 げ コ ト 空 ヲ 与 -一 後 経 -聞 い 弓 、 存 コ ル ヨ ト ハ 二 滅 寸 与 ニ 後 経 一 別 ナ 目 。 法 花 三 一 品 ハ 所 三 以 ハ ト 未 コ 曾 テ 説 寸 者 、 未 日 曾 テ 遮 コ 二 滅 寸 也 。 即 チ 是 レ 、 法 花 ノ 初 メ テ 遮 コ ョ J 一 滅 寸 、 即 チ 与 -一 深 密 -、 前 後 J 教 ノ H リ ア ル ナ リ o @ 日 刀 -﹃ 究 寛 論 ﹄ ﹁ 権 実 義 例 章 第 四 ﹂ 仏性論ハ破弓稔伽 J 声 聞 地 ノ 五 義 ニ テ 成 -一 立 見 ル ヲ 無 性 寸 名 コ 破 小 乗 執 ↓ 。 文 云 夕 、 仏 ハ 為 一 一 小 乗 / 人 ↓ 、 説 コ ト 一 分 / 衆 生 ハ 決 定 シ テ 無 え 有 ヲ ト 仏 性 一 。 准 コ 2 此 レ 等 ノ 文 一 -、 即 チ 是 レ 小 乗 ノ 中 ュ テ 説 封 一 分 ハ 無 コ ト 仏 性 一 、 大 乗 大 智 海 ノ 中 三 説 日 悉 タ 有 コ ト 仏 性 -。 於 3 大乗 J 中 一 -説 コ 二 分 ノ 無 性 4 者 、 是 レ ハ 随 転 理 門 ニ シ テ 非 コ 大 乗 ノ 義 一 一 o @ な ど が 挙 げ ら れ よ う 。 こ れ ら の 文 に は 、 前 教 で あ る ﹃ 解 深 密 経 ﹄ で は 二 乗 の 実 浬 繋 が 説 か れ る が 、 後 教 で あ る ﹃ 法 華 経 ﹄ で は こ れ が 否 定 さ れ る と 主 張 し 、 ま た 、 ﹃ 仏 性 論 ﹄ を 教 証 と し て 、 無 性 有 情 の 存 在 が 説 か れ る 教 説 を 方 便 の 説 と 位 置 づ け る点など、﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄との共通が顕著である。 日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) ﹃ 大 義 紗 ﹄ ﹃ 慧 日 抄 ﹄ が 一 乗 真 実 を 主 張 す る 根 拠 と し て い る の は 、 ﹁ 本 性 平 等 ﹂ と い う こ と で あ る が 、 こ こ に お ﹁縁因﹂の理解もまた、﹃究寛論﹄と一致する。 ま た 、 ける﹁正因﹂ -﹃ 究 寛 論 ﹄ ﹁ 破 法 爾 五 性 章 第 八 ﹂ 九 z 浬 繋 経 ノ 二 十 八 三 一 で 夕 、 正 因 ヲ 謂 コ 仏 性 ↓ 、 縁 因 ヲ 謂 コ ト 発 心 ↓ 。 文 云 , 、 正 因 ハ 当 一 一 本 性 づ 、 縁 正 因 ハ 平 等 ナ 1 0 @ 正 因 ヲ 調 日 衆 生 ↓ 、 縁 因 ヲ 謂 コ 六 度 ↓ 。 因 ハ 当 一 一 客 性
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。 故 ェ 知 ン ヌ 、 -﹃ 大 義 紗 ﹄ 又 若 シ 就 弓 縁 因 一 -、 有 コ 相 符 / 失 -。 以 円 断 善 ノ 位 ニ 来 日 レ 有 コ 縁 因 -、 名 ヶ テ 日 コ ハ 無 性 ↓ 、 我 J 奇 亦 許 真 。 故 ュ 相 符 f 過 7 0 若 シ 拠 コ ハ 正 因 一 -、 聖教相違ナ90浬繋等 J 経ハ、理ト之与円心名手為コ正因↓。無性有 情 ュ 何 ソ 無 コ ラ ン ャ 理 ト 心 ・ 。 -﹃ 慧 日 抄 ﹄ 汝 ハ 無 コ ヲ 智 種 一 名 ク テ 日 コ 無 性 ↓ 。 是 レ ハ 我 レ モ 亦 許 見 。 即 手 立 己 成 ナ リ 。 若 シ 拠 コ テ 理 ト 心 ↓ = 名 コ レ ハ 之 無 性 ↓ 、 即 チ 違 コ 自 教 一 -。 浬 繋 等 ノ 教 、 仏 性 等 ノ 論 、 真 理 ト 及 ヒ 心 ト ヲ 説 キ テ 為 コ 正 因 ↓ 。 無 性 有 情 ヲ シ テ 、 山 宣 汝 ハ 得 ゆ ャ 執す 2 ト ヲ 無 コ ト 理 ト 心 -耶 。 ③ 以上のように、 ﹃ 枢 要 ﹄ 二 比 量 に 対 す る ﹃ 大 義 紗 ﹄ ﹃ 慧 日日本三論宗における﹃成唯識論掌中枢要﹄の二比量への反駁(吉田) 抄﹄の反駁は、その思想的な根拠を﹃究寛論﹄に求めている のである。このことから、日本の三論宗における﹃枢要﹄二 比量批判は、﹃究寛論﹄を拠り所としながら、﹃補閥﹄←﹃大 義紗﹄←﹃慧日抄﹄といった流れの中で、先学の見解を踏ま えた上で研鎖が深められていったと考えられるのである。
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おわりに
以上、﹃枢要﹄の二比量に対する日本三論宗の反駁につい て検討を行ってきた。最後に、本稿における検討結果をまと め て お き た い 。 ﹃枢要﹄の二比量は、定性二乗・無性有情を証明せんとす るものであったため、その妥当性を巡って、一乗真実を主張 する諸師との間で論争が行われた。この問題に対して、三論 宗からは、玄叡の﹃大義紗﹄、円宗の﹃慧日抄﹄がそれぞれ 批判を加えており、両書ともに、﹃枢要﹄の比量の過失を指 摘し、その主張の成り立たないことを論述している。 さて、その際にこの両書は、因明の作法をもって﹃枢要﹄ の二比量を批判するのであるが、興味深いことに、ここに用 いられている因明作法には両書間での共通が見られる。すな わち、両書の挙げる﹃枢要﹄二比量の過失は多く一致してお り、また、その具体的な内容についても共通しているのであ る。このことから、﹃慧日抄﹄の説は﹃大義紗﹄の説を受け て述べられたものであったことが知られる。さらに、今回の 検討によって、﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄が﹃補閥﹄の説を受容 していることが判明した。つまり、日本の三論宗における﹃枢 要﹄の二比量批判は、﹃補関﹄←﹃大義紗﹄←﹃慧日抄﹄と いう流れの中で研鎖が深められてきたものであったことが知 ら れ る の で あ る 。 また、﹃補関﹄﹃大義紗﹄﹃慧日抄﹄の三書は、いずれも﹃究 寛論﹄の影響を受けて撰述されたという共通点をもっている。 これは、﹃枢要﹄の二比量への反駁についてもいえることで あり、三論宗の諸師が思想的な根拠としているのは﹃究寛論﹄ の一乗義であった。このことから、日本三論宗の﹃枢要﹄二 比量批判は、﹃究寛論﹄の一乗義をその根拠として受容し、 かっこれを整理した上で展開していったものと考えられるの である。この点、﹃究寛論﹄そのものには因明の作法が明示 されていないことを考えると、﹃究寛論﹄の一乗義を受けな がら、これを因明作法に整理したというところに、日本の三 論宗諸師の発揮を見ることができよう。註 ⑬ ⑫ ⑮ ⑮ ⑭ ⑬ ⑫ ⑪ ⑩ ⑨ ③ ⑦ ⑥ ⑤ ④ ③ ② ① 寺 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 井 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 良 五 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 四 四 宣 五 四