7月4日 奈良県生駒郡三郷村大字立野 竜田神社 風鎮祭
延喜式巻 8 の龍田風神祭の祝詞によれば五穀不作の原田を神占したところ作物が悪き風、荒き水に会って実らな いので、天御柱の神、国御柱の神を朝日の日向う処、夕陽の日隠る処の龍田の立野(テチヌ)の小野に祀って明妙、
照妙、和妙、荒妙、五色の物、楯、才、御馬を奉って祈ればよいとのことであったという。
奈良県では台風は大抵西南の方向から来る。「雲が春日詣をすれば雨」という俚諺がある。台風が金剛、高城、二 上山の所謂金剛山脈の壁にぶつかり、押戻された力が亀瀬の渓谷を突破路として、その北の生駒山山脈の壁との間 を突抜けて、吹込む力を正面に受けて立つ所が立野片岡である。台風の筋に当る丘陵の突起部がどのような状態に なるかは、今も昔もあまり変らないであろう。鋭利な鎌で薙倒したように千切られる樹々、ブルドーザーでえぐり 取られたように剥れる表土など、伊勢湾台風の時の伊勢内宮を想像できぬことはない。その地点に風神を斎いて風 鎮を祈願することも古くからの信仰であったであろう。
更にもう 1 つ、二上山の南側を大和から河内へ越える竹内街道は*儀礼の葬列の道でもあったという。当麻上り 東条に至る道であった。
と同時に書紀の推古天皇21年10月の条に「自難波至京置大道」は聖徳太子自身が遊行し、又西海道節度使藤原 宇合も通った。立野、高山、雁多尾、青谷を経て国分、高井田に至る竜田道が、人の通う道であり、旅の安全をま づ竜田社に祈願したであろうと想像される。
別に王子の東北竜田町に竜田神社があり祭神を天御柱、国御柱の2神とし、他に竜田比古、竜田比女を祈祀する。
伝える所によれは法隆寺建立のとき伽藍の鎮守として、この地に別当坊を置き本宮の 2 神をこゝに勧請したものと いう。この竜田神社は法隆寺の竜田会が行われた所で、風祭には関係がない。
現在、風鎮祭は午前11時より祭典が行われる。神殿は2柱、社殿も2あるが祭典の幣はその中央社殿の後の丘に 向って立てる。神饌と共に2つの絵馬を献じる。左右、それぞれ向合った白馬の絵馬である。
巫女神楽、剣の舞がある。後、午後 1 時より延寿神楽といって大阪から来た巫女神職によって、湯立神楽を拝殿 前の広場に設られた斎場の釜の前で行う。
別に同じ神庭、右側の空地に蓆を敷いて、伊勢大神楽がある。担ぎ込まれた神楽殿によって、桑名市大夫村の池 田、安田市太夫の組であることを知った。安田組は毎年今日の風祭に奉納し、明 5 日からは、檪本周辺の村のさの ぼりに廻るという。その後は河内の1部を廻って、次いで和歌山県の久度山周辺に廻るのが盆になるという。
始め獅子舞1頭2人と笛1人とが拝殿に昇って鎮めの舞を1曲演じ次いで蓆の庭に帰って、サヽラの入る鈴の舞 をやり、その後は放下芸を数曲やった。この組は放下が得位らしい。それにちゃりとの万才風の芸が古風ながら、
しっかりとやった。