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4 月 19 日 島根県簸川郡佐田村 須佐神社 龍王の舞

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4月19日 島根県簸川郡佐田村 須佐神社 龍王の舞 朝覲祭 4月18日、島根県飯石郡須佐村、須佐神社

摂社天照神社へ神幸の儀。

神馬、白杖、延導幣、獅子、随神神職2、大幣棒持、指羽。

神輿、大刀、神職2、大幣棒持、宮司、大刀、靴、大傘。

天照神社へ到着すると神殿正面に神輿を奉安し、その中間に神饌を献じ、祝詞、神楽。

須佐男彦が天照大神に朝覲を行う形を祭とする 陵王舞神事 4月19日、同所

鳥烏帽子を戴き五色の狩衣をつけた舞人の五段の舞。

第一段 女面が饌を持ち 羅陵面(蘭陵王面)は鉾を持って舞う、

第二段 青地面、剣を持つ 第三段 女面、三宝に水 第四段 鼻高面 三宝に籾 第五段 鼻平面、剣を持つ

雅楽の陵王の曲のくずれて伝ったものと見られる。

陵王の曲は印度から中国に伝った舞曲で、龍の甲を被って 1 人で舞うもの。我国では朝廷の賭弓、競馬、相撲の 節会に舞った。その答舞には納蘇利が用いられた。龍王と書くのが正しいので須佐でも龍王舞という。

百手神事 4月19日、同所

陵王舞神事のあとで行われる。素鵝川を隔てゝ的を掛け、百手職に当った神職が弓矢をまづとって天地 4 方を拝 し的に向って弓1手(矢2筋)を射る。次で神職、有志もと的免と称える神田があった。

百手は矢数200本を百度に射ることを意味する弓術の語。19日の神事は正午頃に始まる。ホテルから照会して呉 れたのであるがその返事に、遠方から見に来る人があれば引伸してもよいとのこと。全く悪天候の中を特急松風で 出雲市に着いてホテル影山へ行くなりその伝言を聞いたので、宿から「これから行く」と電話をして貰っておいて ハイヤーで駈けつけた。約30分、神社では龍王の舞のうち前三段の舞をやった後、神戸の喜多という人が来るらし いからと、あと二段の舞を後廻しにして、先に百手の神事を進め、それが終ったとき神社へ駈けつけたことになる。

全く以って申訳ないことをした、村長、教育委員長が私を待っていたような次第で、早々神事次第の覚書を見せて 貰ってそれが終ると残りの舞をやりませうということになる。正面の拝殿の奥に中庭があって神殿となり、左側に 渡り廊下があるが、その奥の神殿内である。

舞は五段に行われていた、がそのうち第一段から第二、第三段の舞が済んで、百手の神事を先に進めることにな り、百手の神事が終了して、これから、第四段と第五段の舞を改めてすることになっていた。但しこれは、どうも 特別の計いで、舞を後に残して貰ったもののようである。囃しは、吊太鼓と六孔の笛であった。笛は 2 人、但しそ のうち 1 人の吹奏した笛は少し長くて違うものらしく、写真を撮らしてもらったときその笛は写さないでくれとの 注文であった。楽人も狩衣をつけ、鳥兜の烏帽子を冠る。

第四段の舞は女面の一人舞であって採物は鈴と榊であった楽も舞振も、どう見ても神楽のようである。神前の案 には鼻高面と剣が置かれてある。

舞振は3歩に踏出す。まづ右足を前に進め、かがとに左足の爪先をよせ、次に左足を1歩進めて、かがとに右足 の爪先をよせる。次に右足を出し左足をよせて揃えて立つ。楽に合せ、捧げた鈴をその節毎に振る。これを繰返す のであるが左斜前方に進み転じて右斜前方の位置へ、再轉してもとの地位に帰る。三方の舞であって轉進するとき 僅かに両手を左右に拡げるのである

第五段は鼻高面の一人舞であった。最初舞人素面で案前に座し、拝をして鼻高面と鉾をとり、1度楽屋に退いて面 をつけて再び出場する。囃や舞振は第四段の女面と殆ど変らなかった。

楽及び舞人は須佐に住む10軒の社家と称する家筋のものが演ずる。

百手の神事は須佐神社の鳥居の前、道路を距てゝ向う側にある摂社天照神社の前庭(前日の神幸式の際神輿を駐 輦させる所)右よりの所を射場として行われた。すぐ下を素鵝川が少し崖となって流れているが、その崖の端に四 隅に忌竹を立て注連縄を張巡らし、新筵を敷く丁度その対岸、築堤工事のしてある所に的をかけ、川を距てゝ的ま

で約10m。弓矢は普通の弓術用のもの。

社家は須佐神社の曽っての祭祀執行者ではないらしい。社家は昨18日の朝覲の儀式に於ける神幸式に先駆を始め、

旗、鉾、弓、杖等を棒持して供奉する夫々の役目を権利として持っていた家筋のようで明治年間にそれ等の家筋に 對し、その供奉権を再確認する文書が神社から出ている。

(2)

なおこの他に須佐神社では8月15日午後2時から行われる切明神事というのがある。社伝によれば神功皇後三韓 討征のとき朝鮮人、この踊りをして送り、これを須佐に伝えたという。

一種の念仏踊とも考えられるもので、大旱祓のとき雨乞等にやったものらしい。旧図によれば、村人が花笠を被 り、鉦、太鼓、鞨鼓を打ちつゝ輪をなしたもののようで、踊り終れば見物人は争って花笠の花を奪ったもののよう である。鎮花祭などの田の実を祈願する行事が、雨乞祈願行事となり、念仏踊の形式をとるようになったものと思 われる。

囃歌が残っていて、次のようである。

ハイ ナン モウ ネン ノウ ヲイ

ハイ ナン モウ ヒイ イン デン ヱイ ヲイ 鳥取県出雲国飯石郡須佐村大字宮内字清地鎮座県社須佐神社古伝祭陵王百手切目神事起原沿革取調書陵王の舞の事。一、起原不詳。一、沿革なし一、舞名称陵王ノ舞。又龍王ノ舞トモ称ス一、式場正面高机ヲ置キ御幣ヲ立玉飯及神酒、洗米、水を備フ一、装束及楽器、五色狩衣、鳥烏帽子、大鼓、小鼓、太鼓、大鼓*横笛、鉾剣男面女面羅陵面(楚面トモイフ)舞台(二間ニ一間ノモノ)但大浮橋ト称ス一、舞五段古書ノ写天浮橋瓊*面青地手ニ剣ヲ持羅陵面鉾ヲ持諸尊国踏鎮之段面青地手ニ剣ヲ持冠天冠ニ御正台ヲサシ三宝御酒洗米元水天照大神行事三部御祓三人白千早 差シ上ニ千早 三宝ニ土器五ツ米、粟、麦、稗、豆 保食命手ニ切麻散米土器五ツ冠面鼻高 五部臣手ニ榊錫ヲ持鳥甲ヲ差シ 面鼻平

後段幣舞 成就巳上一、伝説諸冉ニ尊天ノ詔鉾ヲ以テ滄海ヲ搜リ玉ヲ形諾ノ神国踏鎮メノ形天照大神、天臼女命及ヒ天七夕比売命ヲ従ヒ玉フノ形、保食神稲種ヲ蒔玉フノ形五部臣(天児屋命、大玉命天鈿女命、石凝姨命玉屋命以上五部臣)天孫降臨供奉ノ姿ナリ一、別紙図面ハ目下ノ形容ヲ画カゝセタレハ古書ノ写ト異処アルモ実際不得止也 百手神事之事一、起源不詳一、沿革維新後中絶ス一、名称百手神事一、式場ノ仕構須賀川を隔テ的ヲ掛ケ式場ヲ設フ、式場ニハ荒筵(長サ壱間巾三尺)ヲ弐枚敷ク、的ハ経三尺六寸、 円形ノ的ヲ設ク的ノ四方ニ竹ヲ立注連縄ヲ張リ筵ノ側ニ壱間半四面ノ置座ヲ設ク、神棚ヲ飾リ、国造自ラ天下泰平国土安穏ノ祈念ヲナス終リ而手職(下職四人ノ内年番之ヲ為ス)式場ニ入リ弓箭ヲ*刀ヲ天地四方ヲ拝シ八方を払ヒテ的ニ向ツテ矢*手ヲ射ス次ニ下職社人交々射的ス一、装束及弓矢八ツ藤袴、狩衣(色定メナシ)立烏帽子白木弓壱張白羽矢壱手外ニ適宜備ヘ置ク一、秘称百手職ノモノ之レヲ唱フ一、伝説須佐之男命根ノ堅州国ニ於葦原ノ色許男ノ神ノ庶兄弟八十神ノ悪事ヲ払ハシ為メノ神慮ヲ以テ大野中ニ鳴鏑矢ヲ射放チ即チ葦原ノ色許男之神ヲシテ其矢ヲ取ラシム此古事ニ依テ世ノ中、悪魔ヲ払フノ神事ナリ(以上世々国道家ノ申伝)一、神事月日前ニアリ之ヲ略ス

(3)

ナア マミ タウヤ タウヤ タウヤ 以上の神社保存の神事文書は奥書に

右三通相違無之候也 明治二十五年五月 県社 須佐神社祠官 須佐建眞

とあって例えば切明神事という踊の名称についても

宝亀年中ノ頃は切明神事ト称シ居ルト旧記ニ見ル、然レトモ天徳年中ヨリ大念仏ト又旧記ニ見ル、世人ハ之レ ヲ念仏踊ト何時ヨリカ呼ヒ当須佐神社ニ於イテハ切明ノ神事ト称ス

とあって神仏両部集合よりの名なるべしと濁している。須佐神社は可なり古くからの古社であって、国造家が祭祀 者として世襲し、社家という十数家のものは特にその神事に関係する権限を持つていたらしい。現在使用していな い蘭陵王の面が残っている所より見ても陵王舞、その他雅楽が入っていたことも考えられるが、本日拝見した。二 段の舞はその舞振りは極く簡略化された巫女神楽の数節を踏襲しているのみと思われる。

問題は 8 月にあるという切明の神事が、絵で見た所、念仏踊と思われるが、これが、どのように神社の境内で演 じられるか、又その出演者は誰かは興味のある問題である。

参照

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