3月21日 三重県多気郡勢和村宇庄道 片野八柱神社 長竜の神事
八柱は出雲の神というのみ。八柱神社はもと他へ合祀して氏神はなかったが、そのときも長竜はやった。最近分 霊して、もとの氏神趾に八柱神社を設けて、こゝで毎年3月21日長竜の神事をする。片野現在75戸、長竜の神事 執行のため12組に分れているが、そのうち戸数の少ない組があって、一しょになり、現在大体10組、年番、10年 に1回巡って来て同じ組のものがやる。忌の家は参加しない。
祠の前に雄(左)雌(右)の獅子頭2つを左右に置き、その前に、こびら餅を供える。
獅子舞は午後3時から始まる。こゝでは長竜(チョウロ)という。雄(1本角)の獅子頭を持ち、紺縞紋様入りの 麻の後布を長く後に引き、その中へ組の男(壮年、青年及び少年皆)入るだけ押合って入っている。
獅子頭の前に天狗(赤面という)たっつけ穿き、烏帽子、扇を持つ。後布の端は組となり、その先を他の 1 人が 持つ(尾とり)これを黒面という。黒面はたっつけ、棕梠のかつらを被る。右手に杉の小枝。赤面黒面とも背に薦 苞様のものを襷に負う。これを注連縄という。他に、をかめ面1人、女装、やはり杉苗を持つ。時に、杉苗で後の2 人は後布に入っているものの頭を打つ。
囃しは大太鼓1つ、舞の基本方式。赤面を先頭に、獅子頭、後布に入っている大勢、次に尾とり、おかめの順で、
祠の前から鳥居を潜って、境内の広場に出1度止まって、更に右廻りに祠の前へ入る。
この1巡りを5回繰返して、赤面は祠の前の石段に腰を下して休み獅子は頭を戸板の上に置き、後布はその後に 跼む。このときも尾とりとおかめは後布の出張っている所を杉葉で打つ。
これを舞の1節と見ると、1節約15分、これを5節に舞う。
第1節、は鉄棒という。赤面が棒をとり4方を鎮める。スサノオの歩測の様を現わすという。鳳来寺の棒のらん じを思はせる。終ると基本の舞の1節5巡となる。
第2節はお供えという。獅子が4方を拝し、お供への餅を長箱に入れたものを口で咬えて祠へ供える。次に鳥居 の右脇に設けてあった割竹の御柵を口で咬えて舞い始めとなり基本舞にかゝる。咬えた御柵はすぐ崩れて散らばっ てしまう。
第3節は払竹という。赤面、内庭より長さ約5米程の篠竹2本を束ねて、先から5ヶ所に紙幣をつけたものを担 いで現われまづ祠の前で担いだまゝ左右に半片身を振り、ついで境内に出て竹を大きく振廻す。そのとき村人が 1 人(平服)現はれて、その竹を途中より2つに折る。赤面はそれに関らず舞ひつゞけ途中で1度肩を替えるだけで、
篠竹を内庭に収めて次いで基本の舞にかゝる。
第 4 節は尾とりという。基本の舞から始まり、尾に入っている小さな少年は追出し、青年や壮年のものが大部分 入って、終りに祠の前で踞ってしまい中から後布の端をとって中へ巻込み、尻尾も中へ手繰り込んでしまう。赤面、
黒面、おかめが布の上から、盛んに杉の枝で打ちつゝだんだん前の方へ詰め込ませ、足や手や首の出たものは、よ うしゃなく引ずり出して後から後布を巻いて詰めてゆく。次第に引張り出されて、残り少なくなったとき、赤面が 獅子の上を飛越えて終る。
第5節は基本の舞。終るとき一同、内庭へ馳け込み、獅子頭をもとの所に置いて終る。
この舞に用いるのは終始、雄の獅子頭で、これはスサノオの大蛇退治を模していたものという。
雌獅子の方は飾ってあるだけで、終始使はなかった。もとは雌獅子の方も使ったが、これは12組とは関係がない らしい家が定まっていて、正月を中心に門付けをしたが次第にやるものが減り、一時は3月21日の祭りに長籠の神 事と一しょにやったこともあるが、それもやれなくなり、今は笛を吹いた人が1人残っている。
もとは曲目に四車の曲、大神楽、扇の舞、剣の舞、乱曲などあって正月には各家を巡り、各家では簡単に、特に 厄年の戸主に当る家では頼まれて宿を勤め、昼食を戴いて全曲をやることになっていた。これは伊勢神楽であった らしい。
長籠の神事。今年の組は中郷組。
尾とりは背中に着物を畳込んでせむしの格好に着付をする。腰に大きな煙草入れを下げる。おかめはハンドバッ グを持っている。後布に入るものは主として組のもの、他の組のものも子供は時々入るが別にとがめることはない。
後布へは皆で25人程入れる。