4月18日、京都府亀岡市千歳町、出雲大神宮
祭神、大国主命、三穂津姫、和銅2年(709)創立。
神社に行われた風流 花行事神賑 雨乞風流事 雨悦風流事
花行事神賑は宮司家が出雲から赴任のときの行列に模して神事式を行ったもの。風流練物、花踊(長禄 3 年の古 文書にあり)、他に寛保2年の「見物桟敷争訴状」。練物の図版が神社に残っている(丹州馬路村花踊、練物番附)・・・
俗に「千雨踊」といった。別に明和4年9月16日の「馬路村雨請立願による河原氏練物囃子」なる古文献あり。
現在は練物は廃絶、花踊のみ残る。花笠を被ったようである。
2列縦隊、新発意、笹葉のついた若竹を持つ、踊手、太鼓と桴。
新発意は素襖大紋、踊子各称を披露し歌う。
「恋の踊、この新発意が中に立ってソロリソッとお揃い申そう」
曲目には、
入葉、お伊勢踊、長者踊、正月踊、御殿踊、恋の踊、大仙踊、一の宮踊、播磨踊、名所踊、姑踊、但馬踊、商 踊、暇踊。
祭典の次第は、午前10時より
修祓、御扇開、神饌、祝詞、神面を案上に置く、翁の舞、花踊を奉る。
翁の舞については神社の覚書「神拝日要次第」に、
十月翁ノ舞ヲ奉ス とある。
明治維新前には10月20日以後の子の日又は午の日の何れか1日を選んで行った。「オメンカケ」又は「オメンタ ラリ」とも称した。出雲神社は寿永年間蓮華王院の支配下にあって、蓮華王院の給養した咒師猿楽(丹波猿楽)が、
神社でも奉納されたらしい。
又毎年半夏生の神事湯立をする神子が何時も「矢田」家を宿所として参勤したと伝えられている。
昔は千才村に翁の家として舞を司る家があってやったが、それが絶えて翁の面も失われた。昭和 8 年頃、芥川家 から翁面を神社に奉納し、神歌面の式の形を整えたことがある。
丹波一宮出雲神社花祭次第並風流花踊唄 入葉
老せぬや、薬の名をも菊の酒、イヤサッ、盃も浮み出て、ともに逢ふぞ嬉しき、また共に酔ふぞ嬉しき。
一の宮をどり
千早ふる、ふるちはやふる、ハアソリャ神のお庭でいさごふる、ハアソリャ 出雲をどりは有難や、目出度や の、日麦(?)は出雲のおやしろよ、今日はお宮の花まつり、いざや人々こりをとろ 葭に実のなる世の中よ、
山にかねふる、里に米ふる、内にはしらげの米がふる御作は親に子がさき、子に子がさきて、目出度やの、杵 づきは稲三束で、米五斗五升五合ある、桝と斗かきと箕ゆれば、国の世の中ゆりなおす、是迄よ
恋のおどり
おれは御所の横笛よ、イヤ御所の内をばしのび出てイヤ、つれてござろか嵯峨の奥まで、嵯峨の奥まで、イヤ、
恋の路はよしなやの よしなやの 二人の親の御意をもして、連れてござろか嵯峨の奥まで 嵯峨の奥まで 踏もならぬ道芝を、すそは露で、たもとは涙で、濡れてござろか嵯峨の奥まで 嵯峨の奥まで、恋の路は、よ しなやの よしなやの
人の心は情なや、瀧口とめてくれもせで くれもせで人は鬼もいへ 角もいへ おれも瀧口水いらず、是迄よ 正月おどり
正月には又かどに門松、七五三かざり、内にはしらげの米がふる 二月には又つばくろが
自在小かげに巣をかけて、銭米こたれとお三度すへづる、三月には又桃の花祝の御所へ参るとの、四月には又 卯月八日の花おりに 神に捧げてまいらする、五月には又ごごら五日の若菖蒲 館ふんしまはると、六月には 又夏せみが、高きこずえをとりのぼり私等も時の音を出す。
七月には又七夕の、年に一度のちぎりとて、天の河原で出合はるゝ 八月には又放生会神々の、いかなる神も 駒くらべ九月には又菊の花、祝の御所へ参るとの十月には又小池の上なる薄氷り、唐のかがみに左も似たり霜 月、師走は鬼宿とて京も田舎も嫁取り婿取りはやりそろオンヤ、是迄よ
長者おどり
ハワリ長者やかたはにぎやかな/\クヤシタツ、東の小山をながむれば、松に唐木を植まぜて、杉に桜を植そ えて、檜に紅葉を植ならべ 五色の山の見事さよ、アソリャ長者踊りはにぎやかな/\
さ本の花畑なかむれば、牡丹しゃくやくほげの花、大菊白菊玉つばき、さても見ごとな花畑よ長者おどりはに ぎやかな/\、南長をなかむれば、すわまに池をほらせつゝ大船小舩うかへさせ綾や錦でかざりたて、御船あ そびと打見ゆる、長者踊りはにぎやかな/\
西の御蔵を打見れば、米百石つみかさね、銀か俵につみてある、長者踊はにぎやかな/\次の御蔵を打見れば、
結布蔵とぞ打見ゆる、舟しらかべに内くろゝ、かなぐをつかひし相からす、長者おどりはにぎやかな/\、*
の御蔵を打見れば泉わく/\酒のく*、大つぼ小つほすへならべ、山川の水を汲こどく、長者おどりはにぎや かな、是迄よ
音頭取り1人、新発意2人、踊子10人。※
現在は千歳部落49軒の青年会に入っているもの誰でも参加する。
◎中老は裃を着け、朱紙の大きな扇手を手にする。新発意及び踊り子は何れも袴を着け、白襷を掛ける。新発意 の持っている桴は桐で作り先に赤く染めた麻の飾房をつける。
笛吹きは家柄の比較的よいものが選ばれる。昔は特に笛の家とて定ったものがあった。単調で調高く*びたもの。
明和4年9月16日の花踊練物行列に関する新しい資料 花踊
練物行列
先行灯(灯)外題梅の台 だし幣三本
一番 梅干 能仕立の翁、着付水色ちりめん、赤地錦大口、水衣中□(呂?) 清吉 二番 継梅 黒繻子ノ半切り、花色ちりめん、丸くけ帯、鳥尾、奴子(奴)仕立 三治 三番 梅若 児仕立茶筅髪、黒ひろうと振袖、桃色繻子の指貫、小刀、柳の枝 平治 四番 信濃梅 田舎侍仕立、着付鼠繻子、黒繻子の長羽織、大小、傘に雪、下駄 仙蔵
五番 江南梅 弁慶仕立、花色錦半てん、紅の鉢巻、小手脚当テ、大太刀、制札、黒繻子の大丸くけ帯 情蔵 六番 梅王丸 着付白無垢、白ぬめの白張、紺綿、さしぬき、烏帽子、鞭、舎人仕立、武者わらす(草鞋) 善 吉
七番 箙の梅 梶原源太仕立、緋威鎧、小手脚当、赤錦の半大口、紅ノ鉢巻、白梅、さしもの、矢ヲ負、陣笠、
抜身を持 弁蔵
八番 梅ノ由兵衛 (略する) 小吟 九番 梅ヶ枝 お婦見(ふみ)
十番 冬籠り 文治
十一はん(番) 庭梅 善治(五才)
十二はん 軍御梅 又吉 十三番 好文木 十蔵 十四番軸 軒端梅 小琴
右、青天井、朱の子持、筋田傘、床几持、唐更紗、染半纏、たんたら筋丸くけ帯一様、各一人つゝ はやしかた
三弦(絃)四人、庄兵衛、跡(後)三人やとひ
太鼓台に向ァま也紅白幟七本立ル 二人 七右衛門、徳右衛門 鉦摺、七人、清台、良益、久意、茂八、元洞、常吉、久米八 小鼓、三人、茂兵衛、吉三郎、勘右衛門
水色絽の覆面、頭巾、黒加賀の袷黒ちりめん、羽織、黒帯緋ちりめん、ぢばん、鼠ぬめの襟、紅鬱金足袋、八 幡黒の二階草履
右十六人一組也、紅梅ノ木ニ根笹白砂處
屋台、人形、梅妃唐ノ後、水引緋ちりめん、堂三方柴垣一方明ル、台巻紫ちりめん、下巻幕、屋根美濃紙張り 明り障子油ラ引叶
咲たらな、竹の春にも梅薫ル 鳳花軒 明和四年丁亥九月十六日 頭取可楽 作者止角
花踊笠之仕紋 河原七兵衛扣
笠ハ常之竹の子かさ張テ用、中込九寸廻リ長サ七寸位四所結ヒ穂ニ杖長サ五尺二三寸大法貝合四拾八本より五 十本指す
小花一本ニ十五より十七八咲ス葉ハ五枚斗ニ而よし
青紙心ハ五寸より七寸之牡丹十七八本ニ而よし廿本もさすへし
小花拵やう一寸七八歩岩国半紙一枚廿四ニ切ル割合二枚重ねてちゞみかけ赤紙の軸ニ而つなぐ小花数へ百六七 十拵へし軸之中へゆらしべをひねり込む。糊少しづゝ付く
踊子三道具扇子あや手ぬくひ手をゝい、筒きやはん足袋武者わらじ