書 館 文 化学 と 生物
化学と生物 Vol. 50, No. 8, 2012
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いつの頃からか,古代中国思想 医(薬)食同源 (Medi- cine and food share a common origin) がわが国にも伝わっ ていた.一方,ギリシャの医師 Hippocrates (460‒377 BC)
は Let food be thy medicine and medicine be thy food
(食を汝の薬とせん,薬を汝の食とせん―私訳)と述べたと いう.洋の東西を問わず,昔から,食に対するこのような見 方があったことはたいへん興味深い.しかし食の学術的研究 が本格的に開始されたのは20世紀に入ってからであった.
しかも研究の主な対象は栄養の科学と味の科学であった.
今年(2011年)はわれらの大先達・鈴木梅太郎博士が米 糠からビタミンB1(というよりもビタミン第1号)を発見さ れて100年目(1).これこそが日本の 食と健康 ,ひいては 食と生命 の研究事始めといって過言ではあるまい.同じ 頃,池田菊苗博士は昆布から旨味物質l-グルタミン酸ナトリ ウムを発見,近代食品工業の礎を築かれた.第二次大戦後に 活性化した食品の色・味・香り・物性(テクスチャー)の科 学のルーツはここにあるといえよう.
こうしてわが国の,そして世界の食の現代科学は栄養とお いしさの究明を主軸にして発展してきた.その中で農芸化学 分野での当該研究は栄養と嗜好の 特性 の物質科学的解 析・開発を主要な標的としたのであった.
20世紀後半,自然科学は 生物 の時代に入った.物質 科学基盤の 特性 をパラメーターとして発展してきた食品 科学にもこの影響が色濃く現れ始め,食品成分がその標的で ある生体にどのように働きかけるかが,研究の大きな関心事 となって浮上した.
この働きを 特性 に代わって 機能 という言葉で表現 し,食品研究の新体系を構築したのが文部省(当時)の大型 科学研究費の助成による国家プロジェクト
① 「食品機能の系統的解析と展開」(藤巻正生代表),
② 「食品の生体調節機能の解析」(千葉英雄代表),
③ 「機能性食品の解析と分子設計」(荒井綜一代表)
であった.ここではまず,食品の新しい分類法を定義して研 究が進められた.私たちの健康を栄養面から維持・増進させ
る食品の働き(一次機能),嗜好に関わる感覚面での働き
(二次機能),そして通常の栄養の領域を越えた,いわゆる非 栄養性食品因子による生理学面での生体調節の働き(三次機 能)の3つの類型がそれである.
こうして誕生した食品機能論が目指す主要な研究対象は,
食の乱れなどが原因の生活習慣病とくに代謝疾患である糖尿 病,脂質代謝不全,肥満など,免疫疾患ともいえるアレル ギー,がん,感染症などを,食の改善によりどのように一次 予防するかであって,①②③(前記)は,これを医農連携に よって推進する世界的にも初めての体系的研究であった(2). このコンセプトの応用として研究班の提出したのが機能性 食品で,その最初の具体例として創出されたのが低アレルゲ ン米であった.これはその直後,厚生省(当時)が管轄する 特定保健用食品(国の審査を経て効能表示が許可された機能 性食品)の第1号となった.以来,続々と機能性食品の解 析・開発が行われているが,その鍵となる成分は主に 非栄 養性 に分類される(表
1
).科研費の研究から発祥したわが国のこうした動きを,
(1993)(3) は 日本は食と医の境界に踏み込む (Japan explores the boundary between food and medicine) と報じ た.これが各国に与えたインパクトは大きかったようだ.日 本が世界を動かした数少ない事例の一つであろう.このよう にして,わが国は諸外国から追随される立場になった.国内 の大学のカリキュラムにも「食品機能学」が現れ,若き学徒 に 食と生活習慣病予防 のリテラシーを啓発する文部科学 行政が始まった.
一方,ライフサイエンス分野では今世紀に入るや否や一つ の画期的出来事があった.ヒトのゲノム計画の一応の完了が それである.その応用として2002年,食品・栄養研究分野 にニュートリゲノミクス(栄養ゲノム科学)が誕生した(4). 一つの栄養素または まるごと 食品を摂取した生体の特定 標的部位たとえば肝臓,腸,脳などで,2万を超える種類の 遺伝子のうちのどれがどの程度に上向き調節 (up-regula- tion) を,どれがどの程度に下向き調節 (down-regulation)
食品機能論
その学術的広がりをたどる
荒井綜一
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を受けるかの計測が,DNAマイクロアレイ法の利用と高度 の統計解析の駆使によって,実施できるようになった.いわ ば 食品機能のDNA診断 の実現である.ほぼ同時に,日 本国際生命科学研究機構 (ILSI Japan) というNPO法人が東 京大学に「機能性食品ゲノミクス」という名の寄付講座を開 設した.実態は産学連携コンソーシアムであって,20 〜 30 社の企業の研究者たちが大学スタッフ・学生と共同で,それ ぞれの関心食品の機能を評価している.すでに国際誌に多数 の論文を提出し,海外からも注目されている.
この背景に,文部科学省の科学技術振興調整費の助成によ る大型国家プロジェクト「食品中の非栄養性機能物質の解析 と体系化に関する研究」(荒井綜一代表)があった.ここで は,機能性食品の効果が多角的に解析された(5) (図
1
).とり わけ,ゲノミクスの導入は食品という多成分複合系が示す トータル機能を,各論的・断片的にではなく普遍的・網羅的 に評価する上で大きなメリットになった(6).この流れの中で出された最近の研究でとくに興味深いの は,オレンジなどのアロマ成分の一つである -(−)-リナ ロールをかがせただけでストレス遺伝子の上向き発現が抑え られるという動物実験である(7).ヒトにも当てはまることが 期待される.このように,食品成分の生体調節機能の発現へ の感覚の寄与が遺伝子レベルで実証され,機能性食品の領域
が広がりをみせているのである.
食品の感覚面での働き(二次機能)は,一見,栄養面での 働き(一次機能)および生理面での働き(三次機能)とは遠 くかけ離れているように見える.しかし最近,上記したよう に嗅覚がストレス解消と密接に,しかも分子レベルで,連動 しているのが明らかになったばかりか,味覚レセプターが消 化管にも発現していて,甘味レセプターがグルコースのみな らず非栄養性物質の典型とも言いうる人工甘味料を受容し,
インスリンの分泌を調節することが予想されるに及び,3つ の機能の重なる領域への関心が国際的に高まってきた(8).
味には甘・酸・塩・苦・旨という5つの基本味がある.こ れを受容する甘味レセプター T1R2・T1R3, 旨味レセプター T1R1・T1R3, 苦味レセプター T2R群,酸味レセプター PK- D2L1およびPKD1L3, 希薄な塩味のレセプター Enacが口腔 上皮の味蕾の味細胞表層に発現している.
味物質(リガンド)が味覚レセプターに受容されると味覚 シグナルが生じ,味細胞内を伝達され,細胞膜の興奮(脱分 極)を引き起こすが,その過程には多様な分子群が関与す 表1■いわゆる栄養素以外の機能性食品成分の抄例
成分 例 リスク軽減が期待される症例
カロテノイド
カロテン リコペン(トマト) 酸化ストレス
キサントフィル ルテイン(野菜) 酸化ストレス
ポリフェノール
フラボノール ケルセチン(野菜) 酸化ストレス
フラボン ノビレチン(柑橘) 酸化ストレス
イソフラボン ダイゼイン(ダイズ) がん、骨粗鬆症 フラバノン ナリンジン(グレープフルーツ) 糖尿病 カテキン EGCGメチルエステル*(茶) アレルギー アントシアニン シアニディン(アズキ) 酸化ストレス 単純ポリフェノール クロロゲン酸(コーヒー) がん フェニルプロパノイド クルクミン(ターメリック) がん イソプレノイド ユビキノン(どこにでも) 酸化ストレス トリテルペノイド ソヤサポニン(ダイズ) 酸化ストレス フィトステロール β-シトステロール(ダイズ) 高コレステロール血症 クロマノール トコトリエノール(ダイズ) 酸化ストレス イソチオシアナート スルフォラファン(ブロッコリ) 環境毒性
スルホキシド アリイン(ガーリック) 血栓
バニロイド カプサイシン(トウガラシ) 肥満
アルカロイド カフェイン(コーヒー) 眠気
リグナン セサミン(ゴマ) 酸化ストレス,二日酔い
有機酸 酢酸(食酢) 高血圧
アミノ酸 γ-アミノ酪酸(発芽種実) 高血圧 タンパク質 β-コングリシニン(ダイズ) 肥満 オリゴペプチド VVPY(ヘモグロビン) 高脂血症
脂質 中鎖脂肪酸 肥満
多糖 アルギン酸(海藻) コレステロール血症
オリゴ糖 マンノビオース(コーヒー) 肥満
プロバイオティクス ビヒズス菌(ヨーグルト) 便秘 甘味物質 ネオクリン(クルクリゴ果実) 糖尿病
*Epigallocatechin gallate 3- or 4-methyl ester
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る.その中でホスホリパーゼCβ
,環状ヌクレオチド依存性チャネル,アラキドン酸などの重要性を示唆した東京大学グ ループの研究は光彩を放つ(9).
興味深いのは,味物質としてはごくまれである味覚修飾タ
ンパク質ネオクリンのX線結晶解析とそのT1R2・T1R3と の結合の分子動力学シミュレーションである(10).これは酸 性領域で強い甘味を示すが,その塩基性サブユニットのたっ た一つのヒスチジン残基を変異させたバリアントH11Aは中 図2■グローバル化しつつある機能性食品研究
図1■食品の体系的研究例
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性でも強い甘味を示すことが明らかになった(11).この研究 の発展として,味質が微妙に異なるさまざまな甘味物質につ いて,その微妙な差異を,甘味レセプター分子との結合部位 の違いで説明する研究が登場している(12).苦味物質と苦味 レセプターの結合の研究も興味深く,苦味を緩和する 第三 の物質 の効果はこのレセプター分子の揺らぎに関係すると 説明している(13).
ところで,以前からlabeled-line theoryというのがあっ た.これは,一つの味細胞には5つの基本味のレセプターが マルチに発現しているのではなく,そのうちのどれか一つを 発現していて,たとえば甘味レセプター細胞は甘味物質だけ に,苦味細胞は苦味物質だけに応答し,それぞれ甘味シグナ ル,苦味シグナルを発信させるという仮説であったが,長 年,その真偽は不明のままであった.東京大学グループは,
シナプス輸送するコムギ胚芽レクチン (WGA) を甘・旨・
苦味細胞に導入し,その伝導路を可視化し,上記仮説が正し いことを世界に先駆けて証明した.また,最近,味細胞リン ネージの系譜を分子レベルで丹念に調べた結果,一つの味覚 前駆細胞が Skn-1a (Pou2f3) という転写因子の働きによって 甘味,苦味,旨味,酸味レセプター細胞のどれか一つに分化 することを突き止める,きわめてインパクトの大きい研究を 発表した(14).
従来,末梢事象として各論的研究の対象であった味覚が消 化管その他の部位にも普遍的に見られる生命事象であるのか もしれない.口腔刺激が実は中枢活動と分子レベルで連動し ているとすれば,味覚・嗅覚は生体にとって本質的に重要不 可欠の調節要因であろう.世界の眼はここに注がれている.
生体は①栄養性,②嗜好性,③生理機能性を別々のものと してではなく互いに連動した 一つのもの として認知す る.認知するのは脳である.それに呼応して生物は適正な行 動をとり,生きる.こうした視点から産み出される食品は,
健康の増進,嗜好の満足,病気の予防,そして安全性の保証
された “wholesome food” となろう.世界の食品産業が目指 すゴールもこれにほかならない.
学術上,産業上の統合食品機能論は今,世界へ広がりつつ ある(図
2
).日本が拠点の一つとなって発展しつつあるこ のグローバリゼーションの未来に千載の夢をはせつつ,擱筆 する.謝辞:執筆途上で多々ご教示くださった東京大学名誉教授の阿部啓子先 生,東京大学大学院農学生命科学研究科特任准教授 中井雄治先生,同 准教授 三坂 巧先生に感謝する.
文献
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2) 荒井綜一編: 機能性食品の研究 学会出版センター,東 京,1995.
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