書 館 文 化学 と 生物
高度経済成長時代へ
1953(昭和28)年,日本は過去を振り返ることもなく前 のめりになって進む,高度経済成長時代の入り口に差し掛 かっていた.この年,NHKがTV放映を2月から開始,3月 には吉田内閣が世に言う バカヤロウ解散 を行い,5月に はヒラリー,テンジンがエベレスト初登頂の快挙を果たした ニ ュ ー ス が 流 れ,7月 に は 朝 鮮 戦 争 の 休 戦 が 成 立 し た.
[Shane !! Come back !!] の名台詞や,[Romance de Amor]
の曲に乗って,この年公開された映画「シェーン」,「禁じら れた遊び」はアメリカ,ヨーロッパの当時の気分を映すもの であったろうか.
科学の世界では, 誌上にWatson,Crickが1頁ほど の短い報文であったが,DNAらせん構造の提起を行ったの もこの年であった(1).
日本は戦争の荒廃から立ち直りつつあり,進んだ欧米の科 学技術を一日も早く吸収しようと努力し,平和な工業科学技 術国家建設を目指して歩みだしていた.国際企業として認め られている現在のメーカーも,それぞれ独創的な思考と技術 力,そして勤勉な国民性に支えられ,世界市場開拓航海に乗 り出していた.
日本質量分析研究会の発足
この年,日本質量分析研究会が,京都大学理学部化学,
佐々木申二教授を会長,東京都立大学理学部化学,千谷利三 教授を委員長に正式発足したが, ローマは一日にして成ら ず ,研究会発足の機運が醸し出されるには,研究機関のみ ならず質量分析に関しそれなりの社会的な基盤の存在が必要 であり,かつ,他人事としてとらえるのではなく,設立に情 熱を傾ける人々の存在なしに,成就するものではない.その
意味で,創設に関わった人々の名前を,歴史を切り取る 文 書館 の趣旨に従い,三十数名の委員,顧問の方々に心から 敬意を払い,ここに示す(2) (図1).
時,1953年4月25日午後1時半,東京大学工学部1号館,
階段教室15講義室にて発会式.正会員数125名,年会費300 円,賛助会員数9.ここに,世界初の質量分析研究会が発 足,会誌は2012年に通算60巻の還暦を迎える.ただし世界 初などの世俗的意識は希薄であり,第二次大戦以前にドイ ツ,アメリカおよび英国に留学や,訪問時に受けた刺激と感 動を維持し,日本国内で,いかに諸外国のもつ質量分析の技 術を吸収し,普及させるかの,意識が強かったと考えてよ い.
付け加えるならば,アメリカでは同年,米国材料試験協会
(ASTM) が初めて, The Annual Conference on Mass Spec- trometry and Allied Topics (質量分析関連部門 ASTM E-14 部会)を開き,以後,毎年世界から多くの人が集まりアメリ カ各地持ち回りで,研究報告会が開催されてきた.この E-14 は,1969 年,The American Society for Mass Spec- trometry (ASMS) と改称され現在に至っているが,奇しく もE-14をスタート時点とするならば,日米の質量分析研究 会発足は同じ年になる.ちなみに,発足当時の物価,コー ヒー40 〜50円,ビール大瓶130円,JR基本区間20円,米価 1升87円.
質量分析装置の製作
歴史的に,質量分析装置が初めて製作され,スペクトルが 観測されたのは,歴史年表をたどれば J. J. Thomsonの項目 で,“In 1912 he invented the mass spectrograph, later im- proved by Aston. This instrument allowed him to discover that neon was composed of particles of / 20, predomi- nant, and / 22 in smaller quantity. He received the No- bel prize for physics in 1906.”(3) とあるように,ほんの1世 紀前の出来事である.彼の電子線の検出に始まり,Neの安 定同位体確認がその発端であった.その後,1930年代に,
英国のAston, 米国のDempsterらによって研究が進められ 質量分析装置としての形を整えていく.
手書きの「質量分析」創刊号
草創期における先人の理想と情熱
板垣又丕 *
コロンビア大学化学科 質量分析室室長
*Yasuhiro ITAGAKI Ph.D., Director of Mass Spectrometer Core Facility, Columbia University, Department of Chemis- try, Columbia University, 3000 Broadway, New York, NY 10027, USA
対象測定試料は現在のような有機化合物や生体成分の分析 ではなく,原子質量の精密測定,同位体分離,濃縮,地質年 代決定法の確立,そして,航空機燃料改良など時代の要請と して,石油メーカーなどによる炭化水素混合物のパターン分 析が第二次大戦を挟んだ時代の中心であった.検出は,イオ ンを像としてとらえる面収束型の写真乾板から始まり,
Mass Spectrographと呼ばれ,現在の Mass Spectrometer
の呼称と異なる.
これら初期の研究対象の流れから,よく知られていること であるが,ドイツを意識し,戦中に Calutron (California University Cyclotron)と し て 知 ら れ る 装 置 が 開 発 さ れ,
Oak Ridge, Tennesseeに1,152台の装置が設置され,U-235 とU-238の同位体分離が昼夜兼行で行われ,50 kgのU-235 を得ている(4).
日本の質量分析装置―おろち―
一方,日本最初の質量分析装置は1930年代後半から,現 在まで引き継がれ,世界に誇るべきイオン光学系研究の源流 を作った,大阪大学理学部の浅田常三郎,奥田 毅,緒方惟 一らによって,Bainbridge‒Jordan型質量分析装置が作られ た(5a, b) (図2a).
彼らは,引き続き大型の質量分析装置開発に着手,1961 年「緒方・松田型二重収束質量分析器」を完成し,90万の 世界最高分解能を得ている(6) (図2b).
これに満足せず,原子量のさらなる高精度検出を目指し,
世界最大で, おろち と名づけられたこの装置は全長が 37.5 m, 文字どおり,体育館ほどの場所が必要になるほどで あった(7) (図2c).この装置については,もっと襟を正して,
後世のわれわれは考えるべきかもしれない.装置製作目的 は,高い分解能を求めるためであり,牽強付会とのそしりを 受けるかもしれないが,世界最大であるとともに,タンデム 型二重収束磁場質量分析計であり,MS/MS可能な世界初の 装置となる可能性があった.
1975年質量分析に報告された報文のタイトルは,“Present Status of the Two Stage Double Focusing Mass Spectro- scope at Osaka University” で報文のabstract 1 〜 2行目に か け て,“in 1967 we were planning to construct a new large tandem type mass spectroscope. The machine con- sists of two set of first order double focusing mass analyz- er.” とあり,1967年から始まった装置開発ならびに経過報告 を行っているが,その長大な質量分析計の図の中のFirst- Stage Double Focusing Pointにコリジョンセルを置けば良 いだけであり,歴史の機微を感じる.
その後,この巨大な分析系のマグネット部分は,日本質量 分析学会創立50周年記念講演会(2003年11月22日開催)の 記念品として,磁場を模した文鎮に変身し,参加者に配布さ れた(8).今こそ,マスとかMSと簡略化して呼ぶが,当時の 装置を述べるには,正式に質量分析計と記さなければ,先人 の思いに応えられぬ雰囲気が漂う.
余談ながら,後年,大型の質量分析計を2台上下につない で2階から試料導入を行う,昇り竜的,商品機を2台つない だMS/MSをアメリカで実見した.阪大の実験室を這う お ろち は,かすかな大地の響きを感じていたが,アメリカ大 陸の装置では如何であったろうか.
図1■質量分析研究会発足時の会長,委員長を含む,設立に参 画した人々
ライフワーク
一瞬の感動を忘れぬ様 心に釣り針を そして 初志貫 徹 .1917年,佐々木申二,京都大学入学.教科書の,丸善 出版,水野敏之丞著,電子論を手にして,J. J. Thomsonの パラボラ法による質量分析を行った記述に心動かされたま ま,1926年ベルリンの Kaiser Wilhelm Institute に留学.ほ の暗い地下室で質量分析計が動いているのを知り,実際に見 る機会を得たときの感動,そして翌年春,ケンブリッジ大学 で J. J. Thomson の下で研究を行ったAstonの使用していた 質量分析計を見たことが,生涯,質量分析計に関わる契機と なった.しかし,留学中実際に装置に関わることなく,父の 病篤しという悲報に,熟慮のうえ,帰国.以後,自力で質量 分析の装置開発,測定実験に関わることになった.
戦前,Dempster型質量分析計を製作し,研究に使用して いたが,戦後になって固体試料の同位体組成や元素分析を行 うのに,Mattauch‒Herzog型二重収束質量分析装置を試作 したいと考え,高性能のMSをすでに製作している緒方惟一 教授を訪問,励ましの言葉に力を得て,1956年から開始,2 年後の1958年3月1日になって,未調整の状態であったが,
目的とするNa+, K+イオンを鮮明に分離でき,その結果が 佐々木先生のところに電話報告されたときに,背後で祝杯を 上げている様子が耳に届いたと記してあり,当時の達成感と 水準を伺うことができる(9, 10).
ここで若干,商品としてMSがたどった歴史,当時の欧米 の研究状況,これに加え第二次大戦の時代背景を考えてみよ う.商品機製作の試みは戦争前から始められており,英国の Metropolitan Vickers(後 のAEI),米 国 で はConsolidated Engineering Corporation (CEC), Westinghouse な ら び に General Electric 社があり,ドイツでもAtlas-Werke(後の MAT)などが販売を開始していた.研究会発足時のアン ケートによれば,自作の装置が多数を占める中で,日立製に 加え,CECならびにAtlas製の購入,使用報告がある.
日本では,1940年頃,国分寺にある日立研究所で神原豊 三がNier型質量分析計試作を行っており,戦後は,CEC製 の装置輸入と競うように,日立装置納入も始まった.
日本電子光学研究所
このような国内での関心の高まりと,新しい研究分野の広 がりを背景に,質量分析誌上には,質量分析先進国であるア メリカ,ヨーロッパの研究会や出張で訪れたときの見聞記が 掲載され,装置のタイプ,使用法等が詳しく述べられてお り,いかに,日本の研究ならびに応用水準を高めるかに心砕 いたか,その直裁な表現が心打つ.
これらの思いは,特に,佐々木が定年退官した後も衰える ことなく,新発足した理研開発部に高分解能質量分析計開発 計画を応募し,開発委員会の許可決定を得て,昭和35年 図2■イオン光学系の源流を作った大阪大学の質量分析装置
(a) 初期のBainbridge‒Jordan型質量分析装置を前にした,緒方 惟一,松田 久先生
(b) 最高分解能90万を出した質量分析装置
(c) 世界最大の質量分析装置「おろち」全長37.5 m
(1960年)2月になって,電子顕微鏡を携えて1949年に会社 を創立したばかりの,日本電子に新技術開発事業として,開 発許可を与えた.当時,日本電子では,質量分析事業部門な どと呼べる規模で開発を行えるものでもなく,少人数のマス 班として責任者の和田良雄班長(後,部長,取締役)の下,
Mattauch‒Herzog型二重収束質量分析装置開発に乗り出し た.
社内に残る和田本人の開発記録の一部と佐々木先生の写真 を借用する…『先生は痩身鶴の如く英国紳士を思わせる端正 な面立ちをしておられるが,科学に対する態度は敬虔であら れ,中途半端な妥協を許されなかった』(図3),『佐々木先 生は少なくとも2週間に1度数日の予定で来社され親しく設 計を指導された.真空の設計仕様は一歩後退したが(注;技 術的困難により1×10−7 mmHgを1×10−6 mmHgに変更), ポンプは輸入し,全員が白衣,手術帽,マスク,白手袋姿で 従事した姿が今も思いだされる』(11).
いかに,真空技術確保に苦労したかが,理解できるが,こ の装置完成がなければ,日本電子による質量分析計の商品開 発,販売が継続して行われるわけもなく,したがって,世界 中の質量分析メーカーが苛烈な世界経済戦争の渦の中で,統 廃合されてきたのに対し,日立製作所,島津製作所,日本電 子の国内3社が世界を舞台に,三国志的な技術,営業面の攻 防を行いつつ,現在まで存在することはなかったであろう.
当時は,日本電子光学研究所と呼び資本金1千万弱,460名 弱 の 陣 容 で あ っ た.JMS-O1BM型 無 機 用 の 開 発 に 続 き,
JMS-O1SG型有機用が昭和39, 41 (1964, 66) 年にそれぞれ完 成.当時のJMS-O1BM型無機用質量分析装置が日本のユー ザーのところで現在も稼働中との連絡をもらったが,以て瞑 すべし.
装置の開発と研究者
一方,日立の野田 保が回想するように,以下原文のマ マ,『神原豊三が1940年頃,偏向磁場セクター付きのNier型 質量分析計を試作し,新設した中央研究所に移った後1947 年研究を再開した.津山斉等の努力に加えて東京都立大学鹿 又一郎先生の御援助も得て,1951年製品化が行われ国産で 唯一のMSメーカーとしての地歩を築いた.往時のMSは,
主に無機ガスの分析や同位体比測定に用いられたが,1954 年に石油ガスの分析に用いるとイオン源の劣化が激しいとい う問題が生じ,電顕グループから野田保を移籍しチームリー ダーに据え,京大の佐々木申二,阪大の緒方惟一,大阪府大 の早川晃雄等諸先生のご指導を受け,炭化水素に汚染されな い装置に改良した.(中略)新製品RMU-5型は,1956年か らベストセラーとなり,高価な米国製品を抑えて日本市場を 独占した.さらに,改良されたRMU-6型MSは,1960年代 の 最 盛 期 に は,世 界55%の シ ェ ア を 持 つ に 至 り,毎 月 チャーター便で数台輸出が行われた』(12).
真実を映す鏡,装置は正直である,性能以上のデータを 出す事も無い .しかし,緒方惟一が『1965年ASTM E-14, G.A.M.S. (France), Hydrocarbon Institute of Petroleum H.R.G. (英)の JOINT MEETING に参加して』の報告(13)を 行う中で 会議参加報告の姿を借りてこれを記す と述べ て,緒言に彼が質量分析で世界最大,最高分解能の装置開発 を行った動機と研究者に対する警告,あるいは提言を行って いる.
『―与えられた特に金で買える道具にのみ自分の研究を まかせることになれば,それが作られた目的の範囲以上には 研究を飛躍させることは不可能で―』と世界最高の装置製 作目的を述べ,さらに後段では『その結論に至る経過即ち実 験データを得る段階において,それを得るに使用した装置の 特性乃至は性能を正しく利用されていないならば,又その限 界を超えるごとき結論となっていれば惟も全く無意味である ばかりでなく,人をあやまるも甚だしいということになりま す.そしてそのような点の検討はそれぞれの専門分野におい ては当然のこととして不可能な場合が多いでしょう.これが 先にも述べた様に世界的に国際的に,或は国内的に質量分析 の会合のもたれる所以と考えています』(13) と記した後,会 議参加報告に入っている.装置性能を明確に把握し,使用す るのでなければ,得られたデータが信頼できるものでもな く,多大な迷惑のもとになるのである.
図3■日本電子でMattauch‒Herzog型質量分析装置開発を指 導されていた頃の佐々木申二先生
MSと産学協同
時は流れ,先人の努力の結果として,広い科学領域に LC/MS, GC/MS, MS/MS, MALDI/TOF-MS, Imaging MS 等と呼ばれる多くの手法が開発,導入され,装置は初期の大 型装置から一転して高性能小型化の開発が進み,それらの装 置を研究者が競って求め,研究に使用している.しかし,果 たしてこれが,質量分析研究会発足時に関係者が夢見た姿で あろうか?
現 在 の 質 量 分 析 装 置 の 検 出 感 度 はnmol, pmolは 常 識,
fmol, amol を超えてzmolとも叫ぶが,両刃の剣.測定対象 化合物,測定法によって検出感度は大幅に異なる.試料管に サンプルを入れれば,自分の手から離れ,後は測定結果を待 つNMR装置等とは全く異なる.
MSは化合物,測定目的の違いに応じて測定法を変えなけ れば最良の結果を期待することはできない.質量数だけを頼 りにMSを用いることは,測定対象が混合物,細胞組織の直 接分析など多岐にわたっており,画一的な分析では,他の成 分が誤って検出される可能性が高く,高感度領域ではケミカ ルノイズだけではなく,電気的なノイズも当然入ってくる.
このことは,試料調整,測定条件設定によって,異なる結論 が導き出される危険性が,緒方先生が危惧された時代よりも 飛躍的に多くなっていることを意味している.国際交流が進 むにつれ,世界中から異なった伝統,文化を背負った考えが もたらされるとき,討論は,得られたデータの信頼性,再現 性がその基礎となる.
隗 (MS) より始めよ .研究者は測定を他人に委ね,単 に得られた結果を目的に沿って解釈するのではなく,一歩,
装置側に踏み込み,応用分野の専門知識をもって,装置技術 者も応用分野の知識を深め,双方が火花を散らし,広い視野 からの議論が必要となる.ここに,先人の望んだ真の産学協 同の意が存在するのではなかろうか.農芸化学の分野でも,
MSは広く使用されている.一歩,装置に踏み込み理解する ことで,心にスイッチが入り,研究に新たな展開と感動がも たらされることがある.そのようなスイッチを探し出した,
草創期,質量分析先駆者の心意気を紹介した.
追記:本原稿校正中に,大阪大学名誉教授の松田 久先生の訃報に接し た,草創期から現在までを最もよく知る先生のお話を紹介したく,何度 か連絡を試みたが,直接お話をすることができなかった.ASMS学会等 多くの機会に親しく接し,ご教授いただいた.時代が変わっても,異国 にあるときに人を失う辛さは変わることがない.尊敬する松田先生に,
本誌上を借りて,心から哀悼の意を捧げることを,お許しいただきた い.先生,ありがとうございました.
謝辞:本稿を執筆するにあたり,資料入手,ご助言くださった,サント リー生有研時代の同僚,直木秀夫氏,日本電子時代の同僚,青山鉄美,
松浦健二,野嶋一哲氏ら,ならびに,大阪大学,豊田岐聡,石原盛男両 教授に深く感謝いたします.
文献
1) J. D. Watson & F. H. C. Crick : , 171, 737 (1953).
2) 会告:質量分析,1, 80 (1953).
3) E. De Hoffmann, J. Charette & V. Stroobant :“Mass Spectrometry, Principle and Applications,” Wiley, New York, 1996, p. 98.
4) M. A. Grayson :“Measuring Mass, From Positive Ray to Proteins,” CHF, Philadelphia, 2002, p. 5.
5a) T. Asada, T. Okuda, K. Ogata & S. Yoshimoto : , 143, 797 (1939).
5b) K. Ogata & H. Matsuda : , 89, 27 (1953).
6) K. Ogata : , 8, 365
(1972).
7) I. Katakuse, H. Nakabushi & K. Ogata : , 23, 247 (1975).
8) 日本質量分析学会創立50周年記念講演会(関西大学100 周年記念館)配布資料 (2003).
9) 佐々木申二:質量分析,15, 1 (1960).
10) 佐々木申二,恩地 勝,甲斐潤二郎,安倍靖彦:質量分 析,12, 61 (1959).
11) 和田良雄:Mattauch‒Herzog型二重収束質量分析装置開 発記録,日本電子株式会社マス班,1970.
12) 保田和雄,塚田勝男:ぶんせき,8, 460 (2005).
13) 緒方惟一:質量分析,28, 237 (1965).
辻 寛 之(Hiroyuki Tsuji) <略歴>
1999年東京大学農学部卒業/2004年東京 大学大学院農学生命科学研究科博士課程修 了(博士(農学))/2004年名古屋大学生 物機能開発利用研究センター博士研究員/
2005年日本学術振興会特別研究員PD(名 古屋大学)/2006年奈良先端科学技術大学 院大学バイオサイエンス研究科助手/2008 年奈良先端科学技術大学院大学バイオサイ エンス研究科助教,現在に至る<研究テー マと抱負>フロリゲンによる生長相転換の 全体像を明らかにしていきたい
永 雄 総 一(Soichi Nagao) <略 歴> 1977年東京大学医学部医学科卒業/1977 年東大病院・研修医/1983年東京大学医 学系大学院修了/1983年日本学術振興会・
奨励研究員を経て東京大学医学部・助手/
1991年 自 治 医 科 大 学 医 学 部・准 教 授 / 2004年より独立行政法人理化学研究所・
脳センター・運動学習制御研究チーム・
チームリーダー<研究テーマと抱負>運動 学習の脳機構,運動の記憶がどのように作 られ,記憶され,利用されているかを研究 している<趣味>サッカーの観戦とオペラ の鑑賞,少しばかりのアナログの電気工作
長澤 寛道(Hiromichi Nagasawa) <略 歴>1971年東京大学農学部農芸化学科卒 業/1978年東京大学大学院農学系研究科 農芸化学専攻博士課程修了/1981年東京 大学農学部助手/1991年東京大学海洋研 究所助教授/1994年東京大学海洋研究所 教授/1997年東京大学大学院農学生命科 学研究科教授<研究テーマと抱負>バイオ ミネラリゼーションの分子機構の関する研 究,生命の営みの不思議なことを知り,応 用すること<趣味>囲碁,スポーツ観戦