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障害を持つ当事者として勤務される白井誠一朗さんにお話を伺う──

ドキュメント内 Socially (ページ 135-157)

面談者 白井 誠一朗

(2006年社会福祉学科卒業)[写真下段]

※プロフィールは本文後ろに記載 取材・構成・編集

木島 夏海(社会学科3年)

石岡 里佳子(社会学科3年)

インタビュー日時:

 2020年7月27日(月)

 16時~17時

自分たちを通して社会全体を良くしていく

124  僕自身は色んな提案づくり、政策提言をする時 に例えば厚生労働省に対してこういうことをやっ てほしいという要望書を作ったり、要望書を書く にもきちんと実態を知らないといけないので、そ ういった実態を把握するための勉強会を開いた り、実態を調査したり、といったことを中心にし ています。例えばタクシーに関しても、最近だと 少し背の高いタクシーが増えている。実はあのタ クシーには車椅子のまま乗れるんですよ。車の中 にはスロープがついていたりして、座席を動かし て車椅子が乗れるスペースが作れるんです。ユニ バーサルデザインタクシーなんていう風に呼ばれ たりしていて国交省も車両を導入する際の助成金 を出しているんですけど、そういうタクシーがあ るにも関わらず、車椅子が乗れるようにするため には座席を動かしたりスロープを用意したりとい う手間がかかるので、タクシーの運転手さんがな かなか(障害者を)乗せてくれない。それを乗せ てもらえるようにタクシーの事業者に話に行った り国交省に話に行ったり、あと車椅子のままタク シーに乗ろうというキャンペーンをやって、この 間やった時はオリパラ300日前くらいだったかな、

それくらいのタイミングで全国で一斉にタクシー に車椅子のまま乗ろうという取り組みをやって、

その時は180人くらい集まったと思います。実際 に乗ろうとしてみたけども乗れなかったとか、乗 せてもらえたけどちょっと時間がかかったとか、

運転手さんの対応はどうだったかなど、そういう 実態をデータとして集めて資料にまとめて国交省 に持っていき、こういう問題があるからこう改善 してくださいとか、そのようにデータを取って提 案をするという活動をメインでやっています。

─バリアフリーのタクシーに関するプロジェクト に、白井さんはどういう部分で関わられたんで すか?

 データ取って要望書を出すとかはもちろんな んですけど、広く社会全体にアピールをしたいの で、新聞記者に連絡を取ってぜひ取材に来てくだ さいというお願いをしたり、それも記事にしやす

いように例えばオリパラ300日前とか見出しにな るような企画を考えたり、やるときはこういうこ とに注意してやろうとか、取り組みの企画から実 施を含めて関わりました。

─ありがとうございます。今お仕事について大ま かにお話をお伺いしたんですが、次はそのお仕 事を選んだ理由に関してお伺いしてもよろしい ですか?

 僕はもともと難病を持って生まれたんです。そ れでも中学3年生くらいまでは車椅子にも乗ら ず、少し体力のない子どもという感じで学校に通 いプールに入ったり体育も参加していたんですけ ど、中学に入って難病が一気に進行して、それか ら夜寝るときだけ人工呼吸器を使って呼吸の補助 をしてもらったり、外出時には車椅子を使って出 かけるようになりました。ただ、僕が車椅子に乗 るようになった当時は駅にエレベーターが全然 なかったんですよ。今は東京都内だとほとんどの 駅にエレベーターがあって車椅子で移動出来る ようになっていますけど、僕が車椅子に乗り始め た2000年前後は全然エレベーターが付いていな くて移動が不自由でした。乗りたくて車椅子に乗 るようになった訳ではないのになんでこんな自 由に動けないんだと、やっぱり理不尽に思うんで すよ。なんでなんだろうなっていう体験をしてみ ると、素直に何とかしたいなと思うんですね。で も、あと半分くらいは成り行きですかね。僕が大 学に進学するかしないかって時に住んでいた家 が割と明学に近かったんです。戸塚のキャンパス は遠いんですけど、白金のキャンパスはとても近 かったんです。体力が無かったので、どうにか4年 間できちんと卒業したいというのもあって、それ にはなるべく家から近い大学しかないなと思っ たんです。当時は電動車椅子を使っていなかった ので、家から歩いて行ける距離ということになっ て候補になったのが、慶応大学と明学でした。慶 応はまあ偏差値的に無理だろうということで明 学になって、でも4年間白金キャンパスに通うた めには、当時社会福祉学科には昼夜開講制といっ

て、主に社会人の人が通うためのコースがあった んですね。夜間中心に取って卒業出来るというよ うな。そこのコースだと4年間白金キャンパスに 通えるのでそれしかないだろうと。色んな学科が ある中で一番興味があったのが社会福祉だったん です。社会福祉を選んだ理由も、誰かの支援をし たいという立派な理由があった訳ではなくて、福 祉のことを学んでおけば自分にとって例えば障害 年金だとか、障害者の手当てだとか自分が知って いて得することを学べるんじゃないかなと。そう いう少し不純な理由で福祉の分野に入りました。

そこに通っている学生の皆さんは社会人の方が多 くて、例えばOLをやりながらだとか、看護師をや られていて社会福祉の資格を取りたいからとか、

既に介護などの現場で働いているけど社会福祉士 の受験資格がないから大学で学ぼうという方と か。割とモチベ―ションの高い人がたくさんいた ので、そういう人といろんな話をする中で、ちゃ んと勉強して何らかの形で福祉に関われたらいい なと思うようになっていきました。それでも福祉 の現場って結構厳しいじゃないですか。ただ利用 者の相談に応じていればいいという訳ではなく て、当たり前に介助も出来ないとだめだし、アウ トリーチしたりだとか、様々な関係者や機関と繋 がったりだとかもしなくてはいけない。当時の私 にはハードな仕事だということが次第に分かりま した。どうやって福祉と関わっていけばいいだろ うかと迷いながら、たまたま夜間生向けにあった ゼミのうちの1つが障害者福祉が専門のゼミでし た。それが茨木ゼミでした。茨木先生は障害者福 祉が専門の先生の中でも、とりわけ障害を持つ当 事者の人達と広い繋がりをもっている先生なんで すね。障害者をはじめとする当事者活動を研究対 象とされている先生なので、当然先生からは当事 者の活動を見てくるように言われたりだとか、シ ンポジウムに参加するように言われたりだとか、

そういう形で茨木先生と出会うまでは全然知らな かった当事者運動などの活動を知ることが出来ま した。それまでは障害者の制度というものは国が 良かれと思って色々やってくれているんだろう なと思っていました。しかし茨木先生と出会って

初めて学んだのが、国が全てやっているのはなく て、当事者が自分達にはこういう課題があるから こうして欲しいという要望であるとか提案とか、

そういったやり取りの中で支援の仕組みが整って きているということでした。そういうことを全然 知らなかったので単純に興味深かったし、そのよ うなシンポジウムなどの集まりに参加していく中 で、徐々にそういう活動に興味を持ち参加したい と思うようになっていて、最終的にDPIにいきつ いたという感じです。

─今お仕事されている場所は自分で見つけられた んですか?それとも何かきっかけがあって見つ けられたのでしょうか?

 そうですね、もともとDPIという団体は茨木先 生の「社会福祉運営論」という講義の時に「DPIっ ていう団体があって」という話は聞いていて、そ れがきっかけでホームページを見るようになった んです。色んな集会に行ったりする中でDPIの役 員の方と顔見知りにはなっていったんですけれど も、一番のきっかけはDPIに加盟している障害者 団体のとある方に声を掛けられたことです。うち で一緒に活動しませんかという感じで。それで誘 われるままにその団体のメンバーになって、1年 くらい経ったころに「白井さん、DPIの理事に立 候補してみてください。」と推薦されました。それ で立候補させてもらって、DPIの理事に選ばれた というのが最初のきっかけですね。その時はただ 理事という肩書きだけだったのですが、たまたま そこの加盟団体がDPIの事務所の一角を借りて活 動している団体だったので、活動しているときに は常にDPIの人がいるという環境でした。それで DPIで何かプロジェクトをやるときなどに「白井 君は理事だから少し来て」みたいな感じで巻き込 まれていった、という流れですね。

─色々な偶然が重なって今の状況が出来上がって いったんですね。

 積極的に選んだということではなくて、流れ着

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