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人間関係を育み,共に生きるための社会力を育てる心の教育総合プラン-話し合い活動を教育活動に取り入れて-

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(1)    2009年度 特定の課題についての学修の成果. 人間関係を育み、共に生きるための社会力を育てる          心の教育総合プラン.   一話し合い活動を教育活動に取り入れて一.    兵庫教育大学大学院 学校教育研究科教育実践高度化専攻  心の教育実践コース  PO8038H.     重近世都子    Setsuko SHIGECHIKA.

(2) 目. 次 はじtoに・・・・・・・・・・・…   ..........1. 第1章 問題の所在と研究目的. 第2節. 123456234 −⊥23. 第1節. 近代教育のもたらしたもの 近代を問い直す・・・・・・・・・・・・・…  2. 1. 実践的循環の崩壊・・・・・・・・・・・…  3 言葉と物の分離・・・・・・・・・・・・…  4 コミュニケーションカの低下・・・・・・…  4 大人と子ども・・・・・・・・・・・・・…  5 教育方略の転換の必要性・・・・・・・・…  6 学校教育をめぐる諸課題 社会的規範と道徳性・・・・・・・・・・・…  7. (1)学校の中での子どもたち (2)家庭の中での子どもたち. 第3節. 主体性と自尊:感情・・・・・・・・・・・…  9 回忌を解決する能力・・・・・・・・・・…  IO 「学ぶ」こと・・・・・・・・・・・・・…  10 新たな学校教育の方略 道徳教育をめぐる諸課題・・・・・・・・…  13 教科(数学)教育をめぐる諸課題・・・・・…  16 学校教育のパラダイム転換・・・・・・・…  18. 第2章共に生きるための社会力を育てる道徳教育の 可能性 人間関係と共に生きる社会力 社会化、社会性と社会力・・・・・・・・…  20 他者と共生する「場」の形成・・・・・・…  21 大人と子どもの社会力・・・・・・・・・…  22 社会力の衰弱・・・・・・・・・・・・・…  24. 1234﹂5. 第1節. 社会力をどう育てるか・・・・・・…  25 1.

(3) 第2節  ハーバー一…マスとコミュニケーション的行為の理論. 19自3.    1 普遍的語用論・・・・・・・・・・・・・…  26    2 妥当性要求と三世界・・・・・・・・・・…  28    3 行為の四類型・・・・・・・・・・・・・…  29    (1)目的論(戦略)的行為    (2)規範規制的行為    (3)演劇的行為    (4)コミュニケーション的行為 4 コミュニケーション的行為理論の教育的意義・・32 相互行為の発達と道徳性の発達 第3節 ピアジェの認知発達理論・・・・・・・・…  34 コールバーグの道徳性の発達段階とその限界・・36 ハーバーマスの相互行為の発達段階の考え方・・38. 第3章  話し合い活動を中心とした特別活動・道徳・      数学の授業の構築 第1節  合理的な規範を導く実践的ディスクルス    1 ディスクルスによる「規範構造」の組み替え・・44    2 理想的発話状況・・・・・・・・・…  ’..46    3 合意の構造・・・・・・・・・・・・・・…  47    4 伝達から創造へ・・・・・・・・・・・・…  50 第2節  話し合い活動を取り入れた特別活動の授業    玉 実践例「友情とは何だろうか」・・・・・…  52    (1)授業に向けて    (2)授業の考察    2 実践例「納得する話し合い」・・・・・・…  54    (1)授業に向けて    (2)授業の考察    (3)生徒のワークシートのふりかえりの分析 第3節  話し合い活動を取り入れた道徳の授業    1 実践例「ハチドリのひとしずく」・・・・…  60    (1)授業に向けて    (2)授業の考察    (3)生徒のワ・一一・クシートのふりかえりの分析 2.

(4) 第4節  話し合い活動を取り入れた数学の授業    1 実践例「方程式q)利用」・・・・・・…    75    (1)授業に向けて    (2)授業の考察    2 実践例「図形の定理の証明」・・・・・・…  76    (1)授業に向けて    (2)授業の考察    3 実践例「関数の融合問題」・・・・・・・…  78    (1)授業に向けて    (2)授業の考察. 第4章  話し合い活動を中心とした:職員研修 第1節  教職員の研修の意義     1 同僚性と一協働性・・・・・・・・・・…    80.     2 教師力をつける・・・・・・・・・・…    82     3 相互行為から生まれるもの・・・・・…    83 第2節  道徳と職員研修     1 実践例「月で遭難したら」・・・・・・・…  85     (1)授業に向けて     (2)授業の考察.     2 実践例「ハチドリのひとしずく」・・・・…  87     (1)授業に向けて     (2)授業の考察.     3 実践例「父の仕事」・・・・・・・・・…  ●88     (1)授業に向けて     (2)授業の考察. 第3節  数学と職員研修     1 実践例 研究授業とその改善・・・・・・…  90     (1)研修記録     (2)研修の考察.     2 実践例 話し合い活動の再考・・・・・・…  9ユ     (1)研修記録     (2)研修の考察. 3.

(5) 第5章総合考察  第1節 理論的考察・・・・・・・・・・・・・… 93  第2節  実践的考察・・・・・・・・・・・・・…  96 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 99. 引用・参考文献一覧・・・・・・・・・・…  100 付記・・…  ●・・●・・●●●●’●●●’104. 資料編.  Appendix A特別活動実践授業    Ir友情とは何だろう」・・・・・・・・・・…  106    H「納得する話し合い」・・・・・・・・・・…  117.  Appendix B道徳実践授業    1「ハチドリのひとしずくj・・・・・・・・…  121.  Appendix C数学実践授業    1「方程式の利用」・・・・・・・・・・・・…  144    H「図形の定理の証明」・・・・・・・・・・…  150    皿「関数の融合問題」・・・・・・・・・・・…  155.  Appendix D道徳職員研修    1「Hで遭難したら」・・・・・・・・・・・…  165    11「ハチドリのひとしずく」・・・・・・・・…  168    m「父の仕事」・・・・・・…  ........172.  Appendix E数学職員研修    1「研究授業とその改善」・・・・・・・・…  180    H「話し合い活動の再考」・・・・・・・・…  182 4.

(6) はじめに  現在の中学校教育は危機に直面している。事実、中学生の実態を見 ると、学力差が著しく学習についていけない子どもが増大し、非行や 暴力、不登校から自殺まで、多くの問題行動が目立ってきている。.  その背景には、大人社会が物質的にも精神的にも不安定であるとい う現実がある。. 日本の経済は100年に一度の大不況にあり生活が不安定になる中、異 様な犯罪の頻発や犯罪率の上昇、自殺率の上昇などの社会病理現象が 広がっている。また、個性を尊重するあまり、人と人とがつながり、 地域社会をよりよいものしょうという連帯感は薄れてしまっている。 また、学校の教育力の不信や問い直し、家庭の教育力の低下、地域の 教育力の低下が問題視されている。子どもたちの問題行動の裏側には、. 社会の変化に伴って、学校教育が変わっていないという現実がある。 したがって、子どもも大人も孤立感を深めている現実を見つめ直し、 よりょく生きるための方向性を見出すために、新たな規範や価値観、 家族観、地域観を創造していく必要がある。.   以上の現状を踏まえ、人と人とがつながり、新たな価値観や家族 観、地域観を育てる方法として、「話し合い活動」を教育活動に取り. 入れることを提案する。「話し合い活動」を通じて、身近な人との関 係で、他者とかかわることによって、他者に共感し、他者に愛着を感 じ、他者に信頼を寄せることで、他者を理解しようとする心が育まれ る。それは、「他者との相互行為jであり「共に生きるための社会力」. を育てることへとつながっていく。本研究では、「話し合い活動」を. 取り入れた総合プランを作成し、現場での実践を通じて、プランの有 効性を明らかにしたい。. 一1一.

(7) 第1章  問題の所在と研究目的  我が国は、1872年(明治5年)の学制によって、教育が開始されて 以来、「教師が教え、生徒たちが一斉に学ぶ場が学校なのだ」という. 関係性が形成され、ごくあたりまえのように、約130年経った現在も 教育がその関係性のなかで行われている。しかし、日本の社会は急激 な産業化、都市化が進み、高度経済成長が子どもたちの生きる生活世 界を大きく変えてきた現代社会において、今までと同じ方法で教育を 行うことは困難な状況になってきている。その中で今日の子どもたち は、いじめ、校内暴力などの反社会的行動や、不登校、自殺といった 非社会的行動などの問題行動を引き起こしている。これらの問題行動 の背景にはどんな課題があり、その課題解決のための新たな教育方略 をどう考えていけばいいのかを次の5つの観点から探っていく。. 第1節近代教育のもたらしたもの 1 近代を問い直す  近代以前の伝統的な社会では、子どもは大人に交じって働き、一つ の場所で大人と子どもは助け合って生活し、子どもは大人の同胞とし て扱われていた。その中で子どもは自然に労働の技術や人間関係のあ り方、集団での生活の仕方を覚えることができた。人々の問には意識. を統合するものが存在し、子どもに知識を与えるための学校は必要で はなかった。.  しかし、伝統的社会が崩壊し産業が発展した近代社会になると、社 会の構造的変化に伴い、それまで疑うことのなかった「生活規範の自 明性」に揺らぎが生じ、人々の間に意識を統合するものが見えにくく. なってしまったのである。一方、子どもたちが知識や規範、生き方を も学ぶべき生活世界が大きく変容し、子どもたちは、実社会から切り 離され、学校という新たな枠組みの中で、「教師に教えられる存在」 として主体性を失っていくのである。.  産業の発展に伴って、経済的にも物質的にも豊かな社会が形成され たことは、良いことである反面、教育や人々の心のあり方は決して良               一2L.

(8) い方向へと進んでいるとは感じられない。教育の現場においては、「教. 師=教える人」、「子ども=学ぶ人jである以上、知識の効果的伝達が. 最優先され、子どもの社会性は未発達のままである。また、人々の意 識を統合するものが見えにくくなった今、共通の社会的規範が薄れ、 子どもたちの間で、様々な課題が浮かび上がっている。渡邉(2002). は今日の学校教育の基本的な諸課題の主要なものを次のように列記 している。「教え込む教育」、「知識と生活の分離」、「子どもが育つ場 の喪失」、「私事化の進行(社会性の未発達)」、「道徳的思考の心情化」、. 「子どもたちの反抗」等々。これらの課題を解決しするためには、伝. 達や教え込みという教育を一掃し、新たな教育方略を考え展開してい くことが必要である1。. 2 実践的循環の崩壊  近代社会の困難性を引き起こしている一つには、「実践的循環の崩 壊」という問題がある。.  近代社会は個人を基盤にする社会であると言われるが、その背景に は伝統的社会に存在していた社会全体を統合するもの、たとえば、神 やそれに準じる統一理念(たとえば、創始者たる神と被創造物たる人 間、君主と臣下、主人と使用人、親と子等々を区別する封建的理念) がもはや明確には存在しないということである。このことをベンナー (Benner. D)は、「実践的循環の崩壊」と呼び、次のように述べている。.  この実践的循環の支配する世界においては、道徳は習慣と言う形で 一般に承認されており、生活規範はすべての人にとって自明のものと. 感じられている。これはいわば、理論と実践、理念的価値と現実が分 裂する以前の世界である。しかし、実践的循環の崩壊によって、以前 には真として通用していた生活規範の自明性に疑いがさしはさまれ、 直接的経験的必要から規定されていた人間存在を、新たに、理念によ って構想しなければならなくなる2。.  つまり、近代以前の伝統的な社会においては、生活世界はその社会 を秩序づけている規範によって規定され、その正当性は改めて問われ               一3一.

(9) る必要はなかった。しかし、近代以後生活規範の自明性に疑いが差し. 挟まれるということは、その生活規範を想定していた絶対的な理念が 失われたことを意味するのであり、その正当性は個々人が内的にうち 立てる人間存在についての理念に任されることとなったのである。. 3 言葉と物の分離  フーコー(Foucault,M.)(1966)による近代の議論は次のようなも. のである。17世紀においては言葉と物とはその確実なつながりを喪失 し、言葉はその独自の世界を構成することとなった。それ以前におい. ては言葉はそれが指し示す対象である物と共通の地盤の上にあった。 ところが、17世紀以後においてはその地盤は失われ、人間はその地盤 を知の世界において構築せざるを得なくなったのである。一方、人間. それ自身は身体と精神を持つ一個の全体的存在であるが、言葉と物の 分離は、人間の思考においては、精神と身体の分離を余儀なくされる ことを意味している。そして、精神と身体の二元的分離は、人間形成 である教育をも二元的に分離してしまうのである。知の領域における. 形成と世界の実在につながる身体の領域における形成という二つの 領域における人間形成が遂行されることとなる。知の領域における形 成は様々な科学的な知の伝達として展開され、学校の発展はこの領域 の拡大に対応している。一方、身体の領域における形成は、日常的な 生活の中で展開される。これらをいかに統合するかが、教育学の切実 な課題ということになる3。. 4 コミュニケーションカの低下  産業の発展に伴って、生活は機械化され、人々は会話をしなくても、. ものを買うことができ、乗り物にさえ乗れる時代となった。また、実 際に会話をしなくても、携帯電話やパソコンのメールを使えば、メッ. セージを伝えることができる世の中である。機能的にはメリットがあ る反面、言葉で自分の気持ちをうまく伝えることができないデメリッ トも生じてくる。このコミュニケーションカの低下は、社会全体の問               一4一.

(10) 題であり、健全な民主主義の実現に対しては脅威である。ましてや「他. 者への徹底的な無関心」を決め込んでいる今の子どもたちに、話し合 いによって理解を深め、問題を解決する能力を身につけないと、共に 生きる社会は実現不可能となり、共通意識での社会的規範も創造する ことはできないのである。. 5 大人と子ども  近代の前提は、大人と子どもという教育が成立する基盤である教育 関係においても決定的な困難さを生じさせている。子どもは不完全な 存在で、「良き大人」へ向けて教育される存在である。しかし、この 「良き大人」のモデルは存在せず、一つの理想であり、歴史的に繰り. 返し様々な形で想定されてきた不確かな理念にすぎない。なぜ不確か なのか、それは現実の大人とのかかわりの中では想定されにくいから. である。私たちが生きているこの近代においては、社会は一つの理念 によって完結したものではなく、いわば、「閉じられた社会jではな い。その成員が自己が何者であるかをつねに問い続けなければならな い不確かな「開かれた社会」なのである。それにも関わらず、ある人 問像が一方的にすべての子どもに求められるなら、そこに様々な葛藤 が生じることは当然のことと思われる。子どもの諸問題の多くは、大 人の子どもへの対応が生ぬるいから生じたのではなく、社会の大きな 変化を考慮せず、大人から子どもへの一方的な伝達と要求として教育 が展開しているからだと考えることができる。大人の考える理想像に. 子どもを適応させようとして様々な対処法を駆使しても諸問題の解 決になかなか近づくことができないのは、自然なことなのかもしれな い。「良き大人」が存在しない今、大人は子どもを「大人社会に適応 するための教育を要する未熟な人」と捉えるのではなく「実存として の子ども」として認め、大人と子ども、あるいは子ども同士の関係性. の中で構成している社会をより高次なものへと作り替えていく過程 で個々人も発達していくというような「学び」を実現していくことが 必要であると思われる4。.               一5一.

(11) 6 教育方略の転換の必要性  今こそ、教育方略の転換が必要である。かつての教育は、教師から 生徒への一方的な影響付与であり、また教師から生徒への教育内容の 伝達であった。しかし、近代以後、教育は人間的な可能性を「生み出 すこと」とし、生徒を一人の主体とみて、「主体一主体関係」の中で 教育は成り立つとされてきた。ところが、「主体一対象モデルを克服 できずに教育の行為モデルは次のように図式化されていた。 「大人(教師)→『子ども(生徒)→対象(世界)』」. これは、「大人(教師)→対象(世界)」と「子ども(生徒)→対象(世. 界)」という二つの並列的な図式の総合として成り立っている。大人 がこの世界の様々な対象を認識することが標準とされ、それに子ども. が近づくように指導・援助を行うのが教育として捉えられてきた。つ まり、依然として子どもは未熟な存在であり、大人による教育的操作 の対象でしかない。.  そこで渡邉(!999)は、教育的行為の相互主体的モデルとして、次 のように構想した5。. A「『大人(教師)一子ども(生徒)』→対象(世界)」]. B「[大人(教師)一『子ども(生徒)一子ども(生徒)』]→対象  (世界)」. Aは大人と子どもとのかかわりを前提においたモデルである。大人と. 子どもは共に生きている場としての生活世界の中でその世界を構成 する規則に従いながら様々な関係を作りだし、それらの関係を遂行し ている。そしてそれらの関係を基盤におきながら様々な対象を含むこ の世界に対している。Bは大人は一人の子どもに対するだけでなく、. 子どもたちに対するものであり、また子どもは大人に対すると同時に. やがて複数の同じ子どもたちと共同することによって成長していく ことを前提においている。教育は家庭や地域社会、学校という場の広 がりの中で、大人と子どもの相互行為、子どもたちの相互行為によっ て成り立っていくのである。このモデルを教育活動に取り入れていく。 一6一.

(12) 第2節 学校教育をめぐる諸課題  今日、学校教育の諸問題とはどういうものだろうか。いじめ、校内 暴力や不登校など様々な問題を抱えている。それらの問題はどこから くるのであろうか、その背後にある課題を分析し考察し、課題解決へ の糸口を探っていく。. 1 社会的規範と道徳性 (1)学校の中での子どもたち  学校の中での子どもたちは支持待ち傾向にある。「教師一子ども」. の関係性の中で教師から与えられたことはやろうとするが、自ら課題 を見つけ、自ら考え、自ら解決しようとする意欲に欠けている。また、. 忍耐力がなく何かを始めても続かないことがあり、あきらめが早い。 その結果、自分に自信がもてないといったことが生じる。  そして、「子ども一子ども」の関係性の中で、トラブルが発生する. と、自分中心にものごとを考えたり自分の感情をうまくコントU一ル できなかったりする。その結果暴力をふるったり嫌がらせをしたりし て問題行動に走ることになる。その際、問題として感じられるのは、 自分は悪いことをしているという意識がないことである。集団の中で. の自分が未発達なのである。これは「社会的規範」が薄れ「道徳性」 が育っていないことに関わっている。また、トラブルを解決するため. の手段がわからないために学校へ来ることが嫌になり不登校に陥る こともある。. (2)家庭の中での子どもたち.  女性の社会進出に伴う両親共働きや少子化、核家族化により、子ど もが一人で家で留守番しているという状況がよくある。また、テレビ やゲーム、パソコンや携帯などの普及により、家の中で一人で遊べる 状況が整っていることも見逃せない。.  小中高生の携帯電話調査(図1参照)によると、i携帯電話の所有率. は、小6が25%、中2が46%、高2が96%である。また、使う場面は 自分の部屋など1人でいるときがもっとも多く通話よりもメールが               一7一.

(13) 多い。中2の一日の送受信数は、10件以上が61%、50件以上が20%、. 100件以上は7%にも達する。そして、メールをする時間帯は一日30 件以上メールする生徒の4人に1人は「午前0時以降」と答えている。 さらに「食事中」「入浴中」でも携帯が手放せない子どももいる。.  子どもたちは携帯電話を使って言葉のやりとりをすることは、送信. や受信を繰り返し行うことでコミュニケーションを図っていると考 えているかもしれない。しかし、気づかなくて返信がなかったことへ のいらだちや微妙に気持ちが伝わらないこともあり、トラブルのもと となることもある。また、現実社会では言えないことをメールに託し 匿名性を利用して「ネットいじめ」へと発展することもある。これは、. 大人の目に触れにくく知らないところで事態が深刻化することもあ り発見しにくい。さらに、子どもたちの中に、人の心を傷つけてはな らないという「社会的規範」が弱く、「道徳性」が育っていない。. ow. 50%. o%. MIO件以上 050件以上 0100件以上. o%. ∠==z二7…. 一. 認㎎・襯. 翻. 自分の部屋で一人でいるとき. 所有率. 100%. !. /講. ∠     /. 100%. 一盈. 50%. /         /. F!. 100%. 中2の一日の送受信数. 図1−1:小中高生の携帯電話調査 *文部科学省2009.2.26(朝日新聞). 一8一.

(14) 2 主体性と自尊感情  日本の中学生は「自分がダメな人間だと思う」「よく疲れていると. 感じる」生徒が多い。これは、日本青少年研究所が2008年9月∼10 月に行った生活意識調査においてアメリカ・中国・韓国と比較して明 らかとなったものである(図1参照)。「学校の勉強がつらい」と感じ. ている生徒はどの国もほぼ同じで約5割となっている。しかし、「自 分はダメな人間だと思う」に関しては、アメリカは14.2%、中国は 11.1%に対して、日本は56.0%に達している。また、「よく疲れてい. ると感じる」に関しては、アメリカは55.1%、中国は47.1%に対し て、日本は76.0%にも及ぶ。. 0 04 02 00 86. (iD. ■日本 ロ米国. ①学校の勉強はつらい ②自分はダメな人間だと思う ③よく疲れていると感じる. ■中国. a韓国 @. @. 図1−2:中学生の生活意識調査 (産経新聞 2009.2.25) *財団法人日本青少年研究所2008.11.  「自分がダメな人間だと思う」というのは、自己肯定感がもてず、 自分の能力に対する信頼や自信がもてないということである。「よく 疲れていると感じる」というのは、例えば、身近な人との関係におい て精神的に疲れている場合がある。自分に自信がもてず、人との関係 もうまくっくれない子どもたちは、学校の中で悩んだり、中には問題 行動に走ったり、不登校に陥ったりするなど深刻な現状を引き起こす 場合もある。.  そこで、人間関係を育み自分らしさを発揮できる1つの方法として、 「話し合い活動」を教育活動に取り入れる心の教育総合プランを考え てみた。「学校の勉強は楽しいものだ」「自分にはいいところがありゃ               一9一.

(15) ればできる」「みんなで学んだり支え合ったりしていいものをつくり. あげれば、疲れはふっとんでしまうjと子どもたちが主体性を持って 学校生活を送り、互いを認め合うことで自尊感情が育まれる取り組み が必要となってくる。. 3 課題を解決する能力  子どもたちが自分に自信がもてず、人との関係もうまくつくれなく なったり、問題行動や不登校に陥ったりするような深刻な状況になる ということは、子どもたちが今の生活に絶望し夢を見失っているから. である。自分の将来をデザインし、自己実現に向けた目標を設定し、 その目標を達成するための計画を立て、情報を集め、自分の夢に向か って前に進むことが大切である。子どもたちが主体的に今自分に起き. ている課題をしっかりと把握し、分析し、先を見通したうえで、課題 を解決していかなければならない。そのためには、ものごとを筋道を 立てて考え、なぜその問題が起きているのかの原因を追求し(根拠)、. さらに吟味し、その裏づけ(論拠)を考えることが、課題の解決への. 糸口をつかむことにつながる。子どもたちにとって、よりよい生活、 よりよい生き方を目指して、自らの課題を見出し、解決しようとする 力が、課題を解決する能力である。.  その課題を解決する能力を培う場が、学校教育における「話し合い 活動」である。子どもたちは、「話し合い活動」を通して、課題を様々. な角度から捉え、把握し、切磋琢磨する中で、よりよい解決方法を見 出していく。この「話し合い活動」を学校教育のあらゆるところで実 行していくことが、子どもたちの深刻な状況を解決していく近道であ るともいえるのである。. 4 「学ぶ」こと  伝統的な学習方法では、まず教える人がいて、知識を言葉で表現する か、お手本を示すことで知識を注入し、その知識を元に問題の解決など を学び手にやらせてみて、正誤の確認情報を与えることである。これは               一10一.

(16) 注入教育(インドクトリネーション)である。学校では、この「教える 人」が「教師」であり、「学ぶ人」が「児童生徒」である。『広辞苑』に よると、インドクトリネーションとは、「教師が児童生徒に特定の価値観. を他の諸説との検討比較を行わずに教え込む伝統的な教育」とある。こ こでは、学び手は受動的な存在であり、しかも有能ではないとされ、伝 達された知識を正しく吸収されたかどうかテストされ、そのテストによ って評価されてしまっている。そして、良い教師が行うべきことは、子 どもたちができるだけたくさんの知識を獲得するように、できるだけ多 く知識を伝達することになる。つまり、学び手はもともと有能というわ けではなく、みずから適切な働きかけの仕方を発見したり、なぜそれで うまくいくのかの理由を考え出したりすることは期待されていないこと になる。この伝統的な学習方法では、子どもたちの日常生活のもとで生 ずる問題解決を図ることはできない。.  日常生活で私たちは、常に周囲の人々と意見をかわしあい、暖かい関 係を保っている。元来人間の生活は、人々が相互に交流することなしに は営みにくい。日常生活では、人々は単に外に働きかけるばかりではな く、その働きかけ方がうまくいったか否かを判断し、その個別な経験を 集積して一般化を行い、そしてそれがなぜ成り立つのかの理由を考える。. この一連の過程は、教え手なしに自然とむしろ能動的に人とのつながり 方や生き方を学んでいる。他者と多く関われば関わるほど経験が増え、 学べることは必然と多くなる。.  そこで、子どもたちが、能動的に、「学ぶ」意欲を自然と駆り立てられ. るようなしくみを学校教育の中に取り入れていく必要がある。それが、 「話し合い活動」である。.  波多野・稲垣(1989)は、次のように述べている。「学ぶべき課題に 関する知識の量において明白な差が存在する熟達者と初心者、おとなと 子どものやりとりとはちがって、同輩同士(仲間同士)のやりとりでは、. 知的好奇心が高められやすく、だからこそ理解も深まることが多い。お となとのやりとりにおいては、子どもは、通常おとなが正答を知ってい ることを知っている。したがっておとなから質問されても、その質問は                一11一.

(17) 相手がよく知らないからしでいるのではないことがわかっている。そこ では、相手に「なるほど、そうか」「わかった」などと思わせるような答 えをうみ出そうとする意欲は、あまりわかないのが普通だろう。むしろ、. おとなの考えている答えは何かをはやく見つけることの方に精力をそそ ぎがちだ。これに対し、仲間同士のやりとりでは、ぜひ自分の意見や考 えをいいたい、相手にこれを教えてあげたい、という気持ちがより自然 な形で、しかもより強く生じやすい、と考えられる。(省略)子ども同士. で討論しているときも同様である。自分では絶対正しいと思っていたの に、他にもっともらしい意見が存在することに気づかざれたり、思いが けない角度からの反論に出会ったりすることにとって、さらにそれにつ いて深く考えることが動機づけられる、といえよう。学び手としての能 動性が増幅される、といってもよい。」6.  子どもたちが能動的に他者と関わりながら「学ぶ」ことのできる「話 し合い活動」を教育のなかに組み込むことは、子どもたちが自ら価値を 創造することになり、新たな規範をもとに、日常生活のもとで生ずる問 題解決をも図ることにつながっていく。. 一12一.

(18) 第3節 新たな学校教育の方略  いじめ、問題行動、不登校などの子どもたちの諸問題には、人間関. 係のゆがみと人間関係を育む力が弱まってきているという背景があ る。その対応策として、学校では、問題のある生徒に対しては教育相 談などによる心理療法的な支援が行われたり、教室における学習活動. では生徒一人ひとりに焦点をおいた学習支援の取り組みが行われた りしている。しかし、子どもたちが自らの学びによって人間関係を再 構築し、子どもたちに社会力をつけるためには、学校の教育活動全体 で行われるとされている道徳教育のあり方に依るところは大きく、子. どもたちが自ら学ぶ過程において根拠を吟味するためには論理的思 考力が必要であり、それは教科の中でも特に数学教育の方法の改善が 迫られている。. 1 道徳教育をめぐる諸課題  筆者は「道徳性」を育てるために、道徳の時聞に資料を通して様々 な方法で道徳的価値に気づかせようと努力してきた。子どもたちは、 道徳の時間には、すばらしい意見を発表し道徳的価値は大切であると 感想文に書く。しかし、道徳の時間が終わり休み時間になったとたん、. 友だちに道徳性が感じられない言葉を発したり行動に出たりする。つ まり道徳性が育っているとは考えられにくい。.  文部科学省は道徳教育の教育課程編成における方針として、道徳の 時間の役割を「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行 うものである。」7としている。確かに道徳の時間だけで道徳性を養う. のは困難であるため、学校の教育活動全体を通じて行うとある。.  しかし、道徳の時間はf要」である。目標には「道徳の時間が、各 教科、総合的な学習の時間及び特別活動などにおける道徳的心情や判 断力、実践意欲と態度などの道徳性の育成と密接な関連を図りながら、. 計画的、発展的な指導によってそれらを補充、深化、統合するもので あることを示すとともに、人間としての生き方が単に行為の善悪や方 法を求めるだけのものではなく、道徳的価値に裏打ちされた人間とし               一13一.

(19) ての生き方についての自覚を深め、よりょく生きるための道徳的実践 力を育成するものである。」8とある。.  道徳の時間の後に、友だちに平気で道徳性が感じられない言葉を発 したり行動にでたりするということは、道徳の時間のあり方を道徳性. が育まれるようなものに変えていかなければならないことを示唆し ている。中学校学習指導要領、改善の具体的事項として、F道徳的価. 値観の形成を図る観点から、書く活動や語り合う活動など自己の心 情・判断等を表現する機会を充実し、自らの道徳的な成長を実感でき るようにする。」9とある。つまり、「子ども一子ども」の「話し合い. 活動」を展開することによって道徳的価値に自ら気づき、道徳的実践 のできる子どもたちを育てることが道徳性を育てることにつながる。  谷田(2008)も「話し合い活動」の重要性を次のように述べている。. 「書いたり討論したりするなどの表現する機会は、生徒が自分自身の ものの見方、考え方、感じ方を言語によって明らかにすることであり、. 自分の意見がどのようなことを根拠にしているのか、どんな理由によ るものなのか、その拠り所を明らかにする過程でもある。「なぜ」「ど. うしてgと更に深く自己や他者と対話することで、自分自身を振り返 り、自己の価値観を見直すことになる。」lo  この「子ども一子ども」による「話し合い活動」は、「道徳の時間」. はもちろんのこと、教科学習の時間、委員会活動や部活動、学校行事 などすべての教育活動の中で実践されるべき活動である。その活動の 積み重ねにより、道徳的実践のできる子どもたちを育て、子どもたち の中にi道徳性」が育まれていくのである。.  また、今まで学校現場で「特別活動の時間」やギ総合的な時間」を 利用して、「多様な価値観」をねらいとする参加体験学習や「障害の ある人々と共に生きる」をねらいとする体験学習、「働く意義」をね らいとする「トライやるウィーク」などの職場体験学習を行ってきた。. 子どもたちは体験学習を終えると、口をそろえて、「楽しかった。実 感できた。」fまた体験したい。先生、また、企画して。」と感想を言 う。しかし、それぞれが、感想を文章に表し発表会で披露し分かち合               一14一.

(20) うことに終始しているだけである。ねらいに対して考えを深めたり、. 新たな発見に対して人と話し合うことで気付かされる別の視点を獲 得することなく、体験は体験のままで、経験として子どもたちの日頃 の生活や生き方に反映されていない。.  そこで、この体験活動を充実させるのが、「子ども一子ども」によ る「話し合い活動」である。子どもたちは、体験活動で得た知識や発 見をもとに、資料を通して、今までは気づかなかった新たな視点を獲 得し、「道徳性」を育むことができるのである。.  さらに、今までの伝統的な道徳の授業は、「道徳の時間」に一斉授 業の形式で資料を通して、主人公の心情に迫り、道徳的心情を理解す るものが多くみられた。これは、大人社会の価値・規範を伝達し内面 化するものであり、子どもたちが主体的に学ぶものではなく、インカ ルケーション的指導である。.  そこで今一歩、道徳的判断力を養うために、「モラル・ジレンマに よる道徳授業」が試みられてきた。筆者も実際に、子どもたちに葛藤 を促す資料を抽出し、「モラル・ジレンマによる道徳授業」を展開し てきた。確かに「子ども一子ども」の形で、子ども主体にディスカッ ションが行われ、子どもたちは「楽しかった。」「あの人はあんな考え 方をしていたんだ。」と感想を言う。しかし、「モラル・ジレンマによ. る道徳の授業」は個人の多様な価値観を認め、終末がオープンエンド であるため、「で、先生、どっちなの?」や「何か、すっきりしない。」. という感想を持つ子どももいる。.  道徳的心情や道徳的判断力がついても道徳性が育たず、道徳的実践 のできる子どもたちを育てるには、この「子ども一子ども」による「話 し合い活動」を通して、問題を個々の判断に任せてしまうのではなく、. そこに「教師一『子ども一子ども』」を取り入れ、大人と子どもの相 互行為、子どもたちの相互行為による了解志向的に価値・規範を築き 上げていこうというのが「話し合い活動」である。これによって、子 どもたちは学級全体で一つの問題を解決していこうとする意識、学級. の規範意識を育成することができ、学級集団の絆も深まり、個々人の               ’15一.

(21) 道徳性も養われていくのである。. 2 教科(数学)教育をめぐる諸課題  教科の授業の改善点として、習得(広く知識・技能を習得する授業). し、活用(論理的に表現する力を高める授業、思考力・判断力を高め. る授業)し、探求(学ぶ意欲を高める授業)することが求められてい る。.  この中で、活用(論理的に表現する力を高める授業・思考力・判断 力を高める授業)について、特に数学の授業に焦点を当てて考えてい きたい。.  平成20年1月の中央教育審議会答申の中で、小学校算数科、中・ 高等学校数学科の改善の基本方針の3つ目は次のとおりである。  「数学的な思考力・表現力は、合理的、論理的に考えを進めるとと もに、互いの知的なコミュニケーションを図るために重要な役割を果 たすものである。このため、数学的な思考力・表現力を育成するため の指導内容や活動を具体的に示すようにする。特に、根拠を明らかに し筋道を立てて体系的に考えることや、言葉や数、式、図、表、グラ フなどの相互の関連を理解し、それらを適切に用いて問題を解決した り、自分の考えを分かりやすく説明したり、互いに自分の考えを表現 し伝えあったりすることなどの指導を充実する。」11.  また、中学校学校指導要領の改訂の骨格の一つに、「説明し伝え合 うこと」とあり、次のように解説されている。.  「数学的活動の過程では、何を考え、どのように感じているのか、 自分自身と向き合わなければならない。自分自身の言葉で着想や思考. を表すことにより、自分の考えを再認識することができる。こうして 言語で表されたものは、自分の考えを見つめ直す反省的思考を生み出 し、さらに研ぎ澄まされたものとなっていく。この自己内対話の過程. は、他者とのコミュニケーションによって一層促進され、考えを質的 に高める可能性を広げてくれる。説明し伝え合う活動における他者と. のかかわりは、一人では気付かなかった新しい視点をもたらし、理由               一16一.

(22) などを問われることは根拠を明らかにし、それに基づいて筋道立てて 説明する必要性を生み出す。そして、数学的な知識及び技能、数学的 な表現などのよさを実感する機会が生まれる。」12.  つまり、子どもたちは数学の授業の中で、他者とコミュニケーショ ンすることにより、考えを深め、新しい視点を獲得し、思考力・表現. 力を高めていくことができるのである。その際、キーワードになるの が「根拠」であり、理由を問う・問われることが考えを深める足がか りとなる。.  キャリア教育の視点からも子どもたちに求められる力として、問題解 決能力がある。社会人として知識は必要である。しかし、知識だけでは 問題を解決することはできない。何か課題に直面したときに、今ある状 況をしっかりと把握し、分析し、たくさんのデータから将来を予測し、. 多くの人を説得する力が必要となってくる。多くの人とコミュニケーシ ョンを図るなかで、必要とされるのが論理である。論理的にコミュニケ ーションが進まないときは、首尾一貫したものでなかったり、自分勝手 な論理であったり、前提が見過ごされていたりするなど、論理がごちゃ 混ぜになってしまっている。非論理的な議論を見分けるカ、自分はこう いう論法に立っているのに、突然出てきたのは別の論法ではないかとい うふうな、違う論理が割り込んできたときにそれを見分ける能力、それ を養う必要がある。.  今、学校で行われているそれぞれの教科における授業のあり方につい て考えてみたい。.  そもそも何のために教科を学ぶかと闊うと、いかに早く正確に入試問 題を解くためという答えが返ってくる。初めに考え方を覚え、次に理解 する。それは入試問題がパターン化していて、暗記による勉強が得点を 高めやすいということが原因になっている。.  この順序を逆にし、問題の解答がなぜそうなるのか、論理的に考えて 理解する必要がある。問題の答えを導くことが目的ではなく、問題の答 えに到達するまでの過程の中で、筋道を立てて論理的に考える、あるい はすぐに答えにたどり着かなくても一生懸命に考えて、その考えること               一17一.

(23) 自体で思考力を養っていくことが大切である。.  この論理的に考えて、考えること自体で思考力を養っていくために、 極めて重要なのが、「数学の時間」である。数学の問題のなかには、答え. は一つではあるが解き方は様々あるというような問題がある。例えば、. 三平方(ピタゴラス)の定理の証明を考えてみる。図形の性質のなかで も、面積の分割に注目したり、等積変形を利用したり、相似の証明など. 多くの解き方がある。また、ものの見方を変えて、0と1は同じに見る というのもある。足し算の結果が変わらないのが0で、掛け算の答えが 変わらないのが1というふうに、演算の種類を考えなければ、演算の結 果相手が変わらないという性質、単位元という意味で同じと考えられる。. したがって、子どもたちが「数学の時間」に問題を解くことは、ものの 見方を変えて考えたり、筋道を立てて何が正しいかを論理的に考えたり する力を養うために役立っといえる。.  教科を学ぶということは、入試に役立つ知識を得ることが目的ではな く、それは手段として、学ぶことによって表現力、思考力、判断力など をつけたり、視野を広く持ち、創造性を豊かにするなどの、人間として の生き方、あり方を変えていくことであると考えられる。. 3 学校教育のパラダイム転換  かつて人々が農業を基盤とする社会で生活を営んでいたころ、子ど もたちは、自然と大人から生きていくために必要なものを身につけて. いた。それは、大人による意図的な働きかけの中で身につけさせられ たものではなく、それぞれの共同体の中で、子どもを教育する社会的 装置が仕組まれていたために、大人が教え働きかけなくても、子ども たちは自然と獲得していたものである。ところが、産業革命によって 共同体が解体し、仕事が分業化された今目、かつての自然発生的な社 会的装置は機能しなくなり、子どもたちは、社会の目的にそってロボ ットのように教育され、主体性を失い、人間関係をどう保てばいいの か途方にくれているのである。.  学校の存在自体も変容を遂げてきた。かつて学校の教師はその地域               一18一.

(24) に住み、そのメンバーとして村の年中行事にも参加し、その日常生活 の中に溶け込んでいた。地域教育と学校教育との間には隔たりはなく、. 学校は村の習俗から見て新しい文化としての学校行事を地域住民に 提供していく地域の文化センターのような存在であった。しかし地域 の共同体が崩壊した今、学校の教師や家庭の親は、子どもたちを地域 から遠ざけ、個性を尊重し個人能力主義に走ったため、学校は自然科 学の領域を中心とする教育内容の現代化へと変容した。.  子どもたちの暮らしに豊かさを取り戻すには、かっての地域社会の 中にあった共同体を学校の中につくりあげていく必要がある。その共 同体は小さな社会であり、そこで決められたルールに基づいて、新た. なよりょく生きていくためのあり方を大人も子どもも同じ立場で吟 味する話し合い活動によって創造する必要がある。. [註1. 1)林忠幸『新世紀・道徳教育の創造』東信堂2002pp114・115 2)小笠原道雄『教育学における理論=実践問題』学文年刊1985p16 3)渡邉満「コミュニケーション的行為理論による道徳教育の可能性」兵庫教育大.  学研究紀要 第19巻1999p93. 4)同上P95 5)同上P96 6)稲垣佳世子・波多野誼余夫『人はいかに学ぶか』中公新書1989pp131・134 7)文部科学省『中学校学習指導要領解説 道徳編』教育出版2008p7 8)同上P8 9)同上P7. 10)谷田増幸「中学校道徳における言語活動の充実」『中等教育資料』(10月号).  大H本図書2008 11)文部科学省『中学校学習指導要領解説 数学編』教育出版2008p3 12)同上pp29−30. 一19一.

(25) 第2章  共に生きるための社会力を育てる道徳教育の       可能性  第1章では、子どもたちが引き起こしている問題行動の背景として、. 近代という社会の変化に伴う子どもたちへの影響について述べてき た。この章では、特に、社会力という観点でその問題行動の要因を洗 い出して、そのメカニズムを明らかにしていく。. 第1節 人間関係と共に生きる社会力  人間関係をうまく営めない子どもたちが少なくない現代において、. その要因の一つには人間関係をうまく構築できない大人の存在があ る。その背景には大人も子どもも共生する「場」の喪失が考えられる。. 学校教育の場で、人間関係を育み、共に生きるための社会力を育てる 道徳教育の課題について述べていく。. 1 社会化、社会性と社会力  ドイツの社会学者G.ジンメルは『社会学の根本問題』という本の中 で、「社会は個人間の心的相互作用である」とし、「多数の諸個人が相. 互行為に入りこむとき、そこに社会は実在する」といい、社会が成立. する「現場」とは、日常生活の場である」としている1。つまり、私 たちの社会生活とは、人から人への一時的または恒久的、意識的また は無意識的でもあり、微々たるものまたは重大な影響を与えるものな ど、人と人とを絶えず結びつけるものであり、個人間の種々の相互行. 為であるといえる。また、ジンメルのいうf社会化」とは、「人々が 日常的に繰り返している相互行為が、社会なるものを成り立たせてい る実態であり、それが社会を社会たらしめているという意味で、社会. 化と言い表すことができる」2としている。社会化とは、ある社会に 生まれたある人の子がその社会の一人前の成員になっていく過程と 言う意味である。つまり、社会に適応していくことである。したがっ て、社会を営む力である「社会性」が必要とされる。「あの人は社会 性がある」と言う場合、人との関係がうまくでき、世の中に順応して               一20一.

(26) いる人を思い浮かべる。つまり、他者との円滑な人間関係を営み、社 会が支持する生活習慣や価値規範、行動規範などによって行動するこ とである。.  それに対して、門脇(1999)は、「社会力」を次のように定義した。. 「社会力」とは、「社会のある種の状態をいうのではなく、もっと主. 体的に好ましい社会を構想し、作り、運営し、改革していく意図と能 力である」としている3。社会力があるとは、構成員として主体的に、 積極的に社会を作り替えていく力として「社会性」があることよりも、. もっと社会をよくしていこうという前向きの姿勢が必要である。.  したがって、社会が変化している現代、社会が支持する生活習慣や 価値規範、行動規範なども変わってきている。つまり、今までの生活 習慣や価値規範、行動規範などを見直し、新たなものを創造する必要 がある。. 2 他者と共生する「場」の喪失  人は他者への関心や愛着や信頼感があるだけでは、社会力があると. はいえない。人は多様な他者との相互行為を際限なく重ねることで社 会力を身につけることができる。.  G・H・ミードの子どもが他者をいかに取り込むかの過程を説明する. 理論をもとに、門脇は、次の4つの道筋で社会力が育つしくみを整理 している4。. (1)ヒトの子は、環境と応答(相互行為)する高度な能力を先天的    に多く備えている。. (2)先天的に備わった高度な応答能力をくひと環境〉との応答によ    って正常に稼働させることで、他者への関心や愛着や信頼感と    いう社会力のおおもと(原基)が培われる。 (3)こうして培われた社会力のおおもとを原動力として、年齢とと.    もに拡大する行動範囲の広さに応じてさまざまな他者との相    互行為を重ねていく。. (4)多様な他者との相互行為を重ねることによって、社会を成り立               一21一.

(27)    たせ社会生活を滞りなく送るために必要な社会的要素を共有    するようになる。.  ところが、今の子どもたちの生活世界を考えた場合、他者を取り込 む「場」がほとんど見当たらない。人はこの世に誕生してから、まず 家庭という場の中で親や兄弟と共に育つ。ところが、経済成長に伴っ て父親はサラリーマン化し、母親は便利な電化製品の登場により、働 きに出て、兄弟は習い事に出かけ、少子化、核家族化の中で家族での 共同作業をする姿はほとんど見かけなくなった。地域の中でも、公園 で異年齢の子どもたちが大きな声ではしゃぎ、遊ぶ姿はあまりなく、. 地域の子どもたちとお年寄りが一緒に交流するようなイベントも減 りつつある。学校は、一人ひとりの個性を尊重し、能力を高めること に重点がおかれ、他学年との交流が期待される行事も年々減る傾向に ある。.  つまり、子どもたちにとって他者と共に生きる「場」がどんどんと 失われ、社会力が育みにくい世の中になってきているということであ る。. 3 大人と子どもの社会力.  下の図は、1985年に、全国の13歳から29歳までの男女3600人を 対象に行われた調査で、「ふだん友人とどのようなつきあいをしてい. 0 07 06 05 04 03 02 01 00 98. るか」の質問に対する回答をグラフ化したものである。. 一    一    一■中学生.            高校生. =  = 窓=.大学生. 一     一     …■勤労青少年. ILth.一一. 一㎜’. ①プライド ②プライバシー③熱心に聞く. @      囲一     軽 一. ④反対・ない⑤対立しない. 図2−1 友人とのコミュニケーション・つきあい方. NHK放送文化研究所世論調査部編『日本の若者』1985 一22一. 鼈黶v.

(28) ①相手のプライドも傷つけないし自分のプライドも傷つけられたくない ②相手のプライバシーにも深入りしないし自分のプライバシーも深入りさ  れたくない. ③相手の話がおもしろくなくても、熱心に聞くようにしている ④なるべく相手の考え方に反対しないし、自分の考え方に反対されるのも  いやだ. ⑤対立しそうな話題は避けるようにしている.  全体として、もっとも割合の多い方から三つ並べると、①相手のプ ライドも傷つけないし、自分のプライドも傷つけられたくない=83%、. ②相手のプライバシーにも深入りしないし、自分のプライバシーも深 入りされたくない=79%、③相手の話がおもしろくなくても、熱心に 聞くようにしているこ78%という順になる。.  このようなつきあい方は中学生でも大学生でも社会人でもあまり 違いがない。最近の若者はお互いの気持ちや都合を尊重し紳士的なつ きあいをしているということだろうか。いや、お互いに本音を言った り、意見を戦わせたりせず、また余計なことを聞いたり詮索したりも せず、ごく表面的にその場をやり過ごせればいいといった感じのつき あいだということである。パソコンや携帯電話が普及するのがうなず ける。この若い世代の人間嫌い現象は、多様な他者との相互行為不足 を促進し、「社会力」の低下を招いているのである。.  この調査は25年前の調査なので、今この時代を、社会を担ってい るのは、当時の若者であり、今の親世代でもある。子どもたちの社会. 力が育たないのは、親世代の社会学のなさからきていると言っても過 言ではない。今の親世代は人と人がつながることに無関心である物が 多い。多くのさまざまな人たちといい関係をつくり、地域づくりやボ ランティア活動に参加したり、各種の勉強会に参加したり、イベント. や催しを自主的に企画し仲間を募って一緒に運営したりするなど、社 会の運営に積極的にかかわろうとはしない。.  他者への無関心である親世代に育てられている子どもたちは、他者 とのかかわりを避ける傾向にある。中には、他者嫌いになり、他者と               一23一.

(29) かかわることを恐れるかのようになり、さらには人間そのものが嫌い という場合もある。不登校や引きこもりが増加しているのもうなずけ. る。そこまではならなくても、できるだけ目立たぬようにと子どもに 諭す親さえいる。「目立つこと」は、それを理由にいじめに遭うかも しれないからである。.  このような事態をできるだけ回避するためには、地域の大人も、他 人に無関心な親たちも、非社会化する子どもたちも、みんなで交流を 深め、新しい関係を育み、互いに理解と信頼を深め、社会力を強化し なければならない。その他者とつながるf場」の一つが学校である。 共に生きる「場」としてその役割を担う学校の存在は大きいといえる。. 4 社会力の衰弱  先に述べたように、若年層に「非社会化」が進んでいる。いじめ、 不登校、怠学、中途退学、無気力化、引きこもりなど、これらの非社 会化は社会現象にもなっている。「引きこもり」とは、厚生労働省に よれば、心身の病気が原因になっているわけでもないのに、仕事をし. たり学習したりといった社会参加をせず、6か月以上にわたって自分 の部屋や家から外に出られない状態にある人のこと、とされている5。 この引きこもりは、昼夜逆転、家族への拒否、強迫的な行為から家族. への支配的な言動だけでなく、家庭内暴力(本人から親へ)へと移行 することさえある。.  筆者は、学校現場で、多くの学校に行けない、引きこもりの子ども たちと対面してきた。家に行くと昼夜が逆転していたり、ふすまがボ ロボロになっていたり、日頃の子どもの様子からは想像もつかないよ うな現象が引きこもりの家庭の中にはあった。また、実地研究皿の適. 応指導教室での実習で、じっくりと子どもたちと向き合う中で、学校 に行けないことの一つの理由として「話を聞いてくれない、自分を理 解してくれない」ことがあった。誰も好きで引きこもっているわけで はない。家庭で、学校で、地域で居場所がない。本当は自分の思いを. 願いを聞いて理解してもらいたいのだということが、痛いほど心にっ               一24一.

(30) きささった。自分はどうずれば人とうまくかかわっていけるのだろう. かと悩む子どももいた。自分の思いを語るまでにずいぶんと時間のか かる子どももいた。親や教師や友だちや地域から取り残された子ども たちは、自分から進んで、社会という輪の中に飛び込めなくて、悶々 としているのである。. 5 社会力をどう育てるか  家庭・地域・学校のどこにも「社会力」を育む「場」が存在しなく. なれば、それはやがて「社会」の喪失にもつながってしまう。若い世 代もやがて大人になり、親になり家庭を築く世の中になったとき、か つてはあったはずの文化や伝統、その中にあった言葉やしくみ、きま りは忘れ去られ、機能しなくなる。.  家庭や地域の教育力が問われている今、まず学校教育の中に、「社 会力」を取り戻すしくみを取り入れる必要がある。それは、今までと 同じ方法では、取り入れることはできない。社会の変化に伴って、子 どもの実態を把握したうえで、新たな教育方略を考えていく必要があ る。他者との相互行為を重ねることにより、その社会で生まれ、そこ で育ち、この社会に生まれてよかったと思い、今こうして生きている. のが幸せだと感じることのできる社会を創造する教育方略を道徳教 育の中で、また教育活動全体を通して考えていかなければならない。. 一25一.

(31) 第2節 ハーバ・一…マスとコミュニケーション的行為の理論  コミュニケーションとは、人と人との間で行われる知覚、感情、思 考の伝達である。つまり言語などを利用して、互いに働きかける相互 作用である。ハーバーマス(」讃abermas)のいうコミュニケーション. 的行為とは、言語を利用して互いに働きかけるだけでなく、その言語. を媒介にした相互主体問で何らかの一致が見いだせる了解に達する 行為である。つまり、言語を利用して相互作用することで、何か新し いものを創り出す相互行為であるといえる。この節では、このハーバ ーマスのコミュニケーション的行為の理論について述べ、コミュニケ ーション的行為理論の教育への必要性について考えていく。. 1 普遍的語用論  言語を媒介とする相互作用が必ずしも了解志向行為であるとは限 らない。このことを明らかにするために、ハーバーマスは言語学者オ ースティン(J.Austin)の言語行為論を拠りどころとし、彼の行為論 に結びつけている。.  ハーバーマスは、オースティンによる発語行為、初語内行為、初語 媒介行為の三つの区分をふまえる6。 発語行為. :文法構成および意味をもった文を発する行為それ自 体。話し手はある事態を表現する。. 発語内行為. :発語行為をなすことにおいて、それと同時に遂行さ れる行為。例えば、約束したり陳謝したり等の行為。. 何かを語ることにおいて行為を遂行する。発語内的. 役割は、主張、約束、命令、告白等々として使われ る文の話法を確定する。. 発語媒介行為:前記の行為をなすことによって、結果として引き起        こされるという仕方で遂行される行為。話し手は聞        き手の側にある結果を達成する。話し手はある発語        行為を遂行することを通じて、世界の中に何かを結        果として惹き起こす。              一26一.

(32)  三つの行為とは、「何かを語る」、「何かを語ることにおいて行為す る」、「何かを語ることにおいて行為することを通じて何かを結果とし. て惹き起こす」というように特徴づけられる。ハーバーマスは発語内 的な効果と発語媒介的な効果との区別の分析を次のようにおこなう。  発語内的な効果 :合理的に動機づけられたコンセンサスを引きだ.          すこと。コンセ7サスに到達するという方法に          よって目的(例…君が私に「オフィスでたばこ.          を吸うのをやめてほしい」と頼んだ場合、私に          たばこを吸わせないという目的)を達成するこ          と。  発語媒介的な効果:言語行為が理解を引きだすこととは別に発揮す.          ること効果のことである。  フィンリースン(J.G.Finlayson)(2007)は次のように述べている7。. 「発語内的効果とは、たばこの例をとると、君の発話の発語内的目標 とは、単に私にたばこを吸わせないことにとどまらず、私に君の要請. を妥当なもの、ないし道理にかなったものとして受け入れさせ、しか も、自発的にそれにしたがわせることなのである。それに対して、発. 語媒介的な効果は隠れていて、ことばにあらわれないが、効果的であ る場合も、効果に乏しい場合も、そのどちらでもない場合もある。」. つまり、発語内的な目標の方が、原理的歴然と見てとれるのだから、. 理論的にも実践的にも発語媒介行為的な目標よりも基本的だという ことである。.  ハーバーマスは、言語に媒介された行為を次のように区別する。「す べての当:事者がその発語行為で発話内的目標を、しかもそれだけを追 求するような言語に媒介された相互行為を、’コミュニケーション的行. 為に数えることにする。これに対して、当事者のうち少なくとも一人 が、その発語行為で相手に発語媒介的効果を喚起しようとしている相 互行為を、言語に媒介された戦略的行為とみなす。」.  コミュニケーション的行為と戦略的行為という対置は「了解」を軸. として言語論的視野から発語内的行為と発語媒介的行為という対置               一27一.

(33) と類比された。その結果、発語内行為を基盤とした構成要素である命. 題内容と発語内の力がもたらす「了解」が人々を結びつける決定的な 役割を果たすのである。.  ハーバーマスによれば「了解」とは、言語能力と行為能力を備えた 主体の問で一致が達成される過程である。その際、「集合的に同じ気 分でいること」と了解がうまくいったときの「同意」とは区別される。. なぜならば、コミュニケーションを通じて達成される同意にしても、. コミュニケーション的行為において共通に前提にされている同意に しても命題的に分化しているからである。同意はこのような言語行動 をもつからこそ、外からの働きかけだけによっては誘発され得ず、当. 事者によって妥当であるとして受け入れられねばならないのである。 つまり、同意は押しつけることはできず、同意は共通に納得し合うこ とに基づくのである。さらに、言語水準において初めて、同意はコミ. ュニケーションを通して達成された合意(コンセンサス)という形式 をとり得るのである。. 2 妥当性要求と三世界  コミュニケーション的行為とは、了解志向的な発話行為であるが、 それは批判可能な妥当性要求を兼ねた発語行為と言えるのである。ハ ーバーマスによると、話し手は発話の中で次の三つの妥当性要求をす べておこっているはずであると主張する8。.  ①真理についての妥当性要求(みずからの発言が真であることにつ いて、コンセンサスを得られるだけのしかるべき理由を提示できると. 主張し、これを相手に認めるように要求すること)②正しさについて の妥当性要求(みずからの発言が規範的に正しいということについて、 しかるべき理由を提示できると主張し、これを相手に認めるように要. 求すること)③誠実さについての妥当性要求(みすからが自分の主観 的気持ちを誠実に打ち明けているということについて、しかるべき理 由を提示できると主張し、これを相手に認めるように要求すること) である。.               一28一.

参照

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