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合理的な規範を導く実践的ディスクルス 1 ディスクルスによる「規範構造」の組み替え

第3章 話し合い活動を中心とした特別活動の授業・

第1節  合理的な規範を導く実践的ディスクルス 1 ディスクルスによる「規範構造」の組み替え

 ハーバーマスは、「行為規範を正当化するとはいかなることを意味 するのかを知っている者は、誰でも暗黙のうちに、普遍化原則の妥当 性を認定せざるをえない」と述べている。行為規範が正当であるとは、

その規範に則った行為がすべての当事者に強制なく受け入れられる ことである。そして、実際いかなる規範がそのような普遍化原則を満 たすかは、論理的演繹によってではなく実際の議論(ディスクルス)

の実行によって明らかになってくると言う。

 コミュニケーション的行為に導かれるディスクルス倫理学におい ては、個人と個人とのつながりにより、社会規範が築き上げられる。

したがって、ディスクルス倫理学の原則(D)は、次のように示され

ている1。

[討議原則(D)]

 各々の妥当性を有する規範が当事者すべての一致を見るのは、当事 者すべてがもっぱら実践的ディスクルスに参加できる場合である。

 さらにこのような規範を普遍化するための原則(U)は以下のよう

になる2。

      一44一

[普遍化原則(U)]

 すべての妥当な規範は、吝妥の個々人の利害を充足させるためにそ の規範に普通的た従うことから生ずると予期される結果や副次的効 果が、あら@る当事者によって強制なく受け入れられうるという条件 を満足しなければならない。

 これらの原則を定式化することによって、ディスクルス倫理学は、

倫理的相対主義、懐疑主義を排し、普遍化を志向することが可能にな る。その際、ハーバーマスは、すべての参加者が対等の立場に立ち、

全員の利益を念頭において自由に論議する理想的コミュニケーショ ンの必要性を指摘するのである。

 コミュニケーション的行為は二人以上の当事者間において、了解を 目指して行われる発話行為である。ある発話者が掲げた妥当性要求に 対して、聞き手が「ノー」と反応したときにその妥当性要求について の議論が必然的に始まる3。真理性、正当性、誠実性という三つの妥 当性要求のもとに、意見を交わし合いながら、ある何かについて当事 者間で了解を形成する。つまり、社会を形成することを目指している。

この理論のもとに構築されているディスクルス倫理学においても、当 事者間でのディスクルスを通してある規範の正当性についての了解

を目指し、質の高い社会を形成していくことができる。ハーバーマス は、コミュニケーション的行為の派生態としてのディスクルスを図 のように整理したのである。(図3−1参照)

表3−1

議論の類型4

     関連点 c論の諸形態

問題となる発言 論争上の妥当性の要求

審美的討議 評価的 価値基準の適切さ 治療的批判 自己表示的 自己表示の誠実さ

説明的討議 D     ●     ,     ,     ,     ,     8 象徴的構成物の理解のし 痰キさ、または、整合性

2 理想的発話状況

 討論は、経験的には様々な制約を受け、ディスクルス倫理学が想定 しているような問主観性がなかなか実現できないこともある。それに もかかわらず、現実の会話の中には無制約的で支配から自由なコミュ ニケーションの諸条件が規制的にはたらいており、そうでなければ、

たとえ不十分であってもコミュニケーションは成り立たない。この反 事実的に先取りされた理念を、ハーバーマスは「理想的発話状況」と 表現する。そして彼は、議論の前提を単なる約束事ではなく不可避の 先行仮定として、R.アレクセイに依拠しながら、次に示す三つのレベ ルで提示しているb。

[論理的=意味論的レベル]

(1・1)どの話し手も自己矛盾を犯してはならない。

(1・2)ある対象aにある述語Fをを適応せんとする話し手は、a     とすべての優位な観点において同等な他のいかなる対象     にも、Fを適用する用意がなければならない。

(1・3)さまざまな話し手たちが、同一の表現をさまざまな意味に     おいて用いることがあってはならない。

 この段階においては、論理学と意味論上の規則が前提とされており、

超越論的語用論による論証にとって手がかりはもらさない。しかし、

手続き上の観点から見ると、論議は次の了解プロセスであらわれる。

そこでは、相互行為を遂行する論争の形式に不可欠なものが前提とさ れてくる6。

一46一

[相互行為のレベル]

(2・1)すべての話し手は、自ら信じることをのみ、主張してよい。

(2・2)議論の対象となっていないような言明や規範を攻撃しよう     とするものは、そのための根拠を示さなければならない。

 さらに、次のレベルになると、議論における言明は抑制や不平等を 免れている理想的条件に近づいた形態のコミュニケーションとして 提示される7。

[理想的発話状況]

(3・1)言語=行為能力あるものすべての主体は、ディスクルスに     参加してもよい。

(3・2)a誰もが、どんな主張をも問題化してよい。

    B誰もが、どんな主張をもディスクルスに持ち込んでよい。

    C誰もが、立場や希望や欲求を表明してよい。

(3・3)どの話し手も、ディスクルスの内外を支配している強制に     よっては、(3・1)と(3・2)で確定された自分の権     利を行使するのを妨げてはならない。

上述したように、ディスクルスの参加者は論理レベル、相互了解レベ ル、理想的発話状況レベルの最小限の拘束力を受けることになる。こ れは、ディスクルスの参加者の誰もが自由に、よりよき根拠を求めて いくために不可欠な拘束なのである。

3 合意の構造

ルスの場を規定する不可欠な拘束であった。

 ハーバーマスは、論拠の形式的構造を表すトゥールミンの議論モデ ルを用い、実践的ディスクルスの構造を提示する8。(図3−1参照)

 足立(1984)は、「議論とは、意見対立を克服し自説への同調を獲 得するための一つの方法でしかない。にもかかわらず、今日の自由民 主主義の社会において、議論はきわめて高い意義と価値を与えられて いる。しばしば、意見対立を克服し合意を形成するための唯一正当な 方法とさえみなされているのである。」と述べている9。

 もしも議論がなければ、意見対立を克服することは困難であり、一 方的な解決策がとられ、自由民主主義の社会ではなくなってしまう。

しかし、議論の正当性が不確かなものであるとすると、合意を形成す ることはできない。納得のいく議論になるためには、「根拠」が必要 である。足立(1984)によると、「議論」とは、「根拠」(ある主張の 根拠となるデータ・事実)に基づいて、主張(ある議論の結論となる 要素)を正当化しようとする言論のことである。「話し合い活動」の 中で、自分の意見を述べたり、友だちの意見を反駁しようとするとき、

「理由づけ」(なぜその根拠によってある主張ができるのかを説明す る要素)が必要である。また、「理由づけ」は、「裏づけ」(その理由 づけが正当なものであることを支える要素)によって、「限定」(理由 づけの確かさの程度を表す要素)され、「主張」へとつながる。ただ

し、推論上の飛躍を普遍的、絶対的に保証するような効力を、「理由 づけ」は有していない。したがって、時には、「理由づけ」の一般的 効力が留保されなければならないようなケースが生じる。それらを理 由づけの効力に対する留保条件として明示しておく。これらの留保条 件が、「反証」(「〜ではない限りは」という条件を表す要素)である。

一48一

backing

裏づけ 理由づけが正当なもので あることを支える要素 warrant

理由づけ なぜその根拠によってあ る主張ができるかを説明 する要素

根拠

Grounds

ある主張の根拠と なるデータ・事実

quali丘ers claim 限 理由.づけの確かさ

の程度を表す要素

主ある議論の結論  となる要素 rebuttal

反証 「〜でない限りは」と いう条件を表す要素

図3−1トゥールミンの議論モデル(Toulmin,1964;秋田,2002)10

「日本で生まれた国籍に関する法律」に 謔チて、そのように定められているから

裏づけ

摎Rづけ

ェ拠

なぜなら、神戸で生まれた者は 坙{人であるから

1

Aさんは神戸で生まれた →だから、たぶん レAさんは日本人である       ▲

ス証

Aさんの両親が共に外国人であったり、Aさ 自身が外国に帰化したのではない限り

づけ『日本で生まれた者の国籍に関する法律』によって、そのように 定められているからとなる根拠が必要である。これは論拠とも言う。

この例は単純だが、日常わたしたちがぶつかる問題はもっと複雑で、

論拠はかなり込み入った議論をしてはじめて合意される場合が多い。

要するに話し合うとは、根拠、主張、論拠を確認し合う作業だという ことである」と述べている。ただし、例外が必ず存在する。それは、

さんの両親がともに外国人であったり、Aさん自信が外国に帰化し たのではない限りという反証を考慮しておく必要がある。この論拠の 根拠を追求し、話し合い活動を意義あるものする授業を考えていきた

い。

4 伝達から創造へ

 道徳授業を例にとって考えてみると、今までの授業では、価値が最 初から道徳的に大切であると見なされているために、話し合いをして 出てくる意見は肯定的な意見ばかりで、価値を「伝達」したものにな っていた。しかし、ある行為が正しいかどうかを価値に照らし合わせ て、「どうしてそうすることがいいのか」、「どうしてそう考えること が正しいといえるのか」、「どうしてその価値が大切なのか」と価値の 正当性について追求する。つまり、それは価値を「伝達」するのでは

なく、「創造」することであるといえる。

 また、誰もが納得できる行為の正しさの根拠は、子どもの成長とと もに変化していく。子どもは小さいときには心情や気持ちが中心にな る。しかし、やがて子どもは心情的な思考では対応できにくい様々な 課題に遭遇し、心情ではなく筋道を立てて合理的に考えることが必要

となる。この筋道を立てて普遍的に合理的に考える力を養うことがで きるのが、教科のなかでも特に数学の授業である。数学の問題は、た とえ答えが一つであっても、解き方は様々ありそのプロセスは一様で はない。その一つ一つを吟味して正当化していくことは、話し合い活 動において、主張に対する根拠の正しさを三昧していく行為へと似て いる。つまり、数学の授業こそが納得のいく話し合い活動を成功させ       一50一